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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『鳥と雲と薬草袋』 梨木香歩

お元気ですか?

連休も近い今日は昭和の日。以前は昭和天皇誕生日だったのがみどりの日になり、今みどりの日は五月四日に移り連休の穴埋めになっている。最近では祝日に日の丸の旗を掲げる家も少なくなった。

梨木香歩さんの『鳥と雲と薬草袋』を読みました。西日本新聞に2011年12月13日から2012年2月28日の間掲載された土地の名前をテーマにしたエッセイです。福岡市に本社を置く西日本新聞での掲載ですから登場する土地も九州と西日本が多いのですが、それでも私にも馴染みのある地名が取り上げられていると少し顔を緩めながら読んでしまいます。たとえば「文字に倚り掛かからない地名」という章に、姶良という鹿児島の地名が出てきます。私はたまたま地名を知っていたのですが、梨木さんは姶の字を「現代社会では他にほとんどみかけないのではないか。」と言い「ア・イ・ラ。発声すると響きに野趣があり力強い。」と評します。「消えた地名」の章では福井県の武生が紫式部が住んだ事のある所であり、宇治拾遺物語にも出てくる古い街道が武生から日本海まで続いている地であると伝え、2005年に今立町と合併して越前市になった事を寂しく紹介します。私も越前市より武生の方が分かりやすいですし梨木さんも食べたであろう辛味大根を使った名物のおろし蕎麦も思い出します。「温かな地名」では小雀というタイトルで三鷹市下連雀が紹介されています。鷹と雀とあるので「鳥好きの私には嬉しい地名だ。」と言われると私の方こそとお礼を言いたくなります。ちなみに連雀は連尺とも書き、行商人の背負子のことで、青梅街道を使い江戸と行き来した行商人の姿は住民に群れ飛ぶ雀の姿に似て映ったのでしょうか。

このように日本各地の地名から歴史や風物が見られるのはそこに住む人々が名前を付けたからに他なりません。
「新しく生まれた地名」では「四国中央市だなんて乱暴さは、いかにも平成の大合併で出来た名前らしい」と感じ、この地には宇摩という709年にすでに記録に出ている古い地名があり新市名の公募でも一位だったにもかかわらず行政の判断で四国中央市と決まったそうで、住民と行政の意識の差に疑問を呈します。山梨の南アルプス市についても「最初はぎょっとした」と言い「だがアルプスという名自体がヨーロッパの有名な山岳地帯の借り物なのだ。視線が山にしか行っていないような、人ごとのような響きだ。」と厳しい。

平成の大合併で出来た市や町は全国にどれほどあるのだろう。行政の都合はあるにしても、それによって人々の歴史がしみこんだ名前が捨てられてゆくのは寂しい。函館の北西に広がる地域も合併によって北斗市となった所です。故郷から離れて暮す私が言うのも申し訳ない気がしますが、もともとは上磯と亀田と呼ばれていた地域で、北斗なんて全く誰が考えたのだろう。斗はひしゃくの事、北斗星は相応しいと思いますが上磯にも亀田にもひしゃくを思い起こさせるものはない。北海道新幹線の函館の駅の名称をめぐって北斗市と函館市は激しく対立しました。駅の場所は北斗市にあり北斗市は当然のように北斗駅と名乗りたい。函館は歴史ある観光地として新幹線の駅に函館の名前を入れたい。その対立は両市の話し合いでは決着がつかず知事も調整に入るほどでしたが、結局はJRの判断で「新函館北斗駅」と決まりました。確かに北斗駅と言われても本州の人はもちろん道内の人だってぴんとこないでしょう。500年以上遡ることの出来る函館の名前と地域の名前を消して9年前に新たに付けた名前では人々へ伝わる重みが違います。しかし函館も喜んではいられません。産業の衰退と人口減少を理由に消え逝く町にリストアップされているのですから。

オホーツクの海に面したサロマ湖の北に湧別と言う町があります。鉄道が走っていたころは名寄本線が湧別まで伸び終着駅の町でした。湧別には湧別川という小さな川が流れているのですが、アイヌの人たちがチョウザメの遡上する川という意味で湧別と名づけた土地なのです。私の父は湧別と非常に深い関係をもっていました。その父は若いころ満州の興農合作社で働き三メートルを越えるチョウザメと一緒に写真に写ったりもしていて思い出を大切にしていました。父がチョウザメの遡上する川という意味の湧別とも縁があったのは嬉しい偶然です。そうゆうことが分かるのも土地の名前が残っているからに他なりません。今ではとてもチョウザメが遡上するとは思えない湧別ですが、この名前のおかげでアイヌの人たちの暮らしぶりも鮮やかに私たちに伝わってくるようです。

土地の名前というのは人々の暮らしや自然、歴史を熟成させながらその土地に根をはってゆきます。行政の都合で軽々しく名前を変えるとその土地のもつ力が失われてしまうような気がしますが、皆様はどうお感じでしょうか。


鳥と雲と薬草袋鳥と雲と薬草袋
(2013/03)
梨木 香歩

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『時をさまようタック』ナタリー・バビット

お元気ですか?

先に読んだ『哲学と子ども』の中に、子どもが死をどのように理解するかを考察した章がありました。そこで紹介されていた本が『時をさまようタック』ナタリー・バビット著です。未読の本でしたので図書館で借りて読んでみました。

こんなお話です。トゥリーギャップ村に古くから続く家に暮すウィニー・フォスターは十歳の女の子で、家のフェンスのなかでヒキガエル相手に話しかけ、私だけの何かがしたい、家出をして名前を変えて・・・と空想しています。一人っ子のウィニーはおばあさんやお母さんに何時も見守られていることに息苦しさを感じているのです。そんな八月の第一週のある日、朝早く家を出たウィニーは森の中の巨大な木の根もとにある泉で水を飲む少年に出会います。私も飲みたいというウィニーに少年はおそろしいことになるから飲んではだめだと言い、ウィニーは現れた少年のお母さんメイ・タックとお兄さんのマイルズ、そして少年ジェシィによって連れ去られてしまいます。沼のほとりに建つ小屋に住むタック家は八十七年の前旅の途中、森の泉の水を飲み不老不死になったという秘密をウィニーに話しますが、信じることが出来ません。メイの夫アンガス・タックから生命は成長し変化するもので、死ぬことも生まれたときに約束された車輪の一部なんだと言い、その車輪の一部から外れてしまった自分たちは石ころみたいなもので、生きているとはいえないとウィニーに教えます。
児童文学には死について取り上げた話が多くあります。私が子供の頃に大好きだった『龍の子太郎』もその一つですし、幽霊の姿で主人公の前に登場して友達になる作品も多くあります。ですが、この本のように生命について不老不死の人間に語らせる児童書は非常に珍しいものです。しかもこのように成功している例を私は知りません。他にもあるなら是非教えていただきたいと思います。
不死の姿を最もわかりやすく表現した文学作品は吸血鬼ドラキュラでしょう。最近はそのドラキュラにしても麻薬中毒や血液の病気をもった人間が多くなったためうかうか血も吸えない状況です。話がドラキュラに脱線するのは避けるとしても、子どもの持つ興味に死を真正面から用意し、死と生命を同じ視点から説明する『時をさまようタック』は素晴らしい本といえます。

久しぶりに児童書を読んで、私はあらためて児童文学の素晴らしさを思います。船に乗って宝島を目指さなくても、箪笥やウサギの穴を抜けて違う国に行かなくても主人公の子どもたちは冒険に出会います。日常の中にある小さな不満や不安、そして好奇心が子どもたちを思いもかけない冒険に連れ出してゆくのです。異世界の出来事で子どもたちは事件に遭遇し悲しくなったり勇気を出して進んだりしますが、大切なのは孤独になり自分のいた世界の親や友達の事を思い出すことです。多くの作品で子どもたちは異世界や巻き込まれた事件などでさまざまな冒険を通じて成長し、現実に戻ってからもその経験を自分の中での宝物としてゆきます。読者は、大抵は主人公と同世代の子どもたちですが、ヒキガエル相手に話したり大人に不満をもつ主人公と一緒に物語の世界を経験して自分の世界に戻ってきます。

では大人はどうでしょう。実は子どもと同じです。大人も社会や周りの大人に不満を持ち不安を感じていますし、主人公と一緒に物語の中で冒険し考えます。そして現実の自分の世界に戻って周りを見回します。すこし違うといえばヒキガエルに話しかけたりしないことでしょうか。
『時をさまようタック』は死と生命について考えるきっかけを示す児童書です。ウィニーはやがて歳をとり死にますしタック家の人たちは生き続けます。どちらの立場にたっても人生を楽しみ希望をもつ事は出来ますし、苦悩し孤独を感じる日常があります。子どもたちはゆっくり考えてゆけばいいでしょう。大人はもう少し真剣に考えなければならないかもしれません。
私は終末期にある父を見て幸せな人生であったことを喜んでいますが、自分の事では大いに反省するところがあって苦い思いを抱えて生きています。もし不老不死だったら深い孤独を抱えながらもやり直しの人生が可能になることに喜ぶかもしれません。

死ぬ事の出来ないタック家の人々を通じて生きることを深く考えさせる『時をさまようタック』。大人になってから読んでもその素晴らしさはしっかりと伝わってくる本でした。


時をさまようタック (児童図書館・文学の部屋)時をさまようタック (児童図書館・文学の部屋)
(1989/12)
ナタリー バビット

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『雪と珊瑚と』 梨木香歩

お元気ですか?

『哲学と子ども』と一緒に借りた梨木香歩さんの『雪と珊瑚と』を読みました。小説 野生時代に2010年9月から2012年1月まで連載された小説です。

こんなお話です。二十一歳になる珊瑚は雪という赤ちゃんと暮すシングルマザー。働くために子どもを預けなければならないが、ふと曲がった道に「赤ちゃん、お預かりします」と張り紙の出た一軒家を見つけ、その仄かな温かさにひかれて呼び鈴を押します。三和土(たたき)の玄関のある女主は藪内くららと名乗り、自然な距離感で珊瑚と雪の親子と接します。珊瑚はくららのところに雪を預け、以前働いていたパン屋さんで勤めることになりますが、パン屋さんも事情があるようで店を閉めニュージーランドに移住すると言います。珊瑚はパン屋さんで親しくなったな由岐さんやくららの甥で無農薬野菜をつくる貴行たちの助けを借りながらお惣菜カフェを始めます。

珊瑚は自分の母親からネグレクトを受け、子どもの頃から愛情も食事もない生活をし、高校も中退せざるを得ないという経験を持っています。珊瑚の視点が客観的で距離感をもって描かれているのは自分で自分を守る厳しさが性格に染み付いているからなのでしょう。その距離感は同時に相手の事情を斟酌し認める懐の深さでもあります。パン屋の同僚であからさまに珊瑚を嫌う美知恵の態度に心を曇らせながらも距離感で対処します。生来の頭の良さというのも在るのかも知れません。少し考えすぎていないかと思わないわけでもありません。美知恵にはそんな珊瑚の姿が計算だかい偽善者と映るようです。嫌われる程度ならまだいいのでしょうが、直接的攻撃を受けた場合、珊瑚はどうゆう対処をするのだろうと考えてしまいます。

一方、くららはちょっと世間離れした空気をかもしています。修道院で働き世界中で援助活動をした経験がある事、お祖母さんが信仰していたアッシジの聖フランシスコの教えを体現化したような女性から名前が付けられていることなどが分かりますが、料理の得意なちょっと謎の女性です。梨木香歩さんのファンにはきっと『西の魔女が死んだ』のお婆さんのイメージが浮かんで来ることでしょう。珊瑚との会話で詩人の石原吉郎という名前が出てきた時に、「くららの顔が真顔になった」とあり、何か物語りに関係してくるのかと思いますが、その後石原吉郎は珊瑚が「望郷の海」の一節を小さくつぶやく程度にしか出てきません。こうゆう読者に謎を持たせそのままにするのは梨木香歩さんの物語にはあることです。

さて、物語を読むと思わぬところで嬉しくなることがあります。今回は「外の木の梢で、ピーポピーと、イカルがおもちゃの楽隊の笛のようにのんびり鳴いている。」という情景。実は先日クロスワードパズルをやっていてどうしても分からなかったのがイカルという鳥の名前でした。もともと動物に関しては興味の薄い私で鳥の名前もさっぱりです。カヤックで湖を渡り森林を歩く梨木香歩さんにまた教えられます。そうか、イカルっていう鳥は人の近くにも棲んでピーポピーって鳴くんだとつい最近苦労したクロスワードパズルを思いだすのです。

もう一つは石原吉郎でした。私は知らない詩人なのですが、こうして梨木香歩さんの本に登場すると興味を持ちます。ウィキペディアで調べてみると、大正四年に伊豆の土肥村に生まれ、東京外国語大学を卒業した後ハルビンに渡り終戦に伴いシベリアに抑留されます。戦後も軍法会議にかけられ重労働の判決を受け森林伐採をさせられたりし、昭和二十八年になってようやく帰国します。その後シベリア体験をもとにした詩などを発表し詩人として活躍します。『雪と珊瑚と』で・・・弦にかえる矢があってはならぬ。おそらく私たちはそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった・・・と珊瑚が呟く詩集「望郷の海」は昭和四十八年、第11回藤村記念歴程賞を受賞しています。
本を読んで嬉しいのはこうゆう新しい知識興味に出会うときです。伊豆の土肥は時々遊びに行くところですし、シベリア抑留は父の体験と重なるものです。すぐ父の書いた本を読み返してみましたが、収容されていた場所は違うようです。それでも五月に函館に行く予定なので父の書棚に石原吉郎の本がないか探してみようと思います。

今回も楽しむ事の出来た梨木香歩さんの本。読みながらパートナーさんに「スペインオムレツ作ろうか」と言ってしまう私。美味しいものもいっぱい出てくる本です。

ではまた。

雪と珊瑚と雪と珊瑚と
(2012/04/28)
梨木 香歩

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『哲学と子ども』

お元気ですか?

図書館に頼んでいる『容疑者』ロバート・クレイス著がなかなか廻ってきません。『その女アレックス』ピエール・ルメートル著と同時に頼んでいたのですが、予約者もほぼ同じ人数なのにどうしてなのでしょう。在庫の本が少ないのか、借りた人が皆さん時間をかけて読んでいるのか・・・。読む前に謎が。
待ち続けるのに飽きたので、何か読みたいなと梨木香歩さんの本を選んでいると『哲学と子ども』と言う本が目にとまりました。図書館のリスト検索には時々こうゆう事があります。アンソロジーだったり共著だったり、はたまた一見関係の無さそうな本がリストの間に出てくるのです。

『哲学と子ども 子どもとの対話から』はG.B.マシューズという大学で哲学を教えている先生が自分の四歳になる娘との対話を通じて子供の思考に哲学的なものがあるのに気づき興味をもったことから始まります。私は発達心理学や教育学の専門家ではありませんが、自分が子供の頃に考えていたことを思い出したとき、『哲学と子ども』という視点はとてもわくわくし、勇気づけられる気持ちがします。それは私が正に哲学する子どもだったからなのです。

マシューズ先生のお嬢さんが存在の第一原因を求めるという哲学的思考を示したのは四歳の事です。私が四歳のときに何を考えていたのかは思い出せませんが、はっきりと哲学的思考をし始めたのは小学生低学年の頃のことです。以前にもブログに書いたことがあるのですが、それはテレビで「おばQ」というアニメを見ていたときです。おばけのQ太郎は透明になって空を飛び、友達の家を訪ねます。友達はQちゃんに気がつきませんが、Qちゃんは面白がって次々と友達のところに行くのです。私はそのアニメを見ながら友達に気づかれないQちゃんははたして存在していると言えるだろうかと考え始めました。誰か他者に認識されないならば存在しているとは言えないのではないか。最初はそう考えます。でも今家に一人でいる自分は誰にも認識されていないけど確かにいる。無人島に一人でいても確かに自分は存在するだろう。それはたとえ自分一人だけであっても自分が自分を認識しているからで、自分が認識すれば存在しているといえるのだ。と考えました。これが私の哲学的思考のはじまりと言っていいでしょう。それほど印象的な出来事だったのです。

本書ではピアジェの認知発達の実験に哲学の立場から疑問を呈します。その中でイアンという六歳の男の子の例を紹介しています。イアンがよその家に行ったとき、その家の子三人がテレビを見ていてイアンの好きな番組が見られなかったことからイアンが母親に「なぜ一人のわがままはだめなのに、三人のわがままの方はいいの」と訴えたというのです。著者はこれを「たった一人の幸福よりも三人の幸福を」という功利主義の正当化の問題だと言います。大人でも難しい問題です。沖縄の人たちが基地問題で困っているのに日本の安全のためなら許されるのか。原子力発電は重大な問題を抱えているのに日本の電力や二酸化炭素問題のためには稼動させても良いのか。
学校教育の中でも、多数決という大義名分の下で嫌なことを押し付けられてしまう子供がいることを思い出すと、イアンの疑問はしごく正当なもののように思われます。

著者はほかにも道徳性の発達や子供が描く絵の芸術性について考察しますし、児童文学の作品の中に哲学的問題を含んだ作品があることを紹介しながら児童文学という世界を高く評価します。どうやら著者は子供の権利というものを広く認め子供という存在に高い意義を感じているようです。

「子どもと死」という章では『シャーロットのおくりもの』と『時をさまようタック』という本を紹介しながら子供がどのように死というものを理解しそれと向き合うのかを明らかにします。『シャーロットのおくりもの』は映画にもなってるクモが豚を助ける話で私も知っていましたが、『時をさまようタック』という話を私は知りませんでした。歳をとることが止まってしまったタック一家の話ですが、永遠の命というのは深く死について考えさせられます。こちらも映画にもなっているそうです。
この章では他の研究者の事例も紹介されていて、子供の死の理解には段階があることを示します。五歳以下の子供は死を理解せず眠りのようなものだと思います。小学校低学年では死が最終的なものだと理解はしますが、外的なものによるものという理解にとどまります。そして九歳から十歳ぐらいになると死が不可避的な生物学的過程と理解するというのです。
私が最初に経験した死は祖母の死で五歳でした。急な死でしたから母親たちが慌ただしく集まったのを覚えています。その次は祖父の死で八歳でしたがこのときは病院にお見舞いにも行っていましたし、仏壇に納めた祖母の遺影の前で手を合わせたりお坊さんが来てお経をあげたりという経験もしていましたから、祖父もいずれそうなるのだというのが理解できています。準備が出来ていたのです。私の場合、子供の頃に経験した近しい家族の死は祖父母二人でした。もし兄弟家族や仲の良い友達、同級生が突然亡くなる経験をしていたらどのように考えていのでしょう。
小児病棟で重い病気と闘う子供たちは事情が違うでしょう。彼らは自分の病状や周りの子供たちの様子を通じて非常に早く理解を進めます。これは死と直接向き合う病気でなくても同じ事が言えると思います。たとえば私が子供のころ、何人かの小児喘息の友達がいました。彼らは一様に冷静で判断力があり大人びて見えます。喘息で日常的に苦しむ生活が子供たちをいやおうなしに現実的思考に向かわせていたのでしょう。
私も彼らほどではありませんでしたが、アレルギーで悩まされていた時期があり、季節の変わり目など体調が変わりやすい神経質な子供でした。そんな時、朝病院に寄ってから一人で学校に向かうとき、やはり醒めた目で自分の姿を見なければなりません。特にアレルギーは薬を使ってもすぐに良くなるものではなく、長い間症状を我慢しなければなりません。その感覚はある意味で仏教的に生きることは苦であるということを私に教えました。

子供は哲学的思考をします。しかし子供をまだ発達途中の完成されていないもの、未熟なものと見ると、どうしても子供の思考を意味の無いものとして片付けてしまいがちになります。著者は子供とはなにかということ自体も問いますが、本書ではあまり深く触れてはいません。子供と言う概念は社会や文化の違いのなかで異なることに触れ、子供と大人の違いという問題が哲学的な問題であると提示されている程度です。私もこの点については著者に倣いふれません。

『哲学と子ども』はとても示唆に富む本でした。これから子育てをしようというお母さんやお父さんには是非読んでもらいたいと思います。子どもが大人になる前の未熟なものだと思うのはある程度は仕方の無いことかもしれませんが、その子どもの思考には大人の思考と比べても遜色の無い視点がある事を大人は受け止め、子供と向き合うとき大人は多くの事を学ぶ事が出来るようです。

さて、何故梨木香歩さんのリストのところに『哲学と子ども』が出ていたかが分かりました。臨床心理学を専門とする倉光修先生は出版社から本書を紹介され訳を進める中で梨木香歩さんに協力を頼み、共訳という形をとったのです。梨木香歩さんは素晴らしい文学者・作家ですが、カヌーで湖に漕ぎ出すなど自然に身を置くフィールドワークの達人でもあります。そして若い頃、河合隼雄先生の下でアルバイトをしていた経験を持ち氏の高い評価を得ていたのです。河合隼雄先生はユング心理学を日本に紹介した方で、児童文学にも造詣が深い方です。私も一時期読んでいたことがありました。そんな関係が倉光修先生と梨木香歩さんをつなげたのかも知れません。この共訳の関係はあとがきにもよく現れていて、すがすがしいものを感じます。

ではまた。

哲学と子ども―子どもとの対話から哲学と子ども―子どもとの対話から
(1997/11)
G.B. マシューズ

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ピロリ菌

お元気ですか?

先日内視鏡検査で胃潰瘍と大腸にポリープが見つかった。その後2週間、胃潰瘍の薬を飲み続け症状はすっかり改善したように感じている。薬が切れる今日、病院に医者の話を聞きに行った。

診察室で先生からピロリ菌が見つかったから除菌をしませんかと奨められた。ピロリ菌は団塊の世代以前の人は80%がもっているといわれるが、これは衛生環境が関係しているそうだ。私はもう少し若いが子供の頃を思い出せば納得である。
ピロリ菌は胃炎を起こすことが確認されていて、胃潰瘍、十二指腸潰瘍の患者はピロリ菌に感染しているケースが90%と多いのだが、除菌すると再発率が胃潰瘍で11.4%(除菌しないと64.5%)、十二指腸潰瘍で6.8%(同85.3%)だそうだ。除菌しない選択は私には分からない。さらに、胃がんでもピロリ菌除去は効果的でピロリ菌に感染していない人の10年間で胃がん発生率が0%、感染している人が2.9%。早期胃がんの治療後にピロリ菌を除菌するとしない場合より3年以内の再発が1/3だという。胃がん予防の観点からもピロリ菌の除菌は必須のように思える。

では除菌のリスクは何だろう。医者の話からは私にはたいして無いように思える。除菌にはいくつかの薬を1週間飲み続けるのだが、まれにアレルギー反応が出ること、味覚がおかしくなり苦味を感じること、便がゆるくなることなどがある。これらは除菌の効果を考えると重大には思えない。ただし、1週間のみ続ける薬を自分で勝手にやめると耐性を持ったピロリ菌が出来ることがあるそうだから完了することが大事だ。

ピロリ菌の除菌は現在では薬が良くなり、95%の除菌率だそうだ。明日から薬を飲み始めるが楽しみである。

さて、検査で分かった大腸のポリープはどうするのか。小さいポリープは切り取ったが大きいポリープは穴が開くからということでそのままになっている。今日の話ではポリープが筋肉のようになっているそうで、正直なところ私にはわからない。医者はCTで断面検査をしたほうが良いので病院を紹介すると言う。私にも異存はない。自分の体を知り正しく向き合うのは楽しい事だ。
まずはピロリ菌の除菌を先にやり、その後ポリープの再検査ということになった。しばらく自分の体で楽しめる。そうゆう次第で私はちょっとわくわくしている。

考えるということ 2

お元気ですか?

テレビでは各地の新入学の様子を伝えています。子供たちは学校という社会で様々なことを経験し考え自分を知り作って行きます。子供たちが持っている未来の力を思うとき、どうか良い力を培い発揮できる人間になって欲しいと心より願うばかりです。そして、人生時間の半分を過ぎたであろう私にしてもまだ未来がある事に気づき、これからも成長することが出来ることに少し嬉しくなるのです。


それは入学式の次の日のことだったと思います。朝一番での授業では担任の女性の先生が学校での生活の話をしていたのでしょう。一年生の私たちはきっと新しいことが始まる興奮でわくわくしていたのに違いありません。幼稚園から見知った顔もありますがほとんどは知らない子供たちです。
一時間目を終えた私は廊下に出トイレに向かいます。廊下には真ん中に黄色い線が引かれ右側を歩くように教えられ、廊下では手をつないで歩いてはいけないとも先生が言っていました。廊下にあふれる生徒を縫うようにしてよけながらトイレに行き教室に戻った私は先生に呼ばれ教壇の前に行った瞬間、いきなり右手でおおきくビンタをはられました。
何が起こったのか分からないまま足をふんばり先生を見返す私。先生の顔は興奮した怖い顔をしています。私は何故先生がいきなり私を殴ったのか分からないので判断のしようがありません。
先生が言ったのか周りの生徒が言ったのか後先は定かではありませんが、確か生徒の声が先だったように覚えています。幼稚園から一緒だったS君が私が誰かと手をつないで廊下を走り他の生徒を転ばせたという話を先生にしていたのです。もちろん作り話です。教室にいた他の生徒もいきなりの事にびっくりしたのでしょう。私と先生との周りには妙な空気がながれ、それを囲む生徒たちのざわめきを私は聞いていました。そして誰かがS君の話が嘘であると先生に言ったのです。
一瞬の間を置いて先生はすぐ私に謝りました。でも、私は何も心が動きませんから先生の謝罪も意味をなしていませんでした。

その時、私は何を考えていたのでしょうか。
実は先生が自分の失敗に気づいて私に謝ったとき、私は先生は何を謝っているのだろうと思っていました。私は悪いことをしていません。ですから叱られる事実が無いので私にとって問題になりません。とすると残る事実は先生がS君の嘘をそのまま信じ、事実を確認せず、私に弁明もさせずいきなりビンタをしたということだけです。つまり確かにビンタは痛かったかもしれませんが、全ては先生に起こった事です。私はそう思いました。先生が自分で自分のしたことを考えればよいのであって、原因(S君の嘘)も結果(ビンタ)も先生自身の問題であって私には全く関係の無いことなのでした。
ただ、その後私には一つ不満が残りました。それは何故S君が嘘をついたのか、その事を先生はきちんと叱り反省させなかったのです。きっと先生は自分の失態を忘れてしまいたかったのでしょう。それにはS君の嘘も無かった事にするのが一番です。

私は確かに元気ないたずらっ子です。でも家で親に叱られるときは会話がありました。私の親は叱るとき、何をしたのか、何故したのか、どう思ったのかを私に話させ、その上で叱ったのです。いきなりビンタというのも無かったとは言いませんがそれは私がよほど態度が悪かったときでしょう。母は体が弱かったので、叱るのは疲れるから・・・と言っていたようにも思います。

とにかくこうして、小学校1年生に入学した私は、2日目にして社会の現実を知ることになりました。学校に行ったら先生の言うことには従いなさいと教えられます。でもその先生が間違い、事実をただすことすらしない大人だということを知ったのです。祖父は教育者で父はそのことに強い誇りを持っていました。時代的にもまだまだ学校の先生というのは社会的に人格者であり尊敬される人であったと言えます。本来なら現在だってそうであって欲しいものです。
ところが私にとって先生はいきなり間違いを犯す大人として登場したのです。このことによって私は長い間父に申し訳ない気持ちを抱えて行くことになります。父の誇りと私の現実のギャップを私は申し訳なく思ったのです。

小学校1年生でも色々な事を考えます。でも大人は時々その事を忘れ子供だからといい加減な対応で済ませてしまうことがあります。しかしこれは大きな間違いです。子供も大人と同じように物事を見、考えて生きています。子供と向き合うとき大人が真摯な態度を取らなければ子供に見限られてしまい信用を失います。そして大人が正しい態度で子供に向き合えば、子供はより真剣に物事を見、考える力を養って行くのだと思います。

子供に正直に向き合うこと。小学校1年生で大人に少しがっかりした私の切なる願いです。

考えるということ

お元気ですか?

花散らしの雨と言うイメージとは程遠い強い雨が連日降り、川沿いに咲いた桜は愛でる間もないうちに散ってしまいました。
そんな雨の降る昨日、近くの中学校では入学式が行われていました。午後4時。傘をさし少し着飾った親と一緒に帰る中学生の姿があります。入学式からの下校がどうして午後4時なのか・・・。それは来賓挨拶に来る議員の日程に合わせているからのだそうです。色々な学校を回って挨拶をしたい、名を売りたいという市議会議員、県議会議員、国会議員・・・そうゆう先生方の要望にあわせ入学式や始業式が時間調整されているのだそうです。私は子供がいませんので直接的な経験はありませんが、お子さんのいらっしゃる人の話を伺うとそうゆうことなのだそうです。
だとするとなんと悲しく恥ずかしいことではないでしょうか。入学式や始業式は学校が主体になり生徒とその父兄のために行われるものです。来賓の挨拶をしにくる先生のためにあるものではないはずですが、そこに配慮する学校といのは何を考えているのでしょう。物事の本質を考える事の出来ない学校で教育を受ける生徒を思うと心苦しくなります。

先日、「ハンナ・アーレント」という映画を見たことを少し書きました。アイヒマンの裁判を傍聴し、ナチスの下多くのユダヤ人をガス室に送ったアイヒマンの裁判が悪の象徴としてアイヒマンをシンボル化してゆく中で哲学者であるアーレントはアイヒマンを単なる小役人であり善悪の意識のない実行者であると見ます。その見方は悪の象徴、罰すべき対象としてシンボル化しようとう人々には受け入れられず、特にユダヤ人社会から猛烈な反発を受けます。アーレントはアイヒマンの裁判を通じて、悪がどのように生まれたのか、悪とは何かを知ろうとします。これがアイヒマンを罰すべき対象と見る人からすれば事実の矮小化のように写るのですが、アーレントが意図していたのはより根源的なものへのアプローチだったのです。
映画「ハンナ・アーレント」は岩波ホールで上映され静かに評判を広げていったと聞きます。私は日本人がこうゆう映画を評価する良識に少し安心するのです。

wowowで「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦」というドキュメンタリーを放送していたので見ました。文芸誌「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」は書評を中心に文化の切り口を提示してきた雑誌だが、私は直接読んでいないので雑誌に意見を言うことは出来ない。しかし、マーティン・スコセッシ監督によってドキュメンタリーとして作られた今回の映像は私も雑誌と同時代を生きて来たことで少なくとも私の脳を刺激するに充分な内容だった。
ベトナム戦争であったり、ウーマンリヴであったり、サラエボ事件であったりと若い頃にまさに何が起きているのかを考えさせられた事件が映像の中で語られる。スーザン・ソンタグやノーム・チョムスキー、ノーマン・メイラーといった有名な名前も出てくれば、私がよく読んだアイザイア・バーリンも登場したのには感動もした。
残念なことに「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」を評するほどの知識は持ち合わせていないが、それでもこのドキュメンタリー映像を見て思うのは、事実を見る目だ。他人の言葉を聞く前に現実に何が起きているのかを自分の目で見ることの大切なこと。時には社会状況や人々の思惑の中で事実は大きく歪んで映し出される。2013年のエジプトカイロ事件での市民のデモや警察との混乱、黒人少年らによる白人女性レイプ事件とされたNYセントラルパーク事件(1989年)は実刑判決決定の後、冤罪である事が分かる。そしてそれらは今現在私たちが毎日テレビでニュースとして見ていることが事実なのだろうかと立ち止まる事の重要性を訴えるのに充分な力を持っている。
ニュースの画一的な取り上げられかた、逆にまるっきり違う事が伝えられていたりするのを目の当たりにしたとき、私たちは自分の目で見ることの非常に難しいことに気がつく。
もう一つはその事実が歴史の中でどのような位置づけにあるのかということを同時代の中で理解することの難しいことだ。たとえば中国や韓国と外交を行うときどのような事実認識と歴史的理解を持ちその上で関係を築いてゆくことが出来るのか。沖縄での米軍基地問題はアジア情勢の変化を受けて検討し続けなければいけない問題と思うが、歴史認識と未来の安全保障を思うときどうあるべきか。核兵器使用も言葉にするロシアはプーチンの独裁の下何処に行こうとしているのか。全て時間軸を見据えながら事実が何を意味しどうゆう方向を示しているのかを考えなければならない。しかし私たちは現在の利益に心を動かされながら事実を見るとき、歴史を忘れがちになり、事実を見誤る。

私たちは何処にいて何を見ているのか。

病気になったら

お元気ですか?

このところブログの更新が出来ないでいます。特別な事情があるわけではないのですがちょっと生活パワーが落ちているのでしょう。

3週間ほど前から体調が優れず、すこしもやもやしていました。最初は右のわき腹が痛い感じがありました。でも、盲腸の痛みではありませんし、手で触ってみても何処かがピンポイントで痛いわけではありません。どうしたんでしょう。
花粉症などでお世話になっているH医院で診てもらおうと行くと、看護婦さんが胃腸の専門病院のほうがいいですよと近くの病院を紹介してくれます。地域の病院のお付き合いのよいところです。
紹介されたN医院で先生に症状を伝えると、「H医院の紹介?あそこは看護婦さんが紹介してくれるんだよね。」というはなし。何か看護婦さん同士の付き合いでもあるのでしょうか。

症状を伝えベッドに横になりエコーで診断をしていきます。「少し出血があるね。小さなポリープもあるようだよ。」「でも病気と言えるほどの大きさじゃないね」と。血液検査のための採血をし、内視鏡検査の予約をします。先生は「いい加減な薬を出しても意味がないから薬はいいね。」とさぱりしたものです。私も原因は分からないものの、第一段階に了解し帰宅することとなりました。

最初の診断から1週間ほどして痛みが広がってきました。右わき腹の痛みだったのがお腹全面に広がりひりひりするような痛みです。やはりピンポイントの痛みではありません。しかも熱も出て38.5度もあります。我慢していたのですが、N医院に電話をし症状を伝えると来て下さいということなので、出かけます。尿の検査と肺のレントゲンをとりましたが異常はありません。最初に採った血液の検査結果もすべて基準値で問題ありません。
予定していた内視鏡検査を行う事を確認して帰宅します。

内視鏡検査を受けるには下剤を飲んでお腹の中を綺麗にしなければなりません。食欲もありませんので素うどんを食べたり白湯を飲んだりし、前日は病院からいただいたレトルトを食べて下剤を飲みます。
検査当日、少し早めに目が覚めてトイレに何回か行きます。病院に行き、さらに下剤の入った水を1リットル飲みますが、なかなか飲めません。それでも30分かけて飲み、トイレに3回行ったところで看護婦さんを呼び便の色をみてもらいますが、もう少し透明になったほうが良いということで、水をもらいます。椅子に座っているから便意が弱いのかなと思い立ち上がって伸びをしたりして腸に刺激を与えます。結局6回目ぐらいですっかり透明になってきました。

8時に病院に入り準備をして10時半、「そろそろ仕度をしてください。」と看護婦さんから紙パンツと紙上着をもらいます。
検査室に入るとゼリー状の麻酔を口ののどの辺りに含み3分間そのままでいると次第にのどがしびれてきます。内視鏡を入れるための麻酔ですが、使わなければ嘔吐感が出るのでしょうか。
先生が入って来て「ベッドに仰向けになってください。」と言います。注射器状のものでのどにさらに麻酔をつけ内視鏡を入れるための器具を口につけます。

まずは胃の検査です。口から入ったカメラが胃の内部をモニターに写し、私も先生の説明を聞きながら見ています。胃潰瘍が2箇所見つかりました。さらに十二指腸潰瘍が治った痕もみつかります。十二指腸潰瘍は若い頃のものでしょう。先生も胃潰瘍が見つかったことで痛みの原因が分かりほっとしたようです。続いて肛門から入れた内視鏡で腸の様子を診てゆきます。お腹の中を進む内視鏡を感じながら一緒にモニターを見るのは面白い経験です。
すると少し先生と看護婦さんの動きがあわただしくなりました。盲腸の入り口のそばにポリープが二つ見つかったのです。ポリープや腫瘍が見つかった場合切除手術をすることにしています。小さめのポリープを細いマジックハンドのようなものでつまみ切除し、取り出します。傷口はクリップで留めるのですがクリップはいずれ排泄されます。
もう一つのポリープは小指の先ぐらいの大きさでドーム状にぷっくり膨らんでいます。これは大きいので切除することが出来ません。切ると腸に穴があいてしまうのだそうです。生検用に一部を採りますが今回はそこまで。切り取ったポリープを見せてもらい20分ほどの検査は無事終了。ベッドでしばらく休みます。

40分ほどベッドで寝てしまったようです。自分の胃や腸を見て楽しくなり少し興奮しているのがわかります。看護婦さんに声をかけられ服に着替え診察室に入ります。さきほど内視鏡からモニターに映し出された画像がパソコンに並び、プリントされたものが机に並んでいます。先生は絵を描きながら、「痛みの原因が分かったね。最初右わき腹が痛かったのもこのポリープのせいかな。」「生検に出すから又来てください。色や形から悪性ではないと思うけどCTも撮ったほうが良いね。」と言います。私はこうゆう先生との会話が好きです。分からなかった事が一つ一つ明らかになります。不明な部分はさらに検査。こうして徐々に問題がクリアーになってゆくのが気持ちよいのです。

ポリープが何故出来たのかはわかりません。でも胃潰瘍のほうはなんとなく分かるような気がしています。自分とパートナーさん両方の親の問題は決して気楽な話ではありません。どんな家でも親子の間では起きる問題ですから誰もが向き合う問題と私たちも考えています。しかし次から次と出てくる問題に対処してゆくとき、自分の能力の足りなさふがいなさを感じる時がままあります。そしてそれはそのまま自虐へと向かうのです。子供として親に対してこうありたい。でも現状は違い納得する事が出来ない。そのことを自分の罪として責め胃潰瘍という形で私自身に罰を与えるのです。

今後ポリープについては生検の結果とCTを撮るのかどうか、そして処置をどうするのか。投薬で治るのか開腹手術が必要なのかなどまだ私には不明なところがあります。胃潰瘍は薬をもらっていますのでしばらくは様子を見る形でしょう。でも、根本原因に自虐の問題があるとしたら薬ではない別の解決策を見つけなければなりません。大きな挑戦が必要になってくるのです。

さぁ、私の体よ。自らに鞭打ち私に何を気づかせ何を成させようとしているのか。シェークスピアの芝居のように重なる事件に目が離せない舞台。自分の病気さへ展開に胸躍らせる私。生きているって本当に面白い。

杣人のNuages

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