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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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ジグソーパズル

お元気ですか?

父が亡くなって初めての年末年始を母と一緒に過ごそうと帰省しました。新幹線を乗り継いで新青森まで来て、前回美味しかった鶏肉弁当を買って急いで特急列車に乗り込みます。座席の幅も前後も新幹線と比べると狭いですし棚の上には乗客の大きな旅行鞄がびっしり並んでいます。新青森を出発した列車は吹雪の中をゆっくりと進み、いつしか青函トンネルを潜り抜けると本州とは全く違った木々の風景。人家も見当たらない森の風景を眺めていると二時間ほど前に盛岡を過ぎても雪が見当たらなかったのを思い出し、汽車旅の車窓の面白さに感慨を思えます。

列車は所々で徐行し、何か所かですれ違う列車の遅れのため停車します。車掌さんのアナウンスは接続の列車に乗り継ぐことができますからと伝えていましたが結局30分の遅れで函館駅に着きました。ホームにも積もった雪に足をとられないように注意して歩きます。私たちが乗って来た列車は新青森へ折り返してゆきますから降りるお客さんと乗るお客さんがホームであふれているのかも知れません。旅行鞄とお土産の紙袋を持った人が混沌としていますが、それも次第に流れが出来て私たちは改札に向かいます。改札の手前、空いているベンチをみつけたのでトランクから雪靴を出して履き替えます。これで足元を心配することはありません。
駅前の電停から市電に乗ろうとすると停車場に交通局の車が停まっていて電車が動いていないのでバスで代替え輸送をしていると言います。
交差点を渡ったところに用意された臨時のバス停に並びバスを待ちます。交通局の若い職員が列の整理をしていたので「どうしたの?」と訊くと市電が線路で何かを踏んだらしく脱線したのだそうです。一緒に並んでいた地元のおばさんが「私は函館生まれ函館育ちだけれどこんなこと経験したことないよ」と言います。バスに乗り脱線した現場を通ると警察官が写真を撮ったりしています。後でテレビのニュースで見ると停車場でお客さんを下ろし、出発しようとした電車が線路の上で何かを踏み脱線しすべるようにしてホームにぶつかって止まったのだそうです。全くめずらしい事故です。

特急列車の遅れ、市電の脱線事故を体験しながら家に着きます。母に帰省の挨拶をし、父の仏壇を初めて見ると、小さいながら細かな細工の施された立派な仏壇です。子供の頃は私の家に仏壇がなかったので祖父の写真にお供物を置いて手を合わせていましたが、父が亡くなり仏壇が出来た今、家が少し家らしくなった気がします。父は長い赴任から家に帰ってくると家の造作に少しづつ手を入れるのが好きでした。居間の模様替えをしたり、座敷に縁側をつくり障子戸を入れたり・・・と少しづつ自分の家を直して自分の希望を取り入れてきました。その最後の仕上げが自分の入る仏壇なのかもしれません。母も気に入った仏壇を用意することが出来て一安心出来たことに喜んでいるようです。

母はのんびり一人暮らしで、体は弱いものの頭はしっかりしているので私たちはとても助かっています。いつも何か工夫をして暮らしているのは好きな洋裁や手仕事で培った習い性のようです。今回はどんな工夫があるのだろうとちょっと期待が出来るくらいいつもサプライズが待ち受けています。

今回のサプライズ、感心ごとはこれです。

1512301.jpg   1512302.jpg

昨年骨折した時に病院のリハビリルームで覚えたジグソーパズル。先日通販カタログで見つけて買ったと言っていました。私も買って送ってみようかと思っていたのでどんなジグソーパズルを買ったのだろうかと興味を持っていましたが、それが上の写真です。

そして母の工夫。箱の絵に糸で線を渡し、画面を小さく区切っています。ピースを並べる額の上にも糸をはって画面を同じく区切っています。これには本当に驚きました。もしかしたら私の母はとても頭の良い人なのかもしれません。少なくとも私が驚くくらいには頭を使うのが好きなようです。何かをするとき、その主たることよりもそれをするために工夫することの方を面白く感じているようです。こうゆう思考回路の人間はきっと好奇心がいっぱいでボケるという言葉は寄り付くしまはないでしょう。改めて母の面白さを知ったのでした。

さて、今日は父の月命日。家の掃除をし花を飾りお坊さんのお経を楽しみましょう。

ではまた。

おまけの話)

前回新幹線で函館に来たとき、窓側の席にだけ電源コンセントがあるのでそれぞれの椅子にコンセントが欲しいと書きました。今回東北新幹線でグリーン車に乗ったのですがこちらでは二人並びの席の間ひじ掛けのところにちゃんとコンセントがあります。新幹線も久しぶりならグリ―ン車はもっと久しぶりです。こんなところで差異をみつけるなんて・・・。JRさん、一般座席にもコンセントを!次はグランクラスで行くぞ!

函館の市電脱線事故。臨時バスを待っていたところの交通局の職員さんは線路でなにか踏んだみたいでと言っていましたが当日夜のテレビニュースでは出発しようとしてすぐ脱線しホームにぶつかって止まったと報じていました。翌朝の新聞では出発して20mのところで脱線して滑り斜めになって反対側の線路もふさいで止まったと伝えています。何かに乗り上げた異物は見つからず原因を調査中ともあり、取材報道の違いがあることを知ります。
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テーマ : 日記
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父の死 その6 葬儀が終わって

お元気ですか?

私が函館に来た翌日に父が亡くなり、緊張の5日間が過ぎました。お越しいただいた方に参加してよかったと思っていただけるよう葬儀を行うことがなにより大切で、その意味では良い葬儀が出来たと喜んでいます。

さて、家族にとっては葬儀で終わりではありません。様々な手続きや家の整理、挨拶まわりなど母がこれから生活してゆくのに必要な処置を行う必要があります。しかも私たちがいるうちにですから時間はありません。
備忘録的に記してみましょう。

葬儀が終えた翌日3日月曜日。
お坊さんが家にお経をあげに来てくださいます。供物や仏具の意味を教えていただき、仏壇の用意についても尋ねます。函館駅に近いところに檀家でもある仏具屋さんがあることを教わります。
お坊さんが帰られると私は粗大ゴミの連絡をしてベッドやテレビを処分する段取りをします。パートナーさんは父の口座から引き落とされていた公共料金などを母の口座からに変更するため関係先に電話をかけます。この一日がとても大切です。
葬儀社の方が請求書を持って来ましたので、内容をチェックし私たちがいるうちにお支払いすることを伝えます。振込みではなく現金での支払いなのだそうです。

4日火曜日
お坊さんが来てお経をあげてくださいます。また私とパートナーさんで色々な事を訊きますが、正直なところお坊さんへの質問が楽しくなっています。知らない事、未知の世界を知る楽しみです。
お坊さんが帰られると市役所に出かけます。保険証の返納、葬儀をした家庭への給付金受け取りの手続き、そして母が遺族年金を受け取れるようにするための戸籍謄本や住民票など請求手続き。これらの事を市役所の窓口に行って行うのです。窓口の係りの女性は非常に手際がよくどうゆう手続きが必要かを説明しながら書類を出してきますので、パートナーさんと私二人で話を聞き書類に住所を書いたり判を押したりします。年金では委任状が必要でしたので、来る前にネットで委任状の書式を見て準備もしてきています。実はこの作業の間、父の死亡届けは葬儀社から31日金曜日に出されていたのですが、市の処理がまだ済んでおらず、父は死亡したことになっていませんでした。係りの方は連絡をとってすぐに処理をしてくれるよう担当部署に話してくれました。
市役所での作業に約1時間半ほどかかりましたが、パートナーさんと私と二人で行ったことは正解でした。話を聞き書類に記入しと同時に進みますので、ダブルチェックをして理解にもれの無いようにします。確かに係りの方の言う様にすればいいのですが、沢山の書類を処理するとき自分が何をしているか一つ一つ理解しながら進めることが大切でしょう。
こうして市役所で必要な書類を揃えると、今度は年金事務所に行くことになります。年金事務所は別なところですので電車に乗って行きます。此処でも順番待ちで1時間半ほど待たされましたが担当者は書類を確認しながらキーボードをたたき、私も必要書類に記入します。15分ほどで手続きは完了しました。
事前に必要な書類が分かっていましたし、委任状をネットで書式を見て作成していましたので窓口の方の説明も理解しやすかったのですが、それでも市役所と年金事務所での手続きで午後の大半が過ぎてしまいます。余裕をもって出かけることが大事ですね。
デパートに寄って生の鰊を買い、焼き魚で夕ご飯です。

5日水曜日。
この日もお坊さんが来てお経をあげます。初七日の最終日なのです。お坊さんが帰られると伯父の家に挨拶に行きます。私が函館に来ると必ず伺い、仏壇の前で祖父母に手を合わせます。伯父のところは曹洞宗で般若心経が置いてあるのでパートナーさんはこれなら短いから読めるねと声に出してお経をあげて楽しんでます。葬儀でのお礼を伝えいつものように昔話をしていると伯母が父と母が結婚したときの写真や母二十歳の時の着物姿の写真を持ってきて私たちにくれます。母は着物のいわれを教えてくれますし、伯母は当時の親類の生活の様子を話してくれます。こうゆう昔の話をすることが私には亡き人への供養のように思えますし、懐かしさもあって伯父の家に行き仏壇にお参りするのが好きなのです。
家に戻り昼食を済ませると、私たちは父が入院していた函館山の麓の病院に向かいます。父はこの病院が好きでしたし、看護師やリハビリで長くお世話になりました。母が入院したときには私も3ヶ月間通いましたからきちんと挨拶をしておきたかったのです。
入院していた5階に行き婦長さんに会い、退院してから亡くなるまでの様子を伝えます。入院中は几帳面でテーブルの上のスプーンやコップの柄の向きまで整えさせたり、一時帰宅の時には背広を着て嬉しそうにしていた父を婦長さんは印象深い人だったと言ってくださいます。毎日の忙しい仕事の中で記憶に留めていただいていることに感謝します。2階に降り、言語リハビリを担当していた女性にも会います。父が若い頃仕事をした土地の出身のこの女性を父はとても可愛く思っていたのです。お世話になったことのお礼を言い病院を出ました。

この日は函館の港祭りの最終日です。駅前に寄り電車通りを歩行者天国にして開催されているイベントを見てみます。アマチュアバンドのショーのようなのや、出店があるので眺めていると港祭りの踊りや最近函館で誕生したいか踊りの時間になりました。youtubeでもいか踊りを見ることが出来ます。ご興味のあるかたはどうぞご覧ください。実は私たちも実際に見るのは初めてなので面白がって見たのですが、どうも踊りが遠慮がちです。私もビデオ録画をしてみましたが、個人の顔がはっきり映ってしまうのでアップするのは止めることにし削除してしまいました。まぁそんなものです。

6日木曜日。
今日は朝から部屋の片付けをします。病院で使っていたものなどは捨てなければなりませんが、未使用の下着や買ったばかりのオムツなどもあります。パートナーさんが市役所の福祉課に連絡してNPOなど紹介してもらおうと思い電話すると父を担当していたケアマネージャーさんに相談してくださいと言いますので、そうすると家に来てくれると言います。何方かでも利用していただけると嬉しいのです。
午後、葬儀委員長を務めてくださったSさんの家にお礼に伺います。ここでも父の思い出話を1時間ほど。商品開発や試験的事業など私たちの知らない事を一緒に経験してきたSさんの話は楽しく、いつまでも話はつきません。
帰宅し宅配便を呼び荷物を出した後、母と三人で寿司屋に行きます。父が好きだった寿司屋で元気な頃は私たちが来ると必ずのようにこの寿司屋でご馳走になったものでした。父の葬儀とその後の事を無事やり終えた慰労会をするには相応しい場所です。
母も喜び、私たちも日本酒を飲み、夏の名物北海縞えびを頼んだりして北海道のお寿司を堪能します。お酒の力もかりてぐっすり眠った私は翌朝別人のように元気になっていました。

7日金曜日。
この日もお掃除を続けますが途中市場に出かけ私たち用のお魚を買います。いつものお店でほっけや鰈の干したもの、鮭のハラスを買うと、お店の人からくじ引き券を貰いました。今日は市場のお祭り日で100円でくじをひくと魚やメロンが当たり空くじなしだといいます。めったにないことなので二人で並んで順番を待ちます。箱の中に手を入れピンポン玉をとると番号が書いています。パートナーさんは紅鮭の半身、私は螺貝を30個ぐらい入った袋が当たりました。
そしてこの日の重要課題。法務局に寄ります。父の遺産処理なのですが、メインは家土地の相続・名義変更でそのために必要な手順を教わります。

8日土曜日。
今日はお昼の列車で函館を離れます。午前中荷造りをし、父の本棚から読みたい本や腕時計など小さなものを貰います。私の傍に置いておきたいものです。
そして改めて葬儀に関連した会計報告をし、お返しの準備や四十九日を過ぎ納骨の時にまた私たちが来る話、母は仮の仏壇が気になるようなのですが、この間私たちは仏具やさんにも行って相談をしています。慌てずに納得出来るように揃えるよう母に話ます。
そして今後の生活の事。85才になる母がこれからは一人で暮すことになります。父の看病という気の張り詰めたことも無くなるのですが、やはり健康には注意してもらいたい。週に二回のヘルパーさんも続けますが、いずれは一緒にも暮らしたいと私たちの考えを伝えます。ただ母の兄弟が函館に居ますので函館を離れて暮すことにやはり不安はあります。兄弟に不幸があったとき戻ってくることが出来るのか、気温の高い土地に移って体は大丈夫なのか・・・。そこで冬の間だけ試験的に来てもらうという案も提示してみると、それは良いねと乗り気です。
そんな会話をしながら時々父の遺影を見ます。父は今後の私たちを見守ってくれるでしょうか。それとも俺は充分に生きたのだから後はお前たちで好きにしろと笑っているでしょうか。思い残すことの無かった父ですから後の方かもしれません。


こうして函館での11日間が過ぎました。父は自分自身精一杯生き充実した人生を歩みました。私たち家族も同じようにやりたいことをさせてくれて私も親と離れて暮しています。それでも父は私が来るのを待って会話をし、私のお礼の言葉を聞くと翌日亡くなりました。そう考えると去年母が怪我をし私が両親の身の回りの事をするために函館で生活したのも、どうも父が私に世話をさせることで私が悔いを残さず納得出来るように仕組んだように思えてきます。母の怪我も手術とリハビリで全く元通りになり、好きな針仕事も問題なくやっています。
どうやら私たちは父の計画のもとで生きていたようです。ちょっと笑いたくなりますが、父に言う言葉は「有難うございました」とこれ以外には浮かんできません。私は父のおかげで素晴らしい人生を見させてもらい、私自身も自分の人生を楽しんでいます。

有難うございました。


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父の死 その5

お元気ですか?

父が亡くなって4日目、葬儀の日となりました。昨夜従兄弟たちとそれぞれの身の回りのことを話ながら遅くまで飲んでいたのですが、私はいつも通り4時には目が覚めてしまいます。二日酔いにはなっていませんがさすがに疲れがたまっているのを感じます。昨日葬儀場の係りの方から今日の進行について説明をもらい、出棺の時とお斎(おとき)の時に私から挨拶をするようにと言われ、例文のコピーを渡されています。その通りに暗記して話すわけではないので、必要なお礼の言葉だけを確認しておきます。特にお斎の時の挨拶は自分が話したい事を話すことにしました。

皆さんが起きる前にシャワーをあびて二階のロビーで涼んでいると一人二人と起きてきます。8時ごろ昨夜泊まった親戚が食事のため一階に下りる頃、父の部下だった人がご夫婦でいらっしゃいました。車で8時間かけて来たと言うのです。母に挨拶をし、私にも同じ歳だからと懐かしい様子です。思い出しました。父が仲人をした方で、新婚旅行で函館に来て私の家に泊まっていった方です。今も当時の仲間と連絡を取りあっていて父が亡くなったのを知り代表して来たのだそうです。

食事を済ませ控えの部屋で準備をしていると、司会の女性が来て今日の段取りを説明します。集合写真を撮り葬儀をし出棺、火葬場で約一時間半の間に軽い昼食をとり、お骨を拾い葬儀場へ戻ります。その後取越し法要を行い、お斎をし自然散会となるのだそうです。

9時半、会場に降り集合写真を撮り椅子を並べ直して着席し葬儀が始まります。お坊さんによる読経、葬儀委員長Sさんの挨拶が終わるとお棺の中に家族から始め皆さんで花が添えられます。叔母が持って来てくれた笹餅も入れられました。そして私が出棺の挨拶をし棺と一緒にバスに乗り火葬場へ向います。
火葬場は函館山のふもと、観光客も来る外人墓地の傍にあります。映画のロケにも良く使われていて「居酒屋兆治」では火葬場の横の野原で仲間たちが集まりお斎をするシーンが描かれています。火葬場に着くとすぐ読経をし火葬となります。火葬はあらかじめ時間が決められているそうですが、他の葬儀の方もあるので準備が整うと早め早めと進むようです。炉に運ばれ控えの部屋に向うところで葬儀社の人に促されお坊さんにお車代を渡します。焼いている間、軽い食事をとりますが予定していたより早く1時間ほどで終わりました。
焼きあがったお骨は真っ白で背骨も大腿骨も太くしっかりしています。頭蓋骨も崩れることなく綺麗です。シベリヤ抑留を経験するなど若い時に食べ物の不自由があったとは思えない力強い遺骨に係りの人も年齢にしては立派だと言いますし、親戚のみなさんも感心しています。その遺骨を一人一人が箸を持ち、骨壷ではなく木の骨箱に拾い入れます。二人で一つのお骨を拾うということはしません。頭蓋骨だけは数名で箸を下に入れすくいあげるようにして骨箱の中、先に入れた骨の上にのせると係りの人が砕き蓋が出来るようにしました。のど仏は別に小さな骨箱に入れます。のど仏は顔の前で手を合わせているように見えるので珍重するようですが、男性でものど仏のお骨が残る人とそうでない人がいるようです。残らない人はどうするのでしょうね。

葬儀場へ戻るとすぐ取越し法要が行われますが、その前にお坊さんの控え室に母と私とパートナーさんの三人で伺い今回のお布施などをお渡しします。お布施15万円、法名3万、永代経10万、御膳代1万です。火葬場で渡したお車代は5千円でした。この後、自宅に仮の祭壇が設けられると初七日までお坊さんが毎日午前中にお経をあげにきてくださるのですが、その代金もこのお布施に含まれています。その後は一週間に一回四十九日まで来てくださるのだそうで、それはそのつどお布施と志とを包んでくださいとの事です。お布施2千円、志千円。そんなお金のやり取りをしますが、お坊さんに渡したお金は領収書は頂きませんでした。そんなものなのでしょうか?

取越し法要では読経、ご焼香、パートナーさんの上司から届いた弔電が紹介されます。そして私が挨拶をします。朝から長時間の葬儀、法要です。ご香料、お供物などへのお礼を申し上げますが、加えて父の最近の様子をご紹介することにしました。私がこれまで出席した葬儀で故人がどうゆう様子だったのかが分かり難く、死因も知らされない事を不満に思っていたからです。看病時の様子や最後の様子を知ればそれぞれの人の中で納得がいくのではないかと思っていました。
葬儀委員長のSさんは父の業績にスポットをあてて弔辞をお話くださいました。そこで私は入退院を繰り返すようになったのが6年前であり、3年前の10月には医者に生命力が20%である事を言われ覚悟したこと、その時父は朦朧としながら自分が故郷にいるような感じで私たちに話しかけ、私はあぁもう向こうに行っているんだと思ったことなどを思い出しながら話します。父の心の中にはいつも故郷がありました。その後父は医者も驚くような回復を見せ、生きようとする力を私たちに示し感動させました。そうして今年の5月28日に退院しショートステイを組あわせた自宅療養に入るのです。しかし老いた父にもう体力はありませんでした。
母から電話をもらい7月29日に函館に着いた私は父と会話をし体をさすりながら、「もう眠ってください。眠れば痛みも忘れられるから」と話しかけます。この時私は心の中で父が永眠することを思っていました。父は延命措置はしなくていいと言っていました。人生を充分に生きた父ですから父も家族も納得しているのです。離れて暮す私のために延命措置をすることは父に対して失礼なことのように思います。ところが今回、父は容態が悪くなりながらも私の来るのを待っていてくれたのです。私に悔いが残らないよう最後まで父は自分の意志できちんと始末をしたのです。葬儀の最中お坊さんの読経を聞きながら私の中には「有難う」という言葉だけが浮かび繰り返しているのでした。

葬儀場での全ての儀式が終わり、私たちはお客様を見送り葬儀社の車で家に戻りました。30分ほどすると葬儀社の方がいらして仮の祭壇をつくり遺影や遺骨を飾り、お供物を供え蝋燭やお線香をつけます。お焼香盆やおりんもありますので当面はこれで間に合うようです。祭壇の整えが済むと明日また請求書を持って来ると言い帰っていかれました。

父の葬儀は終わりました。でもこれでお仕舞いではありません。このお話しはもう少し続きます。



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父の死 その4

お元気ですか?

父が亡くなって3日目、通夜の日です。11時にお経をあげにお坊さんが来ますが、それ以外夕方まで特に用事はありません。母とパートナーさんは髪を整えに美容院に行きたいと言いますが、母がいつもお願いしている処はお休みです。葬儀場の女性に訊きますが特に提携している処も無いので i Phoneで近くの美容院を地図で調べ電話をします。何軒か候補をパートナーさんに伝えるとパートナーさんはそこが良いと確信をもって店を決めます。何か根拠があるのでしょうか。私にはこういう時のパートナーさんの思考が分かりませんが大抵良い結果になります。二時間ほどで二人が戻ってきました母が「私のいつもやってもらっている美容師さんと知り合いだったよ。」と満足しています。

母に留守を頼み、私とパートナーさんは家に戻ります。洗濯物や遺影選びに持ってきたアルバムを持って帰り、家の片付けをしなければなりません。葬儀が終わり家に戻るとすぐ葬儀社の方が家に祭壇を作りに来ることになるからです。病院に呼ばれる時にはそこまで予定していませんから部屋を片付けスペースを作り、来客があっても大丈夫なように備えます。留守宅には弔電も届いていました。一時間半ほど掃除をし、マクドナルドで遅い昼食を取ります。アイスコーヒーを飲みながら、初めてマクドナルドを食べた頃はフィレオフィッシュが好きだったことを思い出したり、チキンナゲットを齧りながら、あっこれがあのナゲットだと思わず齧った切り口を見たりします。

タクシーで葬儀場へ戻ると新潟からの親戚がいらしています。父の好きな地元のお菓子をお供物として用意してくださり、朝一番で店に寄って笹餅を買ってきてくれています。私も笹餅をご馳走になりましたが笹に包まれた餅が柔らかくて美味しいものです。
叔母は父の妹、父が亡くなり、兄弟姉妹で最後の一人となりました。父の兄弟は皆仲が良く戦争中男兄弟は兵隊になって家を離れていますから親をたすけて良く家を守ったと生き残った兄弟二人は姉妹に深く感謝していました。父を見送るのに最も大切な叔母です。その叔母も85歳ですから函館に来るのも大変なのですが、娘や甥の付き添いを得て来てくれました。心中どれほど寂しいものなのでしょう。あまり多くを話さないのは思い出が多いからかもしれません。

夕方4時、控え室から棺が葬儀会場に運ばれ祭壇の準備が進められます。会場の様子を確認しに行き、届けられた花の飾る順番を決めます。受付には葬儀社の女性が二人すわり準備を始めています。事前に家族からも受付に人を配して欲しいと言われていましたが、親戚は皆高齢ですのでパートナーさんが受付につくことになります。ここで北海道独特の問題がおきました。
北海道ではお香典を持って来た方に領収書を渡すのです。パートナーさんも私もこれは始めての事なので、担当の方から受付の流れの説明を受けなければなりません。通夜・葬儀にいらした参列者は受付で香典を渡しお返しを受け取ります。このとき芳名帳に名前を書くことはなく、領収書を受け取ります。連名でのお香典には複数の名前が記されます。そしてすぐその場で記録簿に名前と住所、金額が記入されます。今回はここまでを係りの方がやってくださいましたが、親戚の人間がやる場合もあります。パートナーさんは受付の後ろで香典袋と現金を確認し手金庫に入れる役です。この領収書を渡す習慣は北海道が土地が広く遠方の場合地区を代表して参列することが多かったからなのだそうです。現金の授受があるわけですから私は理解できますが、お香典を渡した目の前で検められるのが嫌だと思う方もいるかも知れません。参列はしたいけどお香典は持ってきていないという方がいらしたらそれもまた無粋かもしれませんね。難しいところです。

お通夜が始まるころになると予定していた親戚の方は皆さん、私の知らない会社関係者の方、町内会の方、シルバー合唱団の方、と連絡を差し上げた方意外にも新聞の訃報欄を見て来た方がいらっしゃいます。特に会社関係の方は葬儀委員長を務めてくださるSさんが連絡をしてくださっていたのですが、父はOB会でも最高齢の一人でしたからいらして下さった方皆さん高齢です。それにしても会社を終えて35年もたつのにと思うと父と会社の関係がどれほど深いものだったのかと思います。これは後でSさんの弔辞にも現れるのです。

お通夜の式は葬儀社さんの司会係の案内で始まります。お坊さんが入場しお経をあげ法話があります。葬儀委員長Sさんから弔辞をいただきます。Sさんは会社勤めの時代とOB会とで60年の付き合いのある方です。私たち家族も知らない仕事での様々な事をご存知です。父は食品関係の製造業の会社に勤めていましたが、若くして抜擢され役職につき会社の中では商品の開発、高い品質とコスト管理などに能力を発揮し、業界でも名前が通っていました。まだ私が小学生の頃ですが新聞に名前が載っているのを見つけると、父は「他の会社に比べると規模が格段に違うから大変なんだよ」と少し誇らしげに教えてくれたことを覚えています。
農家の方には現金収入の道をつくり、技術指導も行い長く安定した農業が出来るように考えていたようです。町ぐるみ地域ぐるみで新しい農業へ変わってゆくため企業として携わってきました。後に農林水産省の要請で中国に技術指導者を派遣することになったとき、関係団体から推薦され父が行くことになるのですが、父は戦前に満州で働いたこともあったので喜んでいたものです。今回父の部屋を整理していて中国語の辞典やテキストがあるのをあらためて見ると、若い頃パイオニア精神をもって大陸に渡り戦後は北海道でその意志を貫いたのだなと感じます。
Sさんの弔辞は父の業績を通夜に集まった方に伝えたいという篤い思いでお話は長かったのですが私たち家族には重みが伝わる非常に有り難いものでした。

式が終わり列席者の皆さんがお帰りになります。食事をとりながら皆さんで父を偲びながら思い出話などして頂きたかったのですが、高齢の方ばかりですので多くの皆さんが帰られます。私やパートナーさんの経験では事前に食事の席に参加していただくよう案内の紙をいただいたりた事もありました。今回はそうゆう用意がありませんでしたので一人一人声を掛けるのですが、遠慮される方もいます。結局親戚やそのまま泊まられる方が食事の席につき、せっかくいらして下さった町内会や合唱団の方に席についていただけなかったのは残念でした。

それでも夜遅くまで父の棺の前で従兄弟たちと飲みあかすことが出来たのですから、良しとしましょう。



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父の死 その3

お元気ですか?

父が亡くなって葬儀社に運ばれ、母と私も父が横たわる部屋で一緒に泊まりました。朝、母が朝食を取り私も少しお相伴にあずかります。あまり食べる気にならなかったから母一人分の注文だけだったのですが、ご飯もおかずも予想以上に美味しいのです。配膳してくださった女性によると葬儀社の建物に厨房があり5人ほどの人が料理を担当しているそうです。これなら昨夜打ち合わせで決めたお通夜や葬儀を終えた後の食事も心配することはないでしょう。

食事を済ませしばらくすると葬儀社の担当の方が来て昨夜決めた内容の確認と今日の予定を伝えてくれます。11時ぐらいにお坊さんが来て枕経を行い、午後3時に湯潅・納棺が行われます。
お坊さんが着き昨日母の伝えた希望に沿って付けてきた法名を教えていただきます。母は父が好きだと言っていた文字が入った法名を喜び安心したようです。お経をあげるとお坊さんはお焼香の仕方を教えてくださいます。宗派によって少しづづ違うようですが違う宗派の場合でも自分の宗派のあげ方で良いそうです。確かに宗派それぞれのあげ方を知ることは出来ませんからね。

お坊さんが帰られ、私も母を残して家に戻ることにします。お金や礼服の準備をしなければなりません。葬儀委員長Sさんの車に乗り家に戻ります。家についてすぐお隣に挨拶に行き父が亡くなり葬儀のため家を留守にしていることを伝えます。併せて町内会のルールは分からないのですが葬儀のスケジュールをお知らせします。この地域では特に町内会で取りまとめて何かをするという事は無い様で、各ご家庭で新聞を見て初めて知り判断するのが普通なのだそうです。留守で無用心であるため忌中の紙も玄関に張り出すことはありませんし、家に弔問客のための用意をすることもしません。

銀行に行き当面必要になるお金をおろしてきます。現金はお坊さんへのお布施、法名代、火葬場へのお車代、お食事代、そして永代供養をお願いするお金などが必要になります。ちなみにこのお金の金額は葬儀社の方から教えていだいていましたが、お坊さんとも直接教えていただきメモを貰っています。火葬でお車代を渡し、葬儀が始まる前にお布施などを渡しましたが、お坊さんから領収書を貰うことはありませんでした。

家に戻り礼服の準備や遺影に使う写真をアルバムから探します。今は顔写真があれば葬儀社が背広姿に顔を合成して作ってくれますが、おしゃれだった父にそれは嫌です。書斎のアルバムを何冊も開いて何か良い写真が無いか探します。しかしこれがなかなか大変な作業です。写真は沢山あるのですがほとんどが旅行の写真などでラフな服を着ています。風景と一緒に撮っていますから人物のピントも甘くなります。親戚の法事で集まったときの写真は礼服を着ていますからどうかと思いましたが、今度は集合写真ですから一人一人が小さく引き伸ばしたときに無理が出ます。なによりほとんどの写真が素人写真ですので、光量が足りずピントが甘く、顔にも影が入ったりしています。私の知人で亡くなった時のことも考えて毎年正月に家族で写真を撮るという方がいますが、そうゆう準備も良いかもしれませんね。
遺影ですから父らしさを偲ぶことの出来るものを探します。真面目さや優しさがありしかもある程度の緊張感をもったもの。そこで旅行の写真でも海外のものはやめ、家族親戚との旅行も外します。礼服姿も集合写真は使えませんし、食事のスナップ写真もお酒が入っていたり顔を正面からとらえていませんから駄目です。こうして当たりをつけてゆくと、海外ですが戦死した兄を慰霊しにグアムに行ったときの写真で良いのがありました。もう一つはシベリア抑留で亡くなった方を慰霊した戦友との写真がありました。こちらは野外で撮られ光の量も充分です。背広も着ていますし穏やかな顔でありながら気のしまりも感じられます。アルバムごと持っていくことにします。

写真を探していると、突然の停電。何事かと思いブレーカーを見ますが、異常はなく、そのうちに外は物凄い雨が降ってきました。どうやら雨雲が移動しているようです。結局この雨は函館を2時間ほどで通りすぎましたがその後も北海道を西から東に移動しオホーツク沿岸で土砂崩れなどを起こしています。

家での用事を済ませた私は新潟から来る親戚のためにホテルの予約を電話でし、ホテルに行き支払いをします。函館は8月1日から港祭りで賑わいます。それでなくても夏休み中ですし観光客も多くホテルが取りにくいのです。
函館駅から葬儀場へ戻るにはタクシーを使います。お客様の事を考え値段と乗車時間を確認するためです。

こうして葬儀場に戻ったのが2時40分。母にアルバムの写真を見せていると担当の方が来て父の遺体を動かします。納棺師の方が来たのです。
納棺師の方はまず湯潅という遺体を拭き清め衣装を着せる作業をします。この間、私はおりんを鳴らし続けます。母とSさんは一円だまを6枚、きっと六文銭なんでしょうね、お米と一緒に袋に頭陀袋に入れます。納棺師の方はとても手際よく父の体を隅々まで拭き、着物を着せ替えてゆきます。全く無駄のない動作に見入っていると時々おりんを鳴らす私の手が止まりそうになるので、心の中で数を数えおりんの音の消えないうちに鳴らします。
約40分ほどで湯潅は終わり、葬儀社の方と私たち三人で父をお棺に納めます。ドライアイスを詰め、花をかざり蓋をして終了。お棺には故人の好きだったものや思い出の品などを入れることも出来ますが、母は「あの世に行くのに現世のものをもって行く必要はない」と言います。これが後でなかなか的を得た考え方であることが分かるのですが、それはまた別の機会に。
湯潅・納棺の儀が終わり、葬儀社の方に手際のよさ仕事の綺麗さに感心した旨伝えたところ、今回の納棺師さんの所属している会社は映画「おくりびと」で指導監修をした会社なのだそうで、やり方が映画とそっくりなのだそうです。納棺師さんも函館で一番腕の良い方なのだそうです。

納棺が終わると後は明日のお通夜を待つばかりです。私は参列いただく方のチェックや連絡の漏れがないかを確認します。夕食は近くのコンビニに行ってお弁当を買ってきます。昨日は夕ご飯、今日はお昼ご飯を食べていませんでした。
10時過ぎ、パートナーさんが到着しました。仕事を午後から休んで来てくれたのです。お疲れ様と軽くビールを一緒に飲みますが、三日ぶりのお酒でした。

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