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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『駆け出し探偵フランシス・べアードの冒険』レジナルド・ライト・カウフマン

お元気ですか?

週末の雨で当地の桜もすっかり散ってしまいました。パートナーさんの希望で近くの山間の町に出かけ桜堤をドライブし小さなダム湖の桜を楽しんだのが今年の私たちのお花見でした。来年はどんなお花見が出来るのでしょうか。

『駆け出し探偵フランシス・べアードの冒険』を読みました。しばらく弓道関係の本を調べ読むことをしていたのですが一段落し、何か読みたいと頼りにしたのがお馴染みの「探偵小説三昧」さん。そしてタイミングよく紹介いただいていたのが本書です。「シャーロック・ホームズの姉妹たち」という19世紀末から20世紀初めの時代に女性探偵の活躍というテーマはピンカートン探偵社を思い出させますから、これは読んでみなくてはと即決。
もともとサラ・パレツキーの V・I・ウォーショースキーのような女探偵は好きですから期待を持って読み始めます。

主人公のベアード嬢は探偵事務所で働く若い女性、そこそこの活躍もしたようだが最近はあまり成果があがらずクビも覚悟と言う状態だ。所長の言葉は「ネズミを恐れない。頭の回転が速い。上流階級のあいだでもどう振る舞うかわかっている。若いし、かわいらしい。」と好意的のようだが最後のチャンスに富豪の家で行われる結婚パーティーでダイヤモンドの監視の仕事を命じられる。
しかし同僚のケンプと屋敷に行ったベアードは僅かな隙にダイヤモンドを盗まれ結婚を目前にした富豪の息子を殺されてしまう。

読み始めてベアード嬢の人物設定に謎が含まれているのが面白い。上流階級に混ざっても大丈夫な教養を持ちながら探偵社という職業を選んでいるのがまずもって謎。若くてかわいらしいが決してそれを武器にしたお嬢様ではなく仕事への意欲があり同僚のケンプに対して嘘や隠し事をしながらも自分の視点で事件を解こうとする勝気なところは愛嬌すら感じられる。
これは著者カウフマンが映画作家でもあることから映画的ヒロインがイメージされているのだと推察する。実際彼女は良く動き回り人に会い、馬車に飛び乗ったりとアクションシーンも多い。
物語の方も登場人物それぞれに秘密が有りなかなか事件の真相は見えてこない。読みながら謎解きをする楽しみは十分にある本格派(私がいうのはおこがましい)だ。物語の骨がしっかりしているので読んでいて安定感がある。

またしても「探偵小説三昧」さんにお世話になりましたが、今回も楽しませていただきました。
ということで、次は『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』を読ませていただきます。

ではまた。

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テーマ : 推理小説
ジャンル : 小説・文学

読書

お元気ですか?

毎日どれくらいの時間テレビニュースを見るのだろう。朝起きると経済ニュースを付け、終わるとNHKの全国ニュースに切り替えてそのまま地域ニュースとパートナーさんの出勤まで3時間近くテレビはつきっぱなしだ。ニュース・報道の重要性や必要性をここで問うわけではないのだがその多くに映し出されるのは犯罪や事件事故で、結果不実でおろおろと惑う人間の社会の様子ばかりを見ることになる。今日も幼い子を狙った犯罪や高校生を巻き込んだ事故の報道が朝から流れるし、経済ニュースだって差別やヘイトが渦巻く政策に社会が疑心暗鬼になってゆく姿を伝えている。そんなニュースばかり見ていると自分がどんどん汚れてゆくようで息苦しくてニュースを見ていられない。

テレビを消して本を手にする。

私の読書はとりとめがない。先日はふと思いついて『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』を図書館で借りてきて読んだ。映画は見たのだが本を読んだ事がなかったからだ。正直なところイギリス人作家らしい話だと思ってそれ以上の感想はあまり持たなかったのだが、ちょうどテレビドラマの中で病院に入院していた女の子が『ナルニア』を読んでいて「エドマンドは嫌い」というセリフが気にもなっていた。『ナルニア』は宗教的訓話の要素が強い本。どうしても道をそれる子とその子を理解し許す兄弟仲間、そして反省と仲直りというわかりやすい図式が用意されエドマンドは悪い子の典型となる。気の毒な話だ。きっとエドマンドに共感しながら読む子どもも多いことだろう。

私たちはどれほどの本を読んで来たのだろう。お気に入りの絵本、記憶に残る本は何冊上げることが出来るだろう。ハイラインの『夏の扉』に再開して嬉しかったことを以前書いた。中学一年生のときに図書館にある少年少女向けSFシリーズの一冊だった。タイトルが違っていたからわからなかったのだが読み進むうちに気が付いて小躍りしたものだ。 ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』にも似たような郷愁を持つ。大切な本は子供の頃に読んでいる。

一か月前からNHKの「100分 de 名著」を見ていた。ちょうど宮沢賢治を特集していたからだ。宮沢賢治との出会いは母の「硝子のマント」という言葉だった。母は若いころに『風の又三郎』の映画を見てその話を幼い私にしてくれたのだった。今Wikipediaでしらべてみると、1940年『風の又三郎』 - 監督:島耕二(日活)と1957年『風の又三郎』 - 監督:村山新治(東映映画)の二作品があることが判る。私もテレビで白黒の『風の又三郎』を一部だが見たことがあり、それはきっと1957年の東映作品ではなかったのかと思っている。とにかく母が言う『硝子のマント』という言葉は私の心に残り、ちょうど幼稚園児の頃黄色い雨合羽を着ていて「これが透明だったなら硝子のマントなんだろうなと」思ったものだった。そんな理由から宮沢賢治が頭に残っていた私は小学生の何年生だろうか国語の教科書に『よだかの星』を見つけた。短い話だが哲学的宗教倫理的話で、小学生の国語授業で何を教えようとしていたのだろうか当時から違和感を持っていた。『よだかの星』にではなく授業教材としてということだが。
しかしそれをきっかけとして絵本や文庫本で宮沢賢治はよく読んだ。中学生の時には合唱曲で風の又三郎を歌ったのも楽しかった。「児童合唱組曲名曲選 SONGS OF NONSENSE 鈴木輝昭 作品集」出雲市立第一中学校合唱部というCDがあってこの中に「童声合唱とピアノのための イーハトーヴ組曲」というのがある。私が歌っていたものではないが、とても良い合唱だ。

中学生の時、自分の学生手帳の白いページに「雨にも負けず」を書き写して持っていた。何かの拍子にそれが担任の知る処となり教室で読まされたことがあったが、それは特になにかにつながっていくものではなかった。「100分 de 名著」を見ながらふと「手帳」を思った。「雨にも負けず」は作品として発表する目的で書かれたものではなく賢治の手帳に書かれたものだった。私が生徒手帳に写して胸ポケットに入れていたように賢治もそれを持ち歩いていたのだろう。
「雨にも負けず」は時代に利用された面もあるという。戦時中は銃後の守り、臥薪嘗胆の意味合いで読まれたし戦後はGHQは「玄米四合」を「三合」と書き換えて掲載させた。「手帳」はそうゆう人間を悲しんだり苦笑いしたりしたのだろうか。

大人になって筑摩の「校本宮沢賢治全集」を買った。筑摩は今も新校本など宮沢賢治を問い続けている。私が買った「校本」には付録として賢治の手帳の復刻版がついていた。黒い革の手帳だった。
もう昔みたいに森を探索するようなわくわくした気持ちで校本を読むこともないが筑摩文庫の宮沢賢治全集ぐらいは買い求めてまた賢治を楽しみたい。そうだ本屋さんに出かけ絵本も買ってみよう。あの黄色く輝く星にむかって羽ばたく夜鷹にまた会いたい。

貴方はどんな本を心に抱いていますか。

テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』 ダヴィド・ラーゲルクランツ

お元気ですか?

『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』を読む。
北欧ブームの嚆矢であったスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』三部作。その続編に位置する作品だが作者が違うのはラーソンが自身の作品の成功を享受することなく亡くなってしまったからだ。下世話な話なのを承知で言えば出版社にしても金づるの作家を失ったのだから『ミレニアム』の恩恵をなんとか維持復活したいと思うのは分かる。となるとラーソンの遺族なり著作権継承者と出版社がどう折り合いをつけるのかというテーマになる。
ラーソンは『ミレニアム』を十部作の構想を持っていたそうだし、一部原稿も残っていたという。そうなると読者として興味を持つのはどのような形で『ミレニアム』の続編を読むことが出来るのかということだ。
そこに一つの答えをだしたのが、2014年に『ミレニアム』三部作の版元であるノーシュテッツ社で、なんと全く新しい書き手による『ミレニアム』の第四作を発表するという決定、その結果誕生したのが『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』だ。

この間の出版社とラーソンの関係者や遺族との交渉、そして新たな書き手を探し書かせる出版社の動きなどそれ自体をドラマにしたら面白いのにと私などは思うのだがさていかがなものだろう。

さて、そんな下世話な話を横に置いて、『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』そのものを楽しもう。
話はフランス・バルデルいう人工知能の研究者が別れた妻の元に子供を引き取るために戻ってくるところから始まる。一方『ミレニアム』を発行するミカエルたちの雑誌社は経営難から大手メディアに買収されようとしていた。

量子コンピューターと人工知能、NSAとハッカーによる機密漏洩、サヴァン症候群にみられる特殊能力など様々な話題をちりばめながら物語はリスベットの新たな敵の登場を迎える。なるほどこうゆう展開ならこの先いくらでも物語は書けるだろう。

本書を読みながらラーソンの三部作に続く作品として違和感なく読めることに関心するが、これはラーゲルクランツという作家もさることながら編集者による力が大きいだろうと推測する。ラーゲルクランツの作品を読んだことはないが三部作に描かれていた事、描かれていなかった事を上手く使いながら登場人物に変更を加えることなく新しいステージを用意するのには緻密な計算が必要だ。さらに今後のシリーズ化まで考えたなら尚更である。
今回の新しい敵の登場で次回作にも期待が持たれるところであるが、私としてはあまり続けて欲しいとは思わない。主人公たちの周りにどれほど興味深い環境を設定しようとも作品の醍醐味はやはり人物だ。ミカエルもリスベットもラーソンが生み出したのだからこその主人公だ。どんな物語も終わり方が決め処だ。たとえそれが作者の死で閉じられたとしたのならば、そっとしてあげるのも作者と作品への敬意だと思う。

さて世の読者は『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』を読んで何を思うのだろうか。

テーマ : 推理小説
ジャンル : 小説・文学

『有次と包丁』 江 弘毅 

お元気ですか?

『有次と包丁』という本をBOOKOFFでみつけたので、嬉しくなって買った。有次というのは京都錦市場にある包丁やさんである。私は時々京都に行くが烏丸あたりに宿をとることが多いので錦市場はお散歩にはもってこいだ。せっかくの京都だから美味しいお店で食事というのもあるが、錦市場で鱧や漬物を買って部屋に戻りビールで楽しむのは観光客の人込みに疲れたときには都合が良い。むしろ部屋で食事が出来るよう予定を組んで買い物に出かけるといったほうが正しいと白状しよう。そうゆう時の私は錦市場へ向かう足も軽くうきうきしている。

そんな錦市場にある包丁やさん有次で包丁を買ったのは数年前だ。社会人になったときに吉祥寺の東急デパートで買った牛刀がだいぶ減っていよいよ新しい包丁が欲しいと思い出してから二年ほどしていた。私は欲しいものが出来たからといってすぐ買いに行くことは出来ない。何が欲しいのか、どうして欲しいのか、買ったらどう使うのか、色々自問しながら時間をかける。一方でそれまで使っていたものに対して感謝と別れの気持ちを同じ時間かけて話かける。そうゆう作業を経ないと次の道具が買えないのだ。

そして京都に出かけることになった時、パートナーさんに「今回は錦市場で包丁を買うよ」と伝えた。

有次は京都の台所を守るプロ向けのお店だ。魚屋、八百屋、漬物屋、みんな有次の包丁を使う。同時に錦市場の有次ではいつでも観光客とおぼしき一般の客で溢れている。ちょっと油断していると狭い店内は歩くのも遠慮がいるくらいだ。正直なところ私はそんな店に入るのが苦手だ。むしろ人のいない店に「見せて頂いてよろしいですか。」とドアを開けて入る方が気が楽だ。だが今回は有次で買うと決めて来ているのだから入らないわけにはいかない。
店に入り壁一面に並べられた包丁を見ているとそれだけで楽しくなる。吸い込まれるような感覚、浮遊感を楽しみたいところだが狭い店は混んでいる。目的の包丁を買わなければと我に戻って振り返ると店員さんが「どうゆう包丁をお探しですか」と声をかけて来た。私はこれまで使っていた牛刀の代わりになるものをと用途を伝える。店員さんは「平常一品」と刻まれた三徳包丁を薦めてくれた。確かに家庭で使うには便利な包丁だ。だが素人っぽい気もする。少し考えプロのお薦めに従う事にした。
有次では包丁を購入すると名前を彫ってくれる。それを待ってカウンターで包丁の研ぎ方を書いた紙と一緒に受け取った。

あれから我が家では有次の三徳包丁がメインの包丁になっている。銀座の木屋で買った出刃包丁、刺身包丁もあるがよほど大きな魚をおろす時でないと使えないのは今の家の台所事情もある。
有次は時々砥石で研ぐ。料理人さんのように毎日という訳ではないが、気がついたら砥石を濡らしている。刃に指をあて気に入った感じに仕上がったらよく水気を拭きとり引き出しにしまう。システムキッチンにある包丁たては使わない。あれは錆が出やすいし包丁がぶつかり合っているようで嫌いだ。食器棚の引き出し一つを包丁入れにして布巾をしいてしまうようにしている。

『有次と包丁』を読み新たに包丁が欲しくなった。パートナーさんに言えば「あるでしょう」と言われて警戒されてしまう。だから小さく「新しい包丁がほしいな」と言ったきり、どうゆう包丁が欲しいか考えパートナーさんの了解を得られるように作戦を考える。大きな出刃包丁は木屋があるから小さな出刃包丁が欲しい。三徳包丁に対し和包丁だから差別化も出来る。家庭向けの魚をおろすにも都合が良いと説明も出来る。ペティナイフの大きさの包丁も使い易い。本当はお刺身用に柳葉包丁も欲しい。今あるのは関東の先端が四角くなっているいわゆる蛸引きである。それが嫌いという訳ではないが関西の先の尖った柳刃包丁も楽しみたいのだ。
こう言い出すともう家庭の用途を通り越して好みの世界、道具を楽しむ世界になってくる。パートナーさんを説得しなくてはならない。

ところで有次の包丁は柔らかい。研いでみると砥石に吸い付くような粘っこい感じがする。実は有次を買ったあとも東急で買った牛刀を処分せずとってある。殆ど使う機会は減ったのだが最近ふと使ってみた。食材にあててひいてみると刃が硬いように思う。
有次の出刃包丁や柳葉包丁を買って研いでみたいというのも実は私の希望なのだ。
新しい包丁を買うために、パートナーさんの希望する家をつくりキッチンを使い易くしよう。『有次と包丁』を読んで私はそう思った。




『天国からの奇跡』

お元気ですか?

『天国からの奇跡』という映画を見ました。実話を基にしたというこんなお話です。

テキサス州で暮らすビーム家は獣医のケヴィンと妻のクリスティ、三人の娘と動物たちといった家族。ある日次女のアンナに消化器系の病気が見つかり病院に運ばれるが重篤な状態が続く。母親のクリスティは藁をもつかむ思いでボストンの病院へ娘を連れて行くが予約を取らずに行ったため医者への面会は断られてしまう。ようやく診察を受けることが出来、新しい治療を試すが結果は思わしくなく、直る見込みも持てないまま自宅に帰る。
ある日姉と木登りをして遊んでいたアンナは大木の中に出来たむろの中に落ちて救急隊に助けられて病院に運ばれるが奇跡的に怪我もなく退院する。
家に帰って遊ぶアンナを見ていたクリスティはアンナが痛み止めを飲んでいないことに気づきアンナから意外な話を聞かされる。
アンナは木のむろに落ちた時に臨死体験をし病気が治ると知らされたというのだ。実際に検査をするとアンナの病気は寛解していた。


子供の病気と信仰とをテーマにした映画は沢山あります。この映画のように実話を基にしたというものもありますが、私は実話であるかどうかはあまり重視していません。大切なのことは信仰、もしくは信じる心とそれを伝えたいという人たちの気持ちを何よりも大切に思うからです。
私はキリスト教の信者ではありませんし神をたてる他の宗教の信者でもありません。仏教は好きですから多くの本を読みその教えを学びましたが宗教としてより哲学として仏教を見ていて決して信心深いとは言えません。
ですが、この映画のように信仰によって救われるという事を伝えようとする人間の姿には深い感動を覚えます。

物語の最後、母親のクリスティが教会で話をするシーンがあり「私たちは奇跡とともに生きている」という事を伝え画面ではそれまで家族が経験してきた場面で多くの人々の心遣いによって助けられてきたことを映しています。私はこの人とのつながりこそが奇跡でありその奇跡を感じることが大事であると映画では伝えたいのだと共感します。

どんなに信仰を深く持っていても病気が治らない事はあります。社会的事件や事故に巻き込まれたり仕事が思うようにいかなかったりと苦しい思いを抱えて生きている人は沢山いることでしょう。でもそのことで信じる心を塞ぐことはもったいないことですし無駄な事です。なぜなら信じている信じていないに関わらず私たちは奇跡の中にあるからです。信仰、もしくは信じる心というのはその奇跡に気づくための道しるべみたいなものです。道しるべが無くても道はありますしその道はどこかにつながっているのです。

私は道徳深い聖人ではありませんし信心を持った者ですらありません。それでもこれまでの生活の中で不思議な経験や出会いを沢山してきました。そうゆう出会い、人や本との出会いもありますし様々な体験もよく見ると私を何かの方向に動かしているように思えます。そうした漠然と見えているものを繋ぎ合わせているとはっきり形作ってくるものがありそれを信じることで私は二つの事をしようとしています。一つは私がどこに行こうとしているのかを確かめてみること。もう一つはその事を通じて私たちを取り巻く何かがあるということを実証することです。なかなか上手くいかず苦しむことも多いのですが、私はこれまでの経験と自分の直感を信じて何時か私の探究が世界の真実につながるものと思っています。そして私が知るであろう小さな真実が誰かの幸せに通じることを願っているのです。

『天国からの奇跡』を見てちょっと涙を流しながら、私は頑張れるぞと勇気をもらいました。

追記)
映画を見て、ブログを開いたところ久しく行き来のなかった方が私のブログにご訪問いただいていたことに気づきました。拝見するとご病気が見つかり集中的に治療に取り組んでいたようです。その方は以前私のブログを読んでご意見を寄せてくださっていましたが、今回はご自身が決めた治療の方向や経過を詳しく書かれています。とても重大な決断をされています。
拝見していていくつかの事を思います。一つは本人にとって重大な決断ですが、それは周りの働きや導きのようなものがあり、その事をご本人が気づいているらしいこと。私はこれを必然的出会いだと思っています。もう一つはその方が今を楽しもうという姿勢を貫かれていること。この姿勢は人生を豊かにする最も大切なもので色々なものを引き寄せてさらに多くの経験をもたらします。きっとその方はご自身の周りにある奇跡を感じていらっしゃるのでしょう。多くの奇跡に囲まれてその方の病気が良くなることを祈らずにはいられません。そして私のブログにまたお立ち寄りいただいたことに感謝申し上げます。


ではまた。


杣人のNuages

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