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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター

お元気ですか?

思い違いということは良くある。今回読んだハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』を私は子どもの頃からタイトルを見知っていたように思っていた。しかし奥付けをみるとこの本がドイツで出版されたのは1969年のことであり岩波少年文庫として日本で紹介されたのが1977年の事であった。すでに私は児童書を読む年齢ではなかった。

私が子どもの頃、日本は「もはや戦後ではない」と言った経済成長を駆け抜けている最中だったが、一方でベトナム戦争と安保問題を抱えていた。家庭では電気洗濯機やテレビ、自家用車が生活の豊かさを示す一方でそのテレビからは大学生のデモや戦争のニュースが流れていて、子どもといえども社会の矛盾を感じずにはいられない時代だった。中学1年の夏休み、読書感想文を書く課題があり、私はベトナム戦争の写真集を選んだ。戦争は私にとっていつも「何故」を問う事件であり人間とはどうゆう生き物なのかを問うための材料であった。

『あのころはフリードリヒがいた』を読む前から強く恐怖を感じていた。読むのが辛く悲しかった。タイトルから想像される、ヒットラー政権下のドイツ、反ユダヤ主義に変容していく社会の恐怖が本書を読む前から身をすくませているのだろう。はたして本書はその恐ろしい歴史が子どもの目線で書かれている。
1925年に生まれた男の子は一週間違いで生まれた上の階に住む男の子フリードリヒと親しくなる。作者はフリードリッヒのシュナイダーさん家族については名前を表すが、語り手である男の子の家族については名前を表さない。何故かを考えよう。
物語は章ごとに年代がふられ男の子たちの成長年齢とともにドイツ社会がどうゆう状況だったのかを照らすことが可能になっている。それはまさにユダヤ人迫害がどのように人々の中に染み広がっていったのかという歴史だ。
子どもらしい遊びの物語のあと、ユダヤ人であることで個人や社会から特別の目で見られることを描く。読者は気味の悪い肌寒さを感じる。それは次第に形を現し心ある人はユダヤ人を会話の中から隠すようになってゆく。しかし事態は深刻化を増し、ユダヤ人の医者は看板に落書きをされ、商店ではかぎ十字の腕章を巻いた男が「ユダヤ人の店で買わないように」と妨害をする。少年団ではユダヤ人が危険な人で災いのもとであると教え、アパートの大家はユダヤ人であるという理由で立ち退きを要求する。

私は時々本を置いて読むのを止めなければならなかった。現実にあったであろうこれらの事が読んでいる私の肌をざわつき震えさせる。胸の中に気持ち悪さが広がる。これが児童書なのだろうかといった困惑も起こってくる。

「先生(1934年)」という章で、つまりフリードリッヒ九歳の時の話だが、学校の先生が授業を終えたあとユダヤ人の歴史について話をしイスラエルを追われて後世界に散って暮したユダヤ人たちが何故迫害を受けてきたのか、二千年にわたる迫害にたえて生き残ってきたユダヤ人は有能で尊敬に値する民族であると生徒に話す。そして、フリードリッヒがユダヤ人学校に転校しなければならないことを伝える。

「理由(1936年)」の章は興味深い。男の子の父親は不況のため長く職に恵まれなかったが、国家社会主義ドイツ労働党の党員になったことで職を得ている。家族を養うために彼には必要なことだったのだ。だがそれによって反ユダヤの動きがより尖鋭化していることも知り、危険を感じた彼はフリードリッヒの父シュナイダーさんにドイツから逃げなさいと言う。しかしシュナイダーさんは反論する。その骨子は「自分はドイツ人だ。」「よその国が快く受け入れてくれるわけではない」「ユダヤ人に対する偏見は二千年続いている。偏見は変わらない」男の子の父親がユダヤ人を迫害している相手は国家なんだと説いても、「少なくとも荒れ狂った民衆に情け容赦なく殺されるという心配はない」と言い、「われわれが逃げないで辛抱強くがまんしたならさすらいの運命にも終止符を打つことができるのじゃないか」と応える。
これは今まで見てきたユダヤ人迫害を語った物語、映画で何回も繰り返されてきた会話だ。一見あまりにも能天気で社会の変化を感じていないのではと思えるくらいの反応だがそこにこそ問題の奥深さがあるのだろう。民族としての国を持つことの出来なかったユダヤ人がたとえドイツという国籍であろうとも国を得て国民になることを願っていたこと、国というシステムへの期待。そして確固たる信仰への気持ちが社会状況の変化にさいしてもこの地でこの国の国民として生きていこうという気持ちに影を持つことを許さなかったのだと。

それにしてもこの本は恐ろしい。国家が全体主義に突き進む中で個人がどのような変容を強いられるのか。従い受け入れるものはより大きい声強圧な態度を求められ、従わないものは罰せられ居場所を失う。

先に梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読んだときに全体主義の危険について書いた。映画『ハンナ・アーレント』を見たときはアイヒマン裁判を通じ、悪の本質が考える事を止めてしまった人間の不幸にあることを彼女が訴えたことを書いた。

私は『あのころはフリードリヒがいた』を読みながら、現在の日本の状況を思い浮かべざるをえない。反ユダヤを掲げ差別する姿はヘイトスピーチを掲げてデモ行進をするのとなんら変わらない。自衛隊の海外派兵を可能にする法案を作りたい政府与党が国を守るため、社会情勢が変わったからと言って推し進める姿はナチスドイツが純粋なアーリア人を掲げてユダヤ人を排除した言い方と大きく違わない。折りしもその与党の勉強会で議員や識者といわれる人から言論弾圧を煽動する発言があったという。国会で総理は野党の追及に外に出すことを前提にしていない内輪の懇話会だと弁明した。識者といわれる男は軽口を言ったまでだと開き直り、自分は作家なのだから言論の自由は尊重しているとうそぶく。開き直るのもうそぶくのも本人の自由だが、私たちはしっかりと見て考えなければならない。言葉の裏にどのような思想が隠れているのかを。

「ポグロム(1938年)」という章がある。ポグロムとは1881年から1917年に起こったロシアでのユダヤ人迫害から出来た言葉で、襲撃、虐殺などあらゆるユダヤ人迫害の集団行為をさす言葉だ。(注釈による)本書では病院や商店が襲われ町が荒廃している様子、男女数人の一団がユダヤ人の住む寮に押しかけて破壊する様子、フリードリッヒの家も襲われる様子が描かれている。集団の中から生まれる狂気は恐ろしい。現代でもヨーロッパの各国では移民問題で反対する人々が人種差別、嫌悪に駆り立てられていて政党まで作って活動している。アメリカでの黒人差別と反差別の衝突。ポグロムはユダヤ人に対する迫害の言葉だが同じ事が現在でも起こっていることを警戒しなければならない。集団になったときに生まれる攻撃的狂気は暴走すると簡単には止められない。

話は1942年で終わっている。巻末の年表が重要だ。13万人のユダヤ人に対して国外への強制移送、財産の供出、交通機関の使用禁止、食料の配給停止、そしてアウシュビッツへ。生きる権利を奪い命を奪う行為の全てが国家によってなされた。


『あのころはフリードリヒがいた』は児童書である。子どもたちにあの時代、あの国で、世界でなにが起こっていたかを伝える大切な本である。私は子どものころにこの本を読むことは出来なかった。しかし、この本は単に歴史を伝える本ではない。今を考えるときにとても大切な本だ。だから子どもだけでなく大人にも大切な本ということだ。この価値は今後も変わることは無い。正しく見て正しく考えることをしなければならない。



おまけ)
本書を読んでいるうちにドイツ語で読みたくなった。Amazonで調べてみるとDamals War Es Friedrich がペーパーバックで国内や海外から安く届けてもらうことが出来ることがわかった。そのうちに注文しよう。この幸せな世界を守るためにも何回も読み返すべき本なのだから。




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テーマ : 児童文学
ジャンル : 本・雑誌

『グリーン・ノウの子どもたち』ルーシー・M・ボストン

お元気ですか?

梨木香歩さんの『秘密の花園ノート』を読むために、バーネットの『秘密の花園』を読んだ。児童向けの古典である『秘密の花園』を初めて読んだのだが、想像以上に読み応えのある本であった。
図書館の児童書の書架には懐かしい本やタイトルは知っていても読んでいない本が沢山並んでいた。学校の図書館や本屋さんで探して読んだ本には広告が載っていてこのタイトルと短い紹介文にわくわくしながら次はどれを読もうかと想像し自分なりの優先順位を考えたものだった。しかし本を読むということは出会いだ。読みたいと思っていてもなかなか近づけないこともある。読みたいと思いながら何十年もたってしまった。

『秘密の花園』を返しながら書架を歩いた。何を読もうか。一冊は決まっていた。ルーシー・M・ボストンの『グリーン・ノウの子どもたち』である。この本は小学生の頃に一度読んだことがあり今も実家の書架にある。冬休みをひいお祖母さんの屋敷で過ごすことになった男の子トーリーは屋敷にある古い絵に描かれた子どもたちと不思議な体験をする話。大雨の洪水に見舞われた屋敷にボートに乗って行くという印象的な出だしで始まる話なのだが、私はすっかり物語を忘れている。記憶にあるのは小学生の時にこの本の感想文が上手く書けなくてそれ以降読書感想文というものに苦手意識を持ったこと。そして当時この本はシリーズの一冊目しか翻訳されてなく、しばらくして続編が次々と翻訳された時には読みたいと思いながらも距離が出来ていたことだった。私にとって『グリーン・ノウの子どもたち』は印象的ではあるがあまり嬉しい思い出の本ではなかったのだ。
心にひっかかったものは払い落とさなければならない。図書館の書架にシリーズ六冊が並んでいるのを見つけ借りることを決めた。さて、一冊目を借りることは良いのだが、同時に続く二冊ぐらいも借りたものかどうかを迷った。私の癖として同じ作家のもの、同じシリーズのものはなるべく全部読みたい。一冊では分からない作家の意図やシリーズ全体を読むことで分かってくるものもあると思うからだが、小学生の時と同じように上手く感想を持つことが出来なかったら二冊目が苦痛になるかも知れない。そこでまずはと『グリーン・ノウの子どもたち』一冊を借りてきた。

読んでみて小学生の頃になぜ読書感想文が上手く書けなかったのかが分かったような気がした。ビルマから冬休みを利用してイギリスに来た7歳の少年。継母とそりが合わず寂しい気持ちを抱えている。秘密の花園のメアリのようだ。イギリスでも最古の邸宅というのも似ている。ボストンを非難する気は全くないが、1911年に発表された『秘密の花園』をなぞるような設定はどうなのだろう。もちろん小学生の時に私がそうゆう事に気がついていたわけではないが(『小公子』は読んでいた)、なんとなく二番煎じのつまらなさを感じていたのかも知れない。大雨による洪水や雪の庭といった自然の設定もトーリーの感動はあまり描かれているとは言えない。絵に描かれたトーリーと友達になる子どもたちの設定は面白いしこの作品の柱だが、残念ながらこの作品ではトーリーが子どもたちと友達になるというレベルしか描かれていない。幻の子どもたちはともかくとしてトーリーの変化があまり描かれていないのだ。この点は『秘密の花園』と決定的に違うところだ。『秘密の花園』では梨木さんが指摘するように様々なところに小動物であったり草花の成長であったりとメアリの変化への仕掛けがしてあった。しかし『グリーン・ノウ』ではそれが薄い。
でも、いや待てよと私は自分に言う。トーリーが子どもたちと出会う屋根裏部屋はまるで母の実家の屋根裏部屋とそっくりではないか。階段の突き当たりにあった小さな引き戸を開けて入る屋根裏部屋は私には宝探しの部屋だった。雪の上を足跡で汚さないように慎重に歩くトーリーは家の前の草原に真っ白く積もった雪の中に犬の足跡をみつけて喜んでいた私の子ども時代と同じではないか。

『グリーン・ノウの子どもたち』はルーシー・M・ボストンが1954年62歳になって発表いた作品。このあと五作品が続く。いうなれば前奏曲のような作品なのかも知れない。とりあえず一作目を読んで小学生の時のようにスタート台には立ったのだ。残りの作品も読んでみようと思う。確たる思いではなく少し思う程度だが。

読み終わって思い出したことがあった。そういえばたしか梨木香歩さんとルーシー・M・ボストンとはつながりがあったのではなかったのか。そこでサイト検索をしてみたら、あった。『梨木香歩の世界』という梨木ファンの方が雑誌の特集記事やインターネットにアップされている情報から梨木さんの姿を明らかにしようと試みてるHPがあり、そこに「『グリーン・ノウ』シリーズの作者ルーシー・M・ボストンに手紙を送り、グリーン・ノウのモデルになったルーシーの住む古い館、マナーハウスを訪ねたりしている。」という文章がある。梨木さんはルーシー・M・ボストンの何に興味をもったのだろう。そのことを知るためにも『グリーン・ノウ』シリーズを読まなければと思う。

どうやら私は小学生の時の出会いを梨木香歩さんを触媒として今また続けようとしているのかも知れない。だとすると、この『グリーン・ノウの子どもたち』は何十年もの間、私の中で芽を出すのを待っていた本なのだろう。出会うということの不思議をいつもながら考えさせられる。


さて、今図書館は蔵書点検のためお休みになっている。『グリーン・ノウの子どもたち』と一緒に借りてきたのはマイケル・ボンドの『くまのパディんトン』。きっとA・A・ミルンの『くまのプーさん』と一緒に世界でもっとも有名は熊の一人だろう。バーネット、ボストン、と続いてまたイギリスの作家だが、時代はずっと近づいている。英国流のユーモアを楽しむ事が出来るだろうか。読みたかった本を手にする喜びは子どもの頃と少しも違わない。

では、また。




テーマ : 児童文学
ジャンル : 本・雑誌

『秘密の花園』

お元気ですか?

図書館にある梨木香歩さんの本を借りて読んでいますが、所蔵リストの中に『『秘密の花園』ノート』という岩波ブックレットがありました。小説もエッセイももうほとんど読んでしまったので、このブックレットを読もうかと思ったのですが、私はまだ『秘密の花園』を読んでいません。はるか昔、同じ作者バーネットの『小公子』と『小公女』は子供向けの本で読んだ記憶があるのですが、『秘密の花園』は読んでいないのです。
そこで、『『秘密の花園』ノート』を図書館に予約し受け取りに行った時に児童書の書架に廻り『秘密の花園』も一緒に借りてくることにしました。

こんなお話です。
インドで両親をコレラで亡くした少女メアリは、裕福な伯父に引き取られイギリスのヨークシャーに来ますが妻を事故で亡くした伯父は失意からメアリに関心をもたず留守がちです。インドで召使に囲まれて我侭に育ったメアリでしたが若い女中マーサの話にすこしづつ心を開いていきます。ある日、庭で遊んでいたメアリはコマドリに誘われるように鍵がかけられ屋敷の人から忘れられていた庭をみつけます。そして屋敷の中では女中たちも口を閉ざしメアリに教えまいとしていた病弱な男の子コリンに出会います。
二人はマーサの弟ディッコンと一緒に庭の手入れをし草花を育て遊んでいくうちにすっかり健康になっていきます。

イギリスの植民地時代、ヴィクトリア朝のお説教めいた児童書の匂いも残っている『秘密の花園』ですが、児童心理を思いながら読むといたるところに読み手へのヒントがちりばめられている本です。屋敷の中の閉ざされた部屋の数々や庭、草花の再生など心と命の関係が上手く配置された物語です。そう思って読むと、心理学に詳しい梨木香歩さんがブックレットを書いたのも分かるのです。

梨木香歩さんは『ノート』でまずインドの屋敷でメアリが体験する孤独に注目します。コレラの蔓延で両親を亡くし召使もメアリを捨てて逃げ出し、メアリは屋敷に一人ぼっちになります。部屋に紛れ込んだ蛇すら彼女の前からいなくなる恐ろしいまでの孤独な空間ですが、メアリは孤独を感じていません。すでに彼女は人間との関係性を失ったなかで育てられていたため改めて孤独を感じることが無かったのです。
梨木さんは屋敷にも注目します。ヨークシャーの屋敷に連れられて来たメアリは伯父のクレーブン氏から歓迎されるわけではありませんが、それはクレーブン氏が失意の中で子供のことに感心を寄せることが出来ないでいるからです。しかし、屋敷は違うようです。子共部屋の暖炉の火を女中のマーサが起こすシーンを梨木さんは温かさが備わってきた象徴と見ているようです。梨木さんは動物にも注目していて最初に登場した蛇から次のねずみ、コマドリやカラスと次第に体温を持った動物が出てくることを指摘します。屋敷の中に沢山ある部屋をメアリが探検する姿は自分探しのようですし、その一室にある象牙で出来た人形で遊ぶシーンはインドでの自分を思い返すものでしょう。そして女中たちが隠していたコリンとの出会い。二人とも大人から存在を否定されたようにして育ち、我侭で相手のことを理解できない子供が二人出会ったとき、相手に自分を見て社会性が生まれるのです。
子供たちには導き手が必要です。梨木さんはそれを「光の一族」と言い「ほとんどの植物は、芽を出すために光を必要とします。」といい、女中のマーサとその母親スーザン、そして弟のディッコンをあげます。ディッコンは動植物と心を通わせる優れた子供として描かれメアリとコリンの成長の芽を上手く直接的に導く存在で、すこし妖精的な出来すぎた感じの子供です。マーサの母親で十二人もの子供を育てたスーザンは導き手というよりもまさしく存在と言ったほうがいいでしょう。誰もが一目置きその言葉に耳を傾け、安心する存在です。梨木さんはこの家族を「生命力の化身」と評します。

こうして心と体とを病んでいた子供二人が周りの導き手を借りながら動き始めます。しかしそのためには「場」が必要です。メアリはコリンを庭に誘います。コマドリに誘われて鍵を開けた庭です。鍵を開けたということからしてもうそこが神聖な場所であることは明白です。物語ではそうはなりませんが、鍵というのは外から開ける事も出来れば中から閉めることも出来ます。実際物語りの中で庭の塀にはしごをかけて覗いていた庭師ベンをコリンは見つけて扉から中に入れます。塀は越えてはならないもので扉は出入り可能なもの、そしてそれには鍵が必要なのです。
二人はこの庭で草花の世話をしたり運動をしたりします。心と体を育てて行くのです。梨木さんはこの庭に母性をも見出します。それに加えさらに梨木さんが指摘する家、家族としての存在の場というテーマの方に私は惹かれます。庭はコリンの母親が事故で無くなった場所でした。父親であるクレーブン氏にとっては禁忌の場所です。しかし、そこは正に母親の場所でもあり家族の場でもあるのです。

子供たちにとって神聖な庭は自分を育てる秘密の花園でした。そして庭は土地に根ざした家の再生の花園でもあったのです。

梨木香歩さんは『ノート』の最後に次のように書いています。
「バーネットがこの作品を書いた当時、このようなことを明確に意識していたかどうかは分かりません。たぶん、していなかったでしょう。けれど、ときに作品は、作家個人の意図と意識を越え、神がかり的に生まれるものであり、読書とは、そういう作品と読み手との間の協働作業(コラボレーション)であると言えます。そう考えると、本を読む、という作業は、受け身のようでいて、実は非常に創造的な、個性的なものだと思われます。それぞれが、それぞれの人生という「庭」をつくる作業にも似ています。」と。


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チーズのある食卓 続き

お元気ですか?

我が家は乳製品が好きで、朝はヨーグルトをいただきますし夜の食卓にはチーズやオリーブなどがおつまみとして並びます。以前、フランスのシャルトルでホテルに泊まった朝、同席したスイス人の男性が自分の家で作ったチーズを取り出して私にも食べなさいとお皿に盛り上げたことがありました。(以前ブログにも書いたことがあります)その時は私一人だったのですが、なんと嬉しかったことでしょう。男性と二人でチーズを切りながら会話がはずんだのを思い出します。

パートナーさんとの夕食ではテレビの旅番組を会話のお伴にしますが、市場の様子が映し出されると興味深々です。そして必ずのように試食の様子に驚くのです。なんといっても試食用にお店の人がカットするお肉やチーズの量が普通じゃないのです。テレビ用の演出ではありません。きっと経験されたことのある方もいらっしゃると思いますが、試食といっても日本のスーパーで出される爪楊枝にさしたちびた切れ端ではなくて食べるという表現が相応しい確りしたカットなのです。
ある方の言葉ですが「家のこどもたちは試食だけでお腹いっぱいになっていたわよ」ですって。分かりますね。

今日の夕ご飯はパートナーさん手作りのハンバーグと自家製フランスパンだったのですが、チリの赤ワインと一緒にチーズももちろん並びます。今日のおすすめチーズはカベクー フォイユ。山羊のチーズです。フェルミエさんのチーズですからサイトもご覧ください。

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オー・ド・ヴィーにくぐらせた栗の葉に包まれているのですが、オー・ド・ヴィーというのは葡萄を原材料にした蒸留酒、コニャックやアルマニャックのことです。葉っぱの殺菌をしてからチーズを包み香りを移します。葉っぱそのものにも殺菌効果がありますからチーズの熟成を穏やかにすすめる効果もありますね。

我が家では市場の試食にも負けてしまうほんのちょっぴりしか切りません。ちょとケチかなとも思いますが、まぁ大食漢ではありませんし何回も楽しみたいですからね。今日は写真の四分の一を二人でいただきました。

皆さんはどんなチーズがお好きですか?



チーズのある食卓

お元気ですか?

私たちがよくワインを買いにいくワインブティックパニエは、最初北海道の共働学舎のチーズを扱っているということから知ったお店でした。パートナーさんとチーズを買いに行き、ワインの品揃えの良さ、陳列の分かりやすさ、店員さんの専門性の高さにすっかりファンになったのでした。

そのパニエさんが最近東京のチーズ専門店 Fermier(フェルミエ)さんのチーズを一部扱うようになりました。私たちには嬉しいことです。
店長さんのお話では当地ではなかなか満足なチーズが手に入らないことから、ならば自分たちでルートを開拓しようと頑張ったとのこと。もちろん直営店のような品揃えは望めませんが、定番商品とスポット商品を置いてワインを買いにきたお客さんに広めているところなのです。
ワインを楽しむ人でチーズに感心のない人はいないでしょう。フランス料理のレストランで食事をしてもワゴンで運ばれてきたチーズから好きなのをワインに合わせて選んだりします。チーズを知ること、楽しむことは食事を楽しむ基本なのです。

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今日、ミモレット、ブリー・ドモー、カベクー・フォイユチーズなどを求め、さっそくテーブルに出すパートナーさん。

ところで、私はいつからチーズを食べるようになっていたのでしょうか。北海道は酪農の土地ですからチーズが豊富であったかというとそうではありませんでした。少なくとも子供の頃の記憶にあるのは雪印のプロセスチーズだけ。バターと同じように外装を紙の箱に包まれ、ビニールに密閉されたチーズを包丁で切って食べたのです。学校給食ではやはり少し柔らかいチーズが小袋に入り切り口から搾り出すようにしてパンに付ける。そんなチーズがついてきました。
今スーパーで売られているような一口サイズの銀紙に包まれたチーズが登場するのはづーっと後の事です。

もう一つ記憶にあるのはやはり雪印が作っていた缶詰に入ったチーズです。バターの缶詰はご存知の方もいらっしゃるでしょうが、それと全く同じで、缶詰の中に充填されているといった商品です。今スーパーなどでカマンベールチーズが缶詰に入って売られていますが、あれとは全く違います。プロセスチーズがびっしり充填されているのです。
まだ缶詰がプルトップで開けるイージーオープン缶でなかった頃、私はこのチーズの缶詰を缶切りで開けていました。コキコキとリズミカルに缶を切り開けてゆくのですが、缶切りの刃のところにチーズがついてきて、正直なところあまり好きではありません。全部切り空けた缶の中にチーズが詰まっていて取り出すにはスプーンやナイフでほじくりだすのですが、結果ぼろぼろの状態で皿に取り出すことになります。どうも悲しいチーズなのです。しかもお味も決して美味しいものではありませんでした。
もちろんこんな面倒なチーズは自分で買ったりしません。家に届くお中元お歳暮の雪印のギフトの中にあるのです。なんだか雪印の確信犯的ギフトセットだと私は思っていました。
ただ、チーズの缶詰の名誉のために言うなら、これは軍隊の食料として開発されたものです。もともと缶詰はナポレオンがヨーロッパで拡大させた戦争で兵士に栄養価のある食べ物を届けるため開発されたものです。アメリカでは南北戦争のときにも缶詰が活躍します。チーズの缶詰もそうゆう意味では重要な食料であったのです。ですから私も一人暮らしの学生時代、実家から送られてくる食料の中にこのチーズの缶詰があると、涙をながしながら缶切りの歯をコキコキたてたものでした。
今となっては懐かしさのほうが強く感じられ、もう一度食べてみたいと思うプロセスチーズの缶詰です。

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この写真はチーズとは関係ありません。骨付きラム肉が手に入ったので切り分けて焼いてみました。ラム肉はカルニチンが多く含まれ脂肪燃焼に効果があるといわれています。それでなくても脂の溶ける温度が低いので体に良い肉なのですが、日本では牛・豚・鳥に比べるとそれほど一般的ではないですね。スーパーでもジンギスカン用にスライスされたのがあれば良いほうで、骨付き肉はなかなか見当たりません。この日はマスタードたっぷりのソースを作りました。私もまだまだ料理発展途上のラム肉です。

では、また。

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』

お元気ですか?

当地は梅雨に入りました。住宅の周りに細々と守られている田圃に水が張られています。

梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読みました。図書館のリストに見つけ未読の本を選んで読んでいる梨木香歩さんですがづっと後回しにしていた本です。タイトルを見て分かるように、岩波書店の名著『君たちはどう生きるか』吉野 源三郎著を思い出させる本書にこれまで読んできた梨木香歩さんの作品とは作者の取り組み方向き合い方が違うような気がして少しこちらにも準備が必要だったのです。

物語はコペル君という14歳の少年が体験する一日です。連休初日の朝、コペル君はルーペを持って土に棲む生物を探しに雑木林に出かけ、染色家のノボ伯父さんに会います。お父さんの影響で少し難しい言葉を使うコペル君はノボ伯父さんとの関係や家族の関係にも思いをめぐらしますが、そのところどころに出てくる難しい言葉は子供らしいユーモラスな感じを文章に与えていて面白いですし、コペル君がよく物事を考える目と言葉を持っていることを読者に知らせます。こうして読者はコペル君と一緒に考えることに誘われてゆくのです。
コペル君はヨモギが欲しいという伯父さんの希望で小学校からの友人であったユージンの家を訪ねます。そこは周囲から距離を置くように守られた森に囲まれた古民家で、亡くなったお祖母さんが開発で失われてゆく植物を自分の土地に移植し守って来た家なのですが今はあるきっかけで学校に行かなくなったユージンが一人で住んでいます。

梨木香歩さんの本を読むとき、私はいつかしらか自分でキーワードを持つようになっています。箱庭であったり境界であったりと作品から思い起こされるキーワードを手がかりに作品を読み解こうとしてきました。今回『僕は、そして僕たちはどう生きるか』にあるキーワードは「全体主義」です。ボーイスカウトがヒトラー・ユーゲントの母体になり、ドイツと同盟国であった日本でも少年団は軍の下部組織のようなものに変貌してゆく話。戦時下の日本で兵役を拒否して山の洞窟に隠れ住んでいた人の話。そしてユージンが経験した小学校で担任の先生とクラスメイトによってなされた恐ろしい出来事。
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読み、ふと自分の周りの出来事や経験を思いだすと似たような事に沢山思い当たります。

例えば私が小学生の時に学級会で同級生の女子の左利きが問題になったことがありました。何人かの生徒が女生徒の左利きを止めさせて右利きにするように規正すべきだと言い出したのです。女生徒が左で黒板に何かを書いていたのをきっかけに起こった発言は「それが普通だから」という言い方と「直せばその女生徒のためにもなる」という理屈をもってまるで正しい事のようにクラスに広まりました。その時私は黒板の前に立ち身を硬くする女生徒を見ながら、クラス全体(その場に居た担任の先生も含めて)に嫌悪感を持ったのを今もはっきり覚えています。

大人の世界でも同じ事が見られます。大人の場合は政治・行政・法律といった制度の下一人一人が責任を負い、選んだのはあなた達だよと言われるのですが、では私たちはどれだけの事を理解して判断しているのでしょうか。私自身を例にしても私は何かの専門家でもありませんし、広く正確な知識を持っているわけでもありません。政府がこれが国民にとって良いことで、国民が選んだ代表者が決めたことだから貴方も従ってくださいねと言ったときにどれだけはっきりと嫌だと言えるでしょうか。

物語の中にインジャと呼ばれる少女が出てきます。少女は図書館である本を読んだことをきっかけとして卑劣な大人の性産業の罠にはまってしまうのですが、「結果、自分で判断する能力を失ってしまって、自分自身の「魂を殺す」手伝い」をしてしまいます。その少女の話を知ったコペル君は「大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。自分基準(スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ。他人の「普通」は、そこに関係ない。」と思います。

私たちは今目の前に起こっていることをきちんと見て理解し、自分を基準として善し悪しを判断しているでしょうか。そしてこれは間違っていると思ったとき、これは危険だと思った時にその場から離れたり警告を発する行動を取ることが出来るでしょうか。
梨木香歩さんは優しい人です。怒ること、抗議することの大事を言うと同時に黙っている人にもその人の事情があることを見守ります。そして物語の最後、コペル君はこう言います。

「そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。けれど、そうゆう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、いざ、出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく。 やあ よかったら、ここにおいでよ。 気に入ったら、ここが君の席だよ。」

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『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読み、非常に重たい気持ちになっているのは、私たちの生きるこの世界が理不尽な現実に覆われていて、その現実を前にして私たちが思考停止に陥っていく危険に日々さらされているからなのかも知れません。

吉野源三郎が『君たちはどう生きるか』を発表したのは1937年(昭和12年)のことでした。この年がどうゆう年だったのかをここで紹介する余裕はありませんが、戦後も改訂されて現在に生きている本なのです。
私がこの本を読んだのは中学一年生のことでした。毎日通っていた学校の図書館にあったのを借りて読んだのです。ある日同級生の小林君に「最近読んだ本で何か気に入ったのある?」って訊くとこの本をあげたので、私は少し驚くと同時に小林君に感心したものでした。小林君は勉強では学内でも一二の優秀で、小柄でよく動き回っていましたが何処か落ち着いた感じのある育ちの良さが伺われる子でした。(思い出したので書いておきます。)

梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』はもちろん吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を念頭に書かれた本です。今私たちは昭和12年とは違う時代に生きているのですが、だからといって全く平和に生きているわけでもありません。自衛隊の派遣(もしくは派兵)問題や憲法改正論議、沖縄や北方領土の問題に、北朝鮮との拉致被害者問題など実に困難な問題を抱えています。
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』は2007年から2009年にかけて理論社のウェブマガジンに連載され、2011年に書籍として出版されました。梨木香歩さんが発表してから数年経ったわけですが、本書の主題の重要性は褪せることはありません。
そして読み終えた今、私は梨木香歩さんの強い怒りと涙を想像せずにはいられないでいます。様々な森や林、沼や湿地に出かけカヤックを漕いで生き物を見てきた梨木さんです。渡り鳥が地球の磁場を感じながら渡りをするように、人間の世界に目を移したときに何か心に引っ掛かる違和感、ノイズのようなものを感じたのかもしれません。今言わなければ、書かなければという気持ちにさせる信号をキャッチしたのかも知れません。

私は、自分基準を持ちアンテナの感度を高めることが出来るでしょうか。違和感を感知したとき身を守る行動を取ることが出来るでしょうか。コペル君と一緒によく考え続けて生きてゆくことが出来るでしょうか。

ピロリ菌検査

お元気ですか?

地震や竜巻、火山爆発と大きな災害につながる自然現象が続いています。不安な生活を強いられている方も多いことでしょう。お見舞い申し上げます。地球の誕生から四十六億年、人類の誕生が七百万年前といわれています。人類が天体を観測したりしだしたのが数千年前ですから、最近の自然現象をもって異常気象だというのはちょっと手前勝手な気がするのですが、それでも今を生きている私たちには切実な問題です。


三月から続いた胃と大腸の養生が昨日ピロリ菌検査をもって一段落しました。四月に一週間ピロリ菌除去の薬を飲み95%の確率で除去できるのだそうですが、もし除去が上手くいかなかった場合次の手立てをしなければなりません。そのための除去確認検査です。
朝、食事を取らず水を飲むのもひかえてくださいと言われていました。病院の受付で「ピロリ菌の検査に来ました」と伝えると待つこともなく治療室に呼ばれます。ベッドに座り小さな袋に息を吹き入れると、次に水と錠剤一個(ユービット錠100mg)を渡され飲むと五分間体の左側を下にして横になります。続けて十五分間今度は体を起こして座りじっとしています。看護婦さんが「十五分は長いわよ」と言って週刊誌を持ってきてくれましたが、私は週刊誌を読まないのでちょっと困ってしまいます。それでせっかくですので、見出しだけ眺めていました。十五分が過ぎ、再度小さな袋に息を吹き入れてお仕舞いです。



私が吹き出した息は写真のように検査機にかけられ、ピロリ菌が除去されたかどうか分かる仕組みになっているのだそうです。
結果が待ちどおしいですね。

病気の話をもう一つ。
一週間前から右目が強膜炎にかかりました。眼球の横から次第に充血が始まるので、ああまた強膜炎だなと分かります。目薬をさしてなんとか軽く治まればと思いますが、敵もなかなかで結局今回も白目全体がぶよぶよするくらいに充血してしまうのです。
目も開けていられませんし、痛みで頭を動かすことも出来ません。久しぶりの強膜炎で、三年ほど前から周期的になっていますので状況は分かるのです頭痛を伴う目の痛さというのは何とも気持ちの悪いものです。
どうせ眼科に行っても目薬をもらうだけと思ったので以前医者から貰いまだ封を切っていなかった目薬で対処していました。

パートナーさんがネットで強膜炎を調べて、リュウマチや膠原病と関係があるそうだから、専門の内科に診てもらったらと教えてくれます。確かに私が以前調べたときにもそうゆう事は知っていたのですが、リュウマチや膠原病の多くは女性に見られる病気です。アレルギーや感染症は考えられません。眼科では原因は不明ですと以前言われていましたから試しに内科に相談してみようかと電話をしてみました。電話で応対してくれた看護婦さんに症状を伝えると「確かに膠原病の専門ですし、目に症状が出ることもありますが、まずは眼科に行って紹介状をもってきてください。」と言います。そこで何故紹介状が必要なんですか?と訊くと、「眼科の診察を受けたうえでの判断という事なんです。」と言います。
でも、眼科に行けば眼科での診察代がかかります。眼科の医者に「リュウマチの可能性を危惧するから紹介状を書いてください」というのもプロに素人が意見するようでなんだかおかしな気がします。結局内科も眼科も今回は行かず今ある目薬で対処することにしました。目薬が無くなってまだ炎症が続いていれば眼科に行きますから、その時相談してみましょう。
でもこうして診察の機会を逃し悪化させてしまう患者さんもいるのではと心配します。

私も人間の体をもらって平均寿命の半分以上を生きてきました。子供のころから思い出せば大きな怪我や病気はしませんでしたが、今に至ってなにやら弱いところがあちらこちらと出てきているようです。
地球の寿命も太陽の寿命に順じあと五十億年ほどと言われています。もっとも太陽が消滅する前に地球は人間が生存可能な環境ではなくなるから、人間が地球で生きられるのは十七億五千万年から長くて三十二億五千万年。もっとも太陽系以外のところに移住するという考えもあります。私はそのころ人間が存在していたとしたら今の人間の姿とはづいぶん違ったものに進化していると思っています。その空想は置いておくとして、どうやら私の寿命も地球の寿命と縮図は似たようなもののようです。地球に地震や火山噴火、巨大台風などがおきているように私の体もあちこち異変が起きているのでしょう。この先どんな変化が起きるのか。なるべくダメージを少なくするようにしながら付き合っていかなければいけません。





杣人のNuages

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