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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『夫婦善哉』

お元気ですか?

NHKの土曜ドラマ『夫婦善哉』が始まった。6年前に発見された続編も取り入れながらの初のテレビドラマだそうだ。
『夫婦善哉』といえば昭和初期の作家織田作之助の代表作で年配の方には森繁久彌と淡島千景の映画、私は沢田研二と藤山直美の舞台が記憶にある。ミヤコ蝶々の「夫婦善哉」もあるがこちらはトーク番組。

私が何故『夫婦善哉』を見ているのかというと、これはもう森山未來という俳優に興味をもったからに他ならない。実は先にスティーブン・バーコフが演出をしたカフカの『変身』で主人公グレゴール・ザムザを演じたのを見、佐野洋子原作のミュージカル「100万回生きたねこ」で主人公のトラ猫を演じるのを見た。まるでバレーダンサーのような身体能力の高さにすっかり感心したが、演技力もなかなかのもの。まぁ体から出てくるものを自由に出来るにはもう少し時間がかかるだろうが、それでも方向性は持っているようだから立派なものだ。
そう思っていた矢先、NHKの番組CMで『夫婦善哉』を放送すると知ったのだからこれは見たくなる。もちろん蝶子を演じる尾野真千子も素直な演技がいいし、蝶子の父は火野正平、母親は根岸季衣が演じていてこれも良い。ちなみに蝶子の父種吉は一銭天麩羅という商売をしているがこれは織田作之助の両親の商売でもある。

さて、日頃から食べることが大好きと言っている私だが、『夫婦善哉』を見てさすが大阪の話だと膝を打つシーンが第一話に登場した。化粧品問屋維康商店の若旦那柳吉が芸者の蝶子を見初め連れ回すシーンだ。

原作から少し抜き出してご紹介しよう。


 柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手もの料理ばかりであった。芸者を連れて行くべき店の構えでもなかったから、はじめは蝶子も択によってこんな所へと思ったが、「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」という講釈を聞きながら食うと、なるほどうまかった。
 乱暴に白い足袋を踏つけられて、キャッと声を立てる、それもかえって食慾が出るほどで、そんな下手もの料理の食べ歩きがちょっとした愉しみになった。


どうにもこれには参ってしまう。蝶子でなくたってこれだけ連れ回されたなら参ってしまうのは必至。私だってワンと言ってしっぽを振るかもしれない。

かつて忙しく働いていた頃、毎月のように大阪に出張する事があった。東京での生活が長いから最初はこわごわと行った大阪であったが、次第に楽しみになってしまったのは大阪の「うまいもん屋」に魅了されたからに他ならない。柳吉のようにあちらこちらと行けなかったは残念だが、通天閣で串揚げを食べ、ふぐを食べ、お初天神にお参りをすますと新幹線の時間を気にしながら梅田の路地店に腰掛ける。今思い出しても至福の時間。大阪での会議の席で「こんな美味しいものが食べられるなら何度でも呼んでくれ」と白状したくらいだった。

ところで、女性と食事に行くなら「うまいもん屋」が良いと思っているのは道楽息子の柳吉ばかりではない。かく言う私も似たような事をやってきた。リヤカーを引いたおでん屋だったり、ガード下のホルモンだったり。会社の上司が連れて行きそうにないオジサンの店が面白い。

さて此処で若いころの話を披露するのが本旨ではない。ちなみに上の文章の後には次のように書かれている。

そんな安物ばかり食わせどおしでいるものの、帯、着物、長襦袢から帯じめ、腰下げ、草履までかなり散財してくれていたから、けちくさいといえた義理ではなかった。

柳吉くん、やるべきことはやっているのだ。

朝、経済ニュースを見ていて面白い事があった。先輩格のアナウンサーがゲストのアナリストと一緒に「今の若い人はお金を使わないんですよ」と話す。実際後輩の若いアナウンサーは「使いません」と応じる。「私達の若いころは車を買ったり遊びに行ったりしたんですけどね。」と先輩が言うが後輩はどうしたら良いのといった顔だ。デフレ社会が20年も続いた結果なのだという。
先日レストランでご一緒したご夫婦も「今の若い人はデートで外食をしないですよ。家で会うんです。」と言う。目が点になったパートナーさんは、私の道場で若い人に確かめていた。その彼によると確かにドライブをしたりレストランに行ったりといったことはしないで、家でビデオを見たりお話をするのだそうだ。
東京のように電車で何処へでも行ける街とは違う。どこへ行くにも車が必要だから外食先でお酒を飲むことは出来ない。お酒を飲まないとしてもどちらかの車をどちらかの家に置いておかなければならない。それならいっそのこと何処へも出かけないで家で会おうということなのか???

バブル時代に若い時を過ごしたオジサンは、お金は活かして使うもの、女性に貢ぐのは男にとって誉れ高き事と思っていた。だいたい、家でビデオを見ながらコンビニで買ってきたものを食べていたらハプニングもサプライズも無いじゃないの!


森山未來は、若い人に人気の俳優さんだそうだ。NHKの『夫婦善哉』を現代の若者に見てもらいたい。
せっかくの人生だ、出会った相手になりふり構わず一生懸命になれる自分を若いうちに見つけよう。そのためにお金を使うのならいくら使っても構わない。だいたい構うようなお金の使い方をするような男は大したものにはならない。女性はそこのところを良く知っている。

それにしても大阪でうまいもん食べたいな。



夫婦善哉 (新潮文庫)夫婦善哉 (新潮文庫)
(2000/09/29)
織田 作之助

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テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

夏の飲み物は・・・

お元気ですか?

一昨日あたりからめっきり涼しいい風が吹くようになりました。エアコンを使わない我が家には嬉しい事なのですが、天気予報では最高気温が34℃と報じています。えっ?それでも34℃もあるの?って驚いてしまいます。体が猛暑に慣れてしまったのでしょうか?

夏になると我が家では飲みたくなるワインがあります。フランス、ブルゴーニュで作られるアリゴテという品種のワインです。爽やかな酸味と青臭い若々しさが夏の暑さに最適といえるでしょう。色々な作り手がありますので、楽しんでいただければいいのですが、我が家の今年何本目かのアリゴテは LUIS JADOT のアリゴテで2009年のものでした。

「ねぇ、アリゴテ飲まない?」とパートナーさん。
「あっ、いいね。」と二つ返事の私。
「じゃぁ、夕御飯はパスタにしよう。」とパートナーさん。そう来るだろうと思っていました。

かくして、私が夕御飯担当です。ナスとひき肉を使ったトマトソースのパスタはニンニクや唐辛子を入れスパイスも利かせて作ります。ソース鍋を焦がさないようにかき混ぜながらアルデンテにこだわる私はパスタ鍋にも気をくばります。ちょっと味見をしたり、パスタを一本とって噛んでみたり・・・。
お気に入りのお皿に盛りつけテーブルに運びましょう。

我が家ではワインクーラーは使いません。確り冷えたアリゴテがテーブルに置かれボトルの表面にはうっすらと水滴が結露しています。何故ワインクーラーを使わないかって?どんどん飲んでしまうからなんです。
ワインを注ぐのも私の役目。パートナーさんは「女性がお酒を注いだらホストに失礼でしょう。」って決してお酒を注ぐことはしません。皆さんのお家ではどうですか?

白ワイン用のグラスに注がれたアリゴテは薄っすらと緑色をしているように感じます。草原のイメージ。あぁ夏のワインです。
一口口に含んだパートナーさん。「ちょっと和らいかいね。」と拍子抜けした感じのコメントです。どうやら今年の(2009年の)LUIS JADOT のアリゴテは上品で優しい感じに仕上がっています。酸の感じも良いし厚みもありますから出来栄えとしては問題は無いのですが、パートナーさんがイメージするガツンとくる力強さには遠いようです。まぁ、今年のアリゴテはこうゆうのだったと覚えておきましょう。

ところで、アリゴテは Aligoté と書きます。そこで私はアリゴテを飲む時必ずゴリアテを思い出してしまいます。ちょっとしたアナグラムですね。ゴリアテは旧約聖書「サムエル記」に登場するペリシテの巨人兵。羊飼いのダビデがイスラエル軍の一員として立ち向かい、杖と投石機と拾った石で戦い勝つのです。今日も彼の地は戦争の最中、人類はいつになったら争いを止めることが出来るのでしょう。
昨夜、アメリカはミサイル攻撃の可能性を示唆した。

テーマ : ワイン
ジャンル : グルメ

『メグレと殺人者たち』

お元気ですか?

ジョルジュ・シムノンの『メグレと殺人者たち』Maigret et son mortを読みました。1947年の作品です。

こんなお話。警察にいるメグレ警視のところに男から電話がかかってきて数人の男からつけ狙らわれているという。男は追っ手から逃げるようにカフェを渡り歩きメグレに助けを求めてきたのだ。部下をカフェに送り事情を確認させようとするが、男はなかなか見つからない。そして、夜中、コンコルド広場で男の死体が発見される。

Bonjour Maigret. 『メグレと殺人者たち』は私とメグレ警視とが初めて出会った本になります。いよいよ長い旅の一歩がこの本から始まるのかと思うと、少し感慨深いものがあるのですが、それは前にも書いたように中学生の頃から心に留めていながらずっと近寄ろうとしなかったからなのでしょう。
文章は短く淡々としていますからパリの石畳の上を革靴で歩いているような感じを受けます。一つ一つの石が表情を持ちながら並べ組み合わされて場面を作ってゆきますから一文一行も読み落とさないようにしないとと目を凝らします。
もちろん推理小説、ミステリー・サスペンスですから読者はメグレ警視と一緒に事件を考えるのですが、どうやらジョルジュ・シムノンは読者にサービスをする作家ではないようです。殺された男が着ていたオシャレな服や食べ物の痕跡などから推理を進めたかと思うと全く読者に知らされてない事実を持ちだして事件の核心にせまったりします。それはあたかも「事件はメグレ警視のものだから」と読者が釘をさされているかのようです。

さて、今回の舞台はパリ市内でした。他の多くの作品もそうなのでしょうか。河出文庫にはパリ市内主要道路という地図が描かれていて「メグレが住んでいるリシャールルノアール通り」とか「男が射殺されたロジェ街」という記載があります。親切ですね。この本が書かれた1947年当時とパリの街が現在どのように変わってしまったのか分かりませんが、Google Maps を使って物語の場面を訪ねてみてもいいでしょう。
食べ物も沢山出てきます。カフェを廻りながらサンドイッチをたのんだり、シュクルートをたのんだり。仕事の合間にメグレ夫人へのおみやげにミルフィーユを買いにケーキ屋に寄ったりもします。鱈料理や仔牛肉の蒸し煮なんていうのも出てきます。池波正太郎ではないですが食べ物は登場人物を描写する重要な要素ですから、書かれた食べ物から季節感や界隈の雰囲気を味わうことも楽しいでしょう。

これから少しづつですが、メグレ警視の活躍する物語を読んで行くことになります。パリの路地と食べ物とワインなど私が物語を楽しむための小道具はどれを選んでゆきましょう。お楽しみはこれからです。


次の物語は『モンマルトルのメグレ』を予定しています。そういえば昔モンマルトルで警察官に声をかけられた事がありましたっけ。

それでは、Au revoir!







テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

健康と保険

お元気ですか?

各地で渇水が起きている事がテレビで伝えられている。東京の奥多摩では人工降雨装置といのを12年ぶりに稼働させて実験をしたし、雨乞いの祈祷をする所もある。渇水にしてもゲリラ豪雨にしても極端に偏った気象というのは困ったものだ。45億年と言われる地球の年齢から考えれば近年の気象の変化は些細なことかも知れないが、40万年ほど前にホモ・サピエンスが誕生してから私達は何を目指して進化してきたのだろう。そこに意味があるなら異常気象を乗り越えて生命をつなぐ努力をする必要があるように思う。
地球の寿命そのものがあと50億年と言われているそうだし、太陽の活動や宇宙全体の変化の中で人類は何をつないで行くのだろう。環境の変化にあわせて肉体は変わるのだろうし、地球を捨てて他の星への移住なんてことも起こるのかもしれない。

少し前に健康診断を受けた。特別に何が悪いという事は無かったが血糖値が少し高めにあるので体重を落とすようにという指導を受ける。スポーツジムにも通っているし、弓道もやっているから体調には気をつけているが、なにせ車社会だから歩くことがへっていた。年齢とともに代謝能力も落ちている。以前のように筋トレのプログラムをこなし筋肉による燃焼を確保するというスタイルもとっていない。これは反省しなくては。

友達の管理栄養士さんが「アイスクリームはカロリーが高いよ。」と言う。好んで買っていたハーシーズのチョコレートコーティングしたアイスバーは一本138カロリーだった。「ガリガリくんなら良いんじゃない」と彼女が言うので比べてみるとこちらは38カロリー。1/3以下だ。アイスぐらい好きなのをたべさせてと言いたいがちりも積もればだからここは我慢をしよう。
もともと食べることが大好きだ。甘いものも好きだから「無くても大丈夫でしょう」と言われると「そう言う問題では無いよ」と声に出さないで反論する。私の従兄弟がベルギーに滞在中に食事に招かれ奥様の作ったデザートを頂いた。「食後にデザートを食べる事の意味がわかったよ」と感動した様子で話してくれた事があった。そうだろう、そうだろうと私は心の中で頷いた。
ワインも同様だ。食事と一緒にワインを飲む。お酒を飲まない人には伝えにくいが我が家にとってワインは食事をより美味しく楽しむためのものであって、酔うためのお酒という位置づけではない。自分たちで作った料理にどういうワインを合わせるのかという楽しみは冒険心をくすぐり食卓を楽しくする。そんな楽しいさなかにカロリー計算なんてしていられない。

でも、食事もデザートもワインもこれからも長く楽しむためには体を大切に維持することが基本になる。好きなものを続けるための体調管理と思えば楽しい。食事はパートナーさんが気をつけてくれて野菜中心だし脂っこいものが好きなわけでもないから改善は楽だろう。
プールで泳ぎ、アクアビクスや水中でのストレッチと筋トレを増やしエアロビクスも頑張って消費カロリーを増やすよう努力しよう。


そんな事を考えていたやさき、パートナーさんが「保険の見直しをしたいんだけど。」と真剣な顔で言う。今入っている生命保険にも医療保険がついているが、見直しをしたいというのだ。パートナーさんは乳がんの手術をした経験がある。幸い早期発見で術後の経過も良く5年を過ぎたからタイミングとしてはいい時期だろう。私としても体調に気をつけているとはいえ年齢によるリスクは避けられない。今のままの健康状態が10年20年維持できるとは限らないのだ。

そこで、ショッピングモール内にある「みんなの保険プラザ」というところに出かけた。自分たちの意向を伝えて担当者が数社ある保険会社の商品の中から適正と思われるものを説明してくれる。今回は緩和型といわれる保険の中から基本的医療保障に加えガンの保障も充実する商品を選んでいる。
その内容をここで詳しくは書けないが、なかなか良いようだ。なにより一度入れば終身で保険料が変わらない。病気になって保険金が支払われたりしたとしても保険料が変わることが無いという。私のようにあれこれ考えるのが苦手な者にとってこれは楽な話でもある。
他の保険会社の商品との違いや現在私達が入っている保険との違い、そして紹介いただいた商品で勘違いしやすい点などすこし詳しく説明を求めたが担当の人は丁寧に説明をしてくれた。最後は人の信頼が決め手になる。

健康を維持し生活を楽しむには定期的に健康診断を受けることが大切だ。癌は特にそうだが疾病の早期発見はその後の対処や生活が全く違ってくる。診断を甘く見ること無く適切な対応をしながら健康を取り戻そう。それと同じように自分たちにあった保険を選ぶことも非常に重要だ。お金は生活の選択肢を広げる。自分たちのリスクを正直な気持ちで見つめどうゆう保険が必要なのかをよく考える。アドバイザーの意見を聞き自分たちでは気が付かない点を教えてもらい、理解し納得し契約をする。
健康診断を受けたりスポーツジムで体調管理をするように、保険も生活を管理するための大切な道具。時々見直しをして自分たちの生活スタイルにあったものを選ぶことが大事だろう。

地球の寿命と同じだけとは思わないが自分の命を全うできるように生きることは命を頂いた者としての務めだろう。

テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

夏の訪問者

お元気ですか?

つい二三日前は蝉の合唱が賑やかだったというのに、今日はバッタかコウロギが夜の庭に鳴いて涼やかな気持ちにさせてくれます。暑さももうしばらくの辛抱なのでしょうか。

今朝、パートナーさんがちょっとそわそわしながら宅急便を待っています。「チャイムが鳴ったら出てね。」なんて言いながら洗濯物を干したりしていましたが、玄関から声が聞こえたら「はぁ~い」って飛んで行きました。

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実は先日利用している光ケーブルの会社から手紙が届き、私が2月に応えたアンケートが抽選で当たり好きなスイーツをいただけるというのです。すっかり忘れていて「なんだろうね」と言う私からパートナーさんはカタログを受け取るとじっくり品定めとなった次第です。
ケーキや焼き菓子など並ぶカタログにはパティシエや会社の情報もありますので、ネットも活用しながら絞っていった結果が「たまご村プリン」。秋川牧園という農場でとられた卵を使ったプリンだそうです。

ダンボール箱を開けると綺麗に並べられたプリンとシロップのセットが10個入っていました。

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お盆にのせてお披露目です。でもすぐ頂くことはありません。冷蔵庫で冷やしましょう。

夕方、ジムのプールで2時間ほど泳いだりアクアビクスを楽しんだりして夕御飯を頂いたのは9時過ぎ。食後のデザートにパートナーさんが出してくれました。
濃厚なプリンは小さいけれど食べごたえ十分です。

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「夜のデザートにはちょっと避けたほうがいいね。」とパートナーさんは嬉しそうに言います。せっかくジムで運動したのに濃厚なプリンと甘いキャラメルソースはどのくらいのカロリーになるのでしょうね。
甘いプリンに罪は無いのですが。

テーマ : スイーツ
ジャンル : グルメ

伝え継ぐもの2

お元気ですか?

毎日猛暑日のニュースが伝えられ我が家でも水分補給を欠かさないようにしています。家庭菜園でとれた小ぶりなスイカも大活躍。アイスクリームも好きですが友人の管理栄養士さんに言わせるとカロリーが高いから食べ過ぎに注意と言われてしまいました。ならばカキ氷機はどうだろうとAmazonを覗いたりしてみます。

先日、ニュースを見ていたら、「戦争に利用された富士山」という話題で横山大観が富士山の絵を描いて得たお金50万円(現在の金額にして12億円だそうです)を日本軍に献上して戦闘機4機が作られていたという話題を紹介していました。ただ横山大観が戦争を肯定していたかというとそうではなく経済力の違うアメリカとの戦いには否定的だったようです。何気なく見ていたニュースでしたのでネットに何か残っているかと検索してみたら首都圏ネットワーク戦争の記憶をたどる(3)戦争に利用された富士山というページがあります。いつまでリンクが生きているか分かりませんが、参考までに。

やはりNHKですが、「従軍作家たちの戦争」という番組がありました。日中戦争当時、芥川賞作家となった日野葦平を日本軍が従軍作家として利用した話です。作家が戦争を肯定したり勇猛な場面を描いてプロパガンダを行った事は知られた話です。私の好きな井上ひさしの先品にも林芙美子を描いた「太鼓たたいて笛ふいて」という作品がありますが、時代に踊らされていく作家らの姿は悲惨です。一方で軍に批判的であったりすれば小林多喜二のように拷問を受け獄死する者もいました。作家は身動きが取れない時代の中で何を考えていたのでしょうか。
番組では日野葦平が軍によって検閲を受け削除されたり書くことの出来なかった部分を戦後加筆訂正して決定稿を作っていた事を紹介していました。従軍作家として活躍した作家も時代の被害者であったことを明らかにしています。

クラシック音楽が好きな方ならカラヤンやフルトベングラーがナチスとの関わりを批判された事を思い出すでしょう。日本でも信時潔が作曲した「海ゆかば」が出征兵士を送る曲として使われ信時潔が強く悩んだ事は知られています。芸術家といっても様々です。積極的に時代に迎合した人もいたでしょう。人気を軍に利用された人もいたでしょうし、生きるためにしぶしぶ仕事をせざるを得なかった人もいるでしょう。何れにしても戦争のような情況の中では軍人でない一般の人、作家や音楽家、画家らも一度動き出した政府や軍の思惑の中に巻き込まれて身動きが取れなくなっていく事を注意しなければなりません。

「零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~」を見ました。やはりNHKの放送ですが、12月公開予定の映画「永遠の0」に出演している俳優染谷将太氏が案内役をしながら零戦を開発した堀越二郎、特攻を命じた中佐、搭乗兵とそれを見届ける人と零戦を軸に様々な人間の姿が描かれていました。
とてもこの番組の内容の一つ一つについて意見をここに書くことは出来ません。再放送があれば是非ご覧いただき考えてもらいたいと思います。
ネットを歩いていたらこちらのサイトにも出会いました。よろしければどうぞ。
写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ

私の伯父は昭和14年4月、第四期甲種飛行予科練習生として霞ヶ浦航空隊に入隊します。17歳のことです。その後真珠湾攻撃に参加するなど多くの戦闘に出撃し一時は広島の江田島で教官を努めるのですが、マリアナ沖海戦で戦死することとなります。私は戦史はあまり詳しく知ろうとしてきませんでした。ですからマリアナ沖海戦というのがどのような位置づけを持つものなのか良く知りません。番組ではアメリカによって零戦の性能を徹底的に調査され、弱点を突かれることとなったため、零戦が困難な戦闘を強いられるようになった事が語られます。そのマリアナ沖海戦の映像を見られた事で私は伯父の最後を見たような気になりました。番組を見ながらいつの間にか手を握りしめている私がいました。

最後に、日中戦争から太平洋戦争にかけて3度の出征のべ6年間を経験した山本武さんという方の日記が遺族の協力のもと公開されたという事がニュースで紹介されていました。善良な普通の農民が戦場に行く事でどのように変わってゆくのかを日記という一次資料で明らかにしています。決して綺麗事ではありません。家族にとっても苦しいことだったことでしょう。ですが、戦争が人に及ぼす事実を直視することによって私達は考える切っ掛けを得るのです。
福井大学の研究者によって山本武さんの「陣中日記」は大学のサイトで公開されています。
ただ、ちょっと見つけにくかったのでここにリンクを貼っておきましょう。

福井大学学術機関リポジトリというページがありますので、そこに「山本武」と入力すると見つけられます。

もし国のために戦争が必要だとか、自衛隊を軍にして国を守るなどという声が聞こえて来た時、私達はこの日記を読んだり、零戦に乗って戦った人たちや送り出した人たちの声を聞き直してみましょう。国や軍が軍人兵士ばかりでは無く一般の国民に何を強いてきたか、そして国民がその風潮を受けて自らどう変わってしまうのかを思い出し自分がその立場になった時の事を想像してみましょう。

それでも、私達は軍事力に解決を見出すと言いきるでしょうか?

テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

伝え継ぐもの

お元気ですか?

夏、毎年日本人はこの時期になると先の戦争を思い出します。テレビでは戦争をテーマにしたドキュメンタリーや討論会が放送されだします。季節ものとも思える企画ですがそれも時代とともに変化してきているといえるでしょう。以前は戦争の悲惨さを伝えるものが多かったように思いますが、最近では反省を踏まえながら今の日本の情況で何を考えなければならないのかを問う番組もあるようです。

先日たまたま2時に目が覚めたので布団から抜け出し居間でテレビをつけたら田原総一朗氏が司会をする「朝まで生テレビ!」という番組が始まるところでした。私はこの番組を見たことがありません。以前見た時に出演者が大声で怒鳴りあう様子や司会の田原氏も“黙れ”なんて大声を出していたので嫌気がさしていたのです。田原氏は私が東京にいた頃新宿の街をよく歩いて(走るようにですが)いる姿を見かけていましたが、あまり好きになるタイプでは無かったのもあります。
ところが、この日たまたま見た場面では映画「終戦のエンペラー」と「少年H」を紹介し導入としていました。同時に宮崎駿氏の「風立ちぬ」も話題にし、今日本では太平洋戦争をもう一度考えようという機運が起こっているという話でした。少し見ていると出演者である古市憲寿さんというまだ28歳という社会学者の方が世界の戦争ミュージアムを見て歩いてきた自身の体験を書いた本を取り上げ、戦中戦後に生きた日本人の多くが太平洋戦争前後の日本の情況について知識が希薄だという話をします。そして古市氏は「日本には国立の戦争博物館が無いため太平洋戦争を総括出来ていない」と言います。総括出来ないから日本の立場はあやふやで国内外に対して確固とした姿勢をとることも出来ないのです。
これは以前から私も思っていることですので、ますます引きこまれてしまいます。番組の内容をここで紹介するつもりはありませんが、私はとうとう3時間の番組を見通してしまいました。
番組の最後、出演者の舛添要一氏が日本の歴史教育は近代を教えないということを言っていました。これも私が日頃から指摘していることで、受験勉強偏重のため日本史の授業は明治維新で終わってしまいます。でも現在に生きる私達にとって、日清日露戦争が何故起こり太平洋戦争に進んでいった経緯はどうだったのかを学ぶ事は非常に重要なはずです。日本人は何処で間違い、何を見過ごしたまま近代化の仲間入りが出来ると勘違いをしたのでしょうか。

現安倍内閣では歴史教育、道徳教育などを見直し愛国心を大切にする事を標榜しています。しかし反省の無いままに見直すなどということはあり得ません。しかし、時々よその国から指摘されると「反省にたって」と言い、その同じ口から「侵略の定義は定まっていないから歴史学者に任せる」なんて無責任な言葉を発しています。こうゆう節操の無い人に私は歴史教育や道徳を口にして欲しく無いのです。恥ずかしのです。
私は国民の一人ひとりが日本がどうゆう国だったのかを学び、自分の歴史認識にもとづいて意見をもつ事が出来たなら、この国はもっと素晴らしい国になるのだろうと思っていますし願っています。それには教育が大切ですが、せめてもの願いですが、自分の考えや発言に責任をとれる覚悟のある人間に教育を考えていただきたいと深く危惧しています。

私が子供の頃、函館の街には傷痍軍人が多くいました。遊び場だっ函館山にはレンガで出来た軍の施設跡が残され少し不気味な空気を残していました。母は自宅の窓から目の前にみたアメリカの飛行機との空中戦の様子を教えてくれましたし、祖父は函館にあった捕虜収容所に出かけてアメリカ人・イギリス人・オランダ人・オーストラリア人といった敵国の捕虜が作業をするお手伝いをして帰ってきては「日本人と同じだ。可愛いもんだ。」と言っていたそうです。戦争は決して遠い話では無かったのです。
父は満州で徴兵され軍務につきますが終戦によりシベリアに抑留され4年間を生き延びます。長くその様子を語ることはありませんでしたが、父と北海道を車で旅行しているとある開拓部落に寄るように言います。そこには満州で存じあげた方の引き上げ家族が住んでいました。一枚の写真をテーブルに置き話をする父の横で戦後何十年も抱えていた責任の重さを思わずにはいられませんでした。その後父は自分の半生を一冊の本にまとめ私はその編集を手伝い父の姿を知ることになります。この本を作ることで父と私の関係は非常に強まったと私は思っています。

11日のNHKスペシャルでは「自衛隊と憲法 日米の攻防」を放送していました。アメリカで発見された資料や関係者の証言をもとにアメリカが自衛隊をどのように利用しようと考えていたのか、憲法第九条との関係、集団的自衛権の解釈など1時間の番組ながら良く出来た番組です。後方支援の理屈や非戦闘地域として派遣された先で生命の危険にさらされる自衛隊員の姿。当時日米交渉の前線に立っていた方々や海外に派遣された自衛隊指揮官の苦悩の発言には重みがあります。

映画『アバター』や『タイタニック』のジェームズ・キャメロン監督が広島・長崎への原爆投下をテーマにした作家・チャールズ・ペレグレーノ氏の「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」の映画化を企画しているという報道がなされています。原作への疑義も伝えられる中これからどうなるのか私はわかりませんが、世界的に知名度の高いジェームズ・キャメロン監督による映画化には興味を持ちます。そのキャメロン監督は先日広島でのインタビューで「日本の被爆者は素晴らしい。怒りや恨みでは無く被曝の現実を伝えている」という趣旨の発言をしていました。そのことに私は日本人としての誇りを思います。
日本にも原爆をテーマにした素晴らしい作品が数多くあります。「はだしのゲン」「夕凪の街 桜の国」「父と暮せば」・・・。ですが、戦争と原爆のテーマは被爆国だからという理由だけで日本の特権のように語ってはいけません。被曝国としての責任はあるでしょう、しかし歴史的事実を知る人はその人が何処の国の人であるのかにかかわらず原爆を語ることができます。事実を知り感じ考える事が出来たならその人には是非原爆についての自分の考えを語って欲しいものです。その世界中の人の様々な視点や考えが核兵器の問題に解決の道を見出すことでしょう。

現在も世界中で紛争・戦争が行われています。その事実を知り人間の未熟を考えることが大事です。争いに勝者はいません。国は戦勝国と言われることはありますが、傷ついた兵士、家族には苦しい現実があるばかりです。

戦後68年。平和憲法・戦争放棄をうたい日本は先進国と云われるようになってきました。しかし、掲げるものは立派でもその土台となるものはどうだったのでしょう。近代日本の歩みを総括し歴史理解と反省を世界に示したうえで日本が進むべき道を問うことをしなければ、本当の意味での信頼されうる国家とはならないのではないでしょうか。そうゆう意味からも、私は日本の戦後はまだ終わっていないと思うのです。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 日記

『仕立て屋の恋』

お元気ですか?

日中の日差しをさけ、夕方暑さに疲れた体をプールに運ぶ。のんびりと泳いだ後は歩くプールに移って筋トレやストレッチを時間をかけて行います。泳いで火照った体をクールダウンしているつもがついつい真剣にやってしまい体はなかなか冷めません。


長年心に留めておいたディック・フランシスを今年の6月で全作品読み終えた。その少し前から次は何を読もうかと私の頭の中に浮かび上がってくるものがあった。もちろん興味をもったものはその都度読むのだが、それとは別に読みたいと思いながらも手を出さなかった作家がいる。ジョルジュ・シムノン。どうしてこれまで彼を読まなかったのか確たる理由はない。きっかけを持たなかったと云えばそうなのだが、フランス語を勉強し始めた時にもジョルジュ・シムノンは近づかないようにしていた。
それがディック・フランシスを読み終わるとなるともう避けて通る訳にはいかない、ようやく機が熟したという思いが私の中に感じられてきた。思いがけず出会い深い喜びを得る本もあるが、今回のように長い時間をかけて静かに近づいてくる本もある。シムノンは後者なのだろう。

読むと決まるとサイトを巡りどうゆう作品があるのかを下調べする。ウィキペディアもあるしファンの方が書いているサイトを見ても良い。Amazonやe-Book Off を見て購入可能な本を知るのも今は簡単にできる。
ジョルジュ・シムノンと云えばメグレシリーズが良く知られている。私もメグレを楽しもうと思っているが、今回ジョルジュ・シムノン最初の一冊に私が選んだのは『仕立て屋の恋』。パトリス・ルコント監督により1989年に映画化され日本でもその心理描写などから話題になった。実はこの映画の公開によって翻訳本が出されることになったのだそうだ。原題は Les Fiancailles de M.Hire (イール氏の婚約)であって『仕立て屋の恋』は映画のタイトルを受けたものだという。 

物語はユダヤ人街を抜けパリ市内に向かうフォンテーヌブロー街道の一画、賑やかな町と畑が広がる郊外の接するあたりの街が舞台。近所付き合いも無い一人暮らしのイール氏を警察が張り込み監視している。二週間前に近くの空き地で娼婦が惨殺されイール氏が容疑者とされているのだ。
警察と尾行によって次第に明らかになるイール氏の生活と過去。そのイール氏は部屋の窓から見える向かいの女性が気になっている。

短い文を繋ぎ合わせるように綴られ坦々をしたリズムを生んでいる。石畳の歩道をこつこつと歩くように文章が雰囲気を形作っている。映画のカメラが場面を切り替えるように短い文を重ねながら視点を変えてゆく情景描写は読者に緊張を生んでいる。路面電車やバスといった乗り物も効果的である。
何故イール氏は人付き合いも無く暮らしているのか、何故警察は彼を容疑者とみているのか、イール氏が恋心を持つ若いアリスは・・・。
読んでいてこの作品は不条理劇なのかと思う。恋は不条理である。街も不条理であり、戦争も不条理である。

『仕立て屋の恋』が書かれたのは1933年。第一次世界対戦によりヨーロッパ全土が疲弊したなか、ヒットラーがドイツの首相に就任しナチス党が勢力を盛り上げてきている。そうゆう時代を踏まえて読まなければ『仕立て屋の恋』は大切な事を見過ごしてしまう。イール氏が自ら潔白を伝えようと警察に行き調書を取られるシーンは悲しい。

短い作品だから何回か読み返しながら街の風景や人々の足音を楽しむと良い本だ。私は地図を開いて街やオリンピックスタジアムを探してみよう。





テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

『屍鬼』五巻目

お元気ですか?

日本各地で猛暑日の予報。我が家でもこまめに水分を補給しながら過ごしています。


小野不由美さんの『屍鬼』五巻目を読了しました。まぁ早かったと言っていいでしょう。読み終わってみると物語の全体像はごくごく当たり前の吸血鬼ものといえます。外場村に吸血鬼である屍鬼がやってきて村人たちを襲っていきます。“起き上がり”という言い伝えをもち今も土葬の習慣をもつ外場村は次第に吸血鬼が増えていきますが村人たちは訝しく思いながらも行動を起こさないまま、村を死が覆います。

『屍鬼』五巻目はいよいよ村人と屍鬼との戦いになります。医師尾崎は自らを屍鬼に襲わせることで村の人に屍鬼の姿を知らせ人々の恐怖は怒りと復讐へと変わっていきます。一方僧侶の室井も自ら屍鬼に近づき彼らの仲間となります。五巻のポイントはここにあります。室井が屍鬼の仲間となったことで屍鬼が抱えている社会との確執、家族への反発、怒りと苦しみを知るのです。しかし私には作者が屍鬼と人間とをパラレルに置きすぎたように思え興ざめな感じがして残念です。
それは室井の父で僧侶の信明がやはり自ら屍鬼に身を投じた場面にもはっきりしています。村からの信頼と尊敬を集めていた信明ですが、自分が村の期待に合うように演じていた姿だと自分の生き方に不満を持ち屍鬼になることで生まれ変わりたいと願います。しかし実際は屍鬼になっても老いた体の不自由が直るわけでもなく信明は“こんなはずではなかった”と不満を抱え絶望します。これはあまりにもつまらない。確かに小さな社会の中で期待を背負いながら生き自分を失って生きてゆく人はいるでしょう。でも仮にも僧侶です。もう少し勉強していてもいいのではないか、僧侶にこのような愚行をさせるのは無理があるのではと思います。
作者は屍鬼の首謀者たちにも室井を聞き役として自分の過去を語らせ、屍鬼の姿を浮き彫りにします。しかし、その姿は家族を失った悲しみから仲間を求める孤独であったり、権力を持った父親の所業により社会から疎まれたことで父を恨む心であったりとおよそ屍鬼としては覚悟が出来ていない姿。
「日本の吸血鬼ものとしては良く書けていると思うけど、吸血鬼のくせに達観したところがないんだ。だらしがないんだよ。」と私はパートナーさんに言います。

解説を書いている宮部みゆきさんによると、『屍鬼』はスティーブン・キングの『呪われた町』へのオマージュとして書かれた作品だと言います。そうなのでしょう。だとしたら作者は屍鬼にあまり前世の記憶による愚痴や葛藤を語らせないほうが良かったのではないのかと思います。
もっと達観した、人間的感情を排した屍鬼だったら恐ろしさも際立つのではないでしょうか。それに対して山に囲まれた小さな外場村に暮らしその中で作られてゆく砂箱のアリの巣のような社会。その人の社会の営みの恐ろしさをもう少し感じられても良かったように思います。

あまり怖くなかったホラー小説ですが、吸血鬼好きとしてはお薦めの作品です。
久しぶりにパートナーさん紹介の本を楽しんだと言えましょう。


屍鬼〈5〉 (新潮文庫)屍鬼〈5〉 (新潮文庫)
(2002/02/28)
小野 不由美

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追記)

『屍鬼』を読みながら古い写真を思い出していた。それは糸魚川の写真で着物を着た男の人達30人ぐらいが遺体の入った樽を神輿のように担いで墓地に運ぶ写真だった。以前実家の写真を整理していて見つけたものである。
家人に話を聞くと昭和初期の頃の写真だそうで田んぼ道を山に向かって隊列を組んで歩いている。稲は刈られていたからきっと秋の頃なのであろう。土葬がまだ習慣として残っていた頃の話だ。『屍鬼』には寺の檀家で組織された弔い組というのが出てくる。葬儀社のない村では村民自ら葬儀の作業を行わなければならない。糸魚川にも弔い組があったのだろうか。
私は自分の葬儀に全く関心がない。葬儀をするかどうか、するとすればどう行うかは残された者の問題だと思う。私自身のことだけで言えば、献体できるならどうぞ使って欲しいと思うし、最後まで残った骨はさっさと焼却して欲しい。墓などはいらないし出来れば海にでも散骨してほしいと思っているが、日本ではまだ散骨に関する法的整備ができていない。死んでまで人様にご迷惑を掛けたくないから(といってもお世話にはなるのだが)早く法整備が出来る事を期待している。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

『屍鬼』四巻目

お元気ですか?

朝、大雨洪水警戒警報が出ていた当地ですが朝食を頂いている頃には警報も解除され現在は雲の下で蝉の鳴き声がこだまして蒸し暑さに拍車をかけています。

小野不由美さんの『屍鬼』四巻目を読み終わりました。外場村に蔓延する死は一方で吸血鬼である屍鬼が大胆に行動することを意味します。病院を開き、葬儀社を営み組織的に死者を仲間として引き入れます。さらには役場を乗っ取り死亡者の記録を改ざんして実態を隠す工作もしています。
医者の尾崎は屍鬼に襲われた妻恭子を人から隠し死亡した後に“起き上がり”として蘇った体を検査し屍鬼の実像を探りますが、そこで得たことを村人に知らせるのを躊躇します。僧侶の室井は尾崎が自分の妻を実験に使い起き上がらせた後に杭で殺すのを知り、殺人だと言って非難します。ここには自分の生命を守るためにはどこまでが許される行為なのかという問があります。屍鬼が命をもった生き物なのかどうか、その屍鬼に襲われるのを防ぐために屍鬼を殺すのは正当なのかどうか?屍鬼を排除しようとする尾崎は屍鬼と戦うことを忌避し無作為でいようとする室井を偽善者だと非難します。室井の無作為は自身のなかにある死と生との境界線の曖昧さによるところに起因しています。

一方屍鬼の活動が活発になるに連れて描かれる部分も多くなってきます。人を襲わなければならない姿になってしまったことに苦しむもの、屍鬼の組織の中で上手く立ち回ろうとするもの、人を襲う特権を得たと思うもの。その姿は人間として生きていた頃とそう変わるものではありません。屍鬼の頭領沙子とその下部辰巳への服従と制裁は屍鬼であり続けるためには逃れられないものです。そこに屍鬼のジレンマと限界をみます。

さて、『屍鬼』四巻目を読みながら私の中に引っかかっていたのは、屍鬼は生きていると言えるのかという事。屍鬼はもともとは人間から変異したもので、人間の血を吸うことで自分の生を維持します。私達が家畜や魚、野菜など命あるものをいただいて生きているのと同じように見えますが、実は根本のところで違っています。人間はもちろん生き物は種をつなぐ活動がなければなりませんが、屍鬼にはそれがありません。そのため私には医者尾崎の苦悩も僧侶室井の無作為もあまり重要には感じられません。
それよりも、外場村の人たちが屍鬼の存在に気づきながら認めようとしない事に関心をもちます。人は自分の想像を超える事故や事件に合うとそれを認めようとしなかったり記憶から排除しようとします。事実とする証拠を目の当たりにしても証拠のほうが間違いだとして思考を止めてしまいます。人は自分に都合の良いように物事を解釈しがちですが、そこに隙が生まれ災いが入り込む余地が生まれます。そしてそのうちに事態は進んで抜き差しならない状態になります。

屍鬼は室井の寺や尾崎の病院をもターゲットにして襲い始めました。最終五巻目に読み進みましょう。

屍鬼〈4〉 (新潮文庫)屍鬼〈4〉 (新潮文庫)
(2002/02/28)
小野 不由美

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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

TVで見る北海道

お元気ですか?

昨日、夜のNHKのニュースの冒頭は新潟長岡の花火大会の様子。三尺玉が紹介されていました。当地でもこの時期はどこかの町内会でお祭りが行われ連日のように花火があがります。子供の頃函館の港祭りで打ち上げられる花火を堪能しましたから私には打ち上げ花火を喜ぶ感覚はもうありません。感性が衰退しているのでしょうか?パートナーさんも「もうすぐ9時だから最後の花火があがるよ。」と言いながらコーヒーを入れにお台所に行ってしまいました。

今日は土曜日。朝からのんびりして過ごします。朝食を取りながら「旅サラダ」という番組を見ていたら、大和田獏さんが学生の頃の思い出の島、礼文島を旅しています。私も学生の頃に一人で礼文・利尻を旅した事がありました。懐かしさと今の礼文島の様子を知りたくてちょっと目をとめます。ネイチャーガイドと一緒に歩きながら平地に咲く高山植物の映像、海の透明度に私の記憶も蘇ってきます。私はスクーターをレンタルしてスコトン岬などを廻ったものでした。
実は先日から礼文・利尻を旅するならどうゆう方法がいいのかと考えていました。飛行機の便を調べたり、列車の時刻表を読んだりと色々な方法を探ります。行く予定が無いところでも時刻表を見ながら旅程を考えるのは私のささやかな遊びです。
礼文・利尻の旅を考える時、大切なのは島に何泊するのかということ。現実には宿の確保が重要です。これに合わせてフェリーや飛行機を選んでいきます。私の場合、当地からどうやって北海道に入るのかも大事です。ツアーではありませんから飛行機代は結構なお値段になります。全行程を車で行ったらどうなるの?汽車なら?レンタカーなら?と色々なスタイルを検討します。
番組のなかでは桃岩荘ユースホステルが紹介されていました。宿泊客が集まって歌を歌っていますが、こうゆうのは私のスタイルではありません。大和田獏さんはここで歌った歌がその後の旅でも勇気づけてくれたと懐かしそうに話しています。そうゆう人もあるでしょう。旅の思い出はいつまでも懐かしいものです。
私が泊まった民宿ではお客さん同士声を掛けあいながらお風呂を使ったのですが、このお風呂がものすごく熱く湯船に入るのが難しいくらい。それなのに“水を足して薄めないでください”って張り紙があります。私はさっさと体を洗って出たのですが、お客さんの中には不満をいう方もいました。そんな事まで思い出されます。

夜、「発見!体感! 命輝く北の湿原 釧路川紀行」という番組を見ました。俳優の永井大という人が屈斜路湖から流れ出る川をカヌーで下ったり、自転車や観光列車ノロッコ号で釧路湿原を旅しています。
この永井大という俳優さんは糸魚川出身だそうです。糸魚川出身といえばバレーボールの川合俊一さんがジオパーク大使を務めているのですが、永井大さんも身長が185㎝あるそうです。糸魚川の人は背が高いのでしょうか?
10年ほど前、私達も釧路湿原をカヌーで遊んだ事がありました。今もその時に撮った北キツネの写真が家に飾られています。釧路湿原は日本最大の湿原で北キツネやテン、エゾシカ、丹頂鶴などに出会うことが出来ます。カヌーが得意な方は自分の艇を持ち込みたいかも知れません。でも私たちのようにあちらこちらを廻る旅の場合は現地のカヌークラブのお世話になるのがお薦めです。ガイドの方も親切で動物の鳴き声や足跡を見つけて教えてくれます。

夏の日、北海道の自然を紹介する番組を見ながら心のなかに涼を見つけました。

テーマ : 最近の出来事
ジャンル : 日記

『屍鬼』三巻目

お元気ですか?

小野不由美さんの『屍鬼』も三巻目に入りました。
土葬の習慣があり死者がよみがえる「起き上がり」と云う言い伝えが残っている外場村では死者が続いています。医者の尾崎はその異常な広がりから原因を「屍鬼」であると確信し、友人の僧侶室井を連れて土葬された人の墓を掘り起こしそこに遺体が無い事を突き止めます。
子供たちの中にも真実に気付き確かめようとするものが出てきます。高校生の結城夏野は屍鬼の犠牲になった恵の墓を暴きに恵と親しかった姉弟とともに墓地にいきますが、そこで屍鬼に襲われます。

物語は一気に村の人間と屍鬼の対峙という姿に進みます。

人間の血を吸い死に至らしめた屍鬼は蘇ったものを仲間として組織を作っています。日の光にあたることは出来ず香や祈祷には弱そうです。その屍鬼は真相に近づいてきた尾崎や室井、高校生の結城らを“狩りをする者”だから見過ごせないと反撃する計画をたてます。
一方、村の老人の中には「起き上がり」に気づくものも出てきますが・・・。

『屍鬼』二巻目では次々と死者が増えたり突如不可解な失踪をする家があったりと物語のスピードが読む者にも圧迫感を与えていました。三巻目では屍鬼と気付き墓を暴こうとする大人と子供の二つの存在と気づきながらそれがどう動いてゆくのかまだわからない老人の姿が並行的に描かれています。読者は接点を持たないグループを見ながらもどかしさを感じます。
さらに、医者尾崎が屍鬼と確信する姿とそれを理解しながら受け入れることが出来ない僧侶室井の心の様子、高校生の結城夏野が友人が屍鬼になったのを知りながら自分の未来を予感している様子など、屍鬼と対峙した時の人間の心理の多様が描かれ物語に襞を作っています。

『屍鬼』の特徴の一つは意思をもった死者という点でしょう。吸血鬼・バンパイアでありゾンビでもあるのですが、これまで映画や本に登場する吸血鬼は過去の悲惨な出来事から吸血鬼になったりその記憶を抱えて転生を繰り返します。ゾンビはもっと単純で何らかの事情で死者がゾンビとして復活するのですがゾンビに目的や意思はありません。ただ人を襲うだけです。
私は吸血鬼の映画や本が好きですが、そこには吸血鬼のドラマがあり悩みがあります。カトリーヌ・ドヌーブとデビット・ボーイが演じた『ハンガー』という映画は長い転生を繰り返すうちに弱くなった血が吸血鬼を悩まします。生き続ける苦しみを重ねながら血の劣化にも焦りを持つ吸血鬼のドヌーブは悲しく美しく描かれています。
最近人気の『トワイライト』のシリーズなどは吸血鬼族と狼族の対立が描かれていますが、なぜ吸血鬼なのかなぜ狼男なのかは問われていませんしそれぞれの事情や苦悩は描かれていないように思います。その意味では超人に憧れるお子様物語というレベルなのでしょう。

さて、吸血鬼ものを見たり読んだりする時、いつも考えさせらる事が二つあります。一つは人間は食物連鎖として人間以上のものを持っていないということ。自然界では弱いものはより強いものに食べられるという運命を背負っています。しかし人間は普段生活しているなかで誰かに襲われて喰われるという事はありません。ですからせめて物語のうえだけでも吸血鬼に襲われることを感じるのは自然界の摂理を知るには良いことなのかもしれません。人間が生物の頂点だというのはもう過去の言葉かもしれませんが、吸血鬼を思うことですこしばかり謙虚になることが出来るかもしれません。
もう一つは、吸血鬼が人間の血を吸い尽くして世界が吸血鬼であふれたらどうなるのだろうということ。もちろん吸血鬼に血を吸われた人間がすべて吸血鬼に生まれ変わる訳ではありません。『屍鬼』でも墓の中で朽ちて起き上がれないものがでてきます。でも、餌となる人間の血を吸い尽くしたら・・・。私達がそうしているように海の魚の数を数えて獲り過ぎないように漁を調整したり牛や鶏のように人間を家畜のように飼育するのでしょうか?そうなると美味しい血をもったブランド人間が出来て・・・と思うとちょっとブラックな喜劇に思えて来たりもします。

『屍鬼』の吸血鬼は意思をもって行動しますが目的は何なのでしょうか?小野不由美さんは屍鬼をどのように描いて行くのでしょう。
物語は四巻目に進みます。



屍鬼〈3〉 (新潮文庫)屍鬼〈3〉 (新潮文庫)
(2002/02/28)
小野 不由美

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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

杣人のNuages

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