プロフィール

杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

カレンダー
09 | 2014/10 | 11
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
リンク
ブログランキング

FC2ブログランキング

人気のあれこれ!
月別アーカイブ
最近のトラックバック

カレーライス

お元気ですか?

『アンソロジー カレーライス!!』PARCO出版という本を読みました。先に『アンソロジー おやつ』を読んで子供の頃の記憶を思い出したのに気をよくしたからなのです。
目次をみると、池波正太郎を先頭に、井上靖、小津安二郎、獅子文六と『おやつ』に比べると少し年輩の方の名前が多いように思えるのはカレーライスが戦前から気取らない食べ物として親しまれていたからなのかも知れません。本書に収められた文章のどれもが、ノスタルジックな想いとともに構えることもなく照れくさそうな気持ちを含みながら書かれているように見えます。阿川弘之と阿川佐和子の名前があり、今回も親子で登場だなと思ったら、よしもとばななと吉本隆明の名前もありました。カレーは親子で楽しめる料理なのでしょう。


子供の頃、ラーメン屋やデパートの上の食堂には必ずカレーライスの品書きが下がっていて、食堂はまだしもラーメン屋にカレーライスがあるのが不思議だった。もっとも食堂もラーメン屋もめったに入るところではなかったから何故ラーメン屋にカレーライスがあるのかを探求する機会を逸してしまったままこの歳になっている。つまりラーメン屋でカレーライスを注文したことは一度もないのだ。
カレーライスは家で母が作るのを食べるのがもっぱらで、外で食べたのは高校生になって繁華街にある洋食屋で食べたのを今思い出した。焦げ茶色の濃いカレーとガラスのコップに出された水が今私の脳に映像となって蘇っているが、味は思い出せない。
子供の頃の私はお腹が弱くあまり沢山食べることが出来なかったが、カレーは違った。いつも必ずおかわりを頼みそして次の日お腹がいたくて泣きそうな顔をしながら、またやっちゃたと胃薬を飲むのだった。後悔の気持ちは一切なく母も「またおなか壊すよ」と言いながらおかわりを軽めによそうのだった。
ある日、叔母が家に遊びに来ていて、今晩はカレーだと言う。ところが鍋を二つ用意して子供用と大人用と違えて作ると聞いて驚いた。私と同じ年頃のその家の子供が不憫に思われた。カレーの美味さは大人と同じ辛いカレーをふうふう言いながら食べるところにある。子供用に甘く作られたカレーなんて子供が背伸びする権利を奪うようなもので人権侵害もはなはだしい。この時は心から家の子でよかったと思った。カレーに限らず、母は大人用子供用と分けて作ることをせず、しかも酒飲みのおかずのようなものが好きだったから、私は子供の頃から大人の口で育ったのだった。

カレーライスの思い出は本屋の記憶と重なっている。高校生になると一人連絡船と寝台車を乗り継いで東京に出て遊んだ。神保町の古本屋を何軒もはしごするのだが、すずらん通りのキッチン南海に入ったのはそんな頃、入り口の横に腰高に立てられた看板に引き寄せられてだった。最初に食べたのはカツカレーで以降キッチン南海では決まってカツカレーである。忙しく出てくる皿にカレーがたっぷり盛られているのが嬉しかった。丸善のカフェでもカレーを食べたし、高島屋の上に美味しいカレーがあると聞き行ったこともあった。新宿の紀伊国屋書店に行けば地下のカウンターでカレーを食べたり、ゆっくりしたい時や連れがあったときは中村屋に渡った。テーブルにつきカレーを頼み待っている間に袋から本を出し、表紙をめくっているうちにすぐカレーはくるので、汚れないようにと席の横に仕舞うのだが、目当ての本を得た満足感がカレーの味を美味くしたようにも思う。
そんな遊びからもずいぶん遠くなった。

イギリス風カレー、インドやスリランカのカレーと違いが知られるようになったのは最近の事で、カレー粉とバター、小麦粉、たまねぎを炒めて一般家庭で作られるようになったのだって戦後の事だろう。メーカーの板チョコ型のカレールーは一気にカレーを家庭料理の花形にした。以来、カレーは和食でも洋食でもない一種独特の日本食としての地位を獲得した。今では男の手料理の一位二位を争っている。
しかし、私はカレーを作らない。一人暮らしのとき、カレーが食べたくなってハインツのカレー缶を買ってきて鍋で暖めて食べた事はあるが、我が家ではパートナーさんが美味しいカレーを作ってくれるので私はそれを楽しんでいる。

函館には明治時代から続く五島軒というレストランがある。ここのカレーはレトルトにもなって函館土産としても人気だ。
その五島軒のカレーに確かロイヤルカレーと言ったと思うのだが、鴨の肉の入った鴨カレーがある。五島軒のサイトを見ても見当たらないので止めたのかも知れない。何百円かお値段は高いが鴨の甘い脂が美味しいカレーになって私は好んでいたのだが、ある時会議で函館を訪れた際、職場の仲間を連れて食べに行ったことがあった。
ところが、自慢げに紹介した鴨カレーは以前食べた味と違いまったくコクや旨みがうすく期待はずれなもので、仲間は美味しいと言ってくれるが、私は悔しさでシェフに文句を言う気力もなかった。
その後、しばらくして東京の事務所でランチパーティーを開く機会があり、オードブルや軽いつまみを用意することになったが、腹持ちのするものも必要になり、汚名挽回とばかりに私が鴨カレーを作ることにした。
食肉関係の仕事をしている人間のつてで、鳥肉の専門卸会社に連絡をし、鴨肉とスープ用の鴨のガラを届けさせ、スープをとった。野菜も気をつけて強い香味野菜は避け、ジャガイモもあまり煮込んでとろみが強くつかないようにする。ご飯はいつも行く飲み屋に頼み業務用の炊飯釜で炊いてもらった。こうして作った鴨カレーは我ながら満足のゆくもの、おかわりを言う仲間に晴れがましい思いだった。
それ以来私はカレーライスを作っていない。

ところで、阿川弘之の若い頃の作品に『カレーライスの唄』というのがある。戦後の昭和30年代若い男女の交際とカレーライスの店を開くという話だが、爽やかな良い話である。たぶんそうだと思うのだが、この『カレーライスの唄』を原作にしてNHKはドラマを作ったのではないかと思う。当時、まだ白黒のスタジオ撮影の時代である。テレビで見て、子供の私は東京の街、若い男女が一生懸命にカレーライスの店を開くために奔走する姿に明るい気持ちになった事を覚えている。そしてその気持ちはいつしか神保町につながっていった。
一人上京し好きな本を読み、辛いカツカレーを食べ、私は大人になる準備をしていたのだった。

アンソロジー カレーライス!!アンソロジー カレーライス!!
(2013/02/28)
阿川佐和子、阿川弘之 他

商品詳細を見る

スポンサーサイト

ジャムと金平糖 

お元気ですか?

今朝は風が強く冷え込みも増しています。一歩一歩冬に近づいているようです。

朝見ている経済ニュース番組で面白いCMが流れている。日経電子版のCMで田中君と呼ばれる青年がタブレット端末を手に熱く語り、そこに相方の女性がつっこむという漫才のようなCMだ。
今放送されている「割引デート」編ではレストランでメニューを見ている田中君が「鴨のコソフィ」と言うと女性が「それ、コンフィよ」とつっこむシーンがあって、思わず笑ってしまう。
鴨のコンフィは私も好きな料理、低温の油に浸すようにしてじっくり煮た料理だ。低温で煮ることによって焼いたり揚げたりするのとは違い柔らかく仕上がり、保存性も増す。もともとは食品の保存方法の一つとして生まれた古い調理方法だ。

コンフィ(confit)は浸す漬けるという意味だから、肉料理に限ったことではない。フルーツの砂糖漬けなどもコンフィという。最近フランスの旅番組を見ていたら何処か田舎町に住む女性が作ったコンフィチュールが評判で海外にも紹介されていると言っていた。店に並ぶのは瓶詰めのジャムだ。コンフィチュールはconfitureと書き、コンフィ(confit)と同じ。
ジャムとコンフィチュールは違うものだという人もいる。ジャムは煮込んでペクチンで固めるのに対しコンフィチュールは砂糖に漬け込んで出た水分を煮てそこに果肉を漬け込むから果肉の形が残る。だから別物だという。でもこうゆう理解のしかたは本筋を見誤る。砂糖を加えて果物を煮込むのは同じだ。ペクチンの多さは果物によって違うから固まり具合だって様々。果肉を大きく残すのかどうかだって作り手の好みやどうゆう利用法を前提にしているかによって違ってくる。新しい呼び名に飛びついてさも別物のように言うのは慎むがよいだろう。

言葉には流行がある。ジャムだって家庭に出回った頃はいちごジャムしかなかった。今ではブルーベリーやアプリコット、夏みかんに・・・と食べたことの無いジャムの方が多いのではないかと思うほどだ。家庭でも気軽に作れることがわかるとジャムは女性の味方になる。なにしろ、好きなフルーツを煮詰めればいいだけだ。おしゃれな空き瓶に詰めラッピングするだけで素敵なプレゼントにもなるし、テーブルに出せば自慢の一品にもなる。アンやアリスを想いながら鍋の前に立ち沸々する果物を木へらで焦がさないように煮詰めてゆく。
でも、人の心は移ろいやすい。ジャムも作っていると飽きてくる。そこで今度作るのはコンフィチュールだ。そう思うとなんだかフランスのおしゃれなパティスリーに並ぶ高級なもののように思えてくる・・・かな。

『アンソロジー おやつ』PARCO出版を読んでいたら團伊久磨さんが金平糖について書いていた。作曲や文章を書くときに金平糖が傍にないといけないのだという。金平糖をそんなに食べたら口の中が砂糖甘くなって困らないかと思うし、糖尿病も心配になるが、私が好きな日本の歌曲が金平糖のおかげで出来たのかと思うとなんとも可笑しい。
文章の中に「金平糖という語がポルトガル語だと知った時には驚いた。糖という字が上手に当ててあるので、僕は金平糖という語は中国語か日本語だと思っていたのである。ところが、金平糖はポルトガル語の Confito の宛て字に過ぎないのだと知った」とある。なるほど、砂糖を煮詰めてつくる金平糖だ。コンフィチュールと金平糖、鴨のコンフィと金平糖と踊りたくなる。

庭ではイチジクの実が熟れている。鍋に入れて火にかければ砂糖を加えなくてもコンフィチュールが出来上がる。金柑の実はまだ葉の影に隠れ濃い緑色だがこれももうすぐ金色に変わり鳥たちが狙う頃になると、競って収穫し鍋に入れる。鴨か鶉を買ってきて暇な時にコンフィを作りバルサミコを煮詰めてソースを作り、そこにイチジクか金柑のコンフィチュールを少し添えてアクセントにする。簡単に出来るフランス料理。
どうぞお試しあれ。

おやつの話3・・・柿の種

お元気ですか?

『アンソロジー おやつ』PARCO出版を読み終わった。こうゆう本は決して高尚ではない。それどころか他人の心の内をそれもけっこう素直な部分を覗き見した気になってちょっと恥ずかしさすら感じる。それでも、そうそうって共感したりやっぱりこの人変って妙な納得をしたりするのが期待を裏切らないのでついつい読んでしまう。ただ次から次とおやつへの思い出やこだわりを読んでいると少しばかり胸焼けがする。池波正太郎のエッセイだって立て続けに読めばやはり食傷気味になるだろうから出版社や編集者を責めてはいけない。面白がって読んでしまった私が悪いのだ。

本を読みながら虎屋の栗むし羊羹や泉屋のクッキーを話題に登場させたが、高級なお菓子をいつも食べているわけではない。どちらかというとお菓子は買わないほうで、それは子供の頃から変わらない。母親と買い物に行って私の好きなお菓子を買ってもらった記憶が無いし、小銭を握って店屋に入り自分用にお菓子を買うという経験も無い。
子供の頃、森永のチョコボールというお菓子があって箱についているシールを集めて応募すると九官鳥の人形が当たるというのをテレビのCMで流していた。ある日、友達の家にその九官鳥が当たったというので見せてもらったことがあったが、九官鳥そのものよりそのためにいくつチョコボールを買ったのだろうと想像すると不気味になった。子供ながら呆れてしまったのである。
私の家でお菓子といえば、頂き物か、来客用に用意したお下がりであって、日常的に買っておくものではなかった。それだけに季節の折々に父の故郷から届く荷物の中に米に混ざって笹団子やゆべしといったお菓子があると宝物を掘り当てたように嬉しかった。そんな故郷から送られてくるお菓子の一つに元祖浪花屋の柿の種があった。朱色に蟹の絵が描かれた包装紙は今も変わらないのだが、この包装紙のおかげで、私は猿蟹合戦の話は新潟の民話だと信じ込んでいる。都合の好いことに父の実家には当時囲炉裏もあり、栗がはぜるのはこんな囲炉裏なのだと理解するのに十分であったし秋になれば渋い柿も送られてきた。私の想像は柿の種を前に広がった。
こうして柿の種は私の好物のお菓子となったのだが、柿の種には今や世界進出を図る亀田製菓がある。ブルボンと並ぶ新潟県のお菓子メーカーだが、亀田製菓の売りは柿の種とピーナッツを一緒にした柿ピー。いわずと知れた大ヒット商品だ。これに対抗して元祖浪花屋のそれは頑なに・・・と思いきやチョコレートなどをコーティングした柿の種なども出してなかなか遊び心で勝負をかけている。
柿の種を食べ続けて半世紀の私としては、普段柿ピーを頂きながら、たまに元祖浪花屋の柿の種が届くと、やっぱりこれだねと節操のない姿をさらけ出すのである。

本の中に酒井順子の「袋菓子の陶酔」という文章があった。「カルビーかっぱえびせんは、おいしいから『やめられない、とまらない』のか、それとも『やめられない、とまらない』からおいしいのか」というのだ。
袋菓子に手を入れ、ポイッ、ガリッ、ポイッ、ガリッと単調なリズムで咀嚼を繰り返していくと意識は「無」に近づき、日常の雑事が次第に脳裏から追放されてゆく。袋菓子という決して上品な食べ物でなくカロリーも高く健康のためによろしいとされている食べ物でもないものを食べるという背徳的行為も、やめられないという諦念も後ろめたさがあるからこその快感になっている。(酒井氏の文章をお借りしました。)
こうまじめに考察されると、私など御白洲に転がされた放蕩息子よろしくすっかり観念してしまう。まったくもってその通りでございます。と一件落着のようだが、ちょっと待てよ。私にも言い分がある。
最近の柿の種は小袋に入っているが、これはいけねぇ。袋菓子の矜持ってものがねえ。どうせ庶民の袋菓子だ、お上品ぶって出されても面白くない。どんと大きな袋のまま出てきて好きなだけ手を突っ込んでくれと威張ってくれたがいいだろう。えっどうだい。羊羹に線を引いたのも気に入らなかったが、袋菓子を小袋にしたのもてんで合点がいかねぇや・・・。
と一人テンションをあげながら、柿の種を抱える夢を見ている。

元祖浪花屋の柿の種は立派な缶に入っているのが本来だった。四角い缶の丸い蓋を開け、手をいれて柿の種を取り出すとき、私は満足感を味わっていた。ところがある時届いたそれは缶の蓋を開けるとなんと小袋に分けられた柿の種が入っていた。その残念な気持ち、どれだけ私が落胆したことか。その時缶は缶の役目を捨てただのイミテーションに成り下がったのだった。

母の実家は出入りの人が多くいつもお菓子を用意していた。決して高級なお菓子ではなかったろうが、決まった店が御用聞きに来て大福帳に記帳しお菓子を置いてゆく。そうゆうお菓子は一斗缶に入ってお勝手の隅に置かれるのだが子供たちに缶を開ける自由は許されなかった。一斗缶のお菓子は出入りの人のためのお茶うけであり、子供用のお菓子は祖母や親から手渡されたりみんなで食べるのだと言われテーブルに置かれた菓器の中に盛られた。そんな子供の頃の小さな記憶が、柿の種に繋がるなんて誰が知るだろう。元祖浪花屋の柿の種の缶は実家のお勝手にあった一斗缶の写しだ。缶を開けて手を入れてみたいという密かな思いが半世紀後に芽を出す。

恐るべし袋菓子、恐るべし一斗缶。恐るべし柿の種。

ボルドーワイン テースティングセミナー

お元気ですか?

NHKの朝のドラマ「マッサン」が始まって国産ウィスキーの売り上げが伸びているそうだ。私もスコッチやバーボンが好きで時々楽しんでいるし薀蓄を披露するほどの知識は無いが好きな銘柄もある。飲むのはほとんどが海外の銘柄だが、最近は国産のウィスキーも仲間に加わった。サントリーのローヤルやオールドといった古くからある銘柄は少しはずして新しいものをいくつか試してみるが、口当たりの良さ飲み安さはどれも日本の食事にもあうように上手に仕上がっている。ドラマは見ていないが、店の棚にならぶ国産ウィスキーを眺め、家でグラスに注ぎながら生産者の心意気のようなものを想像するのは楽しい。

いつもお世話になっているワインブティックパニエでワインセミナーを開くのでどうですかと声をかけられた。ボルドーワインだけを何種類か比べながら話を聞けるというのでパートナーさんと出かける。
パニエにはレジの横にカウンターテーブルと椅子が用意されていて普段でも試飲をしたり、ちょっと腰をあずけてお店の人と会話が出来るようになっている。この作りが私達は好きで店に行くとワインを選ぶよりもカウンターに直行し世間話をしながら何本かのワインを決める運びとなる。今日もいつもと同じカウンターで話を聞くのだが、違うのはボルドーワイン委員会が用意したもの、パニエのワインアドバイザーの方が作ったレジュメが用意されていることでなかなか本格的だ。

パニエの店長でワインアドバイザーの資格を持つSさんは、少しかしこまった様子でボルドーワイン委員会が用意した資料を説明しながら、ご自分が分かりやすく整理したレジュメを使って、フランスがワイン王国と言われるに相応しい事情を説明する。気候風土に恵まれていることに加え、法律を整備し国を挙げてワインの品質を守ってきた背景に触れる。格付が以前はAOCと言っていたものがAppellation d'origine protegee と呼ばれるように変わったこと、Vin de Pays と呼んでいたものも Indication geographique protegee と変わっている。EUの時代になったことで少しづつ変わってきたのだ。

ボルドーのワインがメルローやカベルネ・ソービニヨンなど複数の品種をブレンドして作られるのが何故なのか。畑の土壌の違いからくる葡萄の個性を組み合わせることによってより複雑な味わいを作り出そうという生産者の試みなのだが、それは南仏のアッサンブラージュ(ブレンド)とは趣が違う。力強い葡萄が作られることから熟成のより深いワインが可能になっているのもボルドーワインの特色だろう。
そうゆう話を確かめるようにカウンターには4本のボルドーワインが並ぶ。

vineyard_map_jp.jpg  IMG_20141026_0001.jpg

私がワインを飲み始めたのは学生時代、ワインについて書かれた本も少なくラベルを眺め辞書を引きながら何とかして知識を広げようとしていた。働き出してからはレストランでワインリストを見て頼み、一つ一つ頭と舌に覚えていった。私が最初に買ったワインの本は山本博先生の本だったが、後に弁護士会の集まりで先生にお目にかかった時には感動と畏れ多い気持ちで近寄りがたかったくらいだ。
バブルに日本中が浮かれグルメ自慢が増えだした頃、私は静かにソムリエの薦めるワインを楽しむようになった。ワインは食事を楽しむための、ワインを楽しむためのものであって、知識や技術は体の奥にしまいこまれていった。

1410252.jpg  1410251.jpg

今の日本人は幸せだ。パニエのような正直な店がワインの事を教えてくれる。客は遠慮することなく尋ねればいいのだ。今回のボルドーワイン テースティングセミナーのように気軽に話を聞きながらワインの飲み比べをする機会も増えた。もちろん本格的なワインセミナーも多くなった。
学生時代、父に贈られてきたお中元やお歳暮の箱にワインを見つけて一人で飲んでいた頃を思い出しながら、今の日本人の幸せ、そこには同じようにワインを愛し日本に広めてきた多くの人の姿があることを思う。フランスの地でワインを作り日本に届けようとする人たち、日本から現地に赴きワインを探す商社の人、レストランや酒屋で働きながらワインを売る人・・・。様々な人たち一人ひとりの熱意が私達のグラスに注がれているのだ。

さぁ、今日は何を飲もうか。



ボルドーワインに興味のある方は是非このHPをご覧になると良い。少しの知識があるだけでワインの楽しさが広がることは私が経験からお約束する。
ボルドーワイン | ようこそ、ボルドーワインの公式ホームページへ。

おやつの話2

お元気ですか?

薄い雨が続き、ようやくの青空。静かな金曜日です。

図書館から借りてきた『アンソロジー おやつ』を読みながら、みなさん子供の頃から思い入れ強くおやつと向き合っていたのだと感心する。ではとパートナーさんに「君の好きだったおやつは何」と尋ねてみると、虎屋の栗むし羊羹と一言答えたあと、少し思案し、栗ボウロと返事があった。なるほどいつか小布施に立ち寄った際に嬉しそうに袋菓子を買っていたことがあった。懐具合からいっても栗むし羊羹よりはるかに都合がいい。パートナーさんと暮らすようになって正月には御節を用意するようになった。大人になった真似事のようなものだが、伊達巻やかまぼこを奮発し栗きんとんを求める。ところが何処の栗きんとんを求めてもパートナーさんは納得しない。デパートの地下に並ぶ有名店や料亭の名前のついた栗きんとんでもだめだ。毎年今年こそはと半分意地になって歩き回るのだが、何年かそれを繰り返しとうとう諦めて自分で作ることにした。パートナーさんは売り物の栗きんとんに入っている水あめがいけないのだった。
かくして私は、泉鏡花の異界の姫に見初められた坊主よろしくパートナーさんのためにせっせと栗きんとんを作る次第となった。

本を読みながら自分の子供時代のおやつを思い出す。私は新幹線が走り出す少し前の生まれだが町にはまだ戦後のにおいが残っていた。なにしろ遊び場所である函館山には高射砲の台座が残っていたしレンガ積みの建物跡や防空壕跡があるくらいだ。だから矢川澄子がビスケットを焼く話には懐かしさを感じ、村上春樹のドーナッツの思い出に油の匂いが蘇る。おやつは買うものではなく、台所で母が作るものだった。矢川澄子と同じように生地を型で抜いたり残った生地をあつめて好きな形に作って並べた。中華なべにたっぷりと入れられた油の中からドーナッツが浮いてくるのを頃合をみて上げるのも楽しかった。母は私がガスコンロの傍で飽きもせずにお菓子作りを眺めるのを許していた。母もお菓子作りの出来る平和を楽しんでいたのだろう。

しかし時代が進むにつれてお菓子も変わってくる。父が出張から帰ると浅草の雷おこしがお土産にあり、東京の知人からは泉屋のクッキーを頂くようになった。台所でお菓子を作ることはなくなった。

東京で仕事をするようになって、日本橋の国分ビルに得意先を訪ねるようになった。道を挟んだ向かいには榮太楼がある。頂き物の飴は此処のだったのかと懐かしくなった。10円玉で開けるとき蓋に傷をつけないよう加減しながらやるのが好きだった。その榮太楼の本店で上司と待ち合わせをしたことがある。店内に並ぶのは見覚えのある三角の飴の他に上生菓子もあり、飴だけでは無いんだと自分の世間知らずを笑っていると、上司が店に入ってきて喫茶室につれてゆかれ、あんみつをご馳走になった。甘いものは大丈夫かなど聞かず当たり前のように注文する彼は鹿児島出身。酒も飲んだはずだが、甘いものも好きだったのだろう。函館出身の私と鹿児島出身の男が日本橋であんみつに向き合っているのはなんとも江戸らしい。

中村汀女の文章に友人の句、秋袷羊羹厚くきりにけり を紹介し、羊羹の切り方のむずかしさよ、心のいることよ。とある。
それを読みながら羊羹をつつむ銀紙にいつの頃からか線がついたのを思い出した。確かに均等に切るには便利かもしれない。しかし盛る皿の具合、見せ方によって切り方を変える自由は主にある。たった一本の線ではあるがそれがあるだけでここを切ってくださいとばかりに指示されるのは不自由を感じて興ざめである。

そんな羊羹も今では遠くなった。そもそも高価な羊羹を自宅用に求めることは少ない。大抵は頂くか、頂いたものをご相伴に預かるかだ。人付き合いの減った今、羊羹を頂く機会はめっきり減った。その代わり家ではパートナーさんが羊羹を作るようになった。袋売りしている既成の小豆餡を買ってきて水羊羹に仕立てるのだが、これだって十分に美味しいし楽しい。家で作るお菓子には作り手の思いがしっかりと映し出される。なによりもパートナーさんの作る羊羹には銀紙に引かれた線が無いから一切れがのびのびとしている。

おやつの話

お元気ですか?

雨の合間を見て道場に出かけた昨日、先輩女史からケーキを頂戴しました。ご主人が趣味で作られているものなのですが、びっくりするくらい美味しくて、まるで高級洋菓子店のショーケースに並んでいると言われてもそうだろうと思うくらいのお菓子なのです。試行錯誤しながらケーキ作りを楽しんでいるご主人、そのケーキを道場で披露する先輩女史、ご馳走に預かる私たち・・・。ちょっと嬉しい関係図にはなまるなのです。

NHKのプレミアムドラマで『昨夜のカレー、明日のパン』というのを放送しています。木皿泉さんという最近人気の作家さん(二人の共同ペンネームだそうです)によるドラマで、たまたま番組表を見ていて食べ物のタイトルが目についたので録画してみることにしました。
お話は、7年前にご主人を亡くしたテツコさんはお父さんをギフと呼びながら一緒に暮らし、ご主人を忘れる事が出来ない生活。その周りには笑顔が出来ずひきこもりになった元CAさんや失恋を癒しに山に登る山ガールさん、テツコさんに思いを寄せる同僚など訳ありの人たちがいます。
一人ひとりがそれぞれの問題を持っている普通の人たち。ちょっぴりテーマを見せながら、でも押し付けがましくなく展開していくドラマです。

第一話を見ていて、主人公のテツコさんを演じている仲里依紗さんが頻繁に顔をつくるので、つまんないドラマだなと思いながら以降どうしようと思ってしまったのですが、とりあえず毎週録画になっていたので2話目を見たところラストシーンでうるっとしてしまい、結局3話目も見て、よし全部お付き合いしようという気持ちになっています。幸い顔を作るのも減ってきたようですから演出家も気がついたのでしょうか。
普通に見える人もそれぞれに問題を持っているというのは大人なら想像のつく話。でも最近はそうゆう想像力、相手を慮る心を欠いた人も多いようですから、こんなドラマで見る事も意味ある事なのかなと思ってしまいます。
このドラマの面白いのは食べるシーンの多いこと。テツコさんはギフと朝ごはんからしっかり食べています。同僚の彼氏?のところにもお弁当を作って行きますし、他の登場人物もよくものを食べていて、食いしん坊のドラマなのです。
美味しいものを食べると人は優しくなれます。少なくとも食べているときは無防備ですから人の素の状況を表現するにはいい場面です。食べるシーンの多いドラマはそれだけで心が和むと言ってもいいかも知れませんね。

ドラマに3話もお付き合いしたのですから、原作があるなら読んでみようと木皿泉さんの名前で図書館で検索をしてみました。『昨夜のカレー、明日のパン』があります。ありますけど180人待ちですから予約しても半年以上先のことになるのでしょう。さっさと諦めます。
ところが、木皿泉さんの項目なのに『アンソロジー おやつ』PARCO出版というのが並んでいるのに気がつきます。内容をみると色々な作家さんのおやつに関係したエッセーを集めた本のようです。森茉莉、内田百閒、森村桂、木皿泉、阿川佐和子、矢川澄子・・・と並んでいきます。へぇ~これ面白そう。と借りることにしました。
食べ物に関係する本を見つけると買っていた時期がありました。一人の人が書いた本もいいのですが、この本のように沢山の人が書いたアンソロジーは幕の内弁当のおかずを楽しむような気軽さがあります。どこを開いて読んでもいいのも気が楽です。
しかも、おやつ。普通にそして素直に好みを主張できるのがおやつの好いところ。子供の頃を思い出してみてください。自分の好きなおやつが台所のテーブルの上にあるのを見つけたときの嬉しいこと。外に遊びに行きながらも気持ちは台所のテーブルにひっかかって、遊びながらも思い出してはそわそわしてしまいます。

私のお気に入りのおやつは何だったかな。思い出してみましょう。
皆さんのお気に入りのおやつは何ですか?


アンソロジー おやつアンソロジー おやつ
(2014/02/01)
阿川佐 和子、阿部 艶子 他

商品詳細を見る

秋の悪戯料理

お元気ですか?

今日は当地で弓道の審査が行われています。しばらく離れていたのでスタッフに召集されることもありませんから自宅で音楽を聴いたり映画を観たりしてのんびりしましょう。

NHKのテレビ番組で「妄想ニホン料理」というのがあります。この秋から第2シーズンが始まりました。日本料理を海外の日本料理を知らないシェフに名前と簡単なヒントだけで作ってもらうという番組で、登場するのは町の食堂のようなところのシェフだったり高級店のシェフだったりします。日本料理を名前とヒントだけで作るというのも面白ければ、店の違い、シェフによる発想の違いを知るのも面白い番組で、私はいつも笑い転げながら見てしまいます。前回は河童まきをチェコやバリ島のシェフに作ってもらっていましたが、どこの国にも河童がいてやはり似たような姿をしているのが面白い。今回は茶碗蒸しをマイセンのシェフに作ってもらっていました。茶碗を温める、日本の旅館の定番料理、ぷるぷるした食感、それだけで想像する日本料理はいったいどんなものなのか・・・。

番組を見ているうちに茶碗蒸しが食べたくなりました。今日のお昼ご飯は新潟から届いたへぎそばなのですが、おかずに茶碗むしを作りましょう。

1410192.jpg


そばをゆでている横でてんぷらを揚げます。れんこんの美味しい季節ですからおねだりして買ってもらいました。ごぼうもありますので搔き揚げにします。てんぷらを揚げるのは私の担当。実は毎回技の上達を願って練習のつもりで揚げています。

そして、茶碗蒸し。

141019.jpg

蕎麦を茹でるのと天ぷらを揚げるのでコンロが塞がりますから電子レンジで作ってみます。シリコーンの器に具をすこし入れ(今回は鶏肉とエリンギと蓮根だけです)卵とだし汁をあわせた液を加えて加熱します。思いつきの簡単料理ですから悪戯気分です。料亭でいただく茶碗蒸しとは違い上品さや楚々とした美しさはありません。でもテーブルで小鉢によそいながらの茶碗蒸しに満足します。

「妄想ニホン料理」は文化が出会うときに新しいものが生まれることを楽しく教えてくれます。こんな楽しい番組は久しぶりです。この企画を考えた人に私一人でも盛大な拍手を送ります。お会い出来たらがっしりハグしたい気分!あなた最高だよ!って。
そして、家庭料理は悪戯的実践の場。違ったものをどんどん組み合わせたり妄想を広げ新しい料理を作り出していきましょう。秋の味覚を味方にしてリフレッシュすること請け合いです。

『バーニー みんなが愛した殺人者』

お元気ですか?

これまで多くの劇作家が悲劇や喜劇を書いてきました。
「しばしば、とんでもない悲劇がかえって笑いの精神を刺激してくれる。」と言ったのはチャールズ・チャップッリンですが、劇場でまたは映画館でどんな悲しい作品を見ても私たちは落ち込んで立ち上がれなくなることはありません。それは私たちが今見た悲劇を自分自身に照らして納得し乗り越えてゆく力に希望を見るからなのかも知れません。


『バーニー みんなが愛した殺人者』という映画をWOWOWで観ました。リチャード・リンクレイター監督による2011年のアメリカ映画で、主演は『スクール・オブ・ロック』でも一緒だったジャック・ブラック。芸達者な役者さんですね。
何の前情報もなく観はじめましたが、1996年にテキサス州の町で実際に起きた話を元に作られた映画だそうで、画面は住民へのインタビューという形で進んでいきます。
こんなお話です。
テキサスの田舎町カーセージに葬儀屋として勤めるバーニーは丁寧な仕事ぶりと人柄で町の誰からも愛される人気者。その彼が町一番の富豪ドゥエイン・ニュージェントの葬儀を行い、未亡人マージョリーと知り合います。高慢な彼女は町の一番の嫌われ者で息子夫婦からも裁判を起こされて家族とも疎遠になっています。そんな彼女を気使うバーニーは次第に彼女に気に入られ、食事や旅行を共にするようになり、数年後には銀行預金の管理を任されるほどに信頼されます。良い関係に見えた二人ですが、バーニーは彼女の我侭に振り回され、支配欲がエスカレートした彼女はバーニーが他の町の人と交流するのさえ禁じるようになります。ある日、マージョリーの理不尽な振る舞いに我を忘れたバーニーは彼女をアルマジロ撃退用の銃で撃ち殺害、ガレージの冷凍庫に遺体を隠します。9ヵ月後事件は発覚しますが、町の人はバーニーの無実を信じて疑わず、たとえ事実だとしても悪いのはマージョリーの方だと言います。裁判を担当した検事は裁判が公正に行われるために地区を変えて行うことを求める事態に・・・。

殺人は犯罪ですし殺した方殺された方双方に悲劇です。しかし、バーニーは愛すべき人であって憎むべき犯罪者ではないという思いが事実を前に人々を混乱させます。さらに嫌われ者の未亡人が殺されたところで住民にはなんら不都合が無い事が事実を希薄にさせます。殺されても仕方が無いと思わせるくらいに未亡人は住民に嫌われていたのでしょう。住民は自分たちに都合の良い解釈でバーニーを無罪だと思います。こうして悲劇は喜劇に転換してゆきます。

映画は喜劇です。でも内容は悲劇で、同じようなことは私たちの日常に良く見られることです。

さて、ジャック・ブラックに惹かれてこの映画を見たのですが、DVDに録画して保存する事にしました。未亡人マージョリーの役をやっているのがシャーリー・マクレーンだったからです。思わず「まだ映画に出ていたんだ」と心の中で拍手喝采。実は私はシャーリー・マクレーンのファンなのです。『アパートの鍵貸します』をテレビで見たのはいつだったでしょうか。ミュージカル『スイート・チャリティー』はボブ・フォッシーの作品です。長年の彼女の功績に敬意をはらってDVDに焼いて大切に置いておきましょう。

バーニー みんなが愛した殺人者 [DVD]バーニー みんなが愛した殺人者 [DVD]
(2014/02/07)
ジャック・ブラック、シャーリー・マクレーン 他

商品詳細を見る


チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇」とも言っています。私なんかも右往左往しながら生活していますから本人は結構しんどい時もあるのですが、傍目から見ればお笑いのような生活かも知れません。日常を笑い飛ばしてなんとか生きているといった方がいいかも知れません。
人間のやることの何処が悲劇で何処が喜劇かではなく、全部ひっくるめて可笑しいのです。だから目先の一つ一つに悲しまないようにしたいですし、笑うことが出来ないほどに心が壊れることのないようにしておかなければなりませんね。

おまけ)
シャーリー・マクレーンは1934年4月24日生まれで現在80歳。16歳でデービューしていますから、舞台・人生ともに悲劇も喜劇もいっぱい経験していることでしょうね。大企業の会長夫人の役かなんかで本社ビルのエレベーターガールと会話するシーンなんて映画で撮ってくれないでしょうかね。


オルガンコンサート

お元気ですか?

昨日の当地は冷たい雨の降る寒い日となりました。天気予報では台風の通過後寒気が日本を覆う様子が伝えられています。

町の中心地からすこし外れたところに市の福祉交流センターという建物があります。普段は行くことのない建物ですが、中規模のホールがあり、一昨年市民演劇祭で訪れたことがありました。今回はそこでオルガンのコンサートがあるというので出かけます。
福祉交流センターは開館から30年ということで、オルガンもリニューアルをしたそうです。プログラムも紹介しておきましょう。

141015.jpg  1410152.jpg

開場をすこし待って案内されるとそこはなんとホールではなくエントランスロビー。入り口のガラス戸を背にしてパイプ椅子が並べられています。見上げるとホールに向かう階段の先にオルガンがありました。
演奏会場としてはどうなのでしょうと懸念しながら席につきます。
 
オルガンの右手奥のドアから演奏者とアシスタントが登場し挨拶をし始まります。曲は私の知らない曲ですが、どうも音が混ざってざらついて聞こえます。オルガンが充分に整っていないのでしょうか。曲が進むうちにすこし良くなってきたように聞こえます。一曲目が終わったところで子供ずれのお客さんが大勢来て、係りの人が急遽パイプ椅子を並べます。なにか施設内の他の集まりが終わったので流れて来たのでしょう。

中休みを挟み1時間40分の演奏。ちょっとお尻がいたくなったり、雨に濡れた道を車が走る音、新幹線の音も聞こえてくる環境でしたが、楽しむ事は出来ました。

先日のSPレコードコンサートや今回のオルガン演奏など、当地の文化活動に接し生活に楽しみを増やしていきたいですね。


レストランの楽しみ

お元気ですか?

以前、鮨屋の思い出を書いたことがあった。
その 鮨屋の思い出鮨屋の思い出 2鮨屋の思い出 3 と題した話は私の大切な記憶だ。父に連れられて鮨屋の楽しみ方を覚えたが、外食ということで言えば洋食のレストランも同じだった。今とは比べようもないが、私が子供の頃にも函館には洋食のレストランが何軒かあり、父は私たち家族を連れて出かけた。長く離れて生活し仕事の区切りを得て家族のところに帰ってくる父。子供心にも父の安堵と喜びの表現が外食という形をとっているのが分かったし、今度はどの店に行こうと思案したであろう事が推察された。そうゆう父の気持ちを家族は楽しんだ。

今日は外食という日、夕方父の帰宅を待ちながら着替えをした。靴を磨きシャツを着替えブレザーを着た。そうゆう一つ一つが外食へのセレモニーであり心の準備だった。父も同じ気持ちだったのだろう。中心街にあった会社から父は一旦帰宅し家族そろって家を出る。会社から直接行き待ち合わせた方がはるかに近いのに、父はそうした。
レストランでどんな会話をしながら食事をしたかを私は覚えていない。肉や野菜、食材のことであったろうと思うのだがそれは今私たちが食事をしながらそうゆう会話をするから、そう推察しているだけかも知れない。口数の少ない父、静かな母、一人楽しむ私・・・。外出用の身奇麗な服、背筋を伸ばしすこし大人になったようにすましながら皿に向かうとき、私は幸福だった。

そうゆう子供時代の記憶は仕事を得て自分の稼いだお金でレストランに行くようになった時、宝物になった。時代はバブルの真っ盛り。グルメという言葉が安っぽく女性誌を飾り何処そこのレストランで食事をしたことが自慢話になるような時代、誰もが評論家になりレストランの品定めをする。そんな客と離れるように行きつけのシェフはテーブルを用意してくれた。
私はワインを覚え、お酒の飲み方を学んだ。何人かの女性を誘っては会話を覚えた。レストランは私の舞台だった。
長い年月の中で閉じたレストランもあれば、続いているレストランもある。別な町で再会したシェフもいる。先日従兄弟と会い、彼がパリで病に倒れ入院していたことを聞いた。幸い手術も上手くいき退院することが出来たので、大使館や病院の方などお世話になった方を招いて食事をしたという。その店は私も知る店だった。店は最高のテーブルを用意して彼の感謝の気持ちに花を添えてくれたと彼は感激した様子で私に話してくれた。

良いレストランは客を裏切らない。そればかりか客を立てながらいつの間にか客を導き育ててもくれる。

そうゆうレストランを経験しておくことは子供にとって最高のプレゼントになる。小学4年生にもなれば大抵は大丈夫だろう。大人として扱い、振舞うことを自然と身に着けていく。他のお客さんに気兼ねするなら店に頼んで個室かすこし離れたテーブルを用意してもらえばよいだろう。テーブルマナーなど大人のを見て覚えるのだから心配はいらない。大事なのは経験することだ。

以前、ローマのホテルの中のレストランで食事をしたとき、離れた席に家族づれの客があった。祖父母と両親、そして小さな男の子がいた。男の子は仕立ての良い紺のブレザー、ワイシャツにネクタイを少しの乱れもなく着ていた。一見してその家族が男の子も含めてこうゆう場面に慣れているのが分かった。何か家族の祝い事だろうか。レストランという公の場で家族の気兼ねない安らかさが見える。マナーは決して難しい決め事制約ではなく、お互いに相手を尊重し自由である喜びを分かち合うためのちょっとした約束事だ。私は家族のテーブルの様子に微笑ましく幸福になった。

レストランを楽しむ事が出来るようになるという事は一生の財産を得ることだ。しかも世界中どこのレストランでも楽しむ事が出来る。たとえ現地の言葉が不自由でも料理とマナーでお互いの気持ちは通じ合う。そして素晴らしい料理を一緒に味わうことの出来るパートナーと出会う事が出来る。

私には子供がいないが、一緒にレストランで食事をする子供がいたら素敵だろうなと想像する。その子がすこしすましながら背筋をぴんと伸ばしてナイフやフォークを使いながら大人になるのを見るのは楽しい事だと思う。


ティファニーのテーブルマナーティファニーのテーブルマナー
(1969/12/10)
W.ホービング

商品詳細を見る


私が唯一もっているテーブルマナーの本がこれ。文章と絵が素敵だったので買ったが、これ一冊で十分。
私の本は表紙が白地に赤い縁になっているがテーブルマナーの本なのだから私の表紙の方が好きだ。

ファミリーレストラン

お元気ですか?

先週の9日ファミリーレストランのすかいらーくが東証1部に再上場し1200円の初値をつけた。初値でみると時価総額2300億円でマクドナルドに次いで外食産業では国内2位の規模だそうだ。再上場というのは8年前にMBOを行い上場廃止にしたからなのだが、景気が冷え込み株価も下がる一方だった時期にMBOを行い再建を目指した姿勢は評価出来る。
東京にいた頃、一時期すかいらーく本社のすぐ近くに住んでいた。だから和食系の店も含めすかいらーくグループの店舗が多くあったし、対抗するように他のファミレスチェーンの店も多かったように思う。
思う、というのはファミレスはほとんど利用することが無かったからで、パートナーさんの習い事の帰り、もう家に帰っても食事を作る気力も無いというときに仕方なく利用するのがせいぜいだったからだ。だからたまにファミレスに入ると大きなメニューをテーブルいっぱいに広げて眺めながら言葉を失う。季節商品?ドリンクバーをつけたら?サラダのあるセット?と頭の中に選択肢をならべてみると結構いいお値段になってファミレスで使う金額ではないなと安い無難なセットを頼むことになる。
何処どこのラーメン店、何処どこのカレー屋、何処どこのカフェと話題にするように、ファミレスにも一家言を持つ人(ファミレスおたくと言ってもいい)がいるだろうからそうゆう玄人さんから見たら私の注文などはなんの冴えもないつまらないものなのだろうと確かに思う。

当地にハンバーグを売り物にした人気のチェーン店がある。メニューは極端に少なくボリューム感のあるハンバーグ、ステーキ肉、が熱々の鉄板に載せてテーブルに運ばれ客は決まりごとのように紙ナプキンを胸の前で広げていると係りの女性が「撥ねるのでお気を付けください」と言いながらソースをかける。ソースは出番が来たとばかりに焼けた鉄板の上で撥ね、ナプキンに飛び散る。これが店の売りだが言ってみればそれだけ。しかしその店がいつも混んでいる。私の行動範囲、買い物に行くバイパス道路沿いとスポーツジムに行く道と2店舗をいつも見るのだが、平日にもかかわらず夕方になると店に入りきれないお客さんが道路や駐車場で順番を待っている。外食をしてハンバーグを食べようという目的とジュージューいって撥ねるソースと油をナプキンで受けながらキャーキャー言うイベント性がお客さんにこの店に行けばこうゆう経験が出来るという安心感(もしくは習慣性)を植えつけることに成功したのだろう。

そこまでは店の成功事例として私も理解するし認める。ただどうしても理解できないのが店の外まで並んでその食事をしたいという客の気持ちである。私が短気なのかも知れない、店の味やサービスを評価していないのかも知れない。でもどう考えても千数百円のランチ、またはディナーを1時間近く(そのぐらいは食事の時間にかかるだろう)待つという事は私には考えられない事だ。
パートナーさんに並んで待って食事したことがあったかと尋ねたところ、札幌のラーメン横丁で親父が案内してくれた店で二三人待ってカウンターで離れて食べたことがあった事と、正月に友人と歌舞伎を観た帰り何処の店も閉まっていて仕方なく寿司屋(しかも回転寿司屋だった)に待って入った事があったのを思い出してくれた。

食事は料理を食べるのと同時に、時間と空間を楽しむためのものである。まして外食は家庭での料理とは違うものを求めてお金を払うのだから、その食事のために店の外にまで並んで待つというのは考えられない。
ところが世の中は私の考えとはまったく違うようで、行列の出来るラーメン店とか言って待つことに価値を見出している人たちが多いようだ。先日もいつもの朝の経済番組でニューヨークにあるクロワッサン生地で作るドーナッツの店を取り上げていて行列に並んでも食べたいと大の大人が真面目な顔で答えていた。行列の出来るラーメン店のラーメンをたまたま並ばないですぐ席につけたとしたらその客は同じように美味しいと満足するのだろうか。

最近当地のイタリア料理の店がディナーを予約制それも一組だけという形にしたと聞いた。私の馴染みのフレンチもディナーは予約をしてほしいと言う。食材の仕入れやサービスの質を維持するためには必要なことなのだと思う。東京のように人口が多いところでも一定の客数を維持するのは難しくなっている。
お店の方に事情があるように、客の方にも予約するメリットは大きい。まず食事をする時間を自分たちのために(たとえ他にも客がいても)使える。レストランで食事をすれば2時間から3時間は最低でもかかるがその間客は主人である。お店はそのように準備をしサービスする。何回か通い慣れてくるとサービスの人、もしくはソムリエは好みのワイン(以前飲んだワインも)覚えてくれて料理にあったワインを奨めてくれる。シェフは客の好み、もしくは喜ばせるような料理を作り提供してくれるようにもなる。
ファミレスで店の外にまで並び、先客が終わるのを待つのとは別な世界だ。だいたい、先客が終わるのを待つということは自分たちも次の客に待たれているということだ。そんなせわしない店は落ち着いて食事をすることは出来ない。そんな食事なら立ち食いそばや牛丼チェーン店の方が目的に適っている。

ファミリーレストランがいけないと言うつもりはない。ちょっとした打ち合わせや子供(特に乳幼児)連れで外で食事をしたいときには便利だろう。それは食事とは違う事情が重い場合である。
ファミリーレストランで順番表に名前を書く前に、店の中や外にまで並び先客の食べ終わるのを待つ前に、自分が本当はどうゆう食事をしたいのかよく考えてはいかがだろうか。

町逍遥・・・「イ」を見たくて

お元気ですか?

当地、青色発光ダイオード(LED)を開発した功績でノーベル物理学賞を受賞した天野浩先生の出身地ということで、町も浮き立った感じ。12年前の2002年に小柴昌俊先生もノーベル物理学賞を受賞していますが、この時はニュートリノの観測をするカミオカンデの装置を当地の会社が作っていて、やはり物作りの町、技術の町という誇らしい気持ちが町の人たちにも満ちていたような気がします。今回は天野先生の出身高校も当地ということで、あぁ高校生たちの喜びようといったら・・・。嬉しいですよね。

パートナーさんが夏休みの残りを取ってお休みというので、以前から行ってみたいところに出かけてみました。

1410106.jpg

当地のNHK放送局は小高い丘の上にあります。先日SPレコードのコンサートに出かけましたが、現在この建物では全国からSPレコードが集められ資料として保管されています。

1410104.jpg  1410107.jpg

そして、建物の横には画像の送受信に成功した記念のモニュメントが建っているのです。

1410105.jpg

1924年(大正13年)に高柳健次郎は浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授になり研究を始めますが、1926年の12月25日、世界で始めてブラウン管に「イ」の文字を映し出すのに成功します。

1410101.jpg  1410102.jpg

浜松工業高校の跡地にも研究を記念するモニュメントがありました。

1410103.jpg

高橋先生による言葉も飾られていますが、高橋先生の門下生堀内平八郎は後に浜松ホトニクスの創業者になり、小柴昌俊先生の研究の検査装置を作ることになるのです。当地の研究と物づくりの精神がノーベル賞に結びついた言ってもいいでしょう。志を持ち、諦めない強い心を鍛えることの大切さを改めて思います。

皆さんの町にも思いがけない所に先人の偉業を記した物があるかもしれません。ちょっとお散歩して探してみてはいがかでしょう。

記憶の塊

お元気ですか?

昨日は台風一過で高い青空に蒸し暑いくらいだったのが、今日は一転雲に覆われて雨交じりの寒さ。家の前の田んぼには刈り取られたあとの藁が水の引いたままに散らかって残され、そこにいつにも増して鳥たちが集まって賑やか。

最近左の耳の上、脳の中にこぶし大の塊があって、それは薄い茶色のようで輪郭が絵の具を水で溶いたようにぼやけているのだが、その中にどうやら記憶の一篇がいくつか入っているようだ。ふとした拍子に何かを思い出そうとすると決まってその脳の中の塊が浮かんでくる。何を思い出そうとしているのかも定かではないのだが、その塊に手を近づけると手のひらに二つ三つ柔らかいぼんやりと形になろうとしているものが乗っている。ただし、見つめてもそれが何なのか皆目わからない。
何かはっきりしないもどかしい感じがあって、頭に手をやったりするのだが、もちろん脳を掻くわけにもいかないし取り出して見るとゆうのも出来ない。
そもそも、それが記憶の塊だというのは私がそう思っているだけなのだが、それはかなり確からしい。大切な記憶なのか他愛もないものなのかはわからないが、手にとったそれを見ながらあぁこれがはっきり見ることが出来れば因果が分かるのにと予感する。しかしそれは蛸の卵が薄いけれどしっかりした皮膜に覆われているように姿を現さないままだ。

この脳の中の塊は何かを思い出そうとするときに現れるのではない。何事もない普通のときに突然現れて、私に記憶を見るように要求するのだ。だから、昨日の塊と今日の塊とでは、検めることがまだ出来ていないが、中身が違う。それは分かる。まるで記憶の方が何か意思をもって私に思い出してもらいたがっているかのようである。

そもそも、私は何処にいるのだろうか。現実というものが記憶の連続性の中にあるとしたら、そしてその記憶をところどころ溢れ落としているとしたら私がいる現実は作り替えられていないまでにしろ随分と隙間だらけの不完全な現実なのではないのか。その現実の不完全さに不安を感じた私が記憶から溢れ落ちた現実をすくうようにして拾い集め補完するように欲しているのではないのか。
だが、溢れ落ちたのにはそれなりの理由があったのではなかったのか。記憶が必ずしも私にとって喜ばしい都合の良いものとは言えない。むしろと留めたくないからこそ溢れ落ちてしまったのではないのか。その記憶が私にもう一度居場所を要求している。
脳の中の薄茶色の塊の中にある記憶の一篇一篇を見つけ出し、私の中に置き直してやることで何が変わるのか。そんな事を思いながら最近自分の脳と付き合っている。

********

そんな生活をしていたら、梨木香歩さんの『F植物園の巣穴』という本を読んだ。植物園に勤務する男が迷い込む異界の話なのだが、梨木さんらしく意識と世界とが重なりあって境界がぼやけているのが愉快だ。
私の脳がこの本を読んで自分の脳を理解する助けにしろとでも言っているのだろうか。

f植物園の巣穴f植物園の巣穴
(2009/05/07)
梨木 香歩

商品詳細を見る




頭の体操

お元気ですか?

台風が近づいて深夜から雨が降り続いています。雨戸も閉めて今日はすっかりお休みモード。

パートナーさんの職場では Office 365というマイクロソフトのクラウドでシステムが組まれているのですが、パートナーさんの部屋は個室なのでパソコンもプリンターも彼女一人で使っています。その彼女が家に帰ってくるなり「ねぇ、訊いてもいい?今日文章をプリントしたら階も部署も違うところのプリンターから打ち出されて出てきたの。あれ?出てこないなと思って2回目にプリントボタンを押したら自分のところのプリンターからちゃんと出てきたのに・・・」「それでシステムに連絡してこんなことってどうして?と訊いているんだけど、なんだが、相手にされてないみたいで・・・」

パソコンは時々私たちに思わぬ悩みをもたらします。まだ紙テープが活躍していたころからコンピューターに接していた私ですが最近のシステムにはすっかり異邦人です。それでもこうしてパートナーさんから相談されるとあれやこれやと考えてみるのですが、これがけっこう頭の体操になります。

函館に行っている間にウォークマンを購入しました。カセットテープの時代から考えると何台目になるでしょう。youtubeから曲や映像をダウンロードしウォークマンで聴くことが出来るのですから便利な世の中になったものだと関心すると同時に、これではCDが売れなくなるのも無理はないと思います。
ウォークマンに移した曲が知らないうちにiTunesに入り同期させたiphoneにも入ります。設定を見直さなければいけないと思っているのですが、問題なのは同じようにダウンロードした曲でiTunesに移っていないものがあること。この違いはどこからくるのでしょう。細かく見ていって試してみたりしながら原因を確定してゆかなければなりません。実は私はこうゆうトラブルを調べ頭の中で整理しながら推理し解決への道を探る作業が嫌いではありません。普段あまり使っていない頭を刺激する良い機会だと思っています。

先日から少し頭を悩ませる問題が起こりました。ウォークマンにCDから曲を移していた時のことです。

41MP31T9ECL.jpg  IMG_20141004_0001.jpg

移したのは上のジャケットのCD、ショパンのピアノ協奏曲です。ルービンシュタインとアルゲリッチのカップリングというなんとも珍しいCDです。このCDはポーランドの ACCORD CD というメーカーの輸入盤でACD080という製品番号もわかります。
本体ケース、CDともに輸入されたもので日本の発売元により解説が添えられています。その解説の裏表紙に収録曲が書かれています。それが右の写真。
ピアノ協奏曲第2番へ短調作品21 ルービンシュタインによる1960年のライブ演奏。そしてピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11 アルゲリッチによる1992年のスタジオ録音と書かれています。
通常CDを買うとき、試聴盤を聴くことができない場合、私たちはこの内容を信じて購入します。ところがこれが全く違うものだったらどうでしょう。
CDをパソコンに取り込むとプロパティでCDのデータを見ることができます。それを見ると第2番ルービンシュタイン、第1番アルゲリッチと入っているはずなのに、第1番、第2番と並びしかも両方とも演奏者はルービンシュタインとなっています。

Artur Rubinstein  1960
Chopin: Piano Concerto #1 In E Minor, Op. 11, B 53 - 1. Allegro Maestoso 12:24
Chopin: Piano Concerto #1 In E Minor, Op. 11, B 53 - 2. Romance: Larghetto 8:53
Chopin: Piano Concerto #1 In E Minor, Op. 11, B 53 - 3. Rondo: Vivace 8:36

Artur Rubinstein  1992
Chopin: Piano Concerto #2 In F Minor, Op. 21, B 43 - 1. Maestoso 19:17
Chopin: Piano Concerto #2 In F Minor, Op. 21, B 43 - 2. Larghetto 9:53
Chopin: Piano Concerto #2 In F Minor, Op. 21, B 43 - 3. Allegro Vivace 9:29

あれ、なんかおかしいぞ。と頭の中にもやもやしたものが生まれてきます。この居心地の悪さを晴らさないと私はどうにも落ち着きません。そこで手がかりを求めます。
ウォークマンとパソコンをつなぐアプリケーションはXアプリ、またはMedia Goというのがあります。私はMedia Go を使っていますが、どちらも自動的にインターネットに接続し不明なデータを探してきてくれる機能があります。CDのジャケットも入れたCDに合わせて探してくるのですが、今回のCDで引っ張ってきたジャケットは次の写真のものでした。

420.jpg

輸入盤や再発売のCDの場合、以前のジャケットが引っ張ってこられる事もあるので、最初私は、実は私が持っていたCDはカップリングCDではなくてルービンシュタイン一人のCDなのではないのかだからこのCDのジャケットが引っ張られてきたのではないのかと想像しました。そこで、図書館でこの表紙のCDを借りてきて、中を見てみることにします。

結果は次のようなものでした。

Artur Rubinstein 1961
Chopin: Piano Concerto #1 In E Minor, Op. 11, B 53 - 1. Allegro Maestoso  19:42
Chopin: Piano Concerto #1 In E Minor, Op. 11, B 53 - 2. Romance: Larghetto  10:45
Chopin: Piano Concerto #1 In E Minor, Op. 11, B 53 - 3. Rondo: Vivace  10:10

Artur Rubinstein 1958
Chopin: Piano Concerto #2 In F Minor, Op. 21, B 43 - 1. Maestoso  13:20
Chopin: Piano Concerto #2 In F Minor, Op. 21, B 43 - 2. Larghetto  8:37
Chopin: Piano Concerto #2 In F Minor, Op. 21, B 43 - 3. Allegro Vivace  8:10

Media Go がネット上から引っ張ってきたジャケットのCDもまた私のカップリングCDとはちがうものでした。きっとルービンシュタインの演奏、ショパンのピアノ協奏曲1番2番というのから一番近いのを探してきたのではないでしょうか。
そしてここに至って私は二つの事に気がつきます。
一つは、カップリングCDの2曲目、協奏曲2番を弾いている1992年にルービンシュタインは既に亡くなっているのです。そしてもう一つは曲の長さです。曲のタイトルを全く無視して曲の長さだけを見ると、カップリングCDは2番、1番の順番で収録されているのです。

音楽をよく聴いている方でしたら、最初から聴いてみればいいじゃないかと思われるかもしれません。確かにそうです。しかし今回の私の試みはデータをどう理解するかという事が主眼です。そして、もしショパンのピアノ協奏曲を初めて聴く人がこのCDを買ったとしたならどこで曲を判断するのかという問題です。まして、ルービンシュタインの演奏、アルゲリッチの演奏の特色を知らない人に判断を求めるのは無理な話なのです。

さてここまでで分かった事を整理してみましょう。
このルービンシュタインとアルゲリッチのカップリングCDはショパンのピアノ協奏曲が2番、1番の順に収録されています。2番は録音の内容からライブ録音であることがわかりますので、ルービンシュタインのものでしょう。大変繊細な演奏、柔らかい音色のルービンシュタインですが、1960年の演奏(だとして)は若々しさが感じられて好感が持てます。
次の1番はアルゲリッチなのでしょう。1992年にはルービンシュタインがすでに亡くなっている事と演奏からそう判断するのですが、裏表紙のデータによると1992年にポーランドのスタジオで録音されたもので演奏の最後には聴衆の拍手も録音されています。アルゲリッチらしいしっかりしたタッチと力強い演奏です。
つまりCDのデータのうち1番と2番が逆になっていて(ただし録音年と演奏時間は正しい)演奏者は1番がアルゲリッチなのにルービンシュタインになっていたということなのです。

それにしてもどうしてこんな事故が起こってしまったのでしょう。演奏の長さは編集の時に自動的に出てくるものです。しかし、演奏者や曲のタイトルは人間が打ち込まなければなりません。CD制作時の不注意が起こした事故なのです。ポーランドのメーカーが作ったショパンコンクール縁のカップリングCDですが、パソコンでデータが読めるようになった今、日本の音楽ファンを悩ませる事になるなんて誰が想像したでしょう。
おかげでちょっとした探偵気分を味わったのですから悪い気はしていませんが。

おまけ)
現在このCDは日本の販売元がなくなったようで国内では発売されていません。ポーランドのメーカー ACCORD CD ではまだ商品リストに載っていますから入手は可能でしょう。Amazonでは中古品で購入が可能なようですが、データの事故について触れた記事がありませんから現在お持ちの方がご存知ないか、それとも私のCDだけが、もしくはロットだけが事故になっているのかも知れません。
比較検証のために図書館から借りたCDはSACDという高品位のCDでオリジナル・マスターテープから作り直したものです。いままでのCDを遥かに超える情報量をもつSACDは臨場感が圧倒的に違います。そしてこのCDの演奏は素晴らしく、ルービンシュタインのお薦めの一枚と言ってよいでしょう。
もしこれからショパンのピアノ協奏曲を聴きたいとお思いの方がいらしたら是非このCDをお聴きください。



『不思議な羅針盤』

お元気ですか?

梨木香歩さんの本が続いています。気になると集中して読もうとするのは私の癖です。これが古本屋さんで探してというのでしたら何年越しでとなるのですが、今回は図書館で借りていますので、以外に次から次と読むことが出来るのです。しかし、作家が何年もかけて書いている作品をあれもこれもと読んでいると私の中に落ち着きのなさのようなものを感じ出します。それは作品たちがそれぞれ持っている距離感や梨木さんが思考し作品に仕上げていった時間を無理に縮めてしまったことからくるものです。あまり急いで読むと一つの作品が私の中に沁みて定着する間もないうちに次の作品が混ざってしまい、熟成のしかたに無理が生じるのでしょう。書き出した未読の作品リストを見ながら少し反省をしています。

『不思議な羅針盤』は雑誌『ミセス』に2007年1月号から2009年12月号まで連載されたエッセイをまとめたものです。読者層は梨木さんと同年代ですからきっと反応もよかったのでしょう。3年に渡るエッセイの内容は梨木さんの様々な視点を知ることができます。
エッセイという言葉を知ったのはいつのころでしょう。小学生のときに教科書にあった文章が最初かも知れません。中学生の頃、遠藤周作がブームになり狐狸庵先生や北杜夫、阿川弘之などがインスタントコーヒーをテレビの中で飲んでいました。狐狸庵先生は従姉妹のお気に入りでしたので私は近寄らず、吉行淳之介に向かいます。まぁ色気づく頃ですから正しい選択でしょう。とにかく小説とは違う読み物とのお付き合いはこの頃からなのです。
小説を読むときは物語を楽しみます。その上で作者が何を描きたかったのかを考えますが、エッセイの場合はこれが私の視点ですと直接的に読者にメッセージが届けられます。これは結構大変なことで、読者は作者のストレートな視点や感情と向き合わなければなりません。作者の生身なところと付き合わなければならないのです。梨木さんは正直な人のようで、エッセイの中で作るということをしていません。少し硬さを感じるくらいに正直でストレートな方なのです。

『不思議な羅針盤』は雑誌に掲載されたエッセイですから、季節感や時事的なことを含みながら書かれています。庭に見つけた草花、犬の散歩の出来事から動物の野生性、そして人間の事。その文章は読者と雑誌の距離感と同じような距離感をもって読者に向き合います。『ミセス』は大きくて結構重い雑誌です。手に取って読もうとするときそれは読者に覚悟を求めます。読者も年齢層は高めですですから意識の高さ価値観も定まった方が多いでしょう。受動的では決してない読者にエッセイといえども、いやだからこそ、真剣勝負、正直に向き合わなければならないでしょう。
梨木さんの読者はエッセイを読み改めて梨木さんを知り微笑ましく思ったり共感したりするでしょうし、ご存知無かった方は草木を見たり電車の中の風景にふとエッセイを思い出して梨木さんの視点と自分の感性をくらべて新しい発見をするかも知れません。もしかしたらそうして次の雑誌の発売を待つ楽しみを得るかもしれません。雑誌に掲載されるエッセイというのはそうゆう距離感を読者に持たせます。
一方単行本になったエッセイを読むとき、私はある緊張をもって読み出します。今ふとそれは寿司屋のカウンターに座った時の緊張と似ているかもしれないと思ったのですが、並べられた魚の前で、どう調理されるのか自分の経験知識感性といったものをフル稼働させながら板さんと向き合う緊張です。
作者は何をどうゆう視点から見て何を感じそれをどう表現してくるのか。それを私はちゃんと捉えることが出来て、さらに自分のものと比べることが出来るのか。そうゆう向き合う緊張が物語を読むのとは違う形でエッセイには存在します。
しかも、その緊張は雑誌に掲載されるリズムとは違い、頁をめくるたびにやってきますから、クイズの早押しボタンを押すような緊張を体験することになります。これがテーマの決まったエッセイならこれほどでもないでしょう。食べ物に関するエッセイだったり映画に関するエッセイだったりと前もって分かっていればこちらも心構えが出来ています。池波正太郎のエッセイにはそうゆう読む側の安心感がありました。しかも彼はエッセイを作っています。

梨木さんの雑誌に掲載されたエッセイは話題の切り口が色々で、植物や動物の話となると私は最初から降参しているのですが、それでも、カラスと話をするところでは、函館の家でカラスと睨み合った事を思い出しますし、彼女自身の小学生の頃を書いた文章では人間の個がもつ方向性の狭さについてふれていて全く共感してしまいます。
平松洋子の『夜中にジャムを煮る』やイサク・ディネセンの『アフリカの日々』など記憶に残る本が取り上げられていれば密かに喜びもします。
それでも『不思議な羅針盤』を読み終えた今、少しばかり疲れてしまっています。そして読み方を間違ったかなと思ったりするのです。雑誌の連載という使命を終え、単行本になったとはいえ、この本に収められている文章は時間を置きながらゆっくりと読むべきものであったに違いない。一つのエッセイを読んだらそれが静かに自分の中に収まるのを見届け、自分の日常の中で思い出してあげることで根付かせる必要のある文章たちなのだったと。

子どもの頃、図書館から借りてきて読んだ本でどうしても手元に置いておきたくて、結局書店で買ってしまったように、梨木香歩さんの本は自分の本棚に収め時々読み返しながら熟成を楽しむことが必要な本なのでしょう。そうゆう作家と出会っていることを私は喜んでいます。

不思議な羅針盤不思議な羅針盤
(2010/12/17)
梨木 香歩

商品詳細を見る

『海うそ』

お元気ですか?

梨木香歩さんの『海うそ』を読みました。カバーの折り返しに創業百年記念文芸と書かれていますので、岩波書店の企画の一つなのだと思い、岩波のサイトを訪れてみると高橋源一郎、平田オリザ、谷川俊太郎と私にも馴染みの方の作品が顔写真とともに紹介されています。おや、これはと思いながらスクロールしてゆくとやっぱり・・・と思わず笑ってしまいました。梨木さんの紹介には丸囲みの中にリスの写真。作品のイメージに影響するのを嫌ってか梨木さんの姿は見ることが極めて難しいのです。確かかなり以前、雑誌に載ったことが一度あったように記憶していますがその雑誌すら私はしっかりとは見ていません。

『海うそ』はこんな話。人文地理学者の秋野は南九州の離島遅島を調査目的で訪ねる。修験道の霊山があった遅島は豊かな自然と平家の落人の歴史を抱え様々な言い伝えをもつ島で、秋野は住民の話や山歩きの案内の青年との出会いを通じて島の文化の深さに触れてゆく。

作品の中には沢山の草花や鳥が出てきます。島の岬や山中の祠を訪ねながら歴史を掘り起こす研究だから自然描写は欠かせないのですが、残念なことに私には素養が無くきっと野山の草花、樹木、鳥や動物の生態に知識があればこの作品はもっと読者に迫るものがあるのだろうと感じながら読み進みます。
主人公の学者秋野は亡くなった研究室の教授の調査を引き継ぐ形で島を訪れています。そして彼自身も許嫁や両親を亡くした悲しみを抱えているのですが、遅島にはあちらこちらに廃仏毀釈の残骸や修験道にまつわる言い伝えが残っています。これらの伝承や遺構は彼にどんな変化をもたらすのでしょう。

『ピスタチオ』で梨木さんは死者には物語が必要だと言います。死んでから始まる「何か」、別の次元の「つきあい」があると言います。『ピスタチオ』では呪術師を通じて知らされる精霊に導かれるように、死者との対話が始まります。それは想像する力であり思いを寄せる作業だと言えます。『海うそ』では伝承や朽ちた遺跡を見つけ出して死者に思いを寄せます。
秋野は身近な人の死を抱えて遅島を訪れていますが、その遅島で死者との向き合い方を見つけているのでしょう。
私たちは常に死者と死者の間に生きています。子どもの頃仏壇の無い私の家で母は祖父母の写真を箪笥の上に飾り事あるたびにお供え物をしていました。少し背伸びをしてご飯やお菓子を置くのは私の役目です。父は両親の思い出や戦争で亡くなった兄弟の話をしてくれます。そうゆうことを通じて私は死者とともにあることを身につけてゆきました。小学校に上がる頃、母の両親が亡くなります。兄妹が交代で見舞い、世話をするのに小さい私たちはついて行きます。死への準備を幼いながらに知るのです。死は死者のものではなく生きている者、残される者たちのものだということを学ぶのです。

物語では50年後にリゾート開発の進む遅島を再訪した秋野が開発に携わる息子を相手に島の事を述懐します。海うそと呼ばれる蜃気楼を見て、「風が走り紫外線が乱反射して、海も山もきらめいている。照葉樹林の樹冠の波の、この眩しさ。けれどこれもまた、幻。だが幻は、森羅万象に宿り、森羅万象は幻に支えられてきらめくのだった。」と秋野は悟ります。
生者が死者を思い寄り添うとき、物語が生まれます。物語は生と死とを一体とし昇華させてゆくのだと言ってよいでしょう。
死者の物語を語るのは生者の務めなのかも知れません。


海うそ海うそ
(2014/04/10)
梨木 香歩

商品詳細を見る

杣人のNuages

ブログ内検索
 RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ホテル探しに!
クリックをお願いします!
Google