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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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ラジオの力

お元気ですか。

新型コロナの蔓延により世界の様相が大きく変化しましたが、そのようなときにこそ文学の力が大事だということを前回書かせていただきました。人には物語を伝えるという素晴らしい力があり、過去に経験した疫病や災害を知ることで現在のコロナ禍も乗り越えていけると確信しているからです。
私が聞いているラジオでもコロナを取り入れたものが多く放送されています。ラジオドラマでも物語の中にコロナによる環境変化が書かれている作品を放送しています。文化講演会でもコロナ禍の下、人々のつながる心をテーマにした講演を紹介していました。私がもっとも興味をもって聞き続けていたのが、「カルチャーラジオ 文学の世界 いま、心に響く歌の力」というシリーズでした。歌人の今野寿美さんという方が様々な和歌を紹介する番組だったのですが、和歌の世界は全く門外漢である私にもとても魅かれる内容で毎回聞くだけではなく何回も聞き直してしまうくらいに面白かったのです。

別の文化講演会の番組の中で和歌が時事性をもっているということを俳句との比較の中で歌人の永田和宏さんが言っていました。永田さんのことは以前から存じ上げていたのですが、昨年の2月の段階ですでにコロナを取り上げた和歌が新聞に投稿されていたという話を紹介されていました。
俳句にしても和歌にしても日本ほど一般の方たちが作品を作って楽しむ国はありません。小学生からご高齢の方まで新聞に投稿して楽しむのは言葉の魅力を感じている証拠です。そして歌を詠むということは言葉に託して心を詠み、心の言葉を聞くということに他ならないのです。これはまさに「いま、心に響く歌の力」というタイトルそのものと言えるでしょう。

コロナ禍に注目した場合、三つのアプローチがあるようです。一つは正面からコロナを題材として歌う方法、もう一つは全くタッチしない姿勢、そしてもう一つはコロナとは言わないけれどそれを匂わす表現で歌う方法だそうです。特に三つ目の表現は、ハリーポッターの小説で「決してその人の名を口に出してはいけない人」という言い方で凶悪な魔法使いを表現していたのに通じる姿勢であり、その恐怖度は口にするのが恐ろしいほどの絶対感をもって襲い掛かっている分、私たちはその恐怖の中に取り込まれていることを示している。それくらい深刻な恐怖を表しているといえます。

私たちは新型コロナの出現により様々な問題に気づかされています。国や地方行政の問題、医療現場の問題、飲食業や観光業、小売業といった商業の姿、まさに私たちを取り巻く全ての世界を見直す機会を得ています。そして最も大きく見直すことになったのが、自分自身の姿だったのです。働き方を見直すことになった人も多いことでしょう。家族との関係を考えさせられた人もいるでしょう。それまで当たり前に思っていたものが崩れたとき、私たちは自分自身の中に答えを求めていかなければなりません。それをきちんと出来ないと適当にやり過ごしてしまい決断のできない生き方に流されてゆくことになります。

私たちは誰もが自分の周りの事を全てきちんと認識したり理解したりして生きているわけではありません。むしろそうでない場合のほうが多いかもしれません。しかし自分には責任のない自然災害や疫病、突然に見舞われる犯罪被害などの現実に直面した場合、私たちはその問いと答えを自分の中に探さなければなりません。そうゆう時に文学の力、和歌を詠い俳句を詠むことがどれほど役にたつか計り知れないのです。

私は和歌や俳句を詠むことは全く出来ませんが、文学の力を知っていますし、ラジオから聞こえる講座を聴いて文学の世界に触れる喜びに救われた感覚を楽しむのです。

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介護保険 母の利用

お元気ですか?

先日母の介護保険の認定を改めました。今回はそのお話です。

年老いた母と一緒に暮らし始めたのは一昨年の暮れでした。昭和の初めから生きてきた母の年代は子供のころから戦争を背景にした社会、戦後は経済成長という怒涛のような変化の中で生きてきた世代です。そんな母に私が望むことはただ一つ、毎日を健康で楽しく過ごして欲しいということだけです。

昨年の5月に腰を痛めたのをきっかけに介護保険を利用してデイサービスに通うようになりました。家の中だけの生活では刺激が少なく頭も体もどんどん衰えていきます。デイサービスでの軽い運動、入浴、飾り物を作る簡単な手作業をしながら利用者さんたちと会話を楽しむ新しい生活が始まりました。

利用し始めて約1年。先日ケアマネジャーさんから6月に介護保険の更新があると知らされ、医者の診断を受けますかと言われました。そこで、私は6月まで待つことはない、今すぐ介護度の見直しをしようと考えたのです。
実は最近の母の様子を見ていると傾眠傾向が強くなっているのがとても気になっていました。それにデイサービスに通う以外は私たちが一緒でなければ家から出ることも出来ませんし、一緒に買い物に行くときもスーパーなどでは車いすを使わなければなりません。そんな状態なのに母の介護度は要支援2、制度としては予防です。この介護度に私自身反省と不満をもっていました。
一年前の認定の時には、十分な知識も準備もないまま地域包括と病院から紹介されたケアマネジャーの話に沿いながら認定を受けたのですが、その後いろいろなことを考えさせられてきたので、今回の認定では出来ることはきちんとやってみようと計画したのです。

私が最初にしたのは、医者の意見書をどうするのかということでした。ケアマネジャーさんは現状の大学病院の医者で良いのではという考えでした。しかし、私は医大から紹介されて通いだした整形外科の先生にお願いすることにしました。介護保険の認定をするときには医者の意見書が必要になります。市役所の長寿保険課に行って用紙をもらい(ケアマネジャーさんに言ってもらうこともできます)利用者(私の場合は母)本人か家族が書いて医者に提出しながら意見書を依頼するのです。
そしてこの意見書とともに、家族が生活の実態を箇条書きにして医者に持っていくことが大切です。例えば今回私が持っていった紙には・傾眠傾向が強くなっている・デイサービスの車に乗るのに足が上がらず(何センチ上がらないかも記入)介助が必要・買い物のスーパーでは車いすが必要・家族がいないと家では独居になっている、ので要介護1以上の認定を求め、デイサービスの利用を増やしたい書きました。家族を含めた生活の実情、不便、目標をきちんと医者に伝える事が大切なのです。
母と一緒に行った整形外科で私が記入した意見書の依頼書と添付した紙を見ながら医者は診察し赤ペンで記入しながら「介護1以上がもらえるようにしましょう」と言ってくださいました。これには私も非常に心強い思いを持ったのでした。

次に考えたのは訪問調査のことでした。介護保険の認定を申請すると区役所から認定調査の日の連絡がきます。調査の立ち合いは家族と本人が一緒に対応することが大切です。なぜなら本人だけなら自分にとって都合が悪かったり恥ずかしいことはなかなか伝えないからです。例えば規則正しい生活、就寝や食事などはちゃんととっていると言ってしまいますし、トイレの回数や失禁なども実際を伝える事は難しい場合があります。そうゆう場合は本人の尊厳を守りながら正しいことを伝えなければなりません。
この時にも医者に伝えた箇条書きが役に立ちますので同じものを用意して渡すようにします。調査員の人は区役所に戻ってから報告書を書きますが、聞き取ってきたことだけではやはり偏りが出る場合があります。家族からの紙があればそれを参考に書くことが出来るのでより現実に即した報告を書くことが可能になるのです。だからといって高い介護度を得ようと誇張したり嘘を書くことはいけません。案の定、訪問調査の日の母の対応は正直そのものでしたが、私の立場からすれば現実と違うことも多々ありました。ですから調査員を見送りながら実はと家族から見た姿も伝えたのです。

医者の意見書がいつ区役所に出されるのかは家族もケアマネジャーにも分かりません。だいたい1週間ほどでというのが一般的なようです。調査日は家族には連絡が来ますがケアマネジャーさんには行きませんので家族から連絡し可能なら同席をお願いしておくのがよいでしょう。ケアマネジャーさんの立場からどうゆう介護サービスを利用して生活をしてもらいたいという意見を調査員の方に伝える事も出来ます。

こうして二つのやるべきことをやると後は審査を受けるだけです。コンピューターでの評価と審査会による判定が行われるのです。今回母の場合は1月末に医者の診断を受け、2月初に訪問調査を受けました。結果が知らされたのは3週間後でした。
結果は私の希望以上の介護要介護2でした。家族と一緒でなければ家の外に出られないとか車いすの利用などが評価されたのかもしれません。実際のところは分かりませんが、介護度が上がったことに私も母もとても喜びました。

人によっては介護保険を使ってサービスを受ける事に抵抗がある人がいます。他人の世話になりたくないという人もいます。デイサービスの車が家の前に停まるのを嫌う人もいます。人それぞれの考え方です。
しかし私は最初に書いたように母に健康で楽しい日を少しでも多く過ごして欲しいのです。そして介護保険は国民が支払っているのですから利用するのは国民の役割でもあるのです。適正な介護サービスを受けて健康な生活を維持すること、病院に通うのを減らし医療費を抑えること。そう考えると介護保険を正しく使うことは国民の義務でもあると言えるのです。

もう少し考えると、介護保険の使い方を皆で考えていくことがとても大切です。介護保険は20年前から始まった制度でまだまだ模索の段階です。国家予算のうちの11兆円を使っていますが、利用する老人の数は年々増加していますので介護保険の予算は増加してゆくと考えられます。しかし予算が増える目途はありません。そうするとどうゆうことが想像されるかというと、介護の必要な人に必要な介護度の認定を出すことが難しくなってサービスを受ける事が制限される可能性があると考えられます。

ですから、私たち国民は介護保険の制度を正しく理解し利用できるように関心を払うことが必要なのです。包括支援センターや介護サービスを行う事業所、ケアマネージャーさんや介護を行う人達だけではなく私たち一人ひとりが一緒になって介護保険制度を育ててゆかなければならないのです。
今回私が母の介護保険の認定に積極的に関わったのは母の為だけではありませんでした。家族としては母のためが第一でしたが広い意味では社会のため、将来の自分のためだったのです。

ではまた。


テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

『チェイシング リリー』 マイクル・コナリー

お元気ですか?

マイクル・コナリーの『チェイシング リリー』を読みました。『ナイトホークス』から数えて12作目。もうすっかりファンと言っていいでしょう。通常私は好きな作家という言い方をしてファンとは言わないのですが、少し照れ臭い気持ちを感じながらファンと言わせていただきます。

今回の『チェイシング リリー』はハリー・ボッシュシリーズやFBI捜査官のマッケイレブ、弁護士のミッキー・ハラーの作品群とは違い単独の作品でボッシュは出てきません。人物としては刑事弁護士に転身したジャニス・ラングワイザーが出てくるだけです。
しかしコナリーは決して読者へのサービスを忘れていません。読み進むと主人公ヘンリー・ピアスは『ナイトホークス』のドールメーカー事件と繋がりがあるのが分かり、コナリーワールドの一員たる理由を与えられているのです。読みながら思わずにやっとしてしまうコナリーの手腕です。

物語はナノテクノロジーの起業家ピアスにかかってきた間違い電話に始まります。ピアスは突き動かされるように興味を覚え、どうやら失踪したらしいエスコート嬢を探す始めるのですが、狂暴な男たちに暴力と警告を受け、さらには捜査に来た警察に逆に犯人扱いをされます。だれにも相談出きず孤立を深める主人公。その理由は子供の頃に経験したドールメーカー事件と深いつながりがあったことが分かります。
前半は事件を追うほどに孤立を深めてゆく主人公と人物が並びますが関係性は表面的です。読者としても想像を働かせるばかりで紐解くほどの情報はまだありません。それでも主人公に比べ読者に強みがあるのは物語のスタイルから犯人の想定が出来ることでしょう。マイクル・コナリーはこれまでの作品でも登場人物を無駄にしていないのでらすから一見関係なさそうな人物、物語の中でわき役に見える人物に逆転の場が隠されているのです。
主人公ピアスはついにリリーを発見するに至って、本当に自分が窮地に追い詰められていることを知り、なぜなのかと問いだします。探すことの熱中から覚め何故自分が事件に巻き込まれてしまったのかを考えだし科学者として分析評価するという自分に合った手法で真実にたどり着こうとします。これはとても好感の持てるところで、科学者が強面の探偵のような方法で犯人にたどりついてはいけないのです。コナリーは最後の最後に科学者らしいアクションシーンも用意していますけど。

さてこうゆう科学技術を織り込んだ小説を読む楽しさは振り返る楽しみです。作品は2002年に発表されています。マイクロソフトがWindows95を発表して世界中が一気にインターネットに熱狂し始めたころです。私も当時モデムやADSLといった通信手段の開発普及を追いかけるように使っていました。アメリカに旅行する際にもノートパソコンをもっていって友人の家やホテルでつないでアメリカ国内にいる友人に連絡をとったりして時代の変化を体験して楽しんだものです。
今回この物語を読んで楽しめたのにはそうゆう回顧的一面もあるのですが、コナリーの描く技術が決して陳腐化していないのも重要です。今から見るとピアスの最先端の研究と文中に出てくる通信技術は少しズレを感じなくもありません。しかしそれを上回る全体の確かさや時代を先取りした音声認識に役割を持たせていることなどにマイクル・コナリーの手腕の確かさが見られると思うのです。

照れ臭くもファンを自覚しだした一読者でした。

さて、これから図書館に『チェイシング リリー』を返しに行きます。そして『13・67』陳浩基を借りてきます。
マイクル・コナリーもそうですが、いつも教えていただいてるサイトに感謝を込めて。
本って本当にたのしいものですね。

ではまた。



テーマ : 読書
ジャンル : 小説・文学

ささやかな願い 一年の初めに。

お元気ですか?

前回、私は世界が変化の流れのなかにあり、そうゆう時代だからこそ人間が持っている物語を創り伝えてゆく能力が大切だということを書きました。科学技術の進歩が私たちの生活を大きく変えてきたことは否定しません。しかし文学の世界、音楽やお芝居、絵画や彫刻といった芸術の分野は人間の今を表現し後世に伝えるとても重要な仕事なのです。そして後の世に立ってみると、この伝えられたことによって救われるのです。

先日テレビのニュースの中で音楽や演劇に携わる人へのアンケートをとったところ、3割以上の人が仕事の見通しがなく、自死を考える人も少なからず居るという報道がされていました。痛ましく悲しい話です。

私たちは便利という言葉と幸せという言葉をあいまいに混ぜて使っているのではないかと思っています。
蒸気機関が発明され鉄道が出来たのは約200年前、日本の鉄道は1872年開業ですから149年前です。その92年後、日本で東海道新幹線が1964年に開通しました。当時、東京から大阪への出張は宿泊しないといけなかったのが日帰りが出来るようになり体が楽になりますと宣伝されました。しかし実際にはどうでしょう。会社からは帰って来いと言われてもう少し余裕をもった出張がいたいと思うありさまです。
資本主義という経済システムが進み、社会主義も同じなのですが、経済の進化が人々を豊かにするかに思えましたが持つ人と持たない人の格差は広がりました。貨幣経済は便利ですが、その便利さの反対側で人々の分断は進んでいるのです。
私が子供の頃、買い物籠をもって近所のお店に買い物にいきましたが、次第にスーパーストアが並ぶようになりました。買い物籠はなくなり一つのスーパーでちょっとした日常の買い物は出来るようになりましたが、お使いを褒められておまけしてもらったり、お勧め品を教えてもらったりといった会話は減ってしまいました。

石油や原子力のエネルギー、経済、教育、私たちは便利とか功利、有用性をあまりに重要視しすぎていたのではないかと思います。その結果大学では基礎を学ぶ機会が減り経済的に利益が見えやすい学問が重用されています。就職では自分の本当にやりたいこと、仕事を通じての社会とのかかわりを考える前に、人気のある仕事や賃金が多くもらえる仕事を選んでしまい、結局転職を繰り返します。
私は自分の幸せと世界の幸せが重なる道はないかと探していますが、考えれば考えるほど今の世界とは違ったものを求めていかなけばならないように感じてしまいます。

1989年ベルリンの壁が崩壊しました。1991年にはユーゴスラビア紛争が起こり今もその余波は続いています。第二次世界大戦は東西ヨーロッパで難民という問題をあらわにしましたが、現在では全世界的問題になっていて日本も例外ではありません。この難民問題の解決にこそこれからの世界の幸せの道があると私は思っているのですが、その方法はどこにあるのでしょう。
科学技術の進歩により世界はすぐ隣になり、時差は感じなくなりました。地理的時間的制約は無くなりました。ならば世界は一つになることが可能です。
そして、世界が一つになるには隣の人の痛みを共有する心が大切だと思っています。隣の人を思いやる想像力、共感力です。科学技術が進歩するなら同じように人間の存在も進化しなければ私たちは科学に取り残されてしまうのではないでしょうか。

ユーゴスラビアを山のような日用雑貨を運ぶ出稼ぎの人たちと一緒に汽車で移動しながら、戦後日本の状況を思っていた私は、30年たった今も同じ問題を考え、もどかしさを抱えながら生きています。何も出来ていない自分への悔しさ。
今年は少しは進むことができるのでしょうか。山の中の神社にお参りしながら去年と同じ世界平和、世界の人々の幸福を願いながら。

ではまた。



テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

新年にあたり

あけましておめでとうございます。

世界中に暮らす全ての人が新しい年に希望を持てて新年を迎えられていればと願っています。
昨年の1月9日、新型コロナウィルスを報じる第一報以来一年が過ぎました。まさに世界中が想像もしていない事態に遭遇したといってよいでしょう。2011年3月11日に起きた東日本大震災とそれに伴う原子力発電所で起きたメルトダウン以来、日本では想定外という言葉が当たり前になりました。天気予報では毎年のように続くゲリラ豪雨により「経験のない」とか「命を守る行動」という言葉が当たり前のように聞かれるようになりました。しかし、よく考えてみると予想もしない事態を予想して対応するのが「リスク管理」ですから、私たちの生活する世界を分析し、起こりうるまたは起こりえない事態、を整理し理解し準備することが大切ですし当たり前のことなのです。もしそれをしていないとするならばそれは私たちの傲慢であり油断なのではないでしょうか。

今回の新型コロナウイルの世界的蔓延を経験のない事態だと思うかもしれません。しかしペストの流行を思い出してカミユやダニエル・デュフォーの本が本屋さんに並んだり、スペイン風邪の流行の映像をテレビで見ると、今回の事態は経験のないことではなく人類が極めて近い過去に何回も経験してきたことだと知るのです。

私の知り合いの女性が「私のお婆さんが外出するときは何かしら食べるものをもって出なさいと教えてくれた」と話していたのを北陸自動車道で吹雪のために動けなくなった車の映像を見ながら思い出していました。関東大震災や太平洋戦争を経験してきたお婆さんの言葉です。
私たちは日々新しいことに出会います。楽しいこともあれば苦しく悲しい事もあります。でもそれらのほとんどは過去に経験したことなのです。

今私たちは大きな流れの中にあるように感じています。世界各地の紛争や内乱、移民問題や分断、アメリカでトランプ大統領によって引き起こされたこの4年間の出来事も歴史的に見れば世界に内在していた問題を表面に噴出させたものであってトランプという個人による問題ではないように思います。それはトランプを支持する人たちの数と熱狂からも想像できます。
そして世界中の人々がそのことを知っていて、自分の住む身近でも同じ事態が起こっていることに言葉にならない不安を抱えているのです。

私たち人間は急速に進化しているように見えます。潜水艦による海底探査や月世界旅行を描いたフランスの作家ジュール・ベルヌが亡くなってからまだ115年しかたっていないにもかかわらず、私たちは宇宙の果てを見、DNAを書き換える科学技術を手にしています。哲学もこの50年ほどで重要な変化を試みてきたと言えます。
しかし、私たちはいまだに日々の生活に苦労し、どこに向かっているのか、向かえばいいのかを見つけられないように思います。宗教はSNSによる「繋がり」よりはるかに脆弱に思えます。今まで様々な宗教が教えている大切な事はそれぞれの宗教を必要とする人々に有効でした。しかし今私たちは宗教の教えよりSNSの「いいね」に救いを求めてしまっています。しかも宗教を理由に戦争をしてきたように、SNSに載った言葉で争いをし自殺に追い込まれてしまったりしています。人間は科学も宗教もどちらも自分の幸福のために使いこなせていないように思えます。

経済は人々の暮らしを豊かにし幸福にするように思えました。資本主義を標榜する国々ではお金という道具を駆使することで豊かになるように思ってきましたがここにきて必ずしも全ての人が幸せになっていないことが分かってきました。共産主義の手法を取り入れている中国もお金もうけで富を増やそうとしているのは資本主義の国と全く変わりません。残念ながら現在の経済システムでは人間の幸福を世界的に実現するには程遠いと思えるのです。

ここ数年日本の学力の低下が話題になったり、基礎研究の不足が伝えられています。大学では研究者が育たない環境も問題視されています。学部で言えば理科学系の学部の偏重がみられ文学部の存在すら危ぶまれています。
しかし、いわゆる文科系といわれる法学部、経済学部などは人々の生活に直結した学問でこれらの研究が停滞することは幸福の探求を放棄することにほかなりません。では文学部はどうでしょうか。

今回コロナ禍の下で私たちは芸術活動がいかに人間にとって大切なものであるかを改めてしりました。音楽にしろ演劇にしろ私たちにはなくてはならない生活の一部なのです。
では文学とはなんでしょうか。私はほかの様々な学問と同様、もしくはその根幹の学問として文学の研究を大切にしなければならないと考えています。なぜなら人間は物語をつくる生き物だからです。
私たちは長い人間の歴史の中、いつも物語を語り伝えてきました。言葉が十分でない時代には洞窟に絵をかいて伝えてきましたし、文字をもたない民族は口承というかたちで物語をつたえてきました。神話の時代には神々の物語を伝え経験や思いを伝えてきました。それらはすべて人間の知恵であり財産であり人間そのものなのです。
ですから、文学をなにかの尺度にあてて他の学問に比べて劣るとか必要性が低いなどと思ってしまうことは大変な間違いなのです。文学こそその存在意義を真剣に訴えなければならない学問はないと私は思っています。
学問は社会の変化に伴い生まれてきました。法学は神の教えと密接にかかわりながら発達しましたし、経済学は産業革命を機におおきく進歩しました。数学や天文学、物理学などは真理の探究という人間の素晴らしい特質の表われです。
そして文学は人間が創造力をもつ生き物で、物語という人間が発見した素晴らしい道具をもちい人間に知恵や経験や感情を伝え残すというかけがえのないものなのです。
今回のコロナウィルスは世界中のスーパーコンピューターで解析され、ワクチンが作られいずれは収束するでしょう。
しかし、本当に大切なことは今回の災禍を世界中で記録し伝えることです。今の人々はそれにより経験を共有し癒されることでしょう。未来の人には私たちの反省を伝え警告を届けることができます。ペストやその他の災害災禍を長い歴史の中で語り伝えてきたように、世界がおおきく変わろうとしている現代こそ文学が必要とされる時代はないのです。

私はぜひ人間が持つ物語を作り伝えるという素晴らしい力を活かして、これからの時代を乗り越えていただきたいと思っています。


ではまた。

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