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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『祝宴』と『審判』

お元気ですか?

ディック・フランシスの『祝宴』と『審判』を読みました。
2000年にメアリ夫人が亡くなり筆を置いたディック・フランシスですが、2006年にシッド・ハレーを主人公にした『再起』を発表します。そして、2007年次男のフェリックス・フランシスと共著と言う形で発表したのが『祝宴』です。

『祝宴』は若くしてミシュランの星を獲得したレストランのシェフマックスが主人公です。競馬場で開催された前夜祭ディナーで食中毒事件が発生し営業の危機に見舞われたマックス。さらに翌日のパティーでは爆発事故が起き、二つの事件に関連性があるのではないかと疑いをもったマックスは自身の汚名を晴らすために調査に乗り出します。

私の好きなレストラン業界のお話ですので、それだけで興味深く読み始めました。ケータリングやレストランスタッフの様子などが非常によく書けていて感心するのはこれまでのフランシス作品と同じです。そしてお決まりの美女、今回はビオラ奏者の女性ですが、ストーリーへの絡み方が実にスムーズ。最後の最後まで役どころをきっちり果たしています。
正直なところ筆を置いた2000年の『勝利』やその前の『烈風』はあまり良い作品とは思えなかっただけに、心配して読み始めたのですが、その心配は読み始めてすぐに忘れてしまいました。それどころか作品の力強さ、若々しさに驚くくらいです。

続けて読んだ『審判』。こちらは弁護士が主人公の作品です。これまで様々な職業を描いてきたフランシスですが、弁護士は初めてです。アマチュアの障害騎手で弁護士のメイスンはライバルの騎手を殺害した容疑で逮捕された騎手ミッチェルの弁護を引き受ける事になりますが、その直後から裁判で負けるようにと何者かから脅迫を受けます。しかも以前担当した事件の依頼人から暴行をうけます。この脅迫と暴行には関連があるのでしょうか。イギリスの裁判制度を織り込みながら陪審員による裁判の問題点を鋭く描いています。日本でも裁判員裁判が導入されていますが、他人ごとに思えない問題があります。

ディック・フランシス初のリーガルものということで裁判制度や法廷弁護士(バリスタ)と事務弁護士(ソリシタ)の違いや弁護士の倫理問題など少し説明的なところも多いので入りにくく感じた部分もありましたが、話が進むにつれてぐいぐい引っ張ってゆく展開にはやはり感心します。

どうやらこの二作品の力強さの裏にはフェリックスの力が大きいようです。続く『拮抗』は主人公がブックメーカー。イギリスの競馬には欠かせない存在でこれまでも作品の中に出てきますが、主人公としては初めてでしょう。

「そんなに急いで読んだら楽しみが減るんじゃない?」というパートナーさんですが、フェリックスとの共著がこれほどまでの傑作なら次々と読みたくなってしまいます。

さあ、残す処あと二冊です。


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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

伊勢型紙

お元気ですか?

三重県を訪れ私の故郷北海道の名付け親である松浦武四郎の記念館を楽しみました。私達が記念館にいたわずかの間に、三十代のご夫婦、二十代の男性三人がいらしていました。あぁ、いいな。こうして松浦武四郎を知り北海道を知って貰う事ができたなら嬉しいことです。
北海道に暮す多くの人がこの記念館を訪れ松浦武四郎と彼を生んだ松坂の街に感謝を申し上げるとしたらた楽しい事ではないでしょうか。
私のもう一つの故郷である糸魚川には相馬御風の生家があります。早稲田大学の校歌を作詞した文人ですが、早稲田の卒業生が皆糸魚川を一度は訪ねてくださったらどんなに嬉しいことでしょう。そんな事を想像しては一人楽しみます。お伊勢参りのように色々な人がそれぞれの縁を感じるところを訪ねる旅。縁がつながれば心の充足と笑顔が生まれるのではないでしょうか。

そんな事を思いながら、今回の旅の次の目的地鈴鹿を目指します。目的は伊勢形紙資料館です。

伊勢型紙というのは着物の柄や文様を染めるのに使う型紙で、鈴鹿市の白子、寺家を中心として千年以上にわたり栄えてきました。近年は着物を着る機会が少なくなったためこの型紙を作る技術も継承が難しくなって来ていると聞きます。現在は職人さんも少なくなり、伊勢型紙技術保存会の方々16人によってその技術の保存継承に務められているそうです。

私が受け売りの言葉で書いても意味がありません。資料館は撮影禁止でしたので、パンフレットをご紹介しましょう。

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私は着物が好きですので、染物や織りの話題があるとつつっ~と興味を引かれていきます。伊勢型紙もテレビの地域情報で紹介されていたのが心に留まったものでした。着物での需要が減った今、欄間や襖、ランプシェードなどの小物などに応用しながら技術の保存に務めているというお話。

こうゆう技術というのは職人が生涯をかけて磨きあげるものですから一度途絶えると継承が大変難しくなります。しかも、その技術が芸術の域に達し文化として生きていくには多くの人の協力と切磋琢磨が無くては出来るものではありません。優秀な技術者が育つのと同時に産業全体として生きてゆく事が必要で大事なのです。

資料館の建物は江戸時代末期の建物で型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復したもので、土間にはかまどが丁寧に保存されており趣きのある中庭があります。係の方がビデオを見せてくださり、型紙を作る工程や文様を彫る様子を知る事ができます。さらに展示している型紙を見ながらお話も聞かせていただきました。ちょうど私達が伺っていた時に地震小屋と呼ばれる離れの小屋で保存会の方たちでしょうか女性の方たちが作業をしているようでした。

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着物や襖を気軽に求める事はできませんが、栞を買い求めて楽しむことにしましょう。

それにしても、伊勢型紙の文様は粋でお洒落で見ているだけでワクワクしてきます。こんな素敵な柄の着物を着たらさぞかし楽しいでしょうね。

テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

松浦武四郎

お元気ですか?

週末、三重県に出かけてきました。弓道の用事が主だったのですが足を伸ばして松坂に向かいます。
松坂牛のグルメ三昧?いえいえ、今回は美味しい食事はおあずけです。

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訪れたのは松浦武四郎記念館。江戸末期、北海道を歩きまわり地図をつくりアイヌの人々の生活を記録し、地誌を書き残した偉人です。
恥ずかしながら、私が松浦武四郎を知ったのはつい最近の事で、中学や高校の歴史の事業で習った記憶もありません。その経緯のお話は後にして伊勢街道近くにある記念館に入ってみましょう。

建物は小野江小学校の隣にあり、訪れたときはちょうど運動会でもやっていたようで子供たちの歓声が聞こえていました。ロビーに入ると床に広がる大きな北海道地図。受付で入館料を払い展示スペースへ進みます。

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若い頃から旅への思いを持ち、九州や四国遍路をした松浦は28歳の時に初めて蝦夷地を探検調査します。アイヌ語を習い覚え、北海道をくまなく歩いてアイヌの人々生活の様子を記録し文化の素晴らしさを伝えるとともに、松前藩が行なっていたアイヌの人達への政策に強く反対し松前藩から命を狙われるような危機にもあいます。
1868年、51歳の時には明治政府から「徴士箱館府判官事」に任命され、アイヌ民族の歴史を取り入れながら北海道各地の名前を考える職につきます。
北海道という名前は“北のアイヌ民族が暮す大地”という意味の“北加伊道”という言葉から誕生したのだそうです。

函館生まれなのに何も知らずに育ってしまいました。学校で習う日本史は大抵明治維新ぐらいで終わってしまい、しかも受験に必要な項目を覚える事に終始しています。身近なところに大切な歴史があっても教科書や受験に関係がなければまず取り上げられることはありません。北海道で育った私にとって日本の歴史は外国の歴史と同じくらいに遠いものだと感じていたのです。

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館内には松浦武四郎の業績を紹介するパネル展示や書、品々が紹介されています。東京の国際キリスト教大学に現存するという晩年使っていた一畳敷の書斎が再現されたものもあり、入って見ることもできます。起きて半畳寝て一畳と考えていたのでしょうか。官職を辞し東京で晩年を過ごしながらも西日本を廻ったり富士山に登ったりし続けた松浦武四郎です。書斎は一畳でも頭の中には全国の風景が広がっていたことでしょう。
旅をすること、その土地の人々の生活を知ることの大切さを一畳の書斎から知ることができます。

受付に戻り、近くにある生家の場所を尋ねると地図で分かりやすく教えてくださいました。

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生家は一般公開はされていませんが、簡単な紹介文が掲示されています。
生家の奥には今も人が住んでいらっしゃるような建物が見られます。どのような方がお住まいなのでしょう。

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記念館の受付では北海道の各地に点在する松浦武四郎の足跡を知らせる地図も頂戴してきました。北海道を旅するときに訪ね歩くのも良いでしょう。旅の楽しみが一つ増えました。

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さて、この記の冒頭、松浦武四郎の事を知ったのは最近のことだと書きました。その経緯を書いて感謝を申し上げたい。

きっかけは時々お邪魔しているブログ『探偵小説三昧』のsugataさんが函館出身の作家高城高さんの『ウラジオストクから来た女 函館水上警察』を紹介してくださったことによります。明治の函館を舞台にした警察ものですが、この本の前作『函館水上警察』に若い森鴎外が函館を訪ねたことを織り込んだ作品があり、日本で初めて天然痘の強制種痘を行った深瀬洋春という医者が登場します。当時函館は東京以北最も栄えた都会であり、海外の新聞にも紹介されるくらいの賑わいをもつ街でした。
森鴎外が訪ねた函館、深瀬洋春が西洋式医療を広めた函館はどんな風景だったのだろうとネットを逍遥したところ、「北海道地域医療研究会」というグループの運営委員をされている函館の間島さんという方が書いた文章に出会います。「~蝦夷地のアイヌ種痘之碑を訪ねて~」という文章ですが、間島さんは「松浦武四郎の足跡」を訪ねる旅というのを趣味とされているそうで、簡単な松浦武四郎の紹介と北海道と命名した事、三重県に記念館があることが記されていました。

北海道を遠く離れた三重県出身の松浦武四郎という人物がどのような経緯で「北海道」という名をつけたのか気になります。実は私の名前も北海道に由来して付けられていますので、私にとって松浦武四郎を知った事は名付け親に出会ったような感もあるくらいです。
いずれは機会をみつけて記念館を訪ねてみたい。そう思っていたのが、今回実現したのです。

人は旅に出て様々なものに出会います。今回の私の旅は三重県松坂の偉人松浦武四郎と北海道との出会いでした。この素晴らし出会いを導いてくださった本やネットを通じての人達に深く感謝したいと思います。皆さん、有難うございました。



追記)
この記事を書いてからあらためて松浦武四郎を検索してみると、北海道各地の足跡を訪ね歩いて紹介しているブログが色々とあることを知った。素直に嬉しい。私もいつの日か訪ねてみたいと希望が広がる思いだ。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

書くということ

お元気ですか?

人はこの世に生まれ出て色々なものに包まれて育ちます。光、音、言葉・・・そのどれもが美しいものです。
その中でも言葉は人間が作ったものです。ですから私達は言葉を大切に扱わなければいけません。言葉を不用意に使うと友達を傷つけたり取り返しのつかないような過ちに陥ります。言葉を慈しみ、その言葉の誕生からどのように使われているのかを考え言葉が喜ぶように使ってあげるとその言葉は私達にちゃんとご褒美をくれます。私達はどんな言葉と友だちになっているでしょうか。

我思う故に我あり。とはデカルの『方法序説』とともに自分の存在を証明する命題ですが、この時自分の中で存在を考えるには言葉が必要です。思考、存在、言葉の関係を明確に表現したわけですが、日本では思考に言葉が必要であることを道元が『正法眼蔵』の中で言っています。でも、何も難しい事を考える必要はありません。私達の周りにいる子供たちを見てみましょう。「ねぇねぇ、あのね・・・」と子供は自分の見たもの体験したことを一生懸命に話そうとします。話すことで自分の存在を知ってもらおうとしているのです。存在を周りに認めさせ生命として生きられるような環境に自分を置くこと。これは生命の基本です。子供はそのために言葉を使うことを学んでいくのです。

私は子供の頃からよく手紙を書いていました。仕事の都合で父と離れて暮らしていましたから、母が用事で手紙を書くときに必ず「貴方も書きなさい」と私に便箋を一枚出して何かを書かせたのです。他愛もないことを書くのですが、ちょっと大人になったような気持ちです。同じように父の実家のある新潟の親戚から手紙が来ると、やはり母は私にも返事を書かせました。これは母なりに私に家族とのつながりを教えようとしていたのかも知れません。

そんな風に育った私は自然と言葉が好きになります。新しく知った言葉は使ってみたくて仕方がありません。本を読み、作文をし言葉と仲良くなってゆきます。ですから、小学校の教科書でドーデーの『最後の授業』を読んだ時に、“自分の国の言葉をこれほどまでに大切に思う国はどんなに素晴らしい国なんだろう”と素直に感動しフランス大好き少年になってゆくのです。
でも、小学校の国語の授業は楽しい思い出ばかりではありません。あるとき運動会について作文をするようにという授業がありました。私はその授業の作文で運動会で競争をして優劣を決めるのは良くないという論調の作文を書きました。足の早い子は喝采を浴びて気持ちいいかもしれないが遅い子はどんな気持ちだろう。という作文です。
それまで作文で悪い点を取ったことのない私でしたが、見事3をもらいました。5段階評価の3です。作文を返してもらった瞬間、私は学校の運動会を否定する作文を書いたからだと直感的にわかりました。そしてそれを証明する機会は以外と早くやってきました。
運動会が終わり、国語の授業でまた運動会について書くよう作文が求められたのです。私はたまたまパン食い競争で一等になっていましたので、今度は運動会は楽しいというもう天にも登るような喜びを書いたのです。そして、案の定この作文は5をもらったのでした。運動会を否定した作文も運動会を楽しいと書いた作文も論調の厚みとしては同じくらいです。それなのに、3と5。私は学校の国語の授業にすっかり呆れてしまいました。
これは小学校4年生の出来事です。それまで作文は自分の考えを素直に表現するものでしたが、この経験から作文には読む人の評価が加わるもであること、自分の考えとは少し違うことを作文に書いて評価を受けることが可能であることを知ったのでした。ちょっと生意気な4年生でしたね。

話は少し変わります。
もう随分昔の事になりますが、NHKのある番組をみていました。全国の有名進学校を卒業して東大や京大など難関大学に進んだ学生を集めた番組でした。その番組がどのような意図の番組だったのかは忘れてしまいましたが、2人の学生の発言が記憶に残っています。一人は優秀な成績で過ごして来て東大の理三に進むのが当たり前だと周りから思われていて本人もそのつもりで受験し合格します。しかし、彼は何を自分が学びたかったのかを知らなかったのです。結局理三を辞めることになります。
もう一人は中学校か高校の時に学校の先生から「君は言葉をよく知っているから作家になるといいよ」と云われたと言います。随分大胆な先生だと思いますが、その学生は「言葉を知っているからと言ったって・・・」と思ったそうです。
一人目の学生は学校の成績は優秀だったのかも知れませんが自分が何が好きで何をしたいかということを考える機会が少なかったのかもしれません。二人目の学生の話は本人より先生に驚きます。何故「言葉をよく知っている」とこの学生を評したかは知りませんが、言葉を知っているということと作家になるということは全く別な事です。文章を書くにはまず書きたい何かがなければなりません。もちろん書きたい何かを見つめるのはその人の思考であり言葉です。その点で言葉は重要ですが、伝えたい書きたいという思いや行動を生むのは別なものでしょう。

言葉は相手に何かを伝える道具です。その何かは自分が見、感じ思った事ですから自ずとその言葉には自分が映ります。自分が発した言葉を思い出したり読み返したりすることで、自分を知ることも大事です。そう思うと何気なく書いているブログもちょっと襟を正さなくてはと思いますね。

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

上手な文章の書き方?

お元気ですか?

ブログを始めてもう7年ほどになる。それまで日記も書いたことがなかった私がよくも続けて来たものだと思うが、これまで来られた理由は3つある。一つはブログで出会う人達。私と違う様々な人達を知るのはそこそこに楽しい。もう一つは吐き出し。Nuagesとタイトルにあるように雲のようにとりとめのない私の生活であるが、雲の中は雨や雹が飛び交い静電気がたまっている。これを時々地上に吐き出さなければならない。誰かに迷惑がかからないのであるならば私がぶつぶつ吐き出すことぐらいは許されるであろう。もう一つはキーボード。これがノートに鉛筆や万年筆で書くのであるならばこうは続かなかったであろう。

さて、こうして続いてきた私のブログであるが、時々過去のものを読み返してみて、我ながら上手く書けていると思うものと、恥ずかしくなるくらいどうしようも無いものとがある。文章書きのプロではないのだからご勘弁をと言いたいところだが、文章というのはその人の表れであると思うとそうも行かない。自分で言うのもおこがましい気がするが、上手く書けたものとそうでないものの違いは何処にあるのだろうか。


以前、“読書感想文を書くのが苦手だった”という事を書いた事があった。小学生・中学生の頃のことだ。実は今もその気持があって、このブログでも読んだ本の事を書くことが多いが感想を書くというよりその本を読んだ事で思い出される自分の体験を書いている。最近TVで読書感想文の書き方を指導する番組を見たが私が子供の頃の学校ではそんな授業はなかった。実は小学4年生の時に運動会の事を作文に書く時間があり、私はとんでもない悪戯をした。どんな悪戯をしたかは此処では触れないが、その経験により私は作文の時間をすっかりバカにするようになった。作文は好きだが、国語の授業の作文が私の中で全くくだらないものになってしまった。以来、大学での論文指導に至るまで学校の中での作文作業というのは楽しいものにはならなかった。

文章を書くことを意識したのは社会人になってからだった。ある人は「中学生が読んで分かる文章」と言う。またある人は「日本人は上司に添削されて文章の練習をする」と言った。そうゆうものだろうかと思い、自分の書いた文章を他人の目で読んだらどう映るだろうかという意識で読み返すようになった。センテンスごとの読みやすさ、意味の伝わりやすさは意識するところで、理屈をこねて回りくどいのは自重した。
ある時期、阿川弘之の本を読んだ。これもブログに書いた事があったが、子供の頃父に連れられて観た映画『山本五十六』が頭に残っていて、阿川氏の『山本五十六』から読み始めて文庫本で入手可能なものはほとんど読んだ。もちろん、戦記ものも良いのだが阿川氏には戦後日本で若い人達が活躍する青春物といえる本が沢山ある。そうゆう作品の当然阿川氏の筆も若く溌剌としているのが私は気に入っていた。阿川氏の書きたいというエネルギーが伝わってくる作品たちである。私は阿川氏の小説を読むことで、文章には作者の書きたいという思いがエネルギーとなって映るものであることを知った。

阿川弘之氏は志賀直哉に師事している。『小僧の神様』ぐらいしか知らず、それもたいして記憶に残っていなかったが、あらためて志賀直哉の作品を幾つか読んでみると、ため息が出た。一つ一つの文が無駄なく美しい。そうゆう文が集まって作られた短編は力強い文章となって私の前に世界を映した。それ以来志賀直哉の文章は私の目標である。


何を書くのかという確りした思いと、表現するための無駄のない文章。言葉を並べて飾るのではなく素直な表現こそが読む人に伝わる力のある文章を生み出す基本である。
はたして私の文章は読む人に伝わるものだろうか。そもそも伝える程のものを持たない凡夫が何を書いても仕方がないのではないだろうか。そんな自省を繰り返しながら今日も書いてしまう。



テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

『烈風』と『勝利』

お元気ですか?

2010年11月に BOOK OFF でディク・フランシスの『反射』を手にとってから3年。今日39作目となる『勝利』を読了しました。2000年の作品でこの年の9月にメアリー夫人が亡くなったことでディック・フランシスは引退を表明します。作家としての仕事を40年近く支えてきてくださった夫人を亡くされたのですから筆を置くのも理解できます。

『烈風』1999年はBBCに勤める気象予報士のペリイが主人公。同僚でアマチュアパイロットのクリスと一緒に休暇をカリブ海で過ごします。折からハリケーンが来ているその中を飛行機で飛ぼうというクリスに同乗し一旦はハリケーンの目の中を飛ぶのに成功するのですが、脱出の際コントロールを失い海上に墜落します。一人無人島に漂着したペリイは島の廃屋にあった金庫に不審な物を発見しますが、そこに現れた武装集団に目隠しをされて島から連れだされます。イギリスに戻ったペリイは島で見たものへの興味から真相を知るため自ら陰謀の中に向かっていきます。

パイロットの経験もあるディック・フランシスの航空ものと言っていいでしょう。『飛越』1966年や『混戦』1970年といったパイロットを主人公にした作品もありますが、今回は馬を運ぶのではなくハリケーンの中を超えて目の中で飛ぶといったちょっと信じがたいお話。その場面はちょうど宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』で嵐を抜けてラピュタにたどり着くような感じ描かれています。実際可能なのでしょうか?今度知り合いのパイロットさんに聞いてみたいと思います。

お話はテロリストや武器商人といった人達がからみそこそこに面白いものでした。

そして、『勝利』。主人公はジェラード・ローガンというガラス工芸作家。友人で騎手だったマーティンから彼が預かったビデオテープをめぐり暴漢に襲われることから事件に巻き込まれていきます。様々な職業が登場するディック・フランシスの作品ですが、ガラス工芸も何か意味があるのだろうと読み進むとなるほどお約束の通りの展開になります。また、ディックの作品には暴力的悪意をもった犯罪者というのが出てきますが、『勝利』でもそうゆう敵と闘うことになっていています。ディック・フランシスの人間を見る目の諦観を感じるところです。
作品としては登場人物が適度に配されているのですが、特に印象深い人物も無く無難に展開したといったところでしょう。



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さて、引退宣言をしたディック・フランシスですが、2006年にシッド・ハレーを主人公にした作品『再起』を書き文字通り復活します。しかし今度はそれまで訳者を務めてきた菊池光氏が亡くなっていました。ですから『再起』は北野寿美枝さんという訳者さん。これがなかなか良い訳で安心するやら感心するやら・・・。
続けて書いた息子さんフェリックスとの共著『祝宴』『審判』『拮抗』『矜持』も北野さんの訳となっています。

さぁ、私のディック・フランシスも後この4冊となりました。残り惜しい気もありますが、しっかりと読んでいきたいと思います。


テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

男はつらいよ

お元気ですか?

今日はテレビのお話です。
先月からNHKでアメリカのテレビドラマ「こちらブルームーン探偵社」という番組が放送されています。1986年に放送されていたものの再放送なのですが、小さな探偵事務所を舞台にブルース・ウィルス演じるデビッド・アディスンとシビル・シェパード演じるマディ・ヘイズの掛け合い漫才のようなドタバタコメディーといったタッチの一話完結のドラマです。
ブルース・ウィルスの人気が出たことでも知られるこのTVドラマは「視聴者が期待しているよ」なんて台詞を言ったり、スタジオ内のセットの裏表を映しながら役者を走らせてみたりとドラマ作りそのものを遊んでいるのですが、この手法がかろうじて上手く活きている珍しいドラマといえるかもしれません。マディ・ヘイズ役のシビル・シェパードはモデル出身で歌も歌える女優さんですが、私は美人女優がコメディーを演じるのが好きで、声を担当した浅茅陽子さんのイメージともマッチして楽しませてもらいました。

コメディと言えば、やはり4月から「コントの劇場」という番組がNHKで始まりました。三宅裕司を中心とした3~4人の役者さんでコントをやるのですが、初回には沢口靖子が出演していました。沢口靖子も美人女優として評判の人ですが、蚊取り線香の金鳥のCMで雛人形に扮してタンスに入ってみたりマリリン・モンローに扮したりとお笑いの要素を発揮してから人気の幅を広げた感があります。実は私もそうしたファンの一人で、『細雪』も良いですが、コントを演じる沢口靖子の方が親しみを感じるのです。見る人に笑いを誘う演技というのは難しいもので、ちょっとした空気の違いで大きく変わってしまいます。コントほど役者さんの技量の見えるものはないと思うくらいです。この「コントの劇場」では話と話しの間に舞台裏での役者さん同士の反省会の場面も紹介していてこれも興味の持てる作りになっています。

コントは笑いの要素を強く出した寸劇と言えます。普段お笑い番組やバラエティ番組といったものを見ませんので私は日本のお笑いに意見を言うことは出来ません。ですが、笑いは素晴らしいもので、それを風俗文化、芸として表現するのはとても高度な技術を必要とします。「笑点」などは長寿番組として知られていますが、町中にある寄席は人の入りが少なく経営難が続いていると聞きます。落語、講談、漫談、漫才・・・芸人さんの息遣いやお客さんの反応を感じながらのアドリブなど、寄席でなければ経験出来ないものもありますから、是非寄席に足を運んで楽しむようにし寄席の文化を絶やさないようにしたいものです。


もうひとつ。
5月からWOWOWで「男はつらいよ」のシリーズを毎日放送しています。私はこのシリーズをこれまで一作も見たことがありませんでした。それがふと、役者さんの演技が見たいと思い幸いと録りためているのです。
今日放送されたのは「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」という27話目でした。
大阪で芸者をするふみ(松坂慶子)と知り合う寅さん。人情話が散りばめられ東京に戻った寅さんでしたが、実家のお団子屋とらやにふみが訪ねてきます。と、寅さんの失恋?でまたも終わるパターンです。
でも、この1時間半ほどの軽いお話に、正司照江、正司花江が松坂慶子演じる芸者さんの先輩役で出ています。芦屋雁之助が大阪の安宿の主人として出ています。大村崑が運送会社の社員で出ています。と大阪ゆかりの芸人さんが大勢出ていて、その演技を見るだけでも豪華幕の内弁当を楽しむ気分。目を離すことができません。
もちろん、マンドンナ松坂慶子も好きなのですが・・・。
場面の色々を見ながら思わず泣きそうになるくらい役者さんの演技に芸が見えます。

思い立って寅さんを見ることにして良かった。今更ながらそう思っています。

テーマ : 映画
ジャンル : 映画

『決着』

お元気ですか?

当地、予報通りの雨が降っています。川に遊ぶ鴨はこうゆうとき何処にいるのでしょう。全く知識がないので分からないのです。川岸は整備されていますし雨を防ぐ木は桜が少し並んでいる程度です。暗い夜、雨に打たれる鴨を思うと少し心配になります。

ディック・フランシスの『決着』を読みました。1993年の作品です。

建築家のリー・モリスの所に競馬場の支配人が訪ねてきて競馬場の売却に反対してくれと頼んでいきます。男爵家一族が経営する競馬場はメンバーそれぞれの思惑の中で存続か否かかが議論されているというのです。男爵家に嫁いでいた母から株を相続していたモリスは男爵家とは距離をおいていましたが、総会に出席したことで一族の渦の中に巻き込まれていきます。

民間が経営する競馬場というのが舞台。ストラットン男爵が経営していた競馬場ですが、男爵が亡くなったことから相続する家族が群がります。発展している地域の中で古びてきた競馬場を売却し不動産益を望む者、観客が集まるスタンドを立て替えて集客を図ろうと思う者、今あるスタンドを使いやすく改修して続けようと思う者、癖の強い男爵家の家族一人ひとりが自分の意見を通し相手を蹴落とそうと争いを繰り広げます。そんな中、モリスは支配人のロージャー等の協力を得ながら一族の対立する事情を明らかにしていきます。

今回の『決着』の面白さは一族の事情を解いていくところにありますが、同時にモリスが連れている5人の幼い子供たちの様子。お互いにいがみ合い脅し合う一族とは対照的に子供たちは競馬場でかくれんぼをして遊んだりします。私も子供の頃競馬場で走り回っていましたからディック・フランシスが描く子供たちの姿がものすごく身近に感じられます。お休みの日の競馬場ってちょっとした冒険空間ですからね。本書の扉をみると「私の孫たちに愛情を贈る」とあります。ディック・フランシスが書きながらお孫さんの様子を思い浮かべていたであろうことがよく分かります。

もう一つは競馬場そのもの。競馬場はそれぞれに顔を持ちます。コースの作り方はもちろんですがパドックやスタンドなど建物も使いやすさ、楽しさといったことも競馬ファンには大事でしょう。コースの内側に池などを配しちょっとした遊園地感覚のコースもあるようです。一族が所有する競馬場もそういったファンのニーズに目をむけるようモリスが言います。エレベーターの設置、使いやすいレストランバーといった設備も重要なようです。

私の遊び場だった函館競馬場は中学生の頃から規模を拡大しました。スタンドを建て替えたり駐車場を広げたりとして集客を伸ばしていき、私の家もそのために移転をせざるを得なかったのですが、残念ながら現在の競馬場に私は入った事がありません。夏に帰省する時には是非競馬場に入り昔の競馬場との違いを確かめてみたいと思うのです。




テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

身近な歴史

お元気ですか?

当地、3日から5日までの3日間大きなお祭りが行われました。毎年行われるお祭りは地元の人にとっては待ってましたとばかりの大はしゃぎなのですが、正直なところ私は全く感心していません。日中は遠州灘に面した砂丘で繰り広げられる大凧合戦。夕方からは各町内から参加する山車とラッパを吹き鳴らしながらの練りの行進となり、3日間の人出は百数十万人と言われています。
しかしながら、このお祭りはその起源が定かではありません。なぜ凧揚げ合戦が行われるようになったのか不明ですし、山車は立派な彫り物をし飾り付けられ子供たちが乗ってお囃子を奏するのですが、神事があるわけでもありません。首を傾けたくなるのはラッパを吹きながらの練りです。進軍ラッパよろしく吹き鳴らし法被姿の若い人がただ歩くのですが、これが何の意味を持つのでしょう。当地最大規模のお祭りが歴史や伝統文化と縁のないところで動いていることに寂し思いを持ってしまいます。

お祭り騒ぎに興味のない私は道場に出かけ、練習三昧。心と身体に気持ちの良い数時間を過ごします。そして、その帰り道、最近気になっていた所に車を駐めてみました。

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当地は東海道の要所でもあり、いまだ松並木が残り一里塚などが建っています。ところが私が気になったのは新しく建てられた石碑。いつもは車の中からなんだろうと思いながら素通りしていたのです。

見ると、江戸行六義人菩提所と彫られている石柱とその横に建立の説明が記されていました。安永2年(1773)米津浜で座礁した紀州の御用船の救助にあたった村民に、紀州藩は船荷が減ったと盗人呼ばわりし村中の男を江戸に罪人として連れてゆくと難題をもちかけます。困った村人は組頭ら6人を差し出したというのです。

以前、吉村昭氏の『花渡る海』という作品を読んでいました。広島の川尻村出身の久蔵という船乗りが新酒を積んで江戸に向かいながら、暴風雨にあいカムチャッカ半島に漂流、ロシア人に救出されロシアで3年を過ごしたのち、天然痘治療の技術と痘苗をもって函館に帰り着くのですが、松前藩に取り上げられたまま広島に帰るという話です。
この『花渡る海』に船が暴風雨に遭う場面が描かれていて、江戸時代の千石船が海難にあった際の幕府の対応が詳しく書かれています。少し抜粋してみましょう。

「もしも、元船を捨て艀で陸にあがった場合には、役人の長期にわたるきびしい吟味をうけ、船の放棄もやむを得ないと判断されると、廻船問屋、船主、荷主に船頭も加わって損害分担金の査定がおこなれれる。積荷は荷主の損害とされ、うしなった船は船主と船頭の分担になる。」
「船が危機に瀕して積荷を海中に刎ね、風雨がしずまった後、陸岸についた場合には、船頭はきびしい吟味をうける。其の地を管轄する浦役人が出むき、残存の積荷を縄張り封印して御見分役人の出張を乞う。船頭をはじめ乗組の者は入牢を命じられ、荷主惣代からの改め人も加わって、船頭に刎荷をした折の事情を詰問し、乗組んでいた水主たちも別個に呼んで船頭の申立てにあやまりがないかををただす。刎荷をしたといつわって船頭が、水主と共謀して積荷をかすめとることもあるので、取調べは厳重をきわめ、いつわりの申立てをした場合は、船頭とその指示にしたがった水主たちはことごとく死罪を申し渡される。」

千石船で様々な物資を運んで経済活動を行なっていた時代ですが、海難事故に遭うと命が助かったとしても非常に厳しい現実が待っていたのですね。

そうゆう事情があってのことでしょうか、紀州藩御用船の関係者は村人に積荷損失の罪をなすりつけようとしたのでしょう。当地は徳川家康ゆかりの地で江戸幕府の直轄地、それにもかかわらず紀州から悶着をつけられたら理不尽と思いながらも対応しなければならなかった事情があったのかもしれません。

石版の裏に回ってみると、この石碑が江戸に送られ刑死した人達の子孫によって平成15年に建てられたものであることがわかります。先祖を思う心の強さを感じます。
この新しく建てられた碑のおかげで、吉村昭氏の『花渡る海』で触れられた事情が歴史として私たちの目の前に現れてくれました。六人の子孫の方に感謝し、機会があれば詳しくお話を伺いたいと思います。安永2年というのは徳川家治が10代将軍で田沼意次が老中になっている頃です。ちょっと調べてみたくなりますね。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

『帰還』

お元気ですか?

ディック・フランシスの『帰還』を読みました。1991年、30作品目です。

外交官のピーター・ダーウィンは日本での赴任を終え途中知り合った夫婦に付き添い英国に戻ります。夫婦は結婚する娘ベリンダと婚約者で獣医のケンの結婚式に出席するために戻ったのですが、ケンが手術をした馬が次々と原因不明の死に方をし、さらには病院が放火され焼け跡から焼死体が発見されたことからダーウィンはケンを助けるため事件の解明に調査を始めます。

主人公は外交官のダーウィンで、外交官という国益のために観察し情報を集め考察するという性質を活かしながら事件を調査する姿が柱になっています。もう一つは獣医の仕事。犬猫から馬や牛といった大型の動物までを扱う病院を仲間と共同経営しているケンの仕事を通じて、獣医の様子を詳しく描いていてそれがこの作品の特徴といえます。

そして『帰還』には仕掛けが二つあります。一つは病院のあるところがダーウィンが幼い頃に暮らしていたとろだったということ、事件の謎を解きながらダーウィンは自分の記憶をすこしづつ思い出していきます。もう一つはそのダーウィンが日本に赴任していたということから、日本人の事がいくつか取り上げられています。お辞儀、木の家、お刺身・・・。さてそれらがどう云う仕掛けであるかは読んでのお楽しみです。
ディック・フランシスは1988年11月に早川書房の招きで初来日をしています。『ディック・フランシス読本』によると、この時の滞在期間中にジャパン・カップを観戦、日本中央競馬会は彼の来日を記念してウエルカム・ステークスを設け、勝者にディック・フランシス・カップを授与したそうです。素晴らしい饗しといっていいでしょう。
その時の経験を活かしての『帰還』なのでしょう。サービス精神の行き届いたディックです。


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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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