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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『家の中の見知らぬ者たち』

お元気ですか?

桜の開花情報が南からあがって来たかと思いきや、当地を飛び越して東京靖国神社の開花宣言を報道しています。去年は河津桜を楽しみながら下田の吉田松陰をめぐる旅を楽しみましたが、今年はいかがいたしましょうか。

ジョルジュ・シムノンの『家の中の見知らぬ者たち』を読みました。読売新聞社刊、長島良三氏訳によるものです。

こんなお話です。
弁護士のエクトール・ルールサは18年前に妻に逃げられてからはブルゴーニュワインを日に4本も飲みながら部屋にこもって本を読むだけの生活を送っている。娘のニコルと家政婦のジョセフィーヌもエクトールとは会話も交わさない程に没交渉。そんなある日、普段使わていない部屋で見知らぬ男が射殺されているのを発見する。容疑者として捕まったのは娘の恋人のマニュであったが、本人は強く否定する。知らぬ間に自分の家が若者たちのたまり場になっていた事に気づき、ニコルを含め若者たちの様子に触れたエクトールは、貧しい家に生まれたマニュのために弁護活動を始める。

主人公は探偵ではありませんが、自宅で起きた殺人事件に引きずられるようにして事件の捜査を始めます。妻の駆け落ちにより世間から身を隠すように家に閉じこもって生活して来たエクトールですが、街を歩き回り若者の様子を知るうちに様々な思いが巡ってきて、自分自身への問いかけとともに行動に力が帯びてきます。
呑んだくれだった弁護士が途中からかっこ良く見えます。そして彼の心を揺さぶるものがマニュの弁護を引き受けるに至らせるのですが。

よく出来た話だと思いますし、ハードボイルドだと言っても良いでしょう。名士と呼ばれる人たちと貧しく犯罪者すれすれの人たちといった階層の見せ方はジョルジュ・シムノンお得意の処でしょう。そのどれとも距離を持ちながら、ちょっと皮肉や愛情を添えるシムノンです。

訳者長島良三氏によるあとがきがとてもよく、ちょっと考えさせられる内容となっています。
ところでこの本、Amazonでは中古本しかありませんが、絶版になっているのでしょうか?だとしたら勿体無い話ですが・・・。

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テーマ : 読書感想
ジャンル : 小説・文学

スピーカー候補

お元気ですか?

三連休最後の日曜日、最近時々おじゃましている当地のオーディオ専門店、椿オーディオさんに出かけてきました。ブログで「ヨシノトレーディング流し込み試聴会♪」というのを行うと知ったからです。ヨシノトレーディングさんは今私が候補にしているアナログプレーヤー、ノッティンガムを扱っている会社です。椿オーディオさんで紹介していただいて、その独特の設計思想がすごく気に入ったので候補になったのですが、パートナーさんの了解を得るためには現物を聴いてみなければいけません。

お店に着いてすぐ店員さんに「流し込みってなんですか?」って伺うと、「お客さんの方からメーカーの方にどんどん質問してもらう事ですよ」と言います。なるほど、これまでの試聴会はメーカーの方が機器の特徴や開発事情の話をしてくださいます。質問などはその話が終わった後でした。ならば今日はどんどん教えてもらいましょう。
会場にはドイツのクリアオーディオ社のイノヴェーションというプレーヤーが置いてあります。このアナログプレーヤーは普通見慣れた支点を持ったトーンアームではなく、レコードのセンターに向けて針が直線でスライドしていくシステム。レコードの溝に対して扇型に移動することによってどうしても発生する歪が全く出ないシステムです。遥か昔のオーディオブームの時に日本でも同様のシステムのアナログプレーヤーがあったのですが、最近では珍しいですね。
でも、申し訳ないのですが、私の目的はノッティンガムのプレーヤーなので、店員さんに言うとセッティングしてくれました。(本当に有難うございます。)

ヨシノトレーディングさんは全て自社取り扱いの機器で組んでいてプレーヤーやアンプなど色々と見てもらいたいでしょう。その中でパートナーさんが興味を持ったのが、イタリアDiapason社のスピーカー、アステラです。天然の無垢材を使ったスピーカーはスピーカーから音が聞こえてくるというよりも空間全体で鳴っている感じ。レコードを何枚か聴かせてもらいましたがとても自然な感じです。営業の方はエージングに時間がかかりますが、自分の好みのスピーカーに育ててくださいというような事を言います。ちょっと我が家向きのトークですね。
しばらく椅子に座って聴いていたパートナーさんも側に行ったりして質問をしていますし、私の方を見て「貴方どう思う?」なんて訊いてきます。しかしその顔は気に入った目をして今までのとろではOKのようです。
営業の方も「女性が気にいってくれるケースが多いんですよ。」なんて手がかりを感じたようです。

その間に私は、店員さんにオーディオ選びをしていて私の理解の足りない処を訊ねています。オーディオボードの話やA級アンプの話などですが・・・。

私達が色々と聴かせてもらっているうちにお客さんが増えてきました。他の方も色々と見たいでしょうから、そろそろ私たちはお仕舞いにしましょう。
ヨシノトレーディングの方からパンフレットをいただきお店を出ました。

さぁ、いよいよオーディオ選びも煮詰まってきました。私達は決してオーディオマニアではありませんが、自分の好きな音楽を好きな音で聴くためにはこうして時間をかけながら探さなければなりません。そしていよいよその音楽を聴くことの出来る家も決めなければなりません。さぁ、もうひと踏ん張りですね。

今回お世話になったヨシノトレーディングさん。実は当地からも近い所に会社があります。いよいよ決める段になったら今度は自分達のレコードを持って伺い、再度聴かせてもらえないかな?なんて帰りの車の中で話をしていたパートナーさんと私です。

オーディオにご興味のある方は是非ヨシノトレーディングさんのHPをごらんください。


テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪
ジャンル : 日記

春パスタとシフォンケーキ

お元気ですか?

当地、今日は風が強く日差しはあるのですが気温があがりません。コートを着ても少し寒いくらいなのですが、街までお出かけしてきました。

図書館で目にとまったパンフレットに宮沢賢治をテーマにお芝居や朗読会が行われるとあります。市民の方たちがどんな活動をしているのかを知る良い機会です。

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会場には主催者さんが用意したメンバー手作りの絵本や活動の様子を知らせる写真が展示されています。並べられた椅子には親子や年配の方ですからお祖父様お祖母様でしょうか、行儀よく座っています。
主催者の挨拶のあと、「どんぐりと山猫」のお芝居が始まりました。

活動が真面目なもので皆さん一生懸命なのはよく分かります。ただ、どれも人に見せるレベルにはなっていません。台詞を忘れてしまってというのは良いのです。動きが素人で体の隅々まで神経が行き届いていないというのも仕方ありません素人ですから。でも見せるものだという意識が足りないため、芝居全体がふやけています。誰か監督さんがついて作品として仕上げる目を入れた方が良かったようです。

紙芝居もそうです。普段から活動しているのでしょうが、声が届きません。朗読ではマイクを用意したのですから紙芝居でも使えばいいのに・・・。

小学校2年生の女の子が発表した「賢治童話の中のオノマトペ」という研究発表は面白かったです。確かに賢治の作品の中には沢山の擬音語や擬態語などが登場しリズムを生んでいますし森や農村の空気を感じさせたりします。オノマトペとして確り意識して調べるというのは素敵な読書経験をしたなと好感が持てます。でも、もうちょっと発表の仕方を指導者の方が工夫してくださったなら立派なものになったでしょう。

第一部が終わったところで退席させていただきました。

宮沢賢治を楽しんだ後は、パートナーさんの案内でケーキ屋さんとスーパーに行きます。職場で教えてもらったシフォンケーキの美味しいお店。最近はやりのラスクも人気だそうです。

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お店はお休みでしたけど、向かいのマンションの1階にあるスーパーにも少し置いてあるというのでそこを覗きます。駅に近いマンションですので当地としてはちょっと高級な方なのでしょう。スーパーに並んでいる食材もお高めです。でも、高級食材を扱うスーパーには慣れている私達の目からするとちょっと物足りない感じ。お野菜も魚も新鮮で美味しそうですが食材一つ一つに訴える力が足りない感じ。棚の日配品も綺麗には並んでいるのですが、差別化が見られません。
惜しいですね。

スーパーの後は駅ビルの食品売場を覗いてお互いに好きな食材の様子を見て歩き帰宅。久しぶりのお散歩に満足しました。

夕御飯は、筍とインゲン豆のパスタ。本当は筍と菜の花のパスタにしたかったのですが、菜の花がお高かったので変更。我が家は倹約家の小市民です。

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サイドメニューは片口鰯の陶板焼。これもお値下げ品でお安いのですが、立派なご馳走に変身させます。

市民の文化活動を覗いたり、地域のケーキ屋さんやスーパー、駅ビルやデパートの食材売り場と人の生活と直結したところを廻って気晴らしをした一日でした。




テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪
ジャンル : 日記

『新しい人生』

お元気ですか?

最近はパートナーさんが勤務先から持ち帰る情報を楽しみにしています。昨日も小学校と中学校の卒業式の日程の決まり方についての話題が出たようで、兄弟姉妹で小学校・中学校を卒業する場合を想定して日をずらしているんだとか、市議会議員が挨拶をすることを考慮しているんだとか、およそ私達には分からない事情が当たり前のようにあるようです。

ジョルジュ・シムノンの『新しい人生』を読みました。集英社のシムノン選集の一冊です。中学生の頃からいつかは読もうと思っていたシムノンのメグレシリーズですが、長い年を経てようやくメグレを読むようになると同時にシムノンの推理小説以外の作品にも強く惹かれています。シムノン自身、メグレシリーズを「他の作品との位置づけではほとんど遊びに等しい」と語っていたとも伝えられ少しばかりリラックスした感じで書いていたのかもしれませんし、それに比べて文学作品を書きたいという希望を持っていたことから考えるとより挑戦的に取り組んでいたようにも感じられます。
それほどに『新し人生』は素晴らしい小説です。

『新しい人生』はこんなお話です。
レストラン経営と食品販売で成功したマラ-ル家の会社に勤めるデュドンは経理を担当しているが、マラール氏がポケットマネーを請求するのに乗じて自分用にもちょろまかしながら何時かは露見するのではないかと思っている小心者の男。
ある日、デュドンは娼館からの帰りに市議会議員でワイン商であるジベの車に轢かれ重傷を負ってしまう。浮気相手を車に乗せていたジベはデュドンに専属の看護婦アンヌ・マリーをつけて厚い介護をし退院すると自分の会社に雇い入れもする。
デュドンはジベの会社でも仕事の手腕を発揮するのだが、それは彼が小市民であるがゆえにワインを販売させている小売店の小さな悪事に鼻が利くからだった。アンヌ・マリーと結婚し新しい生活を始めるディドンであったが、交通事故の静養に行ったロワール河沿いサンセールのホテルでマリーと言い争いをする。静養からパリに戻ったディドンは再び娼館に通うようになり、マリーもかつて関係のあった医者と逢うようになりながら、二人の生活は続いていく。

どこにでも居そうな男の姿を通して描かれたとても深い話です。それは、この話のテーマが告解だからなのです。
デュドンは何時も心の中に告解を描いていて、それは子供の頃の母親の影響もあるのですが、その告解があることにより罪を犯す事が必要な事、少なくとも当たり前の事にすらなっているのです。会社の金をちょろまかすのも金が欲しいからという理由ではなく告解するべき悪事を自分が犯していることが必要だからです。
デュドンは自分の罪を知っているように、他人の罪もよく分かります。ワインの小売店が契約に違反して小金を得ていることも、ジベが浮気をしていることも、アンヌ・マリーの親兄弟の俗っぽい見栄にも少しも嫌悪することなく、さもありなんと受け入れます。でもそれは慈悲でも理解でもなく、不感症的な受け入れと言っていいでしょう。
シムノンへの賛辞を送るアンドレ・ジイドはシムノンの『片道切符』という作品について「『異邦人』との酷似が云々されていますが、あなたのほうがもっと遠くまで言っているのではないでしょうか?いつのまにか、とでも言ったらいいかと思いますが、芸術の絶頂にまで達しています」と言っているそうですが、ではシムノンがカミユほどに不条理をテーマにしているのかと言うと私にはそうとは思えません。ある意味では不条理もそのままにさもありなんと受け入れているというほうがふさわしいように思うのです。
同じような意味で、訳者の栗津則雄氏が「この題名「新しい人生」(Un Vie comme neuve)は文字どおり訳せば「新しきがごとき人生」とも言うべきものであって、題名が示すように、ここに物語られているのは、まずしい会計係と看護婦とを束の間おそった「新しい生活」の幻と、その消滅の悲劇だろう。」と言っているのは半分あたっているかもしれませんが、本質で違うと言えるでしょう。
デュドンにとって人生は罪とともに生きる悲劇の中にあります。それは会社が変わろうと魅力的な看護婦と結婚しようと変わるものではありません。ですから新しい生活のように見えても本質では何も変わっていないのですから消滅というのはありえないのです。新しい生活への変化が幻と消えた事が悲劇なのではなく、罪と共存する生活が続く事が悲劇なのです。

ではその変わらない本質とは何かというとそれは告解に他なりません。つまりキリストの存在が人間の罪を規定しているのです。さらには、キリスト教徒であるかなしかにかかわらず、私達は自分の中に変えたいもの逃れたいものを持っていることに気づきます。そして多くの場合生涯を通じてそれと向き合わなければなりませんし、それは深い悲しみと痛みを私達自身に与え続けます。それを罪と言うかどうかは別としてですが。

ジョルジュ・シムノンはメグレシリーズでも人間の罪と哀しみを見事に描いています。探偵小説と文学作品との垣根を私は意識しませんしジャンル分けをもって作品の優劣を言うのは勿体無い話だと思っています。しかしながら、この『新しい人生』に描かれたテーマ、表現方法は主題をいっそう明確に示した点において非常に素直で素晴らしい作品であると言えるでしょう。私はこうゆう人間の本質を考えさせる本に巡り会えた事を喜びたいと思うのですが、哀しい現実の再確認に時々深い溜息もつきたくなるのです。

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ジャンル : 小説・文学

『男の首 黄色い犬』

お元気ですか?

今日は午後から雨の様子です。

ジョルジュ・シムノンの『男の首 黄色い犬』創元推理文庫をよみました。利用している BOOK OFF ではシムノンの作品を見つけることがなかなか出来ないでいたのですが、思いついて図書館の検索をしてみると結構有ることが分かり、それならばと図書館利用を優先することにしまいた。その第一冊目が今回の『男の首 黄色い犬』です。

手元に届いた本を見ると古い本で、奥付は1969年5月16日初版となっています。この本は2作品の合本版で『男の首』は1959年9月11日初版、『黄色い犬』も同じ1959年9月11日初版と奥付に記載されているのですが、これが文庫本なのかどうかは分かりません。でもこうゆう古い本も読めるのが図書館のいいところなのでしょう。

お話はというと
『男の首』は、死刑が決まった男をメグレの指示で脱獄させ、その動きを探る。
『黄色い犬』は、ブルターニュ半島の漁村コンカルノーで殺人が起こりメグレが捜査にあたるが、事件は続き村人の不安がつのる。
どちらも、トリックや謎解きというよりも人間描写、心理描写に優れたシムノンの特徴が良く出た作品です。

ジョルジュ・シムノンは1903年にベルギーで生まれています。今回の『男の首』と『黄色い犬』はどちらも1931年発表の作品ということですから、28歳で書かれていてまだ若い初期の作品かなと思いますが、しかしシムノンは17歳の頃から作品を発表し20歳で結婚した後パリに移りペンネームを使い分けながら30歳頃までには200冊もの小説を書いたと言いますから10年以上の経験と勢いのあった頃の作品とも言えるのです。
確かに読んでいてメグレの姿は後に書かれるものと比べてみてもぶれがありません。そうゆうことを改めて知ると、シムノンの作品を読む楽しみがいっそう深くなるようです。

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男の首 黄色い犬 (創元推理文庫 139-1)男の首 黄色い犬 (創元推理文庫 139-1)
(1981)
ジョルジュ・シムノン

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ヒルクライマー

お元気ですか?

春らしい陽射しがベランダに届いています。スポーツジムへ通う川辺りの桜が少しづつ膨らんできました。

週末、パートナーさんにお付き合いして買い物に出かけます。食材を買ったり洋服を買ったりとあちらこちらと忙しく動きます。実はパートナーさんはこの3月から外に働きに出ています。東京時代の長く勤めていた会社を辞めた後、当地に越してきてからも勤め仕事をしていなかったのですが、生活スタイルをちょっと変えてみようと春からの新しいチャレンジです。
それでもいきなりフルタイムでの仕事は大変だろうとアルバイトのお仕事なのですが、時期が良かったのか履歴書と職務経歴書をもって面接に行くと即採用。仕事の性質からいって猫の手も借りたいという職場です。

久しぶりの職場に毎日が楽しいパートナーさん。仕事の内容は守秘義務があり私にも話しませんが、普段は口数の少ないパートナーさんが「今日の面白い事はね。」と出来事のあれやこれやを報告してくれます。
職員の方に「アルバイトさんはこちらで・・・」と言われて、「私学生時代も含めてアルバイトって始めて!」なんてアルバイトって呼ばれたことに喜んでみたり、「職員がお菓子の差し入れをして気を遣ってくれるんだよ。」とか「女性の課長さんがいるんだけど〇〇君って部下を呼ぶんだよ。」なんて一つ一つに感動してきます。
他のアルバイトの方たちとお昼を一緒に食べるとファーマーズマーケットで苺が4パック200円で売られている話を仕入れてきたり、近くのケーキ屋さんの情報を聞いてきたりと賑やかです。

そんな話を聞きながら、色々な人と話が出来て刺激が増えて良かったと喜んでいる私。

パートナーさんのアルバイトは3月いっぱいで終了しますが4月からは別な職場が決まっています。当初の計画通り3月は勤めに出ることに体を慣らし、4月からはもう少し責任のある仕事で継続して働ける職場です。採用が決まると東京の前の職場から在職証明書を取り寄せたり、高校と大学の卒業証書を探しだしてコピーをとったりと始めての事ばかり。健康診断書も用意しなければなりません。
書類が整って人事課に提出しに行くと、服装は私服ですと言われどうしようとちょっと気をもみます。靴は沢山持っていますが、あまり音の立たない靴のほうが良いかしらと考えたりもしますし、スーツやパンツはどうしようと考えます。以前から気になっていたパンツを買ってみようと出かけもします。

そして極めつけがヘルメット!

実は4月からの職場は家からも近く距離はありますが歩いても行けるくらいです。しかし近すぎて交通費が出ません。そこで考えたのが自転車通勤です。高校時代は自転車通学していたパートナーさんですし、東京時代にはよく車に自転車を積んで旅行に行った先でサイクリングを楽しんでいましたから自転車には親しみがあります。
「ねぇ、ヘルメットとライトを買ってもいい?お弁当入れるカバンは貴方のを借りて、自転車保険も入らなくっちゃ・・・」と楽しそう。
当地は自転車の盛んなところです。本格的な自転車やさんも沢山ありますので、一緒に廻りながらヘルメット選びを始めました。通勤に使うヘルメットですからそれほど高価なものでなくても良いと判断したパートナーさん。スーパーの自転車売場から中古自転車のお店、本格的スポーツバイクを扱う専門店と色々廻り被ってはお値段を確かめます。

そして決まったのがこちら。

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自分用のヘルメットに嬉しそうです。新しく買い替えたLEDライトも十分な明るさの物が廻ったお店の中で一番安くありました。「いい買い物が出来たね。」とご満悦のパートナーさん。

「ねぇ、貴方のサングラスも貸してね。」とすっかり気持ちは自転車ライダー。
職場へは短いですが少しきつ目の坂道があります。今までは車の中から登校する高校生が買い物自転車に立ち乗りするのを眺めていましたが、今度はパートナーさんもヒルクライマーです。
私もロードバイクにまたがって休みの日にパートナーさんと一緒に通勤路を走って、ギアチェンジのポイントを確認してみようかしらと思っています。

通勤ヒルクライマーのパートナーさんを応援しなくっちゃ。




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『宵待草夜情』

お元気ですか?

今日は当地朝からの雨。それでも空気の中に春らしいぬくもりを感じる事ができます。

連城三紀彦氏の『宵待草夜情』を読みました。『戻り川心中』『夕萩心中』と続き収録されている『能師の妻』をもって「花葬」シリーズを読みたいということでしたが、さすがにこの三冊を続けて読むとすこしばかり作品の空気に押された感があって息が詰まる感じがします。それほどに作品が濃いと言って良いでしょう。

『宵待草夜情』は、『能師の妻』『野辺の露』『宵待草夜情』『花虐の賦』『未完の盛装』の五作品を収録。それぞれに第一話、第二話と順が振られ主人公の女性の名が置かれています。オムニバス映画のタイトルのイメージのようです、作者は強い思いを込めているのかもしれません。
『能師の妻』は能楽家に生まれた女性が別の家元に入り先妻の子に能を教えながらその子との情を交わしてゆく話。サドマゾ的関係が能という舞台、芸の鍛錬という形で美しく昇華していく描写は文学の力と言える作品です。
『野辺の露』は裏切った夫への復讐の話。
『宵待草夜情』は罪を犯し逃げるようにして生きている男が女給との出会いから死と生とを彷徨う話。血の赤を映像的に美しく描いています。
『花虐の賦』は女優の自殺に隠された夫への愛を描いた話。
『未完の盛装』は戦後の混乱の中夫の死を利用しながら生きてゆく女の姿。浅ましいながらも猥雑な世界で必死に生きる様子に時代が写されています。


どの作品も主人公の女、語り部の男の心象を見事に描いて素晴らしい。男女の心の有り様や揺れる様子を此処を描くのか、こう描くのかと読んでいて飽きないし、表に見える事件と明かされる裏の事件の対比が手際よいのですが、テクニックを見せないところが作者の腕の見せどころなのでしょう。よく考え練られていると思う。
作品としては『能師の妻』が好きですが、『野辺の露』も素直な展開で良かった。こうゆう話はあまりこねくり回すと品が無くなります。

それにしても読みながら男女の情愛の複雑な諸相について考えさせられます。とてもとても私なのど言える話ではない。


宵待草夜情―連城三紀彦傑作推理コレクション (ハルキ文庫)宵待草夜情―連城三紀彦傑作推理コレクション (ハルキ文庫)
(1998/07)
連城 三紀彦

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テーマ : 読書感想
ジャンル : 小説・文学

『プーと私』

お元気ですか?

今日も寒い風が吹いています。当地の遥か北に連なる赤石山脈が白い景色を見せ、私は少し郷愁のようなものを感じながら車を走らせます。久しぶりに道場に向かうバイパスからは風に吹かれた海に太陽の光が銀色の輝きを見せています。家からもっと近い所に道場はいくつもあるのですが、この海の景色、みはるかす山の景色が嬉しくて私は今の道場を選んだ事を思い出していました。


石井桃子氏の『プーと私』という本を読みました。素晴らしい本です。読んでいて懐かしくホッとする自分を感じます。こうゆう楽しみをまだ私は忘れないでいたんだと心が喜んでいるのが分かります。
『プーと私』は先日近くの図書館に行った際、受付カウンターの近くに置かれた新着本の棚にありました。何冊かの本を返した帰り、ふと足を留め見つけたのですが、まだ家に読む本があったこともあってその時は借りずに帰って来たのです。ところが、やはりどうも気になってしかたありません。次回行った時にはあの棚にあるだろうか、書架にしまわれてしまったなら見つけることが出来るだろうか、誰かに借りられてしまうのではないだろうか。そんな思いが頭の中でぐるぐるしとても居心地が悪いのです。
それならと図書館のサイトを開き、検索をして見つけ、予約を入れてみました。この図書館の検索・予約システムは少々使い勝手が悪く(設計的な不備が目立つのです)図書館でそのことを伝えるのですが、受付の女性達には全く話が通じません。挙句のはてには「中央図書館には詳しい人がいますから」とまるで厄介払いのような対応をされ、私は少々むっとしていて、それをパートナーさんに言うと、“困った頑固親父・・・”といった苦笑いをされる始末です。
そんな使い勝手の悪い図書システムでとにかく本を見つけ予約を入れたので、翌々日には貸出が可能となり早速借り受けて来たのです。

この本は石井桃子さんという児童文学の作家であり翻訳家である女性が、『図書』や『文藝春秋』『学燈』などに書いてきた文章をまとめたものです。内容は大きく二部構成になっていて、一つは石井桃子さんが『くまのプーさん』を翻訳するようになった経緯や作者であるミルンのお話。また『ピーターラビット』の翻訳や作家ビアトリクス・ポターの事など石井桃子さんが翻訳したり紹介してきた児童書とその作家に関するお話です。
もう一つは、ロックフェラー財団により一年間の遊学をしたアメリカでのお話で、児童書の普及に努めてきた女性たちとの出会いや児童向け図書館の活動の様子を見て歩いた話が書かれています。
発表当時それぞれの雑誌などに紹介された短い文章も、このように一つの本にまとめて紹介されると、それはかなり確りした力となって改めて読者に届き、深く考えさせられる本として蘇ってくるのです。

誰もが子供の頃一冊や二冊お気に入りの本を持っていたことでしょう。私の場合は従兄弟の家のおもちゃ箱にあった『龍の子太郎』の絵本だったのをはっきりと覚えています。『プーと私』に紹介されている海外の児童書を子供の頃に読むことは無く中学生、高校生になってから児童文学という括りのなかで読んでいました。大抵は岩波少年文庫で読み、何冊かは英語でも読んでみるのですが『メリー・ポピンズ』を読んだ時には英語独特のリズムや英国特有のちょっとすました表現などが感じ取られ衝撃を覚えた事を今でも記憶しています。
そんな高校生のある時、英語の読解の試験問題だったのですが、ある男性がテーブルでセロリを食べる話に出会います。セロリは私の好物ですし食物の話ですからテスト問題だということを忘れてその文章を楽しく読んでいました。最後まで読むとA・A・Milne とあります。おや、ミルンってプーさんの作家じゃない。そう思った私は益々楽しくなり、どうしてもそのミルンの書いた本を読みたくなっていったのです。

西洋には自伝文学と言えるジャンルがあります。多くの作家や学者や世間に知られた仕事をしてきた人たちが仕事を引退した後やそれを控えたころになると自伝を書きます。アメリカの大統領が引退すると皆きまって回顧録を書くのはそうゆう歴史に基づいた遺伝子のなせる技なのですが、どのようなジャンルで活躍した人であれ、どうしてこの人がこのような事を思いついたのか、どうしてこんなことをするようになったのかと私達の興味を引くことは深大です。なにせ作家が想像して作り上げたお話や登場人物ではなく、実際に私達と同じ生きた人物です。これにまさるドラマは無いでしょう。

私は、そのミルンの自伝を1979年の3月に書泉グランデで見つけました。何故分かるかというと、奥付に万年筆で日付が書かれ書泉グランデのカバーがかけられているからなのですが、この本を見つけた時の風景を私は今でも覚えています。柱を囲むように作られた本棚の少し高い見上げるような棚にあったその本を私は背伸びをしてようやく届く手を伸ばして取り出し、表紙や奥付を確認してパラパラ数頁を眺めます。この本は原昌・梅沢時子お二人によって翻訳され研究社から1975年に出版されたものでした。そして「A・A・ミルンのヒューモアについて-あとがきにかえて-」という訳者による文章があって、なんとそのなかに、テストで読んだセロリの話が引用されているのです。それによると『秋にひと言』というエッセイの一節なのだそうで、私はそのエッセイをまだ読めていないのですが、少なくとも高校時代のテストの思い出と一緒にミルンの自伝は私の大切な本の一冊になっているのです。

『プーと私』を読むと、石井桃子さんもミルンの自伝を翻訳されたと書かれています。アメリカ人の詩人や英国人の手伝いを借りながら読み解く作業はとても素敵なもののようで、あぁこうゆう本の読み方は本当に楽しいだろうなと思わせます。石井さんが読んで訳したというミルンの自伝は岩波書店から出版されていて『ミルン自伝 今からでは遅すぎる』IT'S TOO LATE NOW となっています。ところが私が読んだ研究社版は『ぼくたちは幸福だった ミルン自伝』となっていて原題は単に AUTBIOGRAPHY となっているだけです。もう一冊の自伝があったのでしょうか?とても気になります。実は『プーと私』を読んでいる時から気になって、読み終わるとすぐ納戸にしまっていた『自伝』を引っ張りだしてみたくらいなのです。

確かに翻訳本を出す時に『自伝』とだけタイトルにあるのでは少し不親切に過ぎますから、訳者や編集者が話し合って“ぼくたちは幸福だった”と付けたのは理解できます。でも石井桃子さんの岩波版は IT'S TOO LATE NOW と英語のタイトルまでついています。底本が違っていて石井桃子さんが使われた方には IT'S TOO LATE NOW とあったのかもしれません。でも自伝の副題としては興味をそそる副題です。
石井桃子さんの訳した本に『くまのプーさんと魔法の森』というA・A・ミルンの息子さんが書いた本があります。著者はクリストファー・ミルン。くまのプーさんの手を引いて歩くあのおかっぱ頭の男の子、世界でもっとも有名になった男の子が書いた自伝です。この本の最後に「著者(C・ミルンの事)がしばしば引用している、A・A・ミルンの自伝『今ではおそすぎる』は、原昌、梅沢時子両氏の訳で、『ぼくたちは幸福だった』(研究社)となって、出版されていることをつけ加えておきます。」と書かれています。『くまのプーさんと魔法の森』本は1977年出版ですから、研究社版が出た2年後の文です。
石井桃子さんがミルンの自伝に興味を惹かれて読んだのは1960年代に「くまのプーさん」の合本が改定され、岩波でもそれを機に出し直そうとしたからだそうです。『プーと私』に収録されている『A・A・ミルンの自伝を読む』という文章は『石井桃子集7』1999年岩波書店に納められているのですが、『自伝』の読み込みが実際のところいつまでやられていたのか、出版に至る経緯はどうだったのかは分かりません。Amazonを見ると石井桃子訳の『ミルン自伝 今からでは遅すぎる』は2003年に出版されているようです。随分と時間がたっていますから様々な事情があったのかもしれません。
ですが、今私は静かにこの石井桃子版を手に入れ、読んで見たいと思っています。それは私のノスタルジックな思いからなのではなく、少しばかりミルンや石井桃子さんへのお礼の気持ちと言ったほうがより正確なような気がしているのです。

プーと私プーと私
(2014/01/21)
石井 桃子

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C・ミルンの自伝『クマのプーさんと魔法の森』The Enchanted Places ははからずも世界でもっとも有名になってしまった男の子が、作家で父親であったA・A・ミルンとの事を書いた本なのですが、C・ミルンにはもう一冊『クリストファー・ロビンの本屋』という素晴らしい本があります。小田島芳子さんの訳による晶文社から出されているこの本はあの可愛い男の子が戦争を経て大人になりどんな生き方を選んだかが書かれている深い感動の自伝です。クマのプーさんのお話は素晴らしい児童書です。でも、もしプーさんを読む子どもたちが少し大人になった時に、クリストファーの書いた二冊を読むとしたら全く違った世界を知ることになるでしょう。


クリストファー・ロビンの本屋クリストファー・ロビンの本屋
(1983/12)
クリストファー・ミルン

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靴磨き

お元気ですか?

当地、また寒い風が吹いています。早咲きの河津桜の話題がニュースで紹介されているというのに、北海道では積雪の話題。暖かい春は何時来るのでしょう。今日は啓蟄です。

お出かけする用があったので革靴を履きました。普段はカジュアルな靴で済ませていますが、好きな革靴を箱から選び出し行き先や洋服に合わせて使い分けるのが好きです。好きな靴を履いて出かけると腰から背中へかけてピンと背筋が伸びいつもよりちょっとお澄ましした感じです。

私の革靴との付き合いは小学生の頃からです。何年生かは忘れてしまいましたが、小学生の頃から黒い紐靴を履いていました。今思うと母の作ったブレザーの上下と白いワイシャツ、ネクタイはしていませんでしたがそれに革靴です。私にはそれが普通の格好だったのですが、ちょっとおぼっちゃまみたいでしょうか?

革靴を履くことで私が身につけたのはきちんと歩くことと靴磨きの楽しさでした。玄関の靴箱の中には父の革靴が何足も並んでいます。父の靴はどれも綺麗でシワが寄っていませんし踵も全然すり減っていません。まるで体重がかかっていないかのように綺麗な形で揃えられています。父もそれは少し自慢らしくはっきりとは言いませんがそんな自分の靴が好きなようでした。私の靴はどうしても踵の外側がすり減ります。なんとかして父のようにすり減らない歩き方を身につけようと考えたものでした。
靴磨きは小学生の頃から私の仕事です。一度だけ父から手ほどきを受けた記憶がありますが、それは本当に一度だけ。休みの日、玄関先に靴を並べ一足づつ靴磨きをするのです。埃や乾いた土を落とし、靴墨を布にとって薄く伸ばしながら靴に塗りこみます。細かなところは歯ブラシを使ったりしますが、肝心なのは靴墨を長く付け過ぎない事。別な布を使って鏡のように光るまで磨きます。この磨き上げる作業が私には楽しく、母の洋裁で余った布をもらってはどの布が磨くのに都合がいいのか比べてみたりもしました。私はネルの生地が好きでしたが果たしでどうでしょう。布で磨き上げるのとブラッシングを交互にやりながら、思うように仕上がった時の満足感は休みの日を充実したものにしたようです。


私が社会人になった頃、東京の街にはまだ靴磨きの人がいました。上野駅には数人の靴磨きが並ぶコーナーがあって見上げるように高い椅子にお客さんが座り、靴磨きのおじさんが台に乗せた靴を力強く磨き、時々踵の方へ手を回したりしていました。東北へ向かう列車のホームに入る手前、帰省する前に故郷に綺麗な靴で帰りたいという思いを客は靴磨きで叶えたのでしょうか。
上野駅ほどではありませんが、新橋駅にも靴磨きのスタンドはありましたし、虎ノ門の交差点から新橋に向かう歩道にもたしか靴磨きのおじさんが店を出していました。パイプ椅子にお客さんを座らせて台に乗せた靴を屈みこむようにして磨いていました。入社してまだ日も浅い若造の私は仕立てたスーツとお気に入りの革靴を履いて虎ノ門を歩きながら“あぁこうゆうふうに仕事をしている人もいるんだ”と心に留めたものでした。一回の靴磨きで幾らなんだろう、一日幾らぐらい稼げるのだろうと磨いてもらいながら訊いてみたいな、と思いながら結局私が靴磨きの椅子に座ることはありませんでした。それは、あの椅子に座るにはよほどこちらが人生経験を積んでそれなりの者になっていないと申し訳ないような気がしたからであり、毎日毎日色んな人の靴を磨いている目には私の足なんか見透かされてしまうと思ったからなのかもしれません。とても気軽に座れるものではないのです。

でも靴を磨く時、子供の頃の自宅の玄関や東京の風景の幾つかを思い出しながら少し幸せになれるのは、私が靴と少しばかり仲良く出来ているからかも知れません。

テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪
ジャンル : 日記

『夕萩心中』

お元気ですか?

先日、連城三紀彦氏の『戻り川心中』を読んだ話を書きました。その続きと言える『夕萩心中』を今日読了です。あとがきには作者により「『夕萩心中』他二編は「花葬」という連作として、既刊の『戻り川心中』に繋げて十話書く予定でした」とあります。『花緋文字』『夕萩心中』『菊の塵』がその繋がる作品ですが、男女の情をベースにしながらミステリーが展開します。

『花緋文字』は生き別れとなった妹と花街で再会した学士の語る話。ありがちな話と読んでゆくと狂気の寒気を感じるどんでん返しが見事です。
『夕萩心中』も一見普通の情死事件の裏に隠された政界の陰謀。
『菊の塵』は幕末の政変の中武士の思いを根底に据えた作品です。

読みながら、トリックの見事さもさることながら話をもってきて屏風を返すようにすとんと裏の話を見せる作者の手際の良さに感心します。面白いというより上手いと思ってしまいます。加えて時代設定が私好み。新劇の舞台を見るような感覚を楽しみながら読んでいました。

『陽だまり課事件簿』は「花葬」シリーズとは違い、時代も昭和。新聞社の資料部に勤める人たちの周りで起るドタバタをミステリーを絡めて書かれた軽い読み物。読みながら阿川弘之氏の若い頃に書いていた青春ものを思い出していましたが、作品の持つ空気がとても似ています。昭和の経済成長期の中どこか大らかで自由なサラリーマンを溌溂と描いていて気持ちがいいのです。軽い読み物とはいえそこは作家の力量です。人物一人ひとりがちゃんと描き分けされていて役割をもっていますし、話の展開に無駄がありません。掲載雑誌が休刊となって終わった様ですが、きっとファンもいたでしょうね。


夕萩心中 (講談社文庫)夕萩心中 (講談社文庫)
(1988/03)
連城 三紀彦

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テーマ : 読書感想
ジャンル : 小説・文学

スピーカーの試聴

お元気ですか?

先日、当地のオーディオ店で行われたスピーカーの試聴会に出かけてきました。我が家では今オーディオの買い替え計画が進んでいます。なにせレコードプレーヤーは私が、スピーカーはパートナーさんが就職した年に買ったものですし、アンプもCDプレーヤーもだいぶ年季が入ってきました。それぞれ思い出のあるものですがオーディオは機械です。新しい技術を知ることも楽しいものです。
とは言っても、私達はオーディオマニアとかオーディオを趣味としているわけではありません。高価な機械を揃えたり電源やケーブルなどを取り替えて音の変化を比べたりして楽しむ趣味はありません。私達が基準としているのは自分達が納得出来る好きな音でレコードやCDの音楽を楽しむことが出来ること。これに尽きるのです。

私が子供の頃、家にラジオが聴けてレコードがかけられる両脇にスピーカーのついた小さなステレオがやってきました。馴染みの電気屋さんが持ってきたそれを母はとても嬉しそうにし、FMラジオをかけながら針仕事をしていました。私はまだ数枚しかないレコードを取っ替え引っ替え乗せては覗くようにしてレコード針を落としていました。当時聴いていたのはグラムフォンのカラヤンが振るベートーベンで、このレコードは今も家にあります。いつの間にかそれまでの木で出来た大きなラジオは押入れの中にしまい込まれていたのを私は覚えています。

高校生になった頃でしょうか、世の中にステレオブームと呼ばれるものがやってきます。コンポーネントと呼ばれる、アンプやチューナー、などの機器がセパレートに独立したもので、テレビや冷蔵庫に継ぐ家電のそれもちょっと贅沢品としての顔を持っていました。システムコンポと呼ばれるちょっとステータスを匂わせたステレオセットはどのくらいの家に普及したのでしょう。私の家では小さなステレオが立派に勤めを果たしていましたので縁のない話だったのですが、友達の家に遊びに行くと居間の一面を占めてカーテンのような厚い布をかぶせて置いてあったものです。近所に住む同級生はお兄さんのビートルズのレコードを見せてくれたりもしましたが、ステレオで聴かせてもらった記憶はありません。

世の中のステレオブームが華やかなテレビCMなどを経てその後どうなったのかは知りませんでしたが、就職した私は仕事に追われるのに疲れ、これではいけない自分の時間を持たなければと強烈な乾きを感じていました。そして秋葉原の電気屋さんに駆け込んだのです。店員さんにCMやカタログで知ったメーカーを挙げながらそれでも予算内で揃え小さなアパートの一室に置かれた機器を前にしてホッとしたのものでした。実は中学・高校時代からBCLラジオで外国からの短波放送を聴いていた私はFMで音楽を聴く事はできました。しかし、ラジオで聴くという事と自分が聴きたい音楽を聴くという事はかなり違います。平日は残業続きで、ステレオでレコードをかけるのは土曜日か日曜日の休みの日、それも隣の人が出かけている時間になりますから僅かな時間しかありません。でもその少ない時間に自分の好きなレコードを聴くことで私は自分の隙間を埋め、依るべき処、安心感を得ていました。

さて、オーディオを趣味としている訳ではありませんが、自分の好きな音楽を納得する音で聴くということはなかなか面倒な事があります。まず自分がどうゆう音が好きであるか、それをどうゆう機械を使えば聴くことが出来るのかということを知らなければなりません。音で言えば明るい音が好きか、柔らかい音が好きかなど音の種類・形というものに慣れていないと果たして自分の好きな音を理解することも難しい時があります。
私はコンサートに良く出かけていましたので、声ならこう聴こえる、バイオリンならこう聴こえるというものが耳にしみついています。普段はレコードを聴いていましたが“耳を直す”と言ってはコンサートに出かけ、ホールで聴こえる楽器や声を確認していたのです。ですから、私の音楽を聴く時の音の基本はスタジオ録音では無くコンサートホールでの音でありそれを思い出しながらレコードを聴く事になり、そうゆう音を求めてオディオを組む事になります。
アンプとCDプレーヤーに関してはこれまで使ってきたメーカーで気に入っていますので、今回も同じ組み合わせ、アンプはLUXMAN、CDプレーヤーはmarantzと決めています。レコードプレーヤーは以前のように国内メーカーで選べるほどのものが無く、ようやく英国のNottinghamというメーカーにしようと落ち着いてきた所です。レコード針は驚くような高騰ぶりですから以前のように幾つかを使い分ける事は簡単には出来ないかもしれません。
そして問題なのがスピーカーです。こればかりはとにかく聴き比べるしかありません。私が聴くのはオペラ、声楽、室内楽、古楽器や古い宗教音楽、そしてジャズです。パートナーさんはオーケストラ、ピアノ、バイオリンなどの弦となりますからこれらの音を好きな音で聴かせてくれるスピーカーを見つけなければならないのです。
幸い、当地に良いオーディオ専門店を紹介していただきましたので、少し前から時間を見つけては足を運び聴かせてもらうようにしています。行くたびにB&W、DALI、TANNOYと聴かせていただきながらスピーカーの特徴を知ったり自分の耳と相性がいいかどうかを探しているのです。

そんな時に、日本のFOSTEXというメーカーの方がスピーカーの試聴会をするとお知らせをいただいたのです。音だけではなく開発の話も聴けるまたとない機会です。オーディオ店のフロアには20人を超す人が集まり耳をすましています。でもどう見ても私達より年配の人、それも男性ばかりです。本当に女性は唯一パートナーさん一人です。当地は技術の町です。楽器・音響メーカーもありますから若い技術者さんもいるでしょうに・・・。

この日聴かせていただいたスピーカーはとてもバランスの良い優れたスピーカーでした。でも、我が家の予算としてはちょっと難しいかな?さてさて、私達のスピーカー探しにどんな出会いが待っているのでしょうか。

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杣人のNuages

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