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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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子供の頃、全て決まっていた。

お元気ですか?

小学生の頃、学校帰りの道で同級生の女の子が三人、誰かの噂話をしていた。離れて歩いていた私に聞こえてきたその人物評を聞いて私は思った。自分の知らないところで誰かに批評されるのは嫌だな。もし私が誰かの批評を他人としていたら当然私も誰かにその何倍も批評されているんだろうなと。その時から、私は誰かの批評を他人とした事はない。もちろん人間関係の中で人を観察し評価することはある。良い事なら他の人と話しても良いだろうが、そうでないなら口は閉じておこう。
ところが、先日ある人に誰誰さんの事は注意しておいた方がいいよという話をした。これは本当に注意が必要だったのでしたのだが、聞くと他の人からも言われた事があったそうだ。これはこれで仕方の無い事でその人が傷つかないために注意をしたのだが、私は家に帰ってからも気持ち悪さを胸に抱えた。人の事は批評したくない。小学生の頃に心に決めたことを少し曲げた自分が苦しかった。

小学一年生になった春、新学期の二日目に担任の女の先生から注意事項が言い渡された。その中に学校の廊下は走らない、手をつないで歩いてはいけない。というのがあった。休み時間になりトイレから戻った私を先生は教壇の所に呼び、いきなり平手でびんたを喰らわした。何が起こったのか分からなかった私は目を丸くするばかりだったのだが、先生は私が誰かの手を握って廊下を走ったと同級生の男の子から聞いたというのだった。全く身に覚えのない話だ。
小学一年生二日目の私は、先生といえども間違った事をするのだとその瞬間に分った。私はびんたをはられた頬っぺたの痛みよりもその事の方が印象に残った。何故なら私の祖父は教育者で父はその事を誇りに思い事あるごとに私に祖父の話をしてくれていたからだ。父の中で教育者は立派な人格者であった。
更に悪い事に、同級生がざわめく中女の子が「杣人さんはそんな事してません」と言い、嘘の告げ口だったと分かったにも関わらず先生は自分が間違った事を私に謝らなかった。告げ口をした男の子の事も注意しなかった。
これは決定的な出来事だった。私は先生といえども間違いをする。しかも間違った事を謝らず、都合の悪い事に蓋をするのだという事を知った。

それ以来、教育者で人格者であるべき先生と、立場を守り自分の間違いをぬぐう人間が先生と呼ばれている事に辛い思いを抱えている。父の理想を傷つけている気がするからだ。願わくば父と同じように先生は人格者であると信じていたかった。

小学校一年生からそんな経験をしてしまった私は学校の先生を慕ったり尊敬するという事が出来なかった。もちろん立派な先生もいたのだが、それでも一度心に刻み込まれた思いは変わらなかった。
加えて、学校の先生というのは職業上学生を評価しなければならない。私はこれを不幸な事だと思っている。先生という権威を与えられて人を評価するという立場に置かれるのはつらい事だ。先生は沢山の鎧を着せられている。そしていつしかそれに慣れてしまっている。

中学時代、三年間担任を務めて下さった先生は私の事をよく気にかけてくれて、音楽の道にすすむのだろうかとか、先生になると良いのになどと親に話していた。懐かしく思う先生だが早く亡くなって卒業以来会う事もなかった。
そして、その頃将来の事を思い、私は先生と呼ばれる職業にはなりたくないと思うようになっていた。医者も弁護士ももちろん学校の先生もだが、今思うと少し短絡的でもったいない事をしてしまったと思うのだが、まぁそれは人生の笑い話だ。


私がやっている弓道で、私には先生が二人いる。一人は現道場でご一緒している先生で下手な私をいつも見守ってくださって「杣人はコツコツ真面目にやっているんだ」とだけ仰ってくださる。もう一人は私が入門した道場の先生で最初の先生。最近はあまりお会い出来ないのだが、最近古い仲間と会ったら私の事を話題にしてくださっているのを知った。有り難く、また習いに伺いたくなっている。私も一応だが称号をもっているので世間的には先生と呼ばれる身ではあるのだが、そんなのは全く鎧の紐だ。ほどけば裸の身。二人の先生と先生の意味が違う。だから私は弓の仲間にはどうか私を先生と呼ばないでくれとお願いしている。先生と呼ばれる程に恥ずかしくて辛くなるからだ。分かってくれる人は少ないのだが。


最近、国会で大臣の資質を問う質問を野党の議員がしていてニュースにもなっている。国民のために働く国会議員であり大臣であるからそれなりの人格者であったり資質を備えた人間であって欲しいのだが、見ていて苦しい。
先生と呼ばれる人たちが人のあら探しの批評を繰り返しているように思えて、寒々しい。
小学生の時に知った人の批評の虚しさや先生と呼ばれる人の嘘。なんだ国会でもやっているんだと悲しくなってしまう。

ではまた。




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テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

『ぼたん雪が舞うとき』

お元気ですか?

劇団青年座の『ぼたん雪が舞うとき』というお芝居をテレビで見ました。2011年3月の東日本大震災の福島第一原発事故により立ち入り禁止区域に取り残された夫婦を描いたお芝居です。
原発事故や原爆をテーマにしたお芝居というのはこれまでもあります。絵本作家、レイモンド・ブリッグズ原作による『風が吹くとき』はアニメーション映画にもなり日本でも多くの人がご覧になっていると思います。しかし今回の『ぼたん雪が舞うとき』というお芝居は作者の高木達氏がご自身福島の実家に帰省していて体験した事をもとに劇を書かれたのだと言います。津波から逃れた高木氏は翌日12日、テレビのテロップで原発から半径20㎞圏内の住民に避難指示が出たのを見ます。「これは逃げなきゃいけない」と思ったそうです。ここで逃げた人と逃げない人とが出てきます。そして20㎞から30㎞圏内の逃げない人には屋内退避という指示が出されます。
冷静に考えれば分かることですが、避難指示が出ているということは放射能の線量が高いということです。第一原発の状況も分からずこれからどうゆう被害が起こるのかも分からない段階で避難しないという判断はありません。災害でも犯罪でも身を守る基本は危険な現場から速やかに離れる事です。
実際原発はメルトダウンを起こしますし救援物資を運ぶトラックや警察、消防などの立ち入りも出来なくなってゆきました。
そうゆう刻一刻と深刻化してゆく被害のなかで、屋内退避を選択した人たちは情報もないまま孤立化していったのです。中には高齢で体が思うように動かなかったり、家族に障害をもつ人がいて避難所へ行くことを遠慮した人もいたでしょう。本人の望まない形で自宅での屋内退避を選択せざるを得なかった人たち、災害弱者と呼ばれる人たちが生まれていたのです。

私たち人間は悲劇の中に喜劇を見ます。劇の中で初老の夫婦は自宅の奥まった部屋に避難をし、換気口を塞ぎます。配給所でもらったインスタントラーメンをお湯が沸かせずそのままかじったり、粉ミルクを舐めてむせたりします。実際にこうゆう事はある話ですし私たちはそれを無知だとか準備不足だとかと非難する事は出来ません。
夫婦は極限の生活をしながらも、家族のアルバムを開いては親への感謝を言葉にしたり、娘が連れてくる初孫に会う事に期待を膨らませるのです。

今年は私たちの周りで大きな災害が起き、九州・四国・広島など西日本の人たちを思い心を痛くする日が続きました。先月北海道の地震で実家が停電になった時にはLineで従兄に連絡をとり母の様子を見に行ってもらいました。劇の中でもフランスに住む娘が携帯電話に連絡をよこすのですが、電気がないため携帯が切れて通話が途切れてしまうシーンがあります。被害にあっている現地より外の人間の方が状況を把握できるという事があるのです。

先日の台風で私の住む街でも大規模な停電が起こりました。夜中、電気がついたり切れたりしていると思いながら寝て、朝完全に停電になっているのを知ります。テレビもパソコンも使えませんから情報を得るのは私のiPhoneでラジオのニュースを聞くばかりでした。ちょうどその朝はパンを焼き、ご飯を炊く日だったので朝どちらも出来ていなくて朝食をとることが出来ません。水道も出ませんから夜のうちに溜めておいた水で身づくろいをし、パートナーさんは職場へ私は道場へ出かけました。パートナーさんの職場は地域の基幹施設ですし自家発電もあるので機能しているのです。私の場合は電気が通じないと本を読むぐらいしか出来ないので道場に出かけて練習でもしようと・・・。
ところが、道場へ向かう道は信号機が停電で機能していません。ところどころ倒木のせいなのか道路封鎖もあり迂回しなければなりません。警察官も出ているのですが、すべての交差点に配備できるわけもなく、交差点ではお互いに相手の動きを察しながら手だったりアイコンタクトをとりながら注意して進みます。こうゆうところは日本人ってジェントルだと改めて感心します。
道場は雨どいやシャッターが壊れ屋根の鬼瓦が飛んでいました。掃除をし応急処置をして練習をしますが、市の施設ですから直るまでに時間はかかる見込みです。
お昼、コンビニは停電と配送遅延のためお弁当やパンといった食べ物は全く無く、スーパーも同様でした。皆さん少しでも商品がある処に来るのがよくわかります。コンビニでは懐中電灯や電池が売れ、携帯電話の充電池が売り切れていましたが停電なのにちょっと不思議な感じです。道場は幸い電気が通じていたので充電でき、お湯も沸かしてお昼を頂くことができましたが、市役所の行政放送では充電設備のあるところを紹介していました。

私たち人間は自分に都合の悪い解釈からは避けて通る傾向があります。株で買った銘柄が下がりだしてもまだまだ大丈夫と思って損が広がるなんて典型的な例です。だから災害の時の備えというのもいざ災害に合ってから考えてはだめなのです。コンビニに行けば食べるものがあるだろうと思ってもありません。電気はすぐに復旧するだろうと思っても当地では最大四日間も停電が続きました。私も含めて皆自分に都合の良いように思いたがるのです。今回の災害でそのことを私は改めて感じました。

芝居を見ながら、行政の指示に注意するとしても大規模災害になったら最後は身を守るのは自分の判断だという事を感じます。屋内退避の指示を守りながら飢えや寒さに耐え薬も無く死んでゆくなんて悲劇はご免です。自分の命は自分の判断で守る。そのためにも普段から備え、孤立しないためにも地域のコミュニティーを大切にする。情報を集めながらも正しい情報を見極める知見を持つ。希望を支えあえる家族を大切にする。そんなことを考えます。

物語の最後、初老の夫婦は隣近所は逃げ出し孤立した家の窓を開けます。空からぼたん雪が降ってきています。でもこれは本当にぼたん雪なのでしょうか。私には死の灰に見えます。私たち人間が作りながらも最終処理の出来ない原子力の灰に埋もれて私たちは死んでゆくのでしょうか。

ではまた。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

北海道胆振東部地震

お元気ですか?

2018年9月6日午前3時8分頃、北海道で震度7の地震が発生した。震源地は新千歳空港や苫小牧港からも近い安平町や厚真町の地下37㎞と推定されている。国内最大の全身骨格が発掘された恐竜「むかわ竜」は2013年から調査が始まり今月4日報道公開され、10月には一般公開を控えていた。そのむかわ町も同じ地域だ。

私はいつものように朝4時に目が覚め、枕元のiPhoneを見て地震を知った。居間のテレビをつけニュースを確認すると厚真町の土砂崩れのヘリコプターからの映像や札幌のすすき野の交差点の映像が報道されている。NHKの他民放もチャンネルを変えながら見るが民放のほうが現場の様子を色々と知ることが出来る。もっともこの時点で情報は流動的なので映像を見て状況を知るほうが感覚的にわかりやすい。

しばらくしてパートナーさんが起きて来ていつもの朝の支度が始まる。そろそろ函館の母も起きているかと電話をしてみるが通じない。電話が込み合っているので・・・というアナウンスが流れたり、呼び出し自体に繋がらなかったりする。この時点で私は函館を含め北海道全域が停電していることを知らなかった。
そこでラインで従兄にメールして母の家を見に行ってもらうよう依頼した。従兄は年老いた両親を看るため東京の生活を引き上げて函館に戻っているのだ。すぐに返事が来て、函館が停電であることと携帯電話もつながりにくい事を知った。信号機も動いてなく車での移動は心配なので歩いて母の家に行ってくれるという。これで少なくとも様子を知ることが出来ると安堵した。
函館に暮らす母の兄弟はそれぞれの子供とは離れて暮らしている。私もこの従兄以外に頼れる親戚がいない。
高齢化社会、少子化社会が進む日本において今回のような災害時に親兄弟の安否を確認する方法は限られている。地域のコミュニティー、町内会のシステムも次第に希薄になっている。安否確認の方法は検討課題だ。

9時過ぎ、従兄の携帯から電話がある。母の家に着いたのだ。決して近所に住んでいる訳でもないのに早くに行ってくれたと感謝する。母は地震が発生する少し前に目が覚めトイレに起きようかと思っていたところ地震がおきたという。停電したので、廊下にある人感センサーのライトをもって歩いたという。食器棚や箪笥などが倒れる事もなく壁の絵なども落ちなかったそうだ。
停電で冷蔵庫は使えない。老齢の母なので頻繁にスーパーには行けないので冷蔵庫や冷凍庫には食品が多い。傷むよりはと思い従兄に少し持っていってもらうよう話す。従兄に礼を言って電話を切った。

函館の様子をニュースで知ったのは外出先から戻った3時過ぎ、空港や列車が止まっているためフェリーで青森に渡ろうという客で混みあっているという。
夜7時過ぎになって母から電話があった。ようやく電気が通じたので電話したという。従兄が来た事を喜んでいた。ケースワーカーの人も来てくれたそうだ。離れて暮らしているとそうゆう話が嬉しく感じる。

今日も朝から北海道のニュースが続く。画面では主番組にテロップで随時情報が流れている。天候も雨が降るようで新たな被害が広がる事が予想される。親戚や関係者に連絡をしなければならない。

被害にあわれた方全てにお見舞いを申し上げるとともに、復旧にあたる関係者すべての人たちにお礼を申し上げたい。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

名古屋めし? ヨコイのあんかけスパ

お元気ですか?

所要があって名古屋に出かけた。家の近くにできたスマートインターから高速道に乗れば一時間半で着く。
午前中に用事を済ませ、ランチを取るために駅地下に入る。実は名古屋の食べ物の番組を見て妙に心がうずいていたのだ。所要というのは言い訳で、何か名古屋めしをパートナーさんと食べてみたいというのが本音だ。
私は以前仕事で名古屋に来ることが度々あり、名古屋の食事には馴染みがある。山本屋本店の味噌煮込みうどん、矢場とんの味噌カツ、蓬莱軒のひつまぶし・・・。名古屋は独特の食文化を形成していると思うのだが、正直なところこれだという捉えどころがつかめない。カクキューの八丁味噌に象徴される濃い味噌味はうどんや味噌カツの他にどて焼きと呼ばれるおでんも有名だ。本当はこのどて焼きのおでんを頼みながらビールを飲みたいというのが一番なのだが、昼間に車では叶うべくもない。味噌煮込みうどんはやたら熱いので猫舌のパートナーさんには辛い。矢場とんは私は何回か食べているし、以前中部国際空港でパートナーさんも経験済みだ。
そこで、おのずと浮かんできたのが「あんかけスパ」だ。きしめんも良いのだが、インパクトでは「あんかけスパ」に軍配が上がる。
ちょうど「KITTE名古屋」の地下に老舗の「ヨコイ」が有ったので入ることにした。

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ランチタイムでもあり、店の前には数人が並んでいるが回転が速いので心配はない。店員さんがメニューを渡しながら人数を確認している。手際のよい店は入る前から心地が良い。カウンター席に案内されて待っていると手書きの大きなポスターが眼に入った。創業55年。元はあんかけスパの専門店「そーれ」から始まり、独立して昭和38年に「ヨコイ」を開店させという。
名古屋にはこの他にもあんかけスパを出す店が沢山あるそうだが、珍しさで食べるだけなので何処がどうのと一生懸命になるほどでもない。

b18826.jpg  a18826.jpg

私は以前一度だけだが「あんかけスパ」を食べたことがある。そこで今回はクリームコロッケののったナポリタンセット。パートナーさんにはエビフライののったミラカンセットをいただいた。
始めて食べるあんかけスパにパートナーさんは興味深々。フォークでとろっとした餡をかけながら太い炒めたパスタを頂く。野菜や赤いウインナーが具だが、子供の頃給食で食べたパスタみたいだ。でも餡は胡椒の辛みが強いので大人味と言える。

もう10年以上前の話になるのだが、私の職場の知り合いに名古屋出身の男性がいた。文庫本を集めるのを趣味にして私と話が合った。学生時代には都内の有名なJAZZバーでアルバイトをしていたので私のJAZZ入門に指南役も買って出てくれたこともある。そんな彼がある時仲間内の会話からあんかけスパの話になり、翌日レトルトのソースをいくつも買ってきた。事務所の給湯室でパスタを茹でて、その日はみんなであんかけスパを楽しむランチ会になった。遊び心のある自由な人だった。
私が職場を去った後、彼はすぐに癌を患って亡くなった。親しい友人を亡くすのは悔しくて寂しい。
あんかけパスタを思うたびに彼の事を思い出す。

さて、名古屋めし企画も「あんかけスパ」を頂いたので、今回は満足。めでたしめでたし。

この後、地下街を迷よいながら鎌倉シャツの店にたどり着き、それぞれブラウスを購入。実は2月に名古屋に来た際に酔っぱらいながら地下街を歩いて偶然見つけたので場所がよくわからない。Googleマップを手にしながら歩いたが、何せ地下街なので通路一つ違うとあれ?って事になるのだ。

次はノリタケの森という陶器のノリタケのミュージアムに向かう。以前からパートナーさんが行きたいと言っていたところ。駅から歩いて10分ほどの好立地に陶器の製造過程や会社の歴史を知る事の出来るミュージアムがある。売店もあるので私たちも普段使いのお皿を買う。
館内には絵付け体験が出来るところもあり、親子連れやカップルが楽しそうに絵を描いている。次回は私も体験したい。
そしてトヨタ産業技術記念館へ。ノリタケとの共通券で800円で利用出来るのが嬉しい。ここでは創業当時の自動車造りの様子を知ることが出来る他繊維機械や蒸気機関の展示、図書館などもあり興味のある人は1日いても飽きないかもしれない。
歴史を作ってきた車の展示では女性の方が説明をしてくれるので色々な事も知られる。私は小学生の頃に発売になったセリカGTをまじかに見る事が出来ちょっと懐かしかった。当時同級生のお父さんが出たばかりのこの車に乗って学校の駐車場に車を停めていた。お金持ちの子なんだなって思った事を思い出した。パートナーさんは好きな2000GTが展示されていないので途中で少しトーンダウン。そろそろ時間も良いので帰ろうという事になった。次は長久手のトヨタ博物館に行くことになるのだろう。

秋の始まり。まだまだ日差しも痛いが名古屋の街を楽しんだ日曜日だった。

テーマ : こんな店に行ってきました
ジャンル : グルメ

終戦の日

お元気ですか?

今日は終戦記念日。私はこの記念日という表現に違和感を感じる。昭和20年8月15日という日の後にも中国や北海道などで戦闘が続いていたという事、沖縄の復帰や広島・長崎の被爆者の問題、シベリア抑留者の帰還問題など多くの人々が戦争にる被害を受け続けていた事は言うまでもない。また被害を受けた国々の人々はもちろん全ての被害者の感情を思うとはたして終戦という言葉があるのだろうかという気にさえなる。

終戦の日が近づくと新しく掘り起こされた史実に基づき多くのドキュメンタリー番組が放送されたり、ドラマが作られたりする。報道でも小学生中学生に自身の戦争体験を話す人、反対に高齢者に聞き取りに行く学生、戦争を語り伝え残してゆこうという動きが多く紹介されている。それは大切な事だと私も理解している。しかし、正直なところ私は疲れも感じている。

私は物心ついたころから戦争を聞いて育った。母は函館山の麓にある家の窓から戦闘機が戦う様子を見てその思い出をよく話してくれた。祖父は函館の捕虜収容所に出向き外国人の捕虜に作業技術を教えていたという。父は自身のシベリア抑留の話は晩年までしなかったが長男兄弟が戦傷し伊豆で療養した末に亡くなった話をし、その療養先となった旅館に私を連れていった。三男は戦闘機に乗り真珠湾攻撃をはじめ多くの海戦に参加し亡くなった。
別な伯父は九州から帰る時に広島の駅で被爆した人達が線路わきに横たわる中辛うじて動いていた列車に乗って函館に帰ったと教えてくれた。

私が小学生の頃は安保問題や学生運動で日本中がいつも騒乱だった。仲の良かった同級生は父親の仕事でベトナムに一年半ほど行き、戻って来たがベトナムの様子を話そうとはしなかった。TVで見るベトナムのニュースはよその国の話ではなくなった。

今日、NHKの「映像の世紀」という番組を見た。「難民 希望への旅路」というタイトルで、スペイン内戦によりフランコ政権からフランスに逃れる人々、第二次世界大戦でドイツの敗戦により難民となったドイツ人。パレスチナ問題で難民となるユダヤ人やアラブ人・・・。内戦や戦争によって国を逃れ難民となる人々の姿がとても分かりやすく整理されていた。この前の同番組では独裁者に焦点を当てヒットラー、ムッソリーニ、スターリンらが同時期に独裁者となってゆく姿を描いていてこれもとても興味深かった。
高校の歴史の授業などこうゆう番組を使いながら行えば歴史が身近な問題であることに気づき学ぶことが楽しくなると思う。

しかし、私はそうゆう歴史を見ることに少し疲れを感じている。
国家の歴史は覇権と収奪の歴史と言う事が出来る。現在でも大国と言われる一部の国々は侵略領土拡大を当然の事のように行っている。何千年も前から少しも変わらない。国家という立場で他人を傷付け自分の都合の良い主張を繰り返す。歴史に学び反省することは人間には不可能なのだろうか。だとしたらそれは歴史の問題ではなく哲学の問題になる。
人間の本質を知り、幸福への道を探るために歴史に学ぶことが出来ないのなら私たちはどうゆうアプローチが可能なのだろうか。
「難民 希望への旅路」の番組の中で哲学者ハンナ・アーレントのインタヴューが映し出されていた。アイヒマン裁判を通じて人間の悪について深く考えた哲学者だ。思想を持たないことの悪を指摘し、誰でもがアイヒマンになり得ると指摘した。

戦争の歴史を語り伝える事は大切だ。誰もが二度と悲惨な歴史を繰り返したくないと言い、戦争は絶対してはならないという。しかし政治家は自国の利益のためと言って領土を拡大し、他の国を攻撃し、恫喝非難を声高に繰り返す。民主主義を標ぼうする国でも力を得た政治家は独裁的様相を恥ずかしげもなくさらす。国民が選んだ政治家だからその責任は私たち自身にある。
私たちは歴史を学ぶ。しかしその歴史から何を考えるのか、どう思想に組み立ててゆくのか。一人一人が注意深く警戒感をもって今を見、哲学し、行動してゆかなければ、気が付いた時には悲惨な歴史の当事者に堕ちているかもしれない。
歴史を伝えるだけではだめだ。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

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