プロフィール

杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

カレンダー
10 | 2014/11 | 12
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
リンク
ブログランキング

FC2ブログランキング

人気のあれこれ!
月別アーカイブ
最近のトラックバック

人は他人のために何が出来るか

お元気ですか?

今日、スパー大手として一時代を築いたダイエーが臨時株主総会を開きイオンの完全子会社となることが決定、4年後までに店舗からも名称が消えることとなった。「主婦の店」として始まり価格破壊をスローガンにして成長したが、バブル崩壊後は転がり落ちるように経営が悪化した。低価格をうたい消費者の立場を叫んでいたが、一方ではメーカーに対しては厳しい値下げ交渉を行ったり販売協力金(キックバック)の要求をしたりと強引な姿勢が非難を浴びたりもしている。イオンもダイエーと同様の経営スタイルで低価格帯商品の展開をしており、古い体質を引きずっているのではないかと懸念する声も聞こえる。

ダイエーの崩壊は消費者にとってすでに関心の外であるが、「アベノミックス解散」と首相自ら声を大きくする姿に政治家の相変わらずの事と呆れてしまう。民主党政権下迷走した政治により労せずして政権を奪い返した自民党であるが、この間やってきたことは憲法改正への地ならしと原子力発電再稼動への道作りである。円安になったとはいえ株価はまだ17000円台、国内消費も伸びていない。この先山積する問題に向かう前に選挙を行い、「あなたたちが安部政権を選んだんでしょう」と白々しく言うのが目に見えるようだ。
今日、経済産業省が運転開始から40年前後経過した原発を廃炉にした場合、電力会社に生じる損失額が1基あたり約210億円になるとの試算をしたと報じられた。同時に電力会社が損失を複数年に分けて計上出来るようにするという。さらに電力料金の値上げにより費用を消費者に負わせることも検討されるという。
廃炉作業は高度な技術を要し年数も長くかかる作業で未知の部分が多い。210億円がどう算出されたのか分からないが、あまりにも安いのはかえって疑問を強くする。電力会社が廃炉作業に取り掛かりやすくするための損失計上の変更も経営実態を不透明にする要因になる。そして東関東大震災以降明らかになった電気料金の決め方を反省することもないまま、消費者の負担は平気で盛り込む無責任さは現政権の姿勢、実態だ。
原子力発電はCO2排出量削減と経済性を御旗に日本のエネルギー政策の基幹部分として推し進められてきた。建設地にしても安全性を保証するとして建てられ漁業補償や補助金で地域住民の不安をねじ伏せてきた。しかし、3.11により原子力発電の安全が絵空事であり、保証はおろか大切な土地が失われるということがはっきりした。被災した人たちの生活や失われた土地、原子炉の廃炉作業などを経済面から考えたとき、原子力発電が経済性で他の発電より優位にあるとは決して言えない。確かに風力や太陽光、潮力に地熱といったクリーンエネルギーの発電は規模も小さく安定性に欠ける。でもそれは原子力にかまけて開発研究をおろそかにしてきたからではないのか。経済や政治には国民の生活を守る高い倫理性が要求される。経済効率や国際社会での優位性だけではなく、国民が日本の国民であることを誇れるように活動してゆく必要がある。何も出来ていないのに「アベノミックス解散」などと自慢げに言う前に、国民が何を選択しなければならないのかを公平で分かりやすく提示することこそが政治家のやることだ。国は国民のものであり、国民の思いを受けて行動する政治家こそが信任される政治家であることを政権は肝に銘じていなければならない。

話は変わるが、最近「21世紀の資本論」という経済書が話題になっている。2013年にフランスの経済学者トマ・ピケティによって書かれ静かな評判を得ていたが、今年4月英語版が出版され拍車がかかったようだ。ローレンス・サマーズが「この本の統計データだけでノーベル賞に値する」と言ったり、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンが「今年、そしておそらくこの10年間で最も重要な経済書」と評している。200年以上歴史を遡ってデータを基に資本主義において資本収益率は経済成長率を上回り経済的不均衡を拡大させる事を証明し、資産家の富は労働によって得られる富より早く蓄積されてゆくという。なにもしなければ格差は広がり続ける。解決策は累進課税導入と資産移動による課税逃れを防ぐために国際的な取り決めが必要としている。しかし富を持った資産家が簡単に賛成するわけがない。
「21世紀の資本論」についてはいくつかの問題点も指摘されているが、自由経済による資本主義が全ての人に富の分配がなされるものでないことをデータで示した功績は大きい。資本主義は資本家に富が集まる場面があるにしても労働者へは賃金の上昇などにより富が再分配されるとしていた。だが現実は違う。現在の日本の状況をみてもそれは理解できる。一昨年の秋から円安の方向に転じ始め「2%のインフレ目標」を実施すべく日銀による量的緩和を推し進めるまでになってきている。これにより経済は持ち直してきたかに見え賃金上昇の声も一部では聞こえるがそれは大手企業と官公庁の話で99%を占める中小企業で働く労働者にその恩恵は行き渡っていない。賃金が上がらないまま物価が上がり金利もあがるようになれば資本家と労働者、大企業で働く労働者と中小企業で働く者の格差は広がったままだ。

日本人は穏やかな国民だと思う。災害に遭おうが、原発事故で土地を奪われようがじっと我慢しながら生活を続けている。世界各地から伝えられる様々な抗議デモや暴動のニュースを見るたびに、日本人だってはらわたの煮えくり返るような思いをしながら生きているのは同じなのにどうしてこうも違うのかと思う。それは誇らしく思うと同時に何とかしなくてはと悔しい思いにさせる。

我が家では東京時代からはちや珈琲さんで珈琲豆を買い飲んでいる。インスタントコーヒーや缶コーヒーは飲まない。毎日二杯は飲む珈琲だから美味しいものを飲みたいと思ってめぐり逢ったはちや珈琲さんの豆、以前は国連珈琲豆と言い現在スペシャルティー珈琲と呼ばれる厳選された豆で、はちや珈琲さんでは他の仲間の方と共同直輸入という形で仕入れている。国連珈琲というのは国連が発展途上国の経済的自立を促進するために珈琲栽培に援助するプロジェクトで1998年より、アフリカでは「エチオピア」「ウガンダ」「ブルンディ」、 アジア・オセアニアは「パプアニューギニア」ラテンアメリカは「ブラジル」で試験的に行われ一定の成果があがったとして一旦2000年5月で終了しその後もフォローというかたちで継続している。
珈琲に関しては映画『おいしいコーヒーの真実』を見た人もいるだろうが、発展途上国において重要な商品作物であるにもかかわらず、生産者の生活を維持することが出来ないでいるのが現実だ。世界的大手コーヒーメーカーによって安く設定された価格に生産者は従うことしかない。この現実に風穴をあけようとする試みが、高品質の栽培でブランド化を行い商品価値を高めたスペシャリティーコーヒーであり、フェアトレードへの試みである。もちろんフェアトレードにも様々な現実があり、理想の姿が存在するわけではない。大手メーカーの言い逃れに利用されたりさえする。それでも何かしないよりはましだろう。
正直な話、私はあまり物の値段について考えないほうだ。日常の買い物である食材はパートナーさんが考えてくれるし、ほとんど全てのものは買うか買わないかを相談して決める。本当に必要で欲しいものは予算を組み買うから衝動買いは全くないし、お金が足りないから安いほうを買うという事もない。ある意味では物の価値をお金で計るということが下手なのかも知れない。しかしそれは物の価値を理解していないという事とは違う。
スーパーで大手メーカーの袋に入ったレギュラーコーヒーは100g120円ぐらいで売られていた。これに比べはちや珈琲さんから買う豆は約8倍ぐらいの値段がする。我が家では1ヶ月で5000円ほどの金額を消費している。これを高いと思うかどうかはその人の価値観の違い、金額の向こうになにを見るかによって違ってくる。私は味が美味しいことが第一。次に生産から流通にかかわる全ての人が商売として成り立ち生活が営める金額である事が大事だ。もし私が飲む珈琲のせいでアフリカやエチオピアやブラジルの人たちが貧困のままでいたり、児童労働が強いられるような生活をするのであるならば、珈琲を飲むのを止めたほうが良い。

ダイエーが消費者のためにと言って低価格を声だかに叫んだ向こう側にはメーカーの首を絞められるような叫びがあった。流通革命と言いながら生産者をないがしろにした結果がダイエーの破綻につながったと私は思っている。
国のエネルギー政策も同じでCO2削減、電気料金の安定と言う政治家は処理出来ない核燃料廃棄物を生みながら費用を国民に求める。生活を奪う原子力発電を稼動させて電気を作って何の意味があるというのだろう。福島原発の事故で生活の場を追われた人が青森の大間原発で働いている。その悔しい胸のうちを思うと私は原子力発電で作る電気は使いたくないと思う。
経済や政治、法律には高い倫理性が求められる。珈琲を飲みながら、テレビで燃料電池車のニュースを見ながら、これらの中にある倫理性を探さなければならない。

スポンサーサイト

初めてのオペラ、楽しみの始まり

お元気ですか?

最近図書館を利用する機会が増え、本と一緒にCDも借りるようになった。You Tube で好きな曲を見つけてダウンロードすることもあるが、演奏家や曲名で検索をかけ図書館の在庫の中から借りてくる。思いがけず良い演奏に出会う事もあって宝探しのような気分になることもある一方こうゆうCDはどうなんだろうと考えてしまうものもある。今日はそんなお話。

先日ふとキリ・テ・カナワの『オーヴェルニュの歌』を聴きたいと思った。キリ・テ・カナワはニュージーランド出身のソプラノ歌手でチャールズ王太子とダイアナ妃の結婚式で歌った歌手としても知られている。『オーヴェルニュの歌』というのはジョゼフ・カントルーブがオーヴェルニュ地方の民謡を基に編集したオック語で歌われるとても美しい歌曲集。私はキリ・テ・カナワの歌う『オーヴェルニュの歌』のLPレコードを持っているのだが、CDでないかと図書館の検索をかけてみた。
残念なことにキリ・テ・カナワの歌う『オーヴェルニュの歌』は無く、『オーヴェルニュの歌』もその中の子守唄を他の歌曲と一緒に編集したCDはあるものの歌曲集単体という形では在庫が無かった。

こうゆう時は潔く諦めるしかない。気分をかえてキリ・テ・カナワの名前のあるCDを眺めていると『classical ever! VOCE』というのがあって、これは複数の歌手の得意と思われる曲を集めてきたオムニバス形式のCDだ。

ハバネラ / 歌劇「カルメン」より - (ソプラノ) フィリッパ・ジョルダーノのポップス調のもの、
歌に生き、恋に生き / 歌劇「トスカ」より - (ソプラノ) マリア・カラスの耳になじんだもの、
アヴェ・マリア(シューベルト) - (ソプラノ) キャスリーン・バトルはづいぶん流行った
星に願いを / 映画「ピノキオ」より - (ソプラノ) バーバラ・ヘンドリックスも良い。

清きアイーダ / 歌劇「アイーダ」より - (テノール)プラシド・ドミンゴ
女心の歌 / 歌劇「リゴレット」より - (テノール)ルチアーノ・パヴァロッティ
誰も寝てはならぬ / 歌劇「トゥーランドット」より - (テノール)ホセ・カレーラスと御三家もあれば、
野ばら(ウェルナー) - ウィーン少年合唱団の次に明日に架ける橋 - キングズ・シンガーズが並んでいたりもする。

全部で33曲が収められているので全ての曲目を知りたい方はAmazonで見て欲しい。オムニバスCDだから編集の意図を問うのは野暮なのかも知れないが、闇鍋もいいところで、せっかくの名曲名歌手の歌なのだが味も香りも分からないものになってしまっている。
CMで流れたり、映画音楽として使われて人気が出るクラシック音楽というのがある。キャサリン・バトルの「オンブラ・マイ・フ」はニッカウヰスキーのCMで注目されたし、ラベルの「ボレロ」でホンダのプレリュードが走る映像なんかもあった。映画ではマーラーの「交響曲第5番」がルキノ・ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』に使われ印象的だったし、スタンリー・キューブリックは『2001年宇宙の旅』でリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」を有名にしたが、『バリー・リンドン』でもヘンデルの「サラバンド」やシューベルトの「ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調 第2楽章」を使っている。クラシック音楽を使うのが好きな監督と言っていいだろう。
CMや映画だけではない。フィギュアスケートではよくクラシック音楽が使われるが荒川静香がプッチーニの「トゥーランドット 」「誰も寝てはならぬ」で演技し2006年のトリノオリンピックで金メダルを獲得している。こうゆうサプライズがあると、レコード店は賑わい、「あの曲の入っているレコードが欲しいのですけど・・・」という客が急増するし、レコード会社もそれを当て込んで企画CDを出したりする。意外と生活の中にクラシック音楽があふれていて人は興味を持つものだということの証明だろう。
問題はこうゆう興味をもった人をクラシック音楽のファンになってもらえるようどう案内できるかという事だ。

映画音楽のCDやCMで使われた曲のCDなどの企画CDは以前からある。フィギュアスケートで使われた曲のCDというのもあるようで、映画ファンやフィギアスケートのファンには需要があるのだろ。クラシック音楽になじみの無かった人がきっかけとしてこうゆうCDを買うのも理解できない事ではない。ただ、CMやフィギュアスケートで使われるということは印象深い曲だからだがそこだけを聴いていても曲の良さの全てを知ることは出来ない。例えば「トゥーランドット 」の「誰も寝てはならぬ」は主人公の王子が歌うアリアであるが、「トゥーランドット 」というオペラ全体から見れば最終第三幕で王子の求婚を拒むトゥーランドット姫が国民に王子の名前を当てるまで寝てはならないとお触れを出したことを知った王子が夜明けには姫に勝ち愛を得るだろうと歌う。それまでのストーリーがあるからこそのアリアだ。「誰も寝てはならぬ」を楽しむためには「トゥーランドット 」を最初から聴き物語を知っているのがよく、アリアだけを聴いてもただの美しい曲で終わってしまい、いかにも勿体無い。
オペラのアリアだけではない。シューベルトの「ピアノ三重奏曲第2番」にしても、マーラーの「交響曲第5番」にしても第一楽章、第二楽章・・・と展開がある。その曲全体の主題があり、展開がどう広げられてゆくのかを体験すると面白さが増してくる。そうゆうストーリーや曲の展開にわくわくしたり好きな部分を見つけてゆくことが感動につながりクラシック音楽のファンを作ってゆくのだと思う。
アリア集のCDやオムニバスCDがいけないとは言わない。だがアリア集のCDを楽しむためには全曲盤を一度でも聴いておけばその楽しみは何倍にも広がる、オムニバスCDは気軽に手に取るにはまぁいいだろうし、その中から気に入った曲を選んで全曲盤に一歩踏み出してもらえば良いと思う。そうゆう意味ではオムニバスCDは図書館で借りるのに相応しいのかも知れない。

先日行ったオペラコンクールでは若い観客が多く見られた。中学・高校生もいて嬉しく思えたし、この学生たちが今感じている気持ちがこれからのクラシック音楽ファンを広げてゆくのだと思うと希望が持てる。彼らは自分の中に“これ好き”というのを見つけている人たちだ。出来れば少しでも多くの人が、敷居が高いとか難しいとかいう先入観を持たず、聴いてみることを希望する。何を聴いたらいいか分からないという人はNHKでもWOWOWでもオペラが放送されているからBGMのつもりで聴いてみたらいいだろう。なにも2時間も3時間もテレビの前に座っている必要はない。耳に少しでも残ったらそれは宝探しのきっかけを得た証だ。



オペラコンクール

お元気ですか?

「静岡国際オペラコンクール」の本選に出かけてきました。以前ピアノコンクールの入賞者によるコンサートを聴きにいきましたが、その時パートナーさんと「本選を見るのもいいね」と話していたのです。入賞者にはコンクールを終えた安心や喜び落ち着きがあるのですが、本選はまさに本番に臨む緊張感があります。それを見ながら若いチャレンジャーを応援しようという気持ちです。

1411151.jpg

本選ですからオーケストラが加わり、一人で舞台に登場し、指示された曲と自選曲を歌います。

IMG_20141116_0001_convert_20141116195110.jpg

本選に残ったのは上の六人。日本人が四人と韓国とカザフスタンからの二人です。
一人目は日本人の女性、オケに呑まれることもなく一生懸命に歌っています。
二人目の韓国人の男性はさすがに体格もよく声量もあります。ただヴォータンの感情を表現出来ているかというと残念なところがあります。バリトンは難しいですね。
三人目のカザフスタンからの女性は、シェルパンティエの難しい曲を歌い感心します。椿姫はヴィオレッタの情感は出ているとは思えません。

四人目の日本の女性、ヴェルディの「海賊」を歌いますが落ち着いた良い歌い方をします。続くプーランクはなかなか難しいのですが、曲を上手く捉えています。私としては高得点をあげたいところですが、オペラ歌手としてはどうでしょう。ソリストひしめく大オペラの中に立ったときに少し弱いかもしれません。
五人目の日本の女性、ワリーを歌います。あまり聴く機会の少ない曲ですが映画「ディーバ」に使われていました。上手ですがもう少しドラマチックに歌っても良いでしょう。オテロのデズデモーナはちょっと間延びした感じですね。
六人目の日本の男性はテノール。日本人のテノールはどうしても声質が薄く感じられるものですが、彼はなかなか好い感じ。ただ「ドン・ジョバンニ」の雰囲気は伝わってきません。そして二曲目のロッシーニでは声がざらつく致命的失敗をしてしまい残念でした。

全体を通じてレベルの高いコンクールである事は間違いありません。選ばれた六人皆さん経験も豊富のようです。ただコンクールのせいでしょうか、歌の向こうに風景が浮かんできません。人物の情感を深く表現出来ているかというと物足りなさを感じますし、もっと音楽を楽しむ感じが伝わってきても良かったとも思います。

1411152.jpg

このオペラコンクールは静岡県出身のオペラ歌手三浦環さんを記念して没後50年にあたる1996年から3年ごとに開催しています。詳しいことは「静岡国際オペラコンクール」のHPをご覧ください。

コンクールに合わせて学生によるポスターの製作コンペも行われ、その作品も紹介されています。

1411154.jpg  1411155.jpg

観客による投票も行われ、一番人気は5番目に歌った鴫原奈美さんのようです。実は私も彼女が一位かなと思っています。一位を当てた人には抽選でプレゼントがあるのですが、発表までいなければなりませんので帰ることにしましょう。

1411153.jpg

入賞者には11月18日にコンサートが待っています。きっと多くのオペラファンが聴きに行くことでしょう。

IMG_20141116_0002.jpg  IMG_20141116_0003_convert_20141116195134.jpg

追記)

先ほどネットで確認をしましたら、一位は鴫原奈美(日本・ソプラノ)、二位はユン キフン(韓国・バリトン)、三位はアナスタシア・コージュハロバ(カザフスタン・ソプラノ)。三浦環特別賞に小堀勇介(日本・テノール)、オーディエンス賞は鴫原奈美と発表されていました。一位、二位は私の予想と一致。三位はプーランクを歌った大音さんを期待したのですが、カザフスタンから来てくださった方が受賞しました。それもまた嬉しい気がします。賞に入られた方、入られなかった方皆さん若くこれからの活躍が期待できます。当地のコンクールが世界舞台への飛躍に役立つことを願います。

今回、審査員の一人にウエルナー・ヒンクという方がいらっしゃいます。ウィーンフィルの主席バイオリニストを長く勤め、ウィーン弦楽四重奏団のメンバーとしても活躍していた方です。東京時代、ご縁がありお目にかかる事のあった方なので懐かしく思いました。好きな世界に接していると、思わぬ出会いや再会があるものです。会場には若い人も多くいらっしゃいました。音楽を勉強されている方、声楽ファンという方もいらっしゃるかもしれません。いずれにしろ若い頃に夢中になることの出来るものを持っているとそれは将来にわたってその人の宝物になります。そしてその宝物は人との出会いを導きます。音楽を愛するすべての人に、素敵な出会いが訪れますようにお祈りしましょう。感謝を込めて。

ではまた。



『アンソロジー ビール』

お元気ですか?

居酒屋について書かれた本は沢山あり、何処何処の居酒屋は美味しいだの趣があるだの、その土地の銘酒や料理とともに紹介されるとついそんな居酒屋で日ごろの疲れを落としてみたくなる。でもこれは本を読んでの話。テレビの番組で、「○○の居酒屋放浪記」だの、若い女性の居酒屋探訪を見ていると、あぁなんてつまらない番組だとチャンネルを変えることになる。誰が好き好んで他人が居酒屋に入って常連さんと乾杯なんかして酒とつまみを頼んで赤ら顔になっているのを眺めていられるものか。

『アンソロジー ビール』を読んだ。このシリーズ4冊目、奥付けをみると2014年7月8日一刷とあるから最新のものだろう。『おやつ』『カレー!!』『弁当。』と続き、『ビール』を知ったとき読もうかどうか躊躇したのだが、そこは私の性格、癖のなせるところで、やはり読んでしまう。阿川佐和子と阿川弘之親子の登場はもうこのシリーズおなじみになっているので、もしこの後も続くのならやはり載録してほしい。川本三郎の「駅前食堂のビール」は函館が登場し久住昌之の「九月の焼きそビール」には井の頭公園の茶屋から見た風景が活写されている。どちらも私には沁みる風景だ。
今回の『ビール』では、『弁当』で苦言を書いたような、タイトルに感嘆符や句点はついていないし、小見出しをつけてアンソロジーを区分けするような事もしていないのは嬉しい。小見出しはついていないが、読み始めると日本のビールの文章が並び、海外のビールはどうしたと少しいらいらしだすと、森茉莉の「独逸と麦酒」から海外でのビールの話が続く。ただし、ドイツやチェコのピルゼンを書いたものはあるも、ベルギーのシメイなどトラピストビールに言及したものはなく、ベルギービールを楽しむ私としては残念である。

ビールを最初に口にしたのは子供の頃、正月の親戚の集まりで、機嫌の良くなった大人たちの勢いで舐めてみたのが最初だった。従兄弟同士子供らは決まったように「うへぇ~」と顔をしかめた記憶がある。私が最初に自分で買った酒は高校2年の夏、サントリーのオールドで、ビールを飲むようになったのは大学を出てからだった。もともと量を多く飲むほうではないし、学生時代友達と飲み歩くという機会も少なかったからビールよりもウィスキーやワインの方が性に合っていた。だが、就職するとそうも言っていられない。どこに入るのかというほど飲む。安いチェーン店の居酒屋でつまらない話をしながら飲むビールは正に惰性。これが水なら大ジョッキ三杯も四杯も飲めるものか。
ならばビールを飲まなければいいじゃないかと言うのは酒飲みの心知らず。時間がくれば自然とそわそわし、仲間を探し、理由を見つけていざ出陣となる。だから、ビールに一家言お持ちの先輩諸氏のように、泡が旨いとか冷えてなければいけないとか、地元の工場に出来るだけ近いところで・・・など言ってられない。繁華街に向かった足はいい加減な所ですぐ妥協してテーブルに案内されると腰の落ち着く間もなく、「生4つ」とか「瓶ビール5本もってきて、後はそれから」なんて声をそろえて言うのである。
でもそれは若い頃の話。大所帯で繰り出す年頃を過ぎると、気の合った者と人気の少ない隠れ家に行くようになる。通常二人、多くて三人で、それぞれが馴染みの店に行くのだが、これは子供が仲良くなった友達に自慢の玩具を見せるような気持ちであって、一緒にいった酒友もそこはわきまえていてお互い相手のテリトリーでは大きい顔をしないのが礼儀である。そうゆう酒友と路地を入った小料理屋や黒光りするおでん屋でしばらく飲んでそれぞれの家路に分かれたとき、大人になってよかったとじみじみ思うのだった。

数年前、まだ東京に住んでいた頃、「寒ぶりが食べたいね」とパートナーさんと意見が合い、金沢に車を飛ばしたことがあった。中央高速を松本で降り、高山、白川郷と抜けて金沢に入った。夜、近江町市場の鮨屋に入りビールとつまみを頼みさぁエンジンがかかってきたぞと酒を頼んだところ、「お一人様二本までです」と言われ、目が点になった。日本酒を二本もらい後を続けたが、気合はそがれたまま、美味しいはずの握りも全く楽しめず、店を出た交差点の風景がやけに寂しく映った。
『ビール』に内田百閒の「タンタルス」という文章があるが、そこに同じ経験が書かれているのには驚いた。曰く、東京駅のステーションホテルに食事に出かけた百閒先生は食事をしながらビールを飲み、スープが終わる頃には二本を終え女中さんに追加を頼むのだがなかなか持ってこない。支配人を呼びただすと「お飲み物はお一人様麦酒又はサイダーのどちらか一本ずつと云うことになっている。こちら様へは既に麦酒二本とサイダーが来ている。もうこれ以上は差し上げられないと云った。」とある。なんだ百閒先生と同じ経験をしたのかと嬉しいような気もしたが、ちょっと待てよ、先生のご経験は戦時下の統制だったのではないかと今気がついた。すぐ検証は出来ないが、きっとそうに違いない。やっぱり近江町市場の鮨屋で、私は狐につままれたのかも知れない。金沢の名誉のために言い添えると、その後金沢で何度も鮨屋に入っているが以降二本までですと注文を付けられたことはない。もっとも、鮨屋での大酒飲みは嫌われるからよした方が良い、そのための店側の配慮なのかも知れない。

永井龍男の「酒徒交伝」に文春クラブでの話が紹介されていて石黒敬七が登場する。柔道家で新潟県出身、テレビ放送の最初の頃から今でいうタレント・コメンテーターとして活躍した人物なので記憶があるのだが、「ジョッキ片手に、いつも上機嫌で、望まれれば艶歌師の真似をする他に、大きな声一つ立てたことがないばかりか、ビアホールなぞの客が、その辺で派手に喧嘩口論を始めても、素知らぬ顔で呑んでいる。敬さんの奥床しさは、もう一つ、長期間暮したフランスやパリの話を人前でひけらかさないことだった。」とある。酒の姿にその人の品性を知る良い例だと思う。私もシャンゼリゼでビールを飲んだ話をここに書こうかと思っていたが、ひけらかすのはひかえる事としよう。

川本三郎の「駅前食堂のビール」に登場する店とは違うが、函館の駅前にビールバーがある。ビジネスホテルの傍で立地は悪くないのだが、いつも大入りというほどでもない。私などにはかえってそれが良い。三十代後半と思しき主が静かに店を切り盛りしていて、客も勝手にやっている。ある時など広島から出張でやってきていた客がホットプレートを借りてお好み焼きを焼いて相客に振舞っていて、私もご相伴に預かった。こうゆう店は残って欲しいと思う。函館人の自由さが残る心地よい店だからだ。
イギリス人のビール評論家でマイケル・ジャクソンという人がいる。歌手のマイケル・ジャクソンと同じ名前なのを自分でもネタにして笑っていたが彼が「世界ビール紀行」というテレビ番組の案内役を務めたものを以前NHKが放送したことがあった。たまたま私はビデオに録画しDVDにコピーし直して持っていた。函館のビールバーで、マイケル・ジャクソンの本を見つけたのでDVDの話をすると見てみたいと云う。一年後持って行った。良い店というのはなにも常連のように足しげく通わなくても客の居場所のある店だ。そうゆう店を何軒か持つのは、玩具箱にお気に入りの玩具を集めてゆくのに似ている。
マイケル・ジャクソンはベルギービールを紹介した功績があるが、2007年に亡くなったそうだ。

東京時代の私の酒友はすでに何人も亡くなっている。酒は楽しくもあり寂しくもある。


アンソロジー ビールアンソロジー ビール
(2014/07/01)
東海林さだお、川上弘美 他

商品詳細を見る



『アンソロジー お弁当。』

お元気ですか?

この春パートナーさんが勤めに出るというので、お弁当箱を買いに行った。ちょうど新学期前ということもあり、スーパーの売り場には子供向けにキャラクターの印刷されたプラスチックのお弁当箱が一コーナーを設けてある。結構な値段の弁当箱はほとんどがキャラクターの権利使用料だろうと大人向けの弁当箱を探す。こちらは魔法瓶式のご飯もおかずも汁物もすべて保温がきく弁当箱が並んでいるのだが、誰がこんな大きな弁当箱を持って通勤するのだろうと頭をひねってしまう。
弁当はBENTOとなり今では外国人にも人気だそうで、コンテストも行われているくらいだ。盆栽や箱庭など、小さなものに一つの物語もしくは舞台を演出するのは日本人の得意とするところで、弁当はそのもっとも身近、家庭にあって子供から親父までが楽しむ文化だ。西洋のピクニックランチは敷物の上にディナーテーブルを再現しようとするし、アメリカのランチボックスはさながら工具箱のようで、どれだけ食べるんだと思ってしまう。
先日テレビを見ていたらプラモデルの人気がまた少し復活してきていてしかも女性に人気があるという。モケ女(モケジョ)と言うのだそうだが、海の中に海草と魚に囲まれた戦車を配してみたり、ガンダムに独自の色彩を施したりと小さな作品が見事に彼女たちの宇宙を表現しているのには驚いた。きっと彼女たちは弁当を作っても傑作になるに違いない。

『アンソロジー お弁当。』PARCO出版を読んだ。『おやつ』『カレー』についで三冊目、気に入ると集中するのは私の癖だ。ところでいきなりだが、タイトルと編集について一言疑問を言うと、カレーには感嘆符が二つ、カレー!!、お弁当には句点がついてお弁当。となっている。これは何を言いたいのか分からない。タイトルに付けるからに何か意味をもっているのだろうが、PARCO出版の編集者もしくはセンスの有る方の教えを賜りたい。もうひとつ、『おやつ』も『カレー』も各著者のエッセーが並んでいるだけだったが、『お弁当』では小タイトルがついている。「記憶のなかのお弁当」「ふれあうお弁当」「おんなの弁当」「おとこの弁当」「だれかを思うお弁当」「おにぎり・おむすび弁当」「移動するお弁当」という具合だ。編集者としてはそれぞれのエッセーを区分けしたつもりだろうが、こうゆう押し付けがましい細工はアンソロジーを小さくまとめてしまって、読者の想像を阻害する。
いきなり苦言めいた事を書いてしまったが、お弁当に一家言持っているわけではない。それどころか、読みながら『おやつ』や『カレー』のように記憶を探ってみたのだが、これといったものが見当たらない。

運動会や遠足でお弁当を食べた事はもちろんある。小学校の時に校庭の木の下で母と叔母が持ち寄ったお弁当を広げた記憶が一つあるが、小学校は6年間あるのに、記憶はたった一つしかもそうゆう事があったというだけの記憶。遠足はたぶんおにぎりなのだが全く覚えていない。何百円と決められて許されるお菓子をもってくるのも、喜んでお菓子を買いに行った記憶がない。金額を制限され許可されてお菓子を買うなんてそんな屈辱的な事が面白くなかったからだ。
小・中学は給食だったし、高校になると親からお金をもらい昼時になると来たパン屋で買って済ませた。母親がそれで楽をしたかどうかは知らないが、私はパン代をためて文庫本を買っていたので弁当を持たせられるより都合が良かったのだった。

私が子供の頃はまだ駅弁売りがホームを流していた。それも急行や特急が増え窓の開かない列車ばかりになってづいぶんと数が減ってしまった。それにもかかわらず日本人は駅弁が好きだ。スーパーやデパートの地下で時折「全国駅弁祭り」のようなのぼりが目に付く。北海道森町のいか飯は有名になったし、山梨県には 「元気甲斐」なんていう豪華な弁当もある。故郷自慢であるが糸魚川には夫婦釜飯という駅弁があって、釜飯が二つセットになっている。米は旨いし魚介や山菜の具も美味しい。二つセットというのが微笑ましくてお勧めだ。
だが、駅弁は列車の中で食べるからいいのであって、デパートの地下で選ぶものではない。故郷懐かしさに求めるのはしかたがないが、評判だからと買っても旅の列車の中で食べる駅弁の味が得られるわけもないのだから金を捨てるようなものだ。駅弁が食べたかったら旅をするのが本筋だろう。
こうゆう私だが、では列車の中でしみじみ弁当を食べるかというとそうでもない。あれこれ考えて選んだり売店の人にお勧めを聞いて買ったりした弁当も、列車が動き出すとさっさと食べてしまう。旅情より食いしんぼうが勝っているのだ。

外国には駅弁が無い。もちろんサンドイッチスタンドはあるし、ドイツではマッシュルームとコーンビーフをホームの横で焼いていて美味しかった。でも駅弁とは違う・・・と思っていたが、ある時ローマから列車に乗ったら駅弁売りがいて、生ハムやサラミを挟んだパンにりんご、そしてワインまでついたミニバスケットを売っていた。イタリアは『鉄道員』にしろ『旅情』にしろ鉄道の似合う国だ。さすがはイタリアの鉄道だと感心しながら食べたものだ。もっとも、東欧を旅したときには駅に止まる度に窓の下に物売りが並んだ。食べ物も沢山売っていたから駅弁のようなものもあるのかも知れない。以前テレビ番組の制作会社の女性と「世界の車窓から」の話になって、あれは効率の良い番組だと盛り上がった。汽車旅の好きな私には羨ましいくらいの企画なのだったが、「世界の駅弁」という企画だったら喜んで世界中の駅弁を探して旅をするのにと本気で思う。

アンソロジー お弁当。アンソロジー お弁当。
(2013/08/31)
武田百合子、池部良 他

商品詳細を見る

杣人のNuages

ブログ内検索
 RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ホテル探しに!
クリックをお願いします!
Google