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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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弓道・・・お茶と練習

お元気ですか?

さすがに寒い日ばかりが続くものではありません。
今日は朝から陽がさしています。
このような繰り返しをしながら季節は移っていくものですが
私達はいつも目の前の暑さ寒さに右往左往します。

子供の頃、仕事の都合からいつも天気を気にしていた父を見て
“自分の力ではどうしようもない天気をいつも心配しながら仕事をするのは大変。
将来は天気に左右されない仕事につきたい”
 
と思ったものでした。

でも、大人になって気がつきました。天気を気にしない仕事はありません。
農業や漁業に携わる仕事はもちろん。
選挙ポスターだって梅雨を心配し、盛夏の日差しに日焼けを心配します。
株価だって大雨やハリケーンで大きく変動します。
“天気を気にせず、どんと構えて”なんて言えないのが人の世なのでしょうか。


雨もあがったので、今日は午後の仕事をはやく切り上げて道場へ。
週末、弓道の用事でお出かけするので、事前の調整練習なのですが、
心の中のチェックシートにはいくつかの試したいことが・・・

道場に着くと、S会長とK女史が練習中。挨拶をすると
「最近中っているようだね、新聞でよく名前をみるよ」とS会長。
「有難うございます。」
「出るからには良い成績をださなくっちゃね」 と檄をいただきます。

私が練習をはじめると、じ~っと私を見ています。言葉はありません。
実は、S会長の視線をいただきたくてお会いできるのを期待して道場に来たのです。
心地よい緊張と安心感。

20射ほど引いたところで、お茶をいただきながらS会長と弓話。
私が先日の講習会で手の内がテーマになった話しをすると
手の内は難しくて10年はかかるよ」
「弓の回転につれて締まる手の内がいいね」
「弓は失敗の連続。それがいいんだ。」
「ここを10年、あそこを10年と練習して行くと60年ぐらいかかるよ」
「試合で1日引けば疲れるから、練習では1日100射は引いてとにかく体力つけるんだ」

日本中の弓引きがあこがれるS会長のお話。
私が理解するのに60年はかかるのでしょうね。
理解出来ればの話ですが・・・。

今日のS会長のお話に、「100射皆中するぐらいにならないと・・・」というのがありました。
帰りの車中、パートナーさんが言います
「手の内やあれやこれやと研究してゆくとS会長の年齢になっちゃうね」
「100射皆中だって、このあいだ21中はしたのにね。5分の1だね」

「・・・」

弓を執って射位に立つと、どぉ~んと大木のように見えるS会長。
歩く姿は龍行虎歩。軽やかなのに重みがあり、
立つと足が床に吸い付いて足先から上半身頭の先まで寸分も揺れません。
何気なく引いているように見える射は、技が見えないほどに自然です。
経てきた修練のレベルが違うのでしょう。

せめて、どぉ~んと構える真似ぐらいはしてみましょう。
あっ、私メタボじゃありません。あしからず。

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春季弓道大会

お元気ですか?

当地、先週半ばから冷たい雨がつづいています。
つい先日は当地の近隣でも22℃を越える暑さを記録し、
天気予報で紹介されていたというのに。
梅は終わり桜の話題が多くなってくるこの時期。寒のぶりかえしでしょうか。

急激な気温の変化はアレルギーを発症したり、風邪を引きやすくなりますから、
どうぞお気をつけください。

昨日の日曜日。当地H市の弓道大会が開催され、私も参加。
男女合わせて100名ほどの弓友さんたちが集まりました。

会長の挨拶の後、N教士による矢渡し。
最近参加している研修会の先生です。しっかり見取り稽古。
堂々とした大きな射です。

今日の射候は四つ矢4回。立射で行われます。

今日の私の成績。
××○○ ○××○ ○○×○ ×○○○ 10/16
同じ10中の人と遠近競射をして、14位でした。

最初の立ち、1本目2本目ともに体に力が残り離れが重くて9時3時に外れます。
心が落ち着いておらず、弓と心がばらばらなのが自分でもよくわかります。
これではだめと、3本目は大きな射を心がけると、鋭く重たい矢が的の中心に飛んでゆきます。
やればできるじゃない。とちょっと安心し、4本目も同じように引くとやはり星に中りました。

2立ち目。1立ち目の反省をしながら大きな射を心がけます。
1本目は10時に力強く中ります。でも2本目は12時に外れ。これは勢いが良かったので仕方ない。
3本目は弓手と勝手のバランスが悪く3時に外れます。これはいけません。
4本目、矢すじに離れることを意識し、3時に中ります。私らしい中りです。

3立ち目。すでに優勝争いからは外れてしまいました。
でも、今の私は練習量の少ない分、試合を練習と思い丁寧な射を心がけ、
中りを求める気負いを捨てています。
1本目は星上に勢いよく中ります。2本目も星下。
でも、よしと思ったとたん、3本目は9時に外れてしまいました。油断大敵です。
気を整え直し4本目を星上に中てます。

お昼休み、お弁当を囲んでしばし談笑。
お爺さん先生たちから、「今日はどうだ?」なんて声をかけられます。

さぁ、最後の立ちです。
今日はまだ皆中が出ていません。3立ち目で出なかったのが悔やまれますが、
この立ちはどうでしょう。
1本目。9時に外れました。弓手が強く勝手とのバランスが悪いのです。
これで皆中はなくなりましたが、丁寧な射、中たりを焦らない射を貫きましょう。
2本目、11時。3本目星上2の黒と勢いもよく中ります。
最後の4本目。これをきちっと決めて仕上げとしましょう。
3時に矢飛びよく決まりました。

16本全部中ったMさんが優勝。
矢渡しをしたN教士と私の前で引いていたYさんが13中で2位3位の決定戦。
N教士が2位です。

実業団で活躍しているW先生から「今日はどうだった?」と声をかけられ、
「10中でだめでした」というと「2本ぐらい足りなかったね」。 その通りです。

確かに、中りの成績は悪く上位入賞は逃してしまいました。
でも、外れた矢の理由は理解できていますし、直し方も分かります。
そして、中りに逸る心を生じさせることなく、正しい射を心がけて丁寧な射を
貫く事が出来ました。これはとても重要な事です。

賞品の魔法瓶を頂いて帰宅しましょう。
なにせ、一日中雨の中です。すっかり体が冷えてしまいました。

帰りがけ、先日練習をご一緒したKさんが「また一緒に練習してもいいですか」と。
もちろんです。スケジュールを確認しましょう。
熱心な弓友さんは大歓迎ですし。私でお役に立つなら何なりと利用していただければ
いいと思っています。



弦巻。折れた弓を使って名札を作ってみました。
射会などに出かけると、似たような道具があって間違われてしまう事もあります。
自分が間違わないとも限らないし、
誰かが間違わないように事前に手当てしておくのも気遣いであり、礼儀です。

さぁ、また練習しましょう。

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弓道・・・円相・十牛図に学ぶ (その4)

お元気ですか?

「弓道・・・円相・十牛図に学ぶ」の4話目。最終回です。

円相という言葉に思いをめぐらし、十牛図を頼りにして考えてきました。
文字通り、考えたのであって禅の教えからいえば、はなはだ恥ずかしいものです。
若輩の凡夫とお許しをいただきたいと思います。

さて、「円相」。
「弓道教本第一巻」「執弓(とりゆみ)の姿勢(P89)」の項に、「両肩を平らにし、肘を張らず、両手は相対し円相となり、体を正しくして腰を据え、心気を整え、伏さず、反らず、固からず、緩からず、従容たる自然体で、体と弓矢が一体となることが望ましい。」とあります。
執弓の姿勢とは正しく立った(もしくは座った)姿勢で両手に弓矢を持った時の姿です。

次に「円相」が出てくるのは「矢番え動作(P94)」の注に「矢番えのとき、体と弓が離れないように、円相に構えること。」とあります。

どちらも姿形についての記述です。
では、弓道における「円相」とは姿形について了解していれば良いことで、教本に書かれたこの2点において注意していれば良いことなのでしょうか?
私はそうは考えていません。「十牛図」を辿りながらその思いはさらに深くなってきました。


射法八節にしたがっていえば、執弓の姿勢から、射位に立ち、足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引き分け、会、離れ、残心と姿は変化してゆきます。しかしそのすべの姿の中に「円相」があると考えます。
足踏み、胴造りでは、射手から的を射抜いたさらに先を半径とした球をイメージします。私の場合、足の床下は半径ほど深くはありませんが、床下を感じるように努力し、頭の上はドーム型をイメージします。
弓構えでは「大木を抱えるように」と教えられますが、円相と同根同義でしょう。ただし弓構えで「円相」というと、外形的円をイメージするあまり、肘を曲げて円に見えるようにする初心者が多いことから、これを嫌うようですが、本来の「円相」の意味と体の使い方を教えきらない指導者の側にも問題があるといえます。
弓構え、打起しにおいても「円相」をくずすことなく行射します。
「引分け」ではさらに「円相」は重要なイメージにつながります。腰を扇の要として円をイメージしながら引分けてくるからです。
このように行射において、「円相」はいたるところにあります。
そして、最終段階の「離れ」において天地左右球体の中心に自らを見出すことになります。

もう一つ。私は入場から射位に立って行射し、退場するまでを半円と考え、退場してからの控えもしくは実生活を半円と考える事ができると思っています。少々拡大した解釈かもしれませんが、先の十牛図に照らして考えてみると、執弓の姿勢で控え、礼をして道場に入ります。「尋牛」です。修行(行射)を経て悟りを得、無我「人牛倶忘」を体現(残心)して後、「入てん垂手」の世界に至ります。道場から退場した後の世界を「入てん垂手」と考えてもよいのではないでしょうか。これがあって、はじめて弓道は「仁の道」という事が可能になるのです。

そうとすれば、弓道は最初から最後まで「円相」とともにあると言ってよいでしょう。
細かい所作の中に「円相」を語るのではなく、「円相」とともに弓道があるのです。

基本に基づいた射法射技の研修、礼に即した体配。たゆまない研鑽を経て自由を得たとき、「円相」とともに滅我が現れます。弓道はその全てをもって「円相」を具現するのです。


「円相」が頭の中で跳ね、私に「十牛図」を拠り所として弓道を考えさせました。
いったいどうしてこのような事がおこるのでしょうか。
実はこれこそが仏性であり、縁起なのです。
私の中に生まれた仏性は我慢しきれずに飛び出してきました。

私たちは時々何かに動かされるように仏性に出会い、縁を知ります。
さぁ、弓道と円相。私の中でどのように育っていくのでしょうか。
一旦は心に納め、見守ることとしましょう。


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弓道・・・円相・十牛図に学ぶ (その3)

お元気ですか?

「弓道・・・円相・十牛図に学ぶ」を続けます。


8 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
Oxherding_pictures,_No__8

追い求めていた牛が消え仏性・悟り・真理といったものが、自分と一体であったことに喜びを感じています。すると、突然自分自身も消え、同時に認識していた世界も一瞬に消えてしまいます。滅我・無我。絶対的「空」がそこに広がるばかり。円相の図をもって表していますが、円ですらないといえましょう。「空」となった私たち。認識すらありません。

射法八節に法り弓を引いてくると、離れの瞬間が訪れます。会に入り無限の気持ちで伸び合っていると射手の意識を離れて矢は飛び出してゆきます。この離れの瞬間射手はゼロになります。
射技に拘泥し、中てようと的を意識したり、これなら中るかなと離れを作ったりすると正しい離れに出会うことはできません。たとえ的に矢が中ってもそれは求める射にはならないのです。弓道ではこの離れの瞬間の「空」「無」を体現するのです。
 

9 返本還源(へんぽんげんげん)
Oxherding_pictures,_No__9


ここに至って、また草木が芽生え鳥が歌い自然が生まれてきました。再生です。これまでの修行で自己を求め、悟り、仏性を探し求めてきて「無」に至ったのに、行き着くと当たり前の自然の姿が広がるのです。再生であると同時に、本来あるべきものがあるように現れたということでしょう。有相無為。

離れで空っぽになった射手。体も心も伸びあっています。矢が放たれた後も弓手は的へ勝手は裏的へ左右に伸び、足は地に根の生えたように吸い付き、背筋は天に伸びています。空っぽになった射手に次第に気が満ちてきます。残心です。
気合の満ちた残心を感じ楽しみながら、退場します。


10 入てん垂手(にゅうてんすいしゅ)
Oxherding_pictures,_No__10

十牛図の最後。入てんとは市場のことです。垂手はぶらりと下げた手。手には酒の入った瓢箪をもち、自由気儘な姿をしています。悟りを求め、自己を探して修行をしてきた末に、自他を超え自由自在な姿になる事が出来たのです。
しかも、目の前には童子がいます。童子はかつて仏門を志した私の姿であり人の世界です。悟りを得、求道からも自由になった今、人と交わり徳を広めてゆく菩薩の世界が始まります。「尋牛」から始まった十牛図は、「入てん垂手」で終わるのではなく円還していることを示し、修行によって得た喜びが人々にあまねくしみてゆくのです。

弓道を通じて経験する喜びは計り知れないものがあります。射法射技の研鑽や礼法にのっとった体配により道理を学ぶことも喜びです。経験者は自らの体験を続く者に教え道を照らし修行の手助けをするのも大切です。私も先生先輩から多くのことを学んできましたし、時にそれを伝えて指導することもあります。何時までも終わりのない道、繰り返しの道です。

弓道は「仁の道」と言えます。弓道の修行によって徳行を修め、それを修学の徒に伝えてゆく。つまり人の世界とともにあるということです。射位に立って的に向かうときは一人かもしれませんが、道場には仲間がいます。その道場は地域、社会の中、人の世にありますから感謝とともに社会に恩返しすることが弓道の道でしょう。その意味で、私は弓道を「菩薩道」と言っています。

道場での練習や射会に出かけたりすると多くの仲間と弓を楽しむ事ができます。そうゆう方のなかには、八十歳を越えてなお弓を楽しんでいる方も多く何時もにこやかでこだわりがありません。
当たり前なことですが壮健な射というわけにはいきません。体のあちこちは痛く、腰もまがっています。しかし弓を楽しんでいます。射会に集まり仲間と挨拶を交わし世間話を楽しんでいます。
私はこの大先輩達に接するとき、そこに明らかな「菩薩道」の弓を知る事が出来るのです。


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弓道・・・円相・十牛図に学ぶ (その2)

お元気ですか?

「弓道・・・円相・十牛図に学ぶ」 を続けます。

4 得牛(とくぎゅう)
Oxherding_pictures,_No__4

牛に縄をうち、捕まえましょう。わずかに知ることの出来た仏性・真理は大変危うくすぐ見えなくなってしまいます。目を凝らすと見えていたものも、凝らすほどに見えなくなります。これは私たちが仏性に対峙しているから。自我が見えることを邪魔しているのです。

弓の練習をしていて思いがけず良射が出ると、狐につままれたように「何が起こったのだろう」と思います。そして今の射を再現しようと技術をもって取り組みます。しかし、どんなにやっても同じものは現れてきません。何故か。“思いがけず”というのが肝心なのです。射技をもって再現しようとする事は自分の意思の働きによるもので、自己・自我が存在します。これでは滅我の射から遠くなるばかりです。ではどうしたらよいのでしょうか。練習しかありません。ひたすらに練習を重ね滅我の射、「空」が向こうから現れてくれるのを待つしかないのです。


5 牧牛(ぼくご)
Oxherding_pictures,_No__5

牛は次第におとなしくなり、縄を緩めてもついてきます。仏性・真理に対峙していた自我を空なるものと知ったときそれは中でも外でもなく私たちと一体となり満ちていることが分かります。しかし、まだ安心はできません。「空」と知った「私」がいるからです。「私は悟った」と思った瞬間、妄執となって私たちに襲い掛かってきます。ゆるんだ手綱の先の牛を感じながら歩かなければなりません。

弓を練習するとき、私たちは一つ一つの動作を確認します。射法八節という型を学び、呼吸の使い方を意識し練習を重ねます。練習が習熟してくると、次第に射法八節の型も呼吸も意識しないで出来るようになります。しかし「意識しないでも出来る」と思った瞬間、「意識」が鎌首をもたげ迷いが表れだします。もちろん漫然と引いているのではありませんがこの「意識」を忘れる事が重要です。技の働きを意識することを捨て「私」を忘れたときにそれは自分のものになり一体となるのです。


6 騎牛帰家(きぎゅうきか)
Oxherding_pictures,_No__6

牧牛によって牛との関係が築かれ、牛の背に乗れるまでになりました。この一体感を楽しみながら村へ帰りましょう。仏陀も悟りを開いてなお思索をつづけ、悟りの内容を整理したといいます。

滅我の射が実現すると、射がとても楽になります。弓を執り矢を番え引いて離れる。あるがままにあるだけです。足踏み胴造りは自然に立っているだけ、打起して引き分けてくる姿はどこにも力が入っていないようです。心の働きもことさらに思い定めることがありません。
「無心 無策 無作為」といわれる境地でしょうか。


7 忘牛在人(ぼうぎゅうそんにん)
Oxherding_pictures,_No__7

家に帰り着き、牛をつないで気がつくと牛は消えていなくなりました。自己を探し、悟りを追い求めることすら忘れてしまった清清しい気持ち。仏性、悟り、真理といったものが「私」の中に在り一体となっているのです。

弓を執り射位に立つと的と向き合います。的は遠くはなれていますが、練習を重ねると距離を感じなくなります。的はただそこにあるもの。次第に的を意識することが無くなります。上手く引こうとか中てようという気持ちもなくなります。しかし、弓道ではいつも的があり消えることはありません。射手は目の前にある的を見、心に映る的を見てその強弱大小を自らに問いながら、的に囚われないための練習をするのです。



続きます。

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