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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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函館の雲海

お元気ですか?

昨日の朝、函館の町は霧に包まれました。病院に向かう車の中から街の風景を見ても、津軽海峡を青森の方に目をやっても一面の霧で真っ白です。記憶にもある初夏の風景です。
函館は海に囲まれています。この時期の海の水温は15℃ぐらい、気温の方が高いので冷たい海水が霧を産むと同時に空には大きく雲が発生します。東の海(函館山から見て右手)で発生した雲は函館の街を横断するように西の海(函館湾)の方に流れて行き、ついには函館の街を覆いつくします。

昨日のではありませんが、函館山の初夏の楽しみ 幻想的な「霧夜景」 という函館市のHPに紹介されていましたので、御覧ください。霧と雲海は函館の初夏の風物なのです。観光にいらした皆さんに楽しんでいただきたいですね。どうぞ避暑にいらしてください。

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(写真はお借りしました)


思えば3月29日に函館に来てから3か月が過ぎました。来た時には革のコートを着て突然の吹雪に頭を真っ白にした事もありました。5月の連休には五稜郭公園の桜も楽しみました。初夏を迎え、明日母はリハビリ入院を終えて家に帰ってきます。先日はケアマネージャーさんと打ち合わせもし、当面週に2日家に来てもらうことにもなりました。老いた母ですからやりたくても出来ない事が沢山あります。家の片付け、庭掃除、近所のスーパーへの買い物など私達には当たり前に出来る事も簡単にはいかないのです。父の世話で病院の行き来だけでも一人暮らしの母には精神的にも肉体的にも大変ですから仕方がありません。そんな母のサポートを訪問介護の方にお願い出来るのは有難く、正直なところ定期的に家を訪問して母の様子を見てくれるというだけでも私としては80%ほどの満足度を感じます。顔を見て話し相手になってくれるだけでも充分と思います。

同じような家族が日本中にどれほどいることでしょう。老いた両親、一人暮らしの親、遠くに離れて暮らし帰省もままならない子供。仕方がないでは済まされない問題です。少子化や仕事などで人口の減少、都市への流出など社会的問題でもあり、地方都市の有り様も含めて考えてゆかなければならない問題です。
私は両親の様子から家族のあり方を考えますが、同時に街の行政が気になります。観光地として知られる函館ですが、住民の生活は決して明るいものではありません。それどころか街はボロボロと音を立ててくずれているようです。20代から40代の働き、家族を持ち、将来の生活の基板を作ってゆく年代が暮らしてゆく事が出来ない街に未来はありません。
そんな個人的・社会的不安を思いながらもうすぐ私は自分の住む家に帰ります。しかし、今までのように年に1・2回遊び気分で帰省するという訳にはいかないでしょう。足繁く通いながら両親と意見を交わしいずれ来る事態に備えなければなりません。その為に大切なことはお互いを認め尊重し理解し合えるよう小さな努力をすることでしょう。一緒にくらしていれば少しづつ出来るかもしれませんが、離れて暮らしているので少し意識的に話し合い行動する必要もあるでしょうが家族としてやらなければいけないことです。

さぁ、これから私達家族の新しいチャレンジ、冒険が始まります。悩みぶつかる事もあるかも知れませんが、どれほど楽しくコーディネート出来るかにちょっとワクワクしています。





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競馬場を探検

お元気ですか?

函館は久しぶりに青空が広がり、爽やかな風に気持ちも明るくなります。

初夏の函館は競馬のシーズンです。新聞と一緒に入ってきた広告紙を見ると、今年は6月14日から7月20日まで開催され、期間中アニメキャラクターのショーやタレントさんの番組公開収録、琴欧洲親方のトークショーなどもあるようです。函館市内の有名な飲食店が競馬場内に店を出したり、B級グルメで町おこしをしているB-1グランプリで優勝した団体が出店し、競馬以外の楽しみも盛り沢山のようです。

そして今日は一日無料で競馬場に入ることが出来るということなので、久しぶりに中の様子を見に行こうと出かけてみました。実は、競馬場に入るのに入場料が必要なんて知らなかったのです。幾らなんでしょうね。

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9時開場だろうと頃合いを見て家を出ますが、建物の前は既に長蛇の列。「一般入場のお客様はこちらの列に・・・」と係の人が案内をしています。指定席は既に8時半に完売したそうです。

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9時と同時に列は動き出します。静かな流れに乗って歩いて行くと、入り口でトートバッグのプレゼントをもらいました。そして写真の女性の処には様々なパンフレットや今日のレースプログラムが置かれていますので、これも頂戴します。

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私はパドックが大好きです。ここで馬をじっくり見るのですが、私が子供の頃は白い柵があるだけだったのに、今は巨大なガラス張りの向こうにパドックがあり、ゆったりと椅子に座りながら見ることが出来るのです。もちろん外に出てすぐ側で見ることも出来ます。出てみるとパドックの柵に幕を張っている人がいます。話を聞くとファンの方が手作りの幕を下げて贔屓の騎手を応援しているのだそうです。なんかこうゆう距離感に好感がもてます。

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パドックを見たら次は観覧席です。一般席と芝は好きな処に陣取ります。芝にはブルーシートを敷、クーラーボックスに飲み物や食物を持ってきてグループで楽しむ人がいます。中にはテーブルを広げている人もいます。ピクニック感覚で一日楽しむのでしょうね。

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一般席の上、3Fには指定席や馬主席、来賓席などがあります。お客さんは最初に指定席券を見せて入りますが、その時に手にスタンプを押し出入りする時にスタンプをセンサーにかざして認証を受けるのだそうです。渡り廊下からは馬券売り場が見えます。

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外に出てみると、ビール売りがあったり、B1グランプリの出店が威勢よく呼び込みをやっていました。遊具で子供を遊ばせている親もいます。

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少し離れた所に馬頭観音の碑が建っています。場所は移っていますが、子供の頃此の碑を廻ってくる肝試しをしたのを思い出しました。人参が供えてあります。ファンの方なのでしょうね。馬頭観音のそばに遭難馬慰霊塔が建っていますが、遭難馬というのは何なのでしょう。

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再び建物に戻ると食堂に迷い込みました。五稜郭公園近くの有名なラーメン店あじさいがテナントとして入っていたり丼ご飯の店があります。さらに歩いていくと馬券売場。今ではマークシートの購入用紙を機械に入れて購入するようですが、女性の窓口も健在なんですね。
私が子供の頃は建物の1Fに馬券売り場があり、昼間でも蛍光灯の灯りの下ちょっと暗い感じが怪しげでしたが今ではガラス窓も大きくなりました。負け込んだ時の悲壮な状態を想像しにくくした演出なのでしょうか。

馬券の買い方を教えるテーブルがありましたが、利用する人はいるのでしょうか。と思って見ていると男性が一人書き方を教えてもらっていました。確かにマークシートの購入券も“連単ながし”“ボックス”なにやらかにやらと参考にもらってきたのだけで4種類もあります。競馬初心者がいきなり一人で来て馬券を買うことは少ないでしょうが、リピーターさんでも迷うことはあるかもしれませんね。ちなみに私は馬券の買い方は全く分かりません。

さぁ、子供の頃以来、本当に久しぶりの競馬場探検。昔はコースの中を走り廻ったり、広い観覧スタンドでかくれんぼをしたりしたのですが、そんな懐かしい思いを胸に納めて家に帰る事にしましょう。

朝入ってきたエントランスでは「馬券の買い方や競馬新聞の見方を教えるセミナーを開催してます。」って係のお兄さんが大きな声で呼び込みをしています。なるほど・・・ですね。
でも、私には全く必要ありません。競馬も競馬場も好きですが、馬券を買うことはこれからも無いのですから。


おまけ)
次の日、いつも病院に送り迎えしてくださる運転手さんもお孫さんをつれて競馬場に遊びに行っていたそうで、お孫さんは芝生を走り廻って大喜び。ポニーや馬に乗ることも出来るので、馬券を買わなくても遊園地感覚で競馬場を利用する人もいるようです。入場料は通常は100円だと教えてもらいました。

北海道ならでは・・・

お元気ですか?

先日梅雨に厳密な定義があるわけではなく、天気予報で「梅雨のない北海道・・・」という言い方がどうも私にはしっくりしないという話を書いた。ところが記事を書いたちょうどその頃から北海道では雨が降り続きもう11日間もなるのだそうだ。もっとも広い北海道全域で休みなく降っている訳でもないだろうが、函館でも、午前中は久しぶりに薄い雲の間から青空も見えていたのでこれで晴れてゆくのだろうと思っていたら、夕方からまた雨が降りだした。
夕ご飯の準備をしながら天気予報を見ていたら、さすがに「北海道には梅雨が無いと言われていますが、これはもう蝦夷梅雨と言っていいでしょう。」なんて長雨に“蝦夷梅雨”なんて聞き慣れない名前をつけている。

蝦夷鹿、蝦夷りす、蝦夷・・・。何かに“蝦夷”とつけると北海道の雰囲気をもったちょっと大きいイメージを醸し出す?

この3か月弱、函館で暮らしてこの土地らしいなと思うことがあった。
朝、向かいの家の屋根には決まった海猫がやってきて大きい声で鳴いている。時には烏と睨み合うこともあるのだが、港町ならではだろう(私の家は決して海岸沿いにあるわけではない)。静岡では近くの水田に何処から来るのか鷺が一日中立っている。鷺にしても海猫にしても普段は何処にいるのだろう。それが私には非常に不気味だ。

海猫ならまだ害をなさないから話題にもならないが、最近は街中に熊が出ると連日放送されている。小学生が登校中に見かけて先生が警察に連絡したり、駐車場の周りに足跡を見つけたりと人の生活圏に完全に立ち入っている。静岡では山の猿が人家に入り込んで食物をあさったり人に噛み付いたりという事件が続き捕獲作戦が取られたりもするが、熊の怖さは猿の比ではないだろう。特に北海道に生息するヒグマは鮭を捕ることからも分かるように木の実などと同時に肉食でもある。山菜採りなどに行って出会うのも怖いが、“森のくまさん”なんて呑気に歌っていられない。

函館に来てすぐの頃、スーパーで買ったにぎり寿司が驚くほど美味しかった事を書いた。寿司だけでは無い。私が贔屓にしている市場やデパートの地下の魚売り場の魚種の多さ、魚それぞれの味の深み、今更ながら魚の美味しさを改めて思い出させてくれて感動しきりである。東京に住んでいた頃はもちろん江戸前の握りだった。その頃函館に来て寿司を食べた時に魚種の多さと鮮度の良さにあぐらをかいてはいないかという趣旨の事を書いた事があった。最近函館で入る寿司屋は工夫がされていて以前の不満を感じさせない。函館の寿司屋も勉強をしているのが分かり、嬉しい。
とは言っても、函館朝市の所に並ぶ海鮮丼の店には入らない。よほど時間が無い観光客で話のタネにというなら仕方がないが、どう考えても値段が高過ぎる。食物の適正価格、経済の倫理性から見ても首をかしげたくなる。ランチでもいいから寿司屋に入って食べたほうが食の質としての満足度は高い。

さて、スーパーに並ぶ食材は概して値段が高い。私が住む静岡県西部の町は農業も畜産もレベルが高く嬉しいのだが、そこと比べると野菜は値段が高い。100円ぐらいで買う生姜は150円ほどだし、長ネギは3本180円、豚肉もグラム84円ぐらいと思うのが128円、鶏肉も高い。ブラジルから送られてくる2㎏詰めのもも肉は700円ぐらいのが1000円もしている。単に流通コストがかかっているという問題だけでは無いと思うが、こうゆう所に生活格差が見える。
もっともジンギスカン鍋が盛んな北海道ならでは、ラム肉が専用のコーナーで売られていて、もちろんオーストラリアからの輸入肉が主なのだが、これは信じられないくらい安く種類も豊富。もっとも静岡では探しても無くてラムチョップなんか見つけたら買っておかないと何時お目にかかれるか知れないくらいだから、なるほど北海道のスーパーなんだなと思う。

私の函館生活も後わずか。静岡の暮らしと函館とを比べながら取り留めもなく思う事も色々と多いのだが、いかんせん私はどちらの土地にも異邦人である。

今日のおまけ)

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函館の観光名所となった赤レンガ建ての倉庫。高倉健主演の『居酒屋兆治』ではまだ土産物屋になっていない古い倉庫が写っている。函館人は“金森倉庫”と呼び親しんできたが、お土産物売り場と化してからはすっかり寄り付かなくなってしまった。その金森倉庫の出発点が上の写真金森商店。アメリカ、ロシア、などから寄港する外国船相手に商売を広げ函館繁栄の基礎を作った記念すべき店である。末広町の電停からドック方面に歩いてゆくと電車道路沿いにあるので、是非訪ねて欲しい建物の一つだ。




興農合作社

お元気ですか?

北海道に雨が降り続いて、やっぱり梅雨?なんて呑気な事を言えない状況になってしまいました。札幌-函館、札幌-東室蘭間の特急列車や急行列車が運休しているのですが、函館はそれほどの雨が降っていないため、正直なところ実感がありません。不祥事続きのJR北海道ですから、安全には慎重を期して欲しいですね。

父の部屋を片付けていて珍しいものを見つけました。

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直径9㎝、高さ3㎝のとても重たい朱肉入れです。古いものなのは一見して分かりますしところどころ緑青が出ていますが、蓋に彫られたのは龍、真ん中には徽章が確認出来ます。
父の卒業した学校のものだろうかと思いながら、古い写真を見ましたがどうも違うようです。そこで、父に訊いてみると、
「興農合作社からもらったもので、新潟の家ではお香入れに使っていたんだ。」という返事です。
「家に置いてあったの?」
「兵隊に行く時に大切なものは家に送っておいたんだ。」と。
そこで病院から帰り、父の書いた本を開き写真を見てみました。

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父の子供の頃からの思い出を綴った本は私も手伝ったので内容は良く知っています。
その本に載せたのが上の写真です。

平成7年1月、NHK札幌放送局が視聴者から「思い出の一枚の写真」を募って放送した番組に父が上の写真を紹介したところ採用され放送されたものです。

昭和18年、父は満州に渡り興農合作社中央会三江省支部水産課に就職します。国策会社で現地の農業漁業を開発指導する会社ですが、松花江、黒竜江(アムール川)、烏蘇里江(ウスリー川)といった満州の広大な土地を行き来しながら若い血を燃やしていたのです。
昭和19年1月、黒竜江で漁獲された鰉魚(ホワンユイ)=チョウザメが十数匹送られてきます。非常に珍しい事でもあり、料亭に持ち込み食したり、キャビアを作ってみたりしたそうです。
その全長3mにもなるチョウザメを囲んで撮ったのが上の写真なのですが、玄関のしめ縄が飾られたその上に会社の徽章が見えます。拡大してみると、正に私が見つけた朱肉入れに彫られた徽章と同じ興の字です。
こうゆう発見は家族にとって父の歴史、存在をより強く感じさせます。

二十歳になる前に興農合作社からもらったものを大切に持ち続けていた事に感心しますし、それ以上に記憶の確りしている父の話に毎回驚き感動します。私はその聞いた話を忘れないうちにせっせとブログに書いておくぐらいが精一杯です。何方か満州の興農合作社にいらした方がこのブログを見ることがあることを少し期待しながらなんですが・・・。

ではまた。

『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』

お元気ですか?

北海道当麻町の特産であるでんすけスイカの初競が行われ一玉35万円の初値がついた。先日は夕張メロンに二玉250万円という初値がついたのだが、こうゆうご祝儀相場は私のような小市民には理解出来ないし、少しばかり不快な気もする。夕張メロンはいただきものでは食べるが自分では買わないし、でんすけスイカは買ったことも食べたこともない。一個1万円もするスイカを誰が食べるのだろう。食べなくてもいいから食べている人を見てみたい。
不快と思うのは物には適正な価格というものがあると思うからだ。ご祝儀相場というのは商品価値とは別の理屈なのだろうからそこに意見をもつものではないが、ただ儚く虚しい物を感じる。
経済は人の思惑で動いてゆく、その日々の変化が面白いのだがそこには高い倫理性が求められる。数学を駆使して生まれる金融派生商品、いわゆるデリバティブ商品も価値を見つけるという意味では評価出来るのであるが、それをこねくり回し過ぎると落とし穴に落ちるのは多くの人が経験してきた事だ。でんすけスイカにしても、夕張メロンにしても生産者と消費者を結ぶ商品価格の中に真面目な倫理性が見られた時に双方に喜ばれる商品となることを忘れてはいけない。

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(写真はお借りしました)


函館に来て学生時代に読んでいた本を出して懐かしんでいるが、その中でも特に読み返したかったのは増谷文雄氏の本で、何冊かを開きながら記憶にある文章を眺めているのだが、高校大学時代に読んだそれらはダンボール箱二箱分もあった。

中学生の後半に夏目漱石の『三四郎』に出会った私は明治の近代化の中で個を彷徨うテーマに傾倒した。私自身が自分の存在意味や方向を考える年齢であり、芯の無い自分を知るにつれ社会(それはまだ漠然としたものであったが)の中に存在することに強い不安を感じ始めていた時期でもあった。
そんな時に私は増谷文雄氏に出会った。それはNHKの教育テレビ「宗教の時間」で放送されていた『釈尊のことば』という番組だった。増谷文雄氏と奈良康明氏の対談という形で進められる番組は高校生の私にも具体的で分かりやすく、増谷文雄氏の語る話に一気に引き込まれ画面から目が離せなくなっていた。
今、手元にその時の放送を本に起こした『釈尊のことば』日本放送協会があるが、あとがきを見ると放送は昭和50年、本の出版は翌年となっている。
それ以来私は増谷文雄氏の本を買い集め漁るように読んだ。もちろん一般読者向けに書いた本と云えども内容は難しく何回も読みなおしたりするのだが、とにかく数読めば門前の小僧よろしく何か分かるところも出てくるだろうという思いもあった。元来気に入った作家は可能な限り読む性格である。
増谷文雄氏は原始仏典の研究者であり、キリスト教と仏教の比較研究の優れた著作のある宗教学者である。増谷文雄氏に出会う前、私は岩波新書で『親鸞』を読んだり仏教関係の本を読んでいたがそれは日本の仏教の話であり、物足りなさを感じていた。法然や親鸞の教えに接しても私の中に“なぜ”が残るのだ。それに比して『阿含経典』を研究する増谷文雄氏が紹介する仏教は釈尊の言葉そのものであり、まるで釈尊と弟子たちのドラマを見るように活き活きと展開される。しかも増谷文雄氏が仏教を「知恵の宗教」というように、その教えは具体的で理屈が整っている。縁起の法、原因と結果の教えである。ならば、一つ一つを理解し実践すれば私でも少しは自分の生きる道を知る手がかりを得ることが出来るのではないか・・・。

熱い思いで増谷文雄氏の本を読んだ時から随分と時間が経った。社会人になった私はやはり芯のない中途半端な生き方しか出来ていない。人生の残りの時間をもう一度増谷文雄氏の本を側に置き学びたい。そうゆう思いで函館の家に置いてある本を取り出している。

そんな時、Amazonで『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』という本を見つけた。著者は荒木稔惠という方である。全く知らない方であるが、求めて読むことにした。
本書は二部構成になっていて前半は「明治維新の宗教をたずねて」と題して、廃仏毀釈、浦上キリシタン、尊王思想など開国に向けて日本の宗教界が内在する様々な問題に向き合わなければならなくなった状況が書かれている。
後半は「西洋からの仏教を耕した人 増谷文雄博士とその業績」と題して、明治に入り学僧をイギリスに派遣することで日本にも近代仏教研究の流れが出来た事、そして増谷文雄氏の『阿含経典』の研究と『仏教とキリスト教の比較研究』とが語られている。

一読しただけだが、前半の日本の開国から明治に至る日本の宗教界の事情については分かりやすくまとめられている。増谷文雄氏に関心が向いている私には最初前半の部分を早く読み終わりたいという思いもあったが、読み進み第二部に進む頃には第一部の意味がとても重要であるのが分かる。
後半の増谷文雄氏の業績については、私も読み知った本が引用されながら、増谷文雄氏が求めた仏教研究が丁寧に整理紹介されている。もちろん増谷文雄氏には『正法眼蔵』の訳注本など他にも広く研究がありそれらには触れられていないのだが、著者の増谷文雄氏に対する深い思いが伝わってくる。
特に『原初経典・阿含経』の中から『茉莉花(マッリカー)の女』の章を引用し、誰しも自分自身を一番愛おしく思う、だからこそ他の人を傷つけてはいけないと説く釈迦の平和思想の教えを紹介し、転じて日本国憲法の基本原理こそ人権を尊び民主主義を必要とし平和主義を掲げたものであり、釈迦の教えに沿うものであると紹介するあたりは、平和の宗教としての仏教を今日の日本の状況の解決に役立てたいという著者の思いがあるように思えた。(本書は2004年初版)
この『茉莉花(マッリカー)の女』の章は私も強く印象に残っている話で、著者がこの章を紹介してくれたことに喜びを感じている。

『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』荒木稔惠著(風濤社)は増谷文雄氏の業績を紹介するにはまだまだ足りない。しかしそれは著者の問題ではなく増谷文雄氏の研究業績が非常に大きいからに他ならない。著者は第二部の最後、釈尊の言葉「われも耕す」を引きながら、「増谷文雄博士も、釈尊につづき、わたしどもの荒蕪を耕されたお一人でした。」と結んでいる。著者の増谷文雄氏に対する深い敬愛を感じる。


学生時代、自分自身の存在の意味や社会への不安を抱えて生きていた時に出会った増谷文雄氏と原始仏典は、私に学ぶことの方向を与えてくれた大きな出来事でした。人生の半分を超える年齢になって今もなおその時の感動や思いは強く、もう一度増谷文雄氏の本を読み直して学んでみたいという時に、『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』荒木稔惠著を知り読んだ事は「我が友を得たり」という喜びです。釈尊は「友は師である」と言います。荒木稔惠氏が増谷文雄氏とその業績に深い敬愛をもち本書を著してくださった事に感謝するとともに、荒木氏のもとで学ばれる方が多くの師となって活躍される事を願います。

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『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』荒木稔惠著(風濤社)

雨の合間に

お元気ですか?

雨の合間、庭に出てシャクナゲの花を拾います。薄い紫色や黄色の綺麗な花達を楽しんだのは2週間ほどの間です。iphoneで写真を撮り父に見せることも出来ましたからシャクナゲは十分に役目を果たしたといえるでしょう。苔に覆われた庭に落ちた花びらを手でかき集めながら片付けます。たっぷり水を吸った苔はふかふかに柔らかくつい無造作にやると花びらと一緒に苔まで剥がれてきそうですから、優しくやらなければなりません。そんな加減を感じながら庭仕事をするのは自分自身との対話にもなります。お坊さんが寺の掃除をしているみたいですね。

先日まで軒下の換気扇のカバーの中に巣をつくり子育てをしていた雀、子供は巣立ってしまい今は静かに小枝が残っているだけです。鶯や私の知らない鳥の鳴き声が聞こえます。雀の声も何処かでするのですが、軒下に戻りたいのに私が庭にいるから戻れないでいるのでしょうか。

花を拾いながら、昨日読み終えた『床下の小人たち』、もしかしたら苔の上を転がって笑っているかしら、蕗の下で雨露をよけながらこちらの様子を窺っているかしら、そんな事が頭をよぎります。


母の退院日が決まりました。家の中での生活、買い物などの外出や父の病床への行き来など退院した後の母の生活を見届けなければなりませんが、私が函館を離れる日も近づいています。それまでに出来るだけの事はしておきたいと思います。
もちろん、函館に居るうちに美味しいものも沢山食べなくっちゃ・・・。

今日のおまけ)

写真 2   写真 1

お昼ごろから雨も上がりましたので、ちょっとお散歩に出ました。
湯川という地名そのものが表している温泉街の元となった神社にお参りします。
何か父にお守りでも買おうかなと思ったのですが、小さな神社で社務所に人がいません。
おやおやと思いながらお賽銭箱の前に立ち手を合わせると、本殿の中、暗いのですが大勢の人の背中が見えます。
どうやら祝詞をあげているようです。
地域の神社が活きているっていいですね。

ではまた。

梅雨の無い北海道?

お元気ですか?

関東甲信越地方が梅雨入りをしたとのことで、天気予報では傘をさしたお天気お姉さんの映像がお決まりのように登場しています。そして気象情報の時に必ずといって良いほど「梅雨のない北海道をのぞいては・・・」という一言。なにか常用句でもあるのかのように使われているのです。そこで梅雨という状態に明確な定義があるのだろうかと思い、気象庁のHPを見てみますとどうやら明確な定義はないようで、「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる現象、またはその期間。」としています。気象庁ではありませんが、1週間ぐらい雨が降り続くようになったら梅雨入りしたと考えると書いているのも見かけますが、気圧配置や降雨量などを測定して梅雨入りの日が決まる訳ではないようです。
昨日の土曜日から雨が降り始めた函館。買い物に出かけようかと思っていましたが、雨の中数少ないバスを待って出かけるのも嫌なので家にいて天気予報を見ているのですが、なんと今週は曇り空と傘マークが連続しています。“梅雨入りじゃないの”なんて思わず苦笑いしてしまいます。35度を超える暑さがあったり、集中豪雨があったりと今まで経験したことが無いような天候が今年も各地でみられます。「梅雨のない北海道をのぞいては・・・」なんてこれまでどうりの文言で括っていては思わぬ予報ミスを招くかもしれません。

雨の降る函館からのお話でした。

暑い日には・・・

お元気ですか?

突然やってきた暑さに北海道のテレビでは字幕で今何処どこで気温が何度になりましたと知らせています。確かに、静岡よりも暑いのですから驚くのもしかたありません。
今日は病院には行かない日なので、私は家に居るのですが、Tシャツに短パン姿のまま着替えるのが億劫ですから外出もしません。庭仕事もよしましょう。

「赤毛のアン」を読み終えた後、エラリー・クイーンの「Xの悲劇」を読んだのですが、どうも今ひとつ面白く感じられません。気持ちの乗りもあるのでしょう。そこでメアリー・ノートンの「床下の小人たち」を読むことにしました。少し前、ジブリの映画で「借りぐらしのアリエッティ」というのがありましたが、その原作です。いぬいとみこや佐藤さとる、メアリー・ノートンと一時期小人を題材にした児童書に興味を惹かれた事がありました。いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」などは戦時下の子供の心情を非常にリアルに表現していて考えさせられたものですが、「床下の小人たち」はどうだったでしょう。もうすっかり忘れてしまったので、再読してみたく思ったのです。あとがきを読むと「床下の小人たち」は1952年(昭和27年)の作品だそうです。何を読み取る事が出来るのか興味津々です。

本ばかり読んでいる訳でもありません。外出をしないので、ご飯を朝昼晩と作らなければなりません。それも自分一人のために・・・。毎日自分のためだけにご飯をつくるというのは結構しんどいものがあります。
それでも、朝は牛乳、ヨーグルト、サラダ(シークァーサードレッシング)、トーストと非常に健康的な朝食。お昼は知床地鶏を使った親子丼を作りワカメととろろ昆布を使ったお吸い物。思わず自分を褒めたくなるような美味しいトロトロ親子丼です。
でもお昼ごはんの反動で、夜は稲庭うどんとホッケを焼いて超カンタンに。三食一生懸命作るなんて私には無理です。

三食のご飯を作る合間に、デザート作りにも挑戦します。白玉粉を使って白玉団子を作ってみたり、クレープのように薄く仕立てて餡やジャムを巻いてみたりと見よう見まねで悪戯もします。こちらはご飯のようには上手くいきません。いえ、全く上手くいきません。それでも、デザートにはなりますね。

こうして夜になったのですが、明日もまた一日家に居る日です。明日は何を食べましょうか?
ちょっと悩ましい暑い北海道の夜です。

杣人のNuages

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