プロフィール

杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

カレンダー
01 | 2013/02 | 03
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 - -
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
リンク
ブログランキング

FC2ブログランキング

人気のあれこれ!
月別アーカイブ
最近のトラックバック

ディック二題

お元気ですか?

函館から帰ると当地の暖かさに感動してしまいます。

ディック・フランシスを二冊読了しました。『奪回』と『標的』です。『奪回』は企業への安全コンサルティングを行う会社のアンドルーというスタッフが主人公。女性騎手や馬主の息子、ジョッキークラブの会長と競馬関係者が誘拐される事件に遭うというお話で、なかなか良く書けていると思うのですが、誘拐という事件からどうやって人質を開放させるかという展開ですのでお話が少し地味な感じを受けます。

もう一冊の『標的』は若い作家ケンドルが有名な調教師の伝記を書くことを引き受け厩舎で生活をするのですが、行方不明だった女性厩務員が他殺体となって発見され、ケンドル自身事件に巻き込まれて行くというお話。サバイバルの専門家でその手の本を書いているという設定で、ところどころにサバイバルのテクニックのようなものも散りばめられているのですが、どうもあまり面白い作品ではありません。この作品に限っては私との相性が悪いと言っていいでしょう。登場人物は成功した有名調教師とその家族や隣人などがほとんどなのですが、人物の相関図に面白みがなくそれぞれの人物像が浮かび上がってきません。読みながらも飽きてくる作品で最後に犯人が分かるのですが、それすらももう誰でもいい感じになっていました。


dc281+(1)_convert_20130228121943.jpg  dc281+(2)_convert_20130228122003.jpg


次のディックに期待しましょう。

スポンサーサイト

テーマ : 読書
ジャンル : 小説・文学

函館の食事2

お元気ですか?

今日も函館は朝から雪雲が覆い粉雪が舞っています。午前中はパートナーさんと私、それぞれに仕事をしたりしながら時間を使いますが、お昼近くになってパートナーさんが「ランチだけど唐草館に行こう」と言います。もちろん私に異存はありません。電話をして予約をいれます。

電車に乗って青柳町へ。除雪で積み上げられた雪のせいで狭くなった道を歩きながら唐草館へ。昨年の6月以来ですから気持ちは“帰ってきたよ”といった感じです。ドアを開けると、お馴染みのマダムの笑顔。

テーブルにつくと自然と色々な話が湧いてきます。マダムは古いワイン雑誌を持って来て「カルフォルニアワインを勉強しようと思って見ていたらドスガトスが載っていたんです。」なんてお互いの吉祥寺時代を懐かしんだり、JALの格安ツアーを利用してナパバレーに出かけワイナリーを歩いてきた話などを教えてくれます。
私は久しぶりの函館で目についたもの気のついた事を話し、ビジネスのヒントになるような事を話します。

DSCN5246_convert_20130226195905.jpg

もちろん、シェフの北海道の食材を活かしたオードブルはとても素直な出来。白のグラスワインを頂きなら食事も始まります。

DSCN5250_convert_20130226195946.jpg  DSCN5248_convert_20130226195933.jpg

地鶏を黒ゴマペーストで仕立てたお料理はパートナーさん。私はお魚のソイを頂きます。

DSCN5247_convert_20130226195920.jpg

スープは牛蒡のスープ。これは以前にも頂いていますが、今回は泡立てた珈琲が添えられていてこれが牛蒡の甘さを引き出しています。こうゆうシェフの工夫を楽しめるのが常連の役得ですね。

DSCN5252_convert_20130226200017.jpg  DSCN5251_convert_20130226200002.jpg

パティシエでもあるマダムのケーキを楽しんでお終い。
話は尽きないのですが、シェフに美味しい料理のお礼を言って辞することとしましょう。

次はもう少し春めいた頃に来ることになるでしょう。季節の食材は何でしょうね。








テーマ : 美味しかった♪
ジャンル : グルメ

函館の食事1

お元気ですか?

函館に来て楽しいことは路面電車に乗ることと食事です。

DSCN5218_convert_20130226015728.jpg

路面電車は今年で100年になるそうで、車体に広告が張られています。
冬の時季、路面電車を走らせるには色々な作業が必要で、ラッセル車で線路に積もった雪を飛ばしたり、人が出てスコップで線路を掘り出したりします。私達が乗った電車でも、女性の運転手さんが信号待ちの間に電車から降りて窓に張り付いた氷を落としたりしています。そんな作業を毎日繰り返しながら市民の足が守られているのです。

食事の方はどうでしょう。朝市の海鮮丼?スープカレー?函館ラーメン?観光客の方にはどれも人気でしょうしお薦めの店もありますが、今日のお昼はラッキーピエロに行ってみましょう。ラッキーピエロは函館の人気ハンバーガー屋さんでいつも学生で溢れています。

DSCN5220_convert_20130226015754.jpg  DSCN5221_convert_20130226015811.jpg

定番のチャイニーズチキンバーガーと照り焼きバーガーを頼んでみます。ボリュームのあるハンバーガーですから一人1個で充分お昼になります。これにマグカップいっぱいの珈琲。

今回1年ぶりにラッキーピエロに入りましたが、お重に入ったお弁当のようなメニューも新たに加わり年配の一人客が私達がいる間だけでも三人注文していました。ハンバーガーをぱくつく若い人だけではなく箸を使って食べる年配客を取り込もうという戦略的メニューなのでしょうか。だとすると当たっているのでしょう。それにしてもハンバーガーを写真に撮るというのは難しいですね。私の写真ではちっとも美味しそうに見えません。

お昼は簡単に済ませたので、夜はお寿司屋さんに出かけてみましょう。函館に来る度に新しいお寿司屋さんを体験していてパートナーさんはローラー作戦なんて言っていますが、今回は昨年の6月にも来たお店に再度うかがいます。五稜郭のホテルにある鮨処ひろ季さんです。コース料理で色々楽しめるのと、私達のお馴染み、唐草館のシェフご夫妻もお知り合いだということで、気安い感じがあるからです。酒匠の資格を持つ女将がどんな日本酒を仕入れているかも楽しみの一つです。

カウンターに席をお願いし、女将と挨拶をしていると昨年来たことを憶えていてくださいました。あの時も“お酒の好きなお客さん”という印象を持たれたと仰言っていましたっけ。ならば、今日は女将お薦めのお酒をいただきながら食事を進めましょう。

DSCN5223_convert_20130226015826.jpg  DSCN5225_convert_20130226015843.jpg

先付けはイカの塩辛ともずく酢、そしてお造りの盛り合わせ。お酒は福井の梵の純米酒。コクのあるしっかりしたお酒でお造りとも相性がいいようです。

DSCN5230_convert_20130226015905.jpg  DSCN5233_convert_20130226015923.jpg

毛蟹や白魚の天ぷらを頂きながらのお酒は佐賀のお酒富久千代酒造さんの鍋島です。

DSCN5231_convert_20130226034531.jpg

今回はじめて頂いたお酒ですが、非常にまろみのあるお酒でアルコールの感じもしっかりしています。それでいてべたつく感じはなく口の中での切れはいいですね。

DSCN5236_convert_20130226015943.jpg  DSCN5237_convert_20130226020004.jpg

続いてはタチ(マダラの白子)を頂き、お酒は宮城の伯楽星。食事を引き立てるお酒ということで口あたりはスッキリしていますが、宮城の酒らしい厚みもちゃんと感じさせています。

DSCN5244_convert_20130226020209.jpg  DSCN5243_convert_20130226020145.jpg

お寿司をいくつかつまんで、パンナコッタのデザートを頂いて、今日はお終い。

DSCN5245_convert_20130226020227.jpg

いつしかカウンター席は賑やかな会話で溢れています。
地元のお客さんに加えて出張でいらっしゃっているお客さんの多いように見受けられる鮨処ひろ季。函館の夜の楽しい思い出をお客様に提供している良いお店です。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

函館の冬

お元気ですか?

少しづつ春めいて、静岡県では熱海の梅園や早咲きで有名な河津桜の話題が介されています。しかし、私達はそんな柔らかい話題を背にして函館に来ています。両親を見舞い確定申告のお手伝いをするためなのです。

名古屋のセントレアで飛行機を待っていると「函館空港が雪の為着陸できない場合は戻ることもあります・・・」なんてアナウンスも流れています。心の中で“どうぞそんなことになりませんように”と願います。以前やはり雪で降りられず千歳空港に降りたことがあるのですが、満員の特急列車に乗り換えて函館に着いたのは夕方遅く・・・という事がありました。でも、まだ函館に着くならいいのです。出発地の空港に戻って来たらその後はどうなるのでしょう?経験が無いので想像ができません。

定刻を遅れて飛んだ飛行機の中は年配の旅行客が多いようです。セーターやコートで着膨れした身体を狭い座席に押し込めています。旅行の楽しさのせいなのでしょうかあちらこちらの座席から話し声や笑い声が聞こえます。私もパートナーさんも乗り物の中ではほとんど話をしません。飛行機は特にそうで、お互い本を読むか目をつぶって寝ています。ゴーって何時までも鳴り響いている音の中でよく話をする気になるものだと感心します。電気自動車のように静かな飛行機が出来たらいいのにと思います。

空港からのシャトルバスを1時間待ち、ホテルに。フロントでチェックインすると「連泊されるのですから大きい部屋がご用意できますけどいかがですか」と言うので替えてもらうことに。

DSCN5213_convert_20130224195649.jpg

なんと横幅が210cmもある特大ベッドのお部屋です。これって楽しくなりますね。
パートナーさんは「これってキングサイズ?」って言うので、「いぃや、蝦夷キングサイズだね。」って。
蝦夷鹿が普通の鹿より大きいように、何かの頭に“蝦夷”って付けて大きいを表す我が家語です。

DSCN5211_convert_20130224195622.jpg

部屋の窓から見える夜景やベイエリアを遠望しています。雪に明かりが映えています。と言いたいところですがやはり函館山からの夜景が見たいところでしょうか?

明日から日中は家の用事をし夜は何処かで舌鼓という日が待っています。

冬の函館。ちょっと遊びに来てみませんか?

おまけ)

朝になるとホテルの窓からはドックや教会群が見えます。雪に覆われた函館の風景。

DSCN5214_convert_20130225070903.jpg  DSCN5215_convert_20130225070921.jpg


テーマ : 日記
ジャンル : 日記

ラディゲの思い出

お元気ですか?

人には忘れえぬ思い出や人生の長い時間を付き合うことになる出会いがあります。今日はそんなお話をしましょう。

私がそのラジオドラマに出会ったのは中学か高校1年の春の頃だったと思います。当時NHKのFMで放送するラジオドラマではエレクトーンの女性奏者(名前が思い出せません)が少しおしゃべりをしてドラマが始まっていました。
その女性の声が好きだったので楽しみにしていたのですが、その日、女性は「『肉体の悪魔』そのハッとするタイトルはクロード・オータンララ監督により映画化もされ主人公役のジェラール・フィリップに憧れたものです。」という語りで始まりました。
それが私と『肉体の悪魔』、レイモン・ラディゲとの出会いの始まりです。

ラジオドラマは一人称で語られるラディゲの心理小説を見事に表現していて私はすっかりその作品に心を奪われました。モーパッサンやラシーヌを読み始めていましたし、フランス語もラジオやテレビで勉強し始めていましたからフランスの作家であるラディゲを読むのに躊躇はありません。学校帰りにいつもの本屋さんに立ち寄り新潮文庫になっている『肉体の悪魔』 新庄 嘉章訳を買い求めました。
当時から私は文庫本の後ろに書かれた解説を頼りに本の世界をさまよっていました。ですから解説に書かれていた三島由紀夫の『ラディゲの死』を読むことになりますし、ラディゲのもう一つの小説『ドルジェル伯の舞踏会』も読みます。なんと言ってもラディゲの作品で文庫で読めるのは二冊しかありません。こうして私はレイモン・ラディゲを中心とする世界に踏み込んでゆくことになります。

コクトオは当然です。ラディゲを文壇に推した張本人です。しかしコクトオが評価したラディゲの詩はどうしたら読めるのでしょう。
私は夏休みを利用して一人東京に遊びに出て神田を歩きます。そして見つけたのが江口清氏の『レーモン・ラディゲ全集』東京創元社と『天の手袋―ラディゲの評伝』雪華社でした。書棚に登って嬉々として買い求めたのは言うまでもありません。
田村書店の二階で「ラディゲの本何かありませんか」と尋ね、ラディゲの詩にコクトオのリトグラフが印刷された薄い詩集を見せられるのですが、10000円か15000円ぐらいの値段を言われ諦めたのもこの時の事だと思います。高校生にはちょっと高い本だったのですが、今でも惜しいことをしたと思っています。

さて、高校生2年か3年のある国語の時間。先生が「君たちも是非全集を読むといい」と言います。どうゆう流れでそうゆう話になったのかは憶えていませんが、当時私は新書版の夏目漱石全集を持っていて全集本を読む楽しみを知りはじめていましたので、心の中で“おっ面白いことを言うね”と先生に拍手を送っていたのすが、なんとその先生は続けて「一番短い全集ならレイモン・ラディゲ全集があるよ。なにせ一冊しかない全集だから。」と言うではありませんか。これにはびっくり。その先生がラディゲを好きだったのか『ラディゲ全集』を持っていたのかどうかは知りませんが、突然登場したラディゲに驚いたのを憶えています。

その後、私のフランス語の勉強が少し進むと、出版リストを頼りにフランス語のラディゲ全集を入手したりして自己満足の世界に浸ったりもしたものでした。

そんな学生時代から何年かして、私はパリにいました。といっても美術館を歩く以外には観光らしい観光をするわけでもありません。街をふらついたり庶民的な食堂でご飯を食べたり・・・。そんな時に、私はパリの東、パルク・サン・モールに出かけます。レイモン・ラディゲの家があった郊外の街です。

マルヌ川に浮かぶ木舟を眺めながら、『肉体の悪魔』の場面を思い出したり、宮沢賢治のイギリス海岸を思い出してみたりと爽やかな初夏の空気を楽しんでいました。
パリとは違い高い建物がなく住宅の立ち並ぶ乾いた土の道を歩いてゆくと、ふと鉄のフェンス越しに見慣れた家が私の目に入ってきます。本の扉などで何度となく見てきたラディゲの生家でベージュ色の壁は写真そのものです。“へー今もあるんだ。”と何か懐かしい思いにかられ近づいてみると、フェンスの向こうで庭箒で芝生を掃除している夫人がいます。私は思わず、「マダム、ここはレイモン・ラディゲの家ですよね」と声をかけました。夫人は箒をもったまま此方を向き、「そうですよ」と一言言うと、私の方に近づいてきます。そして、「よかったら中に入りません?」と私に入って来るように言います。私は誘われるままに玄関に周り、夫人の案内で家に入りました。
レイモン・ラディゲが好きで彼の住んでいた街を歩いてみようと思い来たことを告げると夫人は嬉しそうに家の中を案内してくれます。夫人のお父様がイギリスから移住しこの家を買ったこと、バスルームを改造してキッチンにしたことなど話を聞きながら、部屋を見て歩き、居間のソファーに席を移してジュースを頂きながら話が続きます。

暫くすると息子さんが帰ってきました。といっても40代ぐらいの体格の立派な方です。見知らぬ外国人に怪訝んな雰囲気の息子さんに夫人は私の来意を告げ、言外に“大丈夫よ”と伝えています。息子さんは電気技師をされているそうで、日本にも行ったことがあると言います。何かの用事で家に立ち寄ったのでしょうか。直ぐにまた出かけてしまいました。

夫人は「日本人でこの家に訪ねて来たのは貴方が初めて」と言います。私は心中“研究者やラディゲ好きの学生は来たことが無いのかな”と思いましたが、言わずに留めました。ちょっと誇らしい私の思いに自ら水を注すことはありません。
夫人は新聞に載った家の記事を持ってきて私に持ってゆくよう手渡してくれます。お礼を言い、そろそろ辞することとしましょう。

日本に帰って来てからも暫く夫人とは手紙のやり取りをしましたが、今はそれも途絶えています。夫人からいただいた新聞はラディゲ関係の本をまとめた箱に一緒に収められています。そのうちにまた読み返して(眺めてかもしれませんが)みたいものです。


中学か高校生の時に聞いたラジオドラマ。それをきっかけに私はレイモン・ラディゲと時間を重ねて来ました。
国語の先生はあの全集話がなかったら記憶に留まる事はなかったでしょうし、何回も足を運んだ田村書店でも詩集の思い出は忘れられない一コマです。本と出会い、好奇心の導くままに行動し出会いを重ねてゆく。私はそんな自分の過去がとても愛おしく思えます。
冒険に誘う出会いの数々です。

そんなことを考えながらAmazonを覗いていたら、『肉体の悪魔』も新しい訳本が出ているのですね。ちょっと読んで見たくなっています。

皆さんはどんな素敵な記憶をお持ちでしょうか。


新訳 肉体の悪魔新訳 肉体の悪魔
(1998/12)
レイモン ラディゲ

商品詳細を見る


テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

花を贈る

お元気ですか?

今日はバレンタインデー。朝ニュースを見ていたらこのバレンタインデーに男性から女性に花を贈る「フラワーバレンタイン」という試みを進めているという話題を紹介していた。良いことだと思う。

日本には華道という素晴らしい芸術文化があり季節はもちろん、飾る場所、お招きする人など状況に応じた趣旨を考え花を選び飾ることを大切にしてきた。
あるお茶席の準備の時に、先生が床の間に飾った花を見て私に「どうしようか・・・」と言う。確かにもう少し整理が必要なようだ。私が言い淀んでいると先生は袂を抑えながら腕を伸ばし一枝鋏をいれた。パチン。その瞬間現れた空間の清々しいこと。小さなほの白い花がふふっと笑ったように思えた。

子供の頃母の活けるのを手伝い、床の間や玄関の花をいたずらしていた。配色やボリュウム、全体のムーブメントというものを子供ながら思い描くが、思い切りが大事だなんてやっているとしまいに収拾がつかなくなる。時々覗いては呆れたように笑う母を思い出す。

業界団体では男性も花を贈りやすいようにと、花束の割引購入券を配ったり、花束をそのまま持ち歩くのに抵抗がある男性にギフトボックスにアレンジした花を用意したりと色々な企画をして花の購入を促している。智慧を絞る業界に思わず苦笑してしまう。

私は、男性が花束を持っている姿が嫌いではない。街を歩いていて花束をもった男性を見かけるとあぁ何処へゆくのだろう、彼女の家かな? あっ奥様と一緒だからホームパーティーにお呼ばれかな?なんて勝手な想像をするのも楽しい。見かけただけのこちらまで何かうきうき楽しくなる。

よその男性が花束を持っているのを見るのは楽しいが、いざ自分が選ぶとなるとこれが難しい。まずは予算から。気軽に2~3千円で、ちょっと豪華に5千円くらい・・・。ちなみに私が花を贈っていたのはもうずいぶん昔の話だ。駅で待ち合わせの時に一輪買ってさり気なく渡すのもいい。

昔々、ある女性に花束を贈ったことがあった。ふと思いついて入った花屋さんで予算を言い家に送ってもらったのだ。後日、その女性に会うと笑みをうかべとても嬉しそうにお礼を言われた。しかもその方のお母さんがお華の先生ということで私の心証も良かったようだ。内心“やったね”と私は思った。
ところがその後がいけない。女性から「どうやって選んだの?」と聞かれ、花屋さんにおまかせで知らないんだ・・・とは言えずしどろもどろになってしまった。もう大失態である。世の男性諸氏、お店から送るにしても、店員さんのアドバイスで選ぶにしても花束の内容は知っておくべき。あの冷や汗は忘れられない。

失敗談をもう一つ。昔々(これは便利な言葉だ)、パートナーさんの誕生日に初めて花を買って帰った。お互い忙しい勤め仕事をしていた頃で携帯電話もない時代。その日は私の仕事が割りと早く終わり久しぶりに一緒に家で夕食が出来ると帰宅する途中、駅ビルの花屋で小さな花束を買った。私の心は喜ぶパートナーさんの姿で満ち、それだけで家までのバスの中が楽しかった。
のだが・・・家にパートナーさんは居ない。急な残業でも入ったのだろうかと一人で待つこと何時間?テーブルに置いた花が次第に寂しく重たくなっていった。まっ慣れない事をするとこんなもんさと自嘲した。
花を買う時は相手のスケジュールがしっかり分かっている時に限る。

そんな失敗の経験を持つ私であるが、やはり花を買うのは好きだ。自分で買わないまでもパーティーで花を頂いてくる事もよくある。正直うれしい。
男性でも女性でも、花束を持って街を歩く人が増えたなら、今よりもう少しは暮らしやすい世界になるのではと思っている。

フラワーバレンタイン。日本に根づいてくれるといいなと願う。



テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

蕎麦屋の出前

お元気ですか?

助手席に乗っているパートナーさんが「わぁ珍しい」と何時になく大きな声を出した。
混んだ道でスピードも出ていないからちらっとパートナーさんの顔の向いている方を見ると、年配の男性が自転車に乗りながらお盆を肩に乗せている。お盆の上には空いた丼やせいろがぎっしり。五六人分の器が乗っている。
確かに懐かしい光景だ。

最近ではバイクの荷台に取り付けた出前機が一般的だろう。緑のカバーのあるものやカバーが無くブリキの岡持ちをそのままぶら下げる形もある。若い修行中の者でも出前機があれば汁物もこぼすこと少なく運ぶことが出来る。
自転車の男性は白髪交じりである。出前のせいか身軽な服装でこの時季少し寒そうでもある。

パートナーさんは飯田橋で勤め始めた頃目にした出前の風景を思い出したのか少し饒舌である。活気のある時代だったから出前も忙しかったであろう。

私が育った家は出前を取ることがほとんど無かった。家にお客さんがある時にも母が料理を出したし、家族だけの時に出前をとるという事は無かったが、一度だけ私が一人で出前を頼んだことがある。
中学生のある時、学校から帰宅すると母が出かけて居なかった。どのような事情だったのかは憶えていないが、きっと予定されたことだったのだろう。テーブルの上に書き置きとお金が置いてある。一瞬なにか自分で作ろうかと思ったが台所が綺麗に片付いている。母の言葉にしたがって出前をとることにした。
町内に古くからある蕎麦屋。電車道路に面した小さいその店は時々入ったこともある店だから名前を言うだけで私の家の所在も通じる。電話してざるそばを頼んだ。

昼ごはんに出前を頼んだのだからその時に学校の用事はなんだったのだろう。出前の電話をかけソファーに座ってテレビのチャンネルをつけた私はたまたま放送していたロックバンドKISSのステージを見ながら寝てしまった。
く~っと寝入った私は玄関の声に目を覚ました。出前が届いたのだ。

出前を頼んでいなかったらきっとそのまま寝入っていたのだろう。非日常の出前とKISSの演奏が渾然となって記憶の中にとどまることになった。

私が一人で頼んだ唯一の出前。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

舞姫

お元気ですか?

前回のお話が伊藤京子さん、歌姫のお話でしたので今回は舞姫のお話を・・・。
といってもバレリーナではありません。森鴎外の『舞姫』です。

文字が読めるようになってから私はどのくらいの本を読んできたでしょう。読書家と言われる方、職業的に本に接している方とは比べようもありませんが少なくとも思い出してみると人生を楽しむことが出来る程度には読んで来たようです。
小学校に入る前のお気に入りは『龍の子太郎』でした。従兄弟の家にあった絵本は私のお気に入りで遊びに行くと真っ先にこの本を手に取ったものです。小学校に入ると国語の教科書がお気に入り。毎年新学期直前に教科書を受け取るとその日のうちに国語の教科書だけは読み終わっていた気がします。森鴎外の『舞姫』に出会ったのも教科書でした。あれは中学生でしょうか?高校生でしょうか?「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて・・・」と始まる「舞姫」にすっかり入り込んでいきます。
私が函館で青函連絡船の汽笛を聞いて育ったせいかもしれません。出航の度に色とりどりの紙テープが投げられていたものです。船は旅そのものでした。

『舞姫』には「嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でてより、・・・」とイタリアの港が出てきます。当時はスエズ運河を経由して地中海を渡りイタリアかフランスに上陸するのがヨーロッパへ行く道でした。夏目漱石も同じような航路を経てナポリに上陸しています。そして、『舞姫』を読んだ私は作品そのものより明治の日本人がどのような航路、寄港地を経由してヨーロッパに行ったのかに興味を持ちます。
“いつの日にか船でヨーロッパに渡りたい”とJALが華やかな海外旅行を提案しだした頃、私はそう思っていたのです。

「人の思いというのは叶わないものは無い」私はそう思っています。或る時、東欧を廻っていた私は汽車に乗りギリシャに出ます。普通の観光旅行ならアテネを観たりエーゲ海の島々を楽しんだりするのでしょうが、私の心はすでにここからイタリアに渡ろうと逸っています。アテネ観光もそこそこに私はパトラスという町に向かいます。パトラスからブリンヂイシイへの船が出ているからです。

このパトラスでの出来事は 『深夜特急』 続き (←ご興味のある方はクリックしてください)で書いていますので改めては書きませんが、中学生か高校生の頃に読んだ『舞姫』に喚起された船旅への思いは実を結ぶことになります。

森鴎外は私にとって夏目漱石ほどには親しむことのなかった作家です。それでも、この『舞姫』との出会いとパトラスからブリンヂイシイへの船旅をもって忘れることの出来ない作家の一人となっています。「嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でてより、・・・」という鴎外の魔法にやられてしまったのです。

私は『舞姫』の他にも沢山の本に魔法をかけられてきました。それは幸いにして人生を楽しむための魔法だったのですが、まだまだ魔法は消えそうにありません。それどころか、本との出会いもまだまだ続きますから魔法の種はつきません。そう考えると、本当に楽しくなってきます。
明日、私はどんな本に出会い新し興味の扉を開くのでしょう。

無題_convert_20130207014835

テーマ : 読書
ジャンル : 小説・文学

憧れの歌姫・・・

お元気ですか?

昨年、当地で行われた国際ピアノコンクールの入賞者による演奏を聞きに行ったことをきっかけにして当地での音楽活動にも関心を向けるようにしています。正直なところ手持ちのレコードを聴いていれば好きな音楽は充分堪能出来ます。現在活躍している演奏家はテレビで見るくらいで良しとし、興味をもって新たにレコードを買うということも必要ないと思っています。でも、好きな音楽の世界です。楽器の町としても知られる当地でどんな音楽活動がなされているのかちょっと気になりますし、若い人がどうゆう形でクラシック音楽に親しむようになるのか興味があります。

興味をもっていると情報は向こうからやってきます。タウン誌をめくっていたら第4回県民オペラ「夕鶴」特別講座というのが目に入りました。いつもなら、"夕鶴ねっ”てやり過ごすところですが、講師の一人に目がとまります。第2回の講座を担当する伊藤京子さん。日本を代表するソプラノ歌手です。私は子供の頃から伊藤京子さんの歌う歌曲に親しみ美しい日本語の歌を聴いてきました。ご高齢になった伊藤京子さんにお目にかかれるだけでも幸せというものです。

turu1_convert_20130203225911.jpg  turu2_convert_20130203225940.jpg

当日(2月3日)、会場となる大学の講堂に集まった人は100人ぐらい。やはり多い人数とは言えないですね。しかも、年齢はかなり高めの方が多いようです。20代、30代の人は見当たりません。その代わり「夕鶴」に出演する子供たちが数人賑やかに会場の中で手を振りあっています。せっかくですから最前列、先生に近い所でお話をうかがいましょう。

舞台の袖、杖をつき手をひかれる京子先生の姿が見えます。しかし舞台に一歩出る所からは杖を持たず介助もつけづに中央に置かれた椅子のところまで歩いていらっしゃいます。お歳をめし痩せた先生ですが、長年舞台に立たれてきたかたです。演奏公演と講演の違いはありますが、舞台での気構えを感じさせられます。

お話は国立音大の教授で今回の「夕鶴」の演出を担当する中村敬一氏のリードで始まります。

「夕鶴」の初演は1952年、その前年に京子先生は毎日音楽コンクールで賞をとられて、原信子先生から「貴方もつうを歌われるといいわよ」と言われます。当時、京子先生は「日本の歌手として日本のものを歌いたい」と強く思われていて3年後つうを演じることになります。

DSCN5150_convert_20130203230051.jpg

会場には大きなスクリーンが用意されていて、作曲家の團伊玖磨氏の写真などを見ながら話が進みます。

オペラの「夕鶴」の前に芝居の「夕鶴」があり、その挿入音楽を団氏が作曲、その後オペラ化に取り組みます。山本安英のつう、宇野重吉のよひょうの芝居の舞台映像が写しだされます。日本の民話を題材にした芝居の上演は日本人を勇気づけ復興に役立ったことでしょう、会場にも当時の山本安英の芝居を見た方がいらっしゃいます。

オペラの「夕鶴」ではつうの歌うアリアが画面で紹介されると京子先生は静かに音を聞きなら口を動かしています。耳から音が脳に届いている様子、呼吸をつけている様子が分かり私は今もなおと感動しました。
すると、「この曲は団先生のオーケストラが厚いので歌うのが大変で」「今でも聞くと、あああそこでどうしてこうゆうふうに歌ったのだろうと思って・・・」とまるで私の気持ちが届いたかのように仰います。京子先生は1927年(昭和2年)生まれで86歳。今回「夕鶴」の芸術監督を務める先生の音楽に向き合う姿勢に感じ入るばかりです。

話は休憩をはさみながら続きます。團伊玖磨氏が作曲家を志し山田耕作のところに行った話、北原白秋に会いたいと手紙を出したら葉書にただ“どうぞ”とだけ書かれて返事が来たことなど・・・。
団氏が京子先生を高く評価して29曲もの歌曲を歌うリサイタルを開いたのがちょうど三億円事件の時だった事なども紹介されます。
その北原白秋の詩「舟歌」「5つの断章」からや「石竹」「三つの小唄」から、などの歌が紹介されます。やはり京子先生は小さく口づさみながら若いご自分の声を聴いています。

山田耕作が1955年の映画「ここに泉あり」に本人役で出演している話や、八丈島に土地を求め団氏にも隣に別荘を建てさせたが山田本人は結局建てつじまいになったこと。八丈島の団氏を京子先生らは訪ね八丈島で21回コンサートをやった話なども紹介されます。

団伊玖磨が27歳で作曲した日本のオペラ「夕鶴」。海外での公演も多く団自身精力的に活動し中国公演では団自ら請願書を書いて公演を実現させた事などが伝えられます。

「日本語はオペラに適さないなどと言われる事もあるが、そんなことは無く音楽家が努力しなければいけない。」という伊藤京子先生の言葉が「夕鶴」を歌い、日本語の美しい歌曲を歌いつづけて来られた姿と重なります。

会場から質問を受けたり、「夕鶴」に出演する子供たちに拍手を送るよう来場者に呼びかけたりする伊藤京子先生の姿。日本語を大切にし音楽の道を歩まれた伊藤京子先生の品格に感銘をうけた講演でした。


第4回県民オペラ「夕鶴」。出演者、スタッフを県内在住の方や出身者に多く参加してもらい開催する企画だそうです。コンサートに出かける事の少なくなった私達ですが、県の文化活動を応援する意味でも聞きに行きたくなりました。子供たちの歌う姿を見るだけでもきっといいでしょう。同じ歳の頃の私を思い出すかもしれません。




テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

テレビの力?

お元気ですか?

今日は朝から癌検診に出かけてきました。昨夜は9時までに食事を済ませ、今朝は朝食を取ることができません。朝食の無い朝って長いですね。パートナーさんと一緒、9時に病院に着き問診を受け心電図をとり採血をしてバリューム飲んで・・・あれやこれやでお昼までかかってしまいます。
でも、日頃運動や食べ物で気をつけていてもどんな病気が私を狙っているか分かりません。病気が無いことが一番ですが、もしあるなら少しでも早く見つけて対処しなくては・・・。

さて、今日はテレビ放送が始まってから60年。1953年2月1日の午後2時に始まったのだそうで、夕食後なんとなく「テレビのチカラ〜あの人が選ぶ“忘れられない名番組”」というNHKの番組を見ていました。思えば私も色んなテレビ番組を見てきたとあれやこれやを思い出します。

子供の頃、母の実家には大きな白黒テレビがありました。このテレビ、私が生まれたので新潟から父の母親が会いに来るということになりそれをきっかけに買ったのだそうです。実家のテレビの面白いのは天井から下がっていたこと。家族の多い家でしたから皆が見られるようにと器用な祖父が木で箱を作り吊り下げたのです。しかも観音開きの扉までついて・・・。家族で街頭テレビよろしく見上げていたのです。今の壁掛けテレビの先取り?って言ってもいいでしょうか。

私の家に白黒テレビが運ばれて来たのも憶えています。ビクターのテレビで犬のニッパーの置物がついていました。私はこの白黒テレビでいくつかの重要な出会いをすることになります。

その一つが、1956年から76年にNHKが8回にわたって日本に招聘した「イタリア歌劇団」の放送。その中でもレナータ・テバルディが歌ったヴェルディの「トスカ」が心に焼き付き、オペラファンまっしぐらになってしまいました。この「トスカ」は1961年10月22日に東京文化会館で公演されたものですから、きっと再放送で見たのだと思うのですが、DVDになって再会した時には私の音楽のルーツに会ったように感激したものです。

もう一つが、NHKが放送していた洋画。後に語学を勉強するようになったときにも随分利用したのですが、今でも記憶に残るのは夜一人で「シェルブールの雨傘」を見たこと。カトリーヌ・ドヌーブの可憐さに魅了されたのはもちろんなのですが、この映画でミュージカルの虜に・・・。以後ミュージカル映画に傾倒していくことになります。膝を抱えながらラストシーンにため息をついた小学生時代が懐かしいですね。シャーリー・マクレーンやマリリン・モンローと出会ったのもこの頃です。

私が育った函館は今思い出しても江戸末期から外国とつながっていただけあって西洋の匂いのする街です。ロシア人やフランス人が普通に歩いていましたし、海を見ればその向こうに外国を夢見ることが出来ました。それと同じように子供の私はテレビを見ながらいつかは行くであろう海外の様子をオペラや映画を通じて吸収していったのです。変な言い方ですが、初めての海外旅行でロンドンに着いた時、外国人の顔が見慣れた感じがして、あぁこれは洋画を沢山見たせいかなと思ったのを憶えています。

その後もテレビの放送を見たのをきっかけにして興味を広げたものは多くあります。まぁどれだけテレビっ子だったのかと言われそうですが・・・。
テレビとの関係は見るだけに留まらず、様々な関わりを持つことになるのですがそれはまた別の話。機会がありましたらね。

皆さんはテレビとのお付き合い、どんな思い出があるのでしょう。
我がパートナーさんは「八犬伝はよく見たよ」と言っています。坂本九さん。懐かしいですね。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

杣人のNuages

ブログ内検索
 RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ホテル探しに!
クリックをお願いします!
Google