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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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ジグソーパズル

お元気ですか?

父が亡くなって初めての年末年始を母と一緒に過ごそうと帰省しました。新幹線を乗り継いで新青森まで来て、前回美味しかった鶏肉弁当を買って急いで特急列車に乗り込みます。座席の幅も前後も新幹線と比べると狭いですし棚の上には乗客の大きな旅行鞄がびっしり並んでいます。新青森を出発した列車は吹雪の中をゆっくりと進み、いつしか青函トンネルを潜り抜けると本州とは全く違った木々の風景。人家も見当たらない森の風景を眺めていると二時間ほど前に盛岡を過ぎても雪が見当たらなかったのを思い出し、汽車旅の車窓の面白さに感慨を思えます。

列車は所々で徐行し、何か所かですれ違う列車の遅れのため停車します。車掌さんのアナウンスは接続の列車に乗り継ぐことができますからと伝えていましたが結局30分の遅れで函館駅に着きました。ホームにも積もった雪に足をとられないように注意して歩きます。私たちが乗って来た列車は新青森へ折り返してゆきますから降りるお客さんと乗るお客さんがホームであふれているのかも知れません。旅行鞄とお土産の紙袋を持った人が混沌としていますが、それも次第に流れが出来て私たちは改札に向かいます。改札の手前、空いているベンチをみつけたのでトランクから雪靴を出して履き替えます。これで足元を心配することはありません。
駅前の電停から市電に乗ろうとすると停車場に交通局の車が停まっていて電車が動いていないのでバスで代替え輸送をしていると言います。
交差点を渡ったところに用意された臨時のバス停に並びバスを待ちます。交通局の若い職員が列の整理をしていたので「どうしたの?」と訊くと市電が線路で何かを踏んだらしく脱線したのだそうです。一緒に並んでいた地元のおばさんが「私は函館生まれ函館育ちだけれどこんなこと経験したことないよ」と言います。バスに乗り脱線した現場を通ると警察官が写真を撮ったりしています。後でテレビのニュースで見ると停車場でお客さんを下ろし、出発しようとした電車が線路の上で何かを踏み脱線しすべるようにしてホームにぶつかって止まったのだそうです。全くめずらしい事故です。

特急列車の遅れ、市電の脱線事故を体験しながら家に着きます。母に帰省の挨拶をし、父の仏壇を初めて見ると、小さいながら細かな細工の施された立派な仏壇です。子供の頃は私の家に仏壇がなかったので祖父の写真にお供物を置いて手を合わせていましたが、父が亡くなり仏壇が出来た今、家が少し家らしくなった気がします。父は長い赴任から家に帰ってくると家の造作に少しづつ手を入れるのが好きでした。居間の模様替えをしたり、座敷に縁側をつくり障子戸を入れたり・・・と少しづつ自分の家を直して自分の希望を取り入れてきました。その最後の仕上げが自分の入る仏壇なのかもしれません。母も気に入った仏壇を用意することが出来て一安心出来たことに喜んでいるようです。

母はのんびり一人暮らしで、体は弱いものの頭はしっかりしているので私たちはとても助かっています。いつも何か工夫をして暮らしているのは好きな洋裁や手仕事で培った習い性のようです。今回はどんな工夫があるのだろうとちょっと期待が出来るくらいいつもサプライズが待ち受けています。

今回のサプライズ、感心ごとはこれです。

1512301.jpg   1512302.jpg

昨年骨折した時に病院のリハビリルームで覚えたジグソーパズル。先日通販カタログで見つけて買ったと言っていました。私も買って送ってみようかと思っていたのでどんなジグソーパズルを買ったのだろうかと興味を持っていましたが、それが上の写真です。

そして母の工夫。箱の絵に糸で線を渡し、画面を小さく区切っています。ピースを並べる額の上にも糸をはって画面を同じく区切っています。これには本当に驚きました。もしかしたら私の母はとても頭の良い人なのかもしれません。少なくとも私が驚くくらいには頭を使うのが好きなようです。何かをするとき、その主たることよりもそれをするために工夫することの方を面白く感じているようです。こうゆう思考回路の人間はきっと好奇心がいっぱいでボケるという言葉は寄り付くしまはないでしょう。改めて母の面白さを知ったのでした。

さて、今日は父の月命日。家の掃除をし花を飾りお坊さんのお経を楽しみましょう。

ではまた。

おまけの話)

前回新幹線で函館に来たとき、窓側の席にだけ電源コンセントがあるのでそれぞれの椅子にコンセントが欲しいと書きました。今回東北新幹線でグリーン車に乗ったのですがこちらでは二人並びの席の間ひじ掛けのところにちゃんとコンセントがあります。新幹線も久しぶりならグリ―ン車はもっと久しぶりです。こんなところで差異をみつけるなんて・・・。JRさん、一般座席にもコンセントを!次はグランクラスで行くぞ!

函館の市電脱線事故。臨時バスを待っていたところの交通局の職員さんは線路でなにか踏んだみたいでと言っていましたが当日夜のテレビニュースでは出発しようとしてすぐ脱線しホームにぶつかって止まったと報じていました。翌朝の新聞では出発して20mのところで脱線して滑り斜めになって反対側の線路もふさいで止まったと伝えています。何かに乗り上げた異物は見つからず原因を調査中ともあり、取材報道の違いがあることを知ります。
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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

家を建てる2

お元気ですか?

今年もあと4日、この1年を振り返ると色々なことがありました。私の病気と義父と実父の死、相続に関係する事務処理・・・次から次へとやってくる事態を一つ一つ受け止めてきたら最後に家を建てる話がやってきました。

12月13日に土地の購入に関する契約をして手付金を払いました。実はこの土地は「大規模集落制度」という制度に規定された土地で「市街化調整区域に長年居住している方(またはその子)で、持家がなく世帯を有している方を対象とし、居住している地域(連合自治会区)の中にある大規模既存集落内の土地に、自分が住む住宅(自己用住宅)を建築できるという制度」というものです。つまり、住民の子孫を地域の土地に住んでもらう目的、定住化政策の土地でその分値段も安く設定されています。もともと田畑だった土地ですが地主さんが手放す際に不動産業者が基準に合うように区画を整理して売り出します。次にこの土地を農業振興地域の農地(青地)から白地に変更(農用地除外申請)を行いますが、当地では年2回近くは2月にこれが行われ認可がおりるまで半年ほどかかるそうです。

私たちが今回購入した土地はこうした事情があるためすぐに家を建てることができません。その分じっくり準備することが出来るとも言えるのですが、マンションのように出来たものを買うのと違い家を建てるのですから自分たちで決めなければいけません。自分たちがどうゆう家を必要としているのかを基に大きさ間取り機能を考えてゆきます。そのために地域の工務店2軒、ハウスメーカー3軒と話をしそれぞれから図面での提案を受けました。最初の面談の時は会社の概要を聴き私たちの希望の大まかなことを伝え図面を書いてもらいます。次にその図面をもとに自分たちの細かな希望をいれて変更をしてもらいます。この二回で建築屋さんの発想を理解し私たちの考えとマッチしているか、私たちの希望を取り入れてさらに良くしてくれる技術力があるかどうかを判断します。この間に私も建築屋さんからいただいた図面のいいとこどりをしながら自分でも間取り図を書いてみます。そしてその図面を建築屋さんに見せて意見をもらい修正していきます。
ここまでが昨日までの3週間で行ってきた作業でした。

建築屋さんを比べるというのはとても面白いものです。Aメーカーはコンパクトでまとまりの良い図面を提案してきました。Bメーカーは中庭や屋根裏収納を大きく利用できるようにしたり、私の雑談のなかから吹き抜けをイメージしたりと遊びの要素がつまった図面を書いてくれたりしました。要望を入れていても私たとセンスの違いがはっきり分かるものもあります。
家を考えるとき、どうしても浮かんでくるのは子供の頃に住んだ家のちょっとしたお気に入りの造作です。例えば障子の丸窓は母の実家にありましたし、吹き抜けの二階から下が見えるのも好きでした。母の実家の出窓から私はいつも函館湾を眺めて海外に行くことを夢見ていましたし私が暮らした子供部屋にも出窓があってそこから庭を見るのが好きでした。そんなふうに私には子供の頃に暮らした家のお気に入りの部分を盛り込みたいという気持ちが強くあります。そんな記憶を思い出すのも家造りの楽しさなのでしょう。

パートナーさんはキッチンを広く使いやすくしたいと言いますし、ウッドデッキも必須です。本箱に囲まれた部屋で心置きなく本を読んでいたいとも思っています。そうゆう希望を建築屋さんに伝えて図面を書いてもらっている今は幸せな時間なのです。

明日から函館に帰省します。今回の家づくりの大きなテーマ、私の母と一緒に暮らすという事がありますから母の意見を聞かなければなりません。南側に面した明るい部屋でプライバシーも考慮しながら間取りを考えていますが、母が亡くなった後の使い勝手も考えなければなりません。どんな意見が飛び出すか楽しみです。

ではまた。

カレンダー

お元気ですか?

今日はクリスマス。昨日のテレビで函館のクリスマスの様子を紹介していた。雪がうっすらと積もった金森倉庫のレンガ街、イルミネーションで飾られたクリスマスツリーや白馬の観光馬車。イメージは良いのだが寒いだろうなとつい現実的な感想をもってしまう。

今日の夕ご飯は私が作った鶏もも肉とペンネ。そして南アフリカの発泡酒、グラハム・ベック ブリュット。マンデラ大統領も飲んだという発泡酒だ。半年ほど前に買って今日の日を待っていたのだった。
そして、パートナーさんとの食事の会話はカレンダーの話。今日、職場で取引先から集まったカレンダーを見たらすべて日曜日始まりで驚いたというのだ。そこで、先日壁に張ったカレンダーを見てみるとやはり日曜日始まり。パートナーさんも私も手帳は月曜日始まりのカレンダーを使っている。月曜日から仕事をはじめ、土曜日日曜日が休日として週の終りというのは生活に即していて使いやすい。システム手帳もパソコン内のカレンダーも月曜日始まりだ。ところが壁にかけたカレンダーはどれも日曜日始まり。これはどうしたことだろう。

私が子供の頃、まだ学校も会社も土曜日までやっていて日曜日が休みという時代だった。だからキリスト教で神が「光あれ」と言って仕事をはじめ安息日を取られたと教えられ、カレンダーの日曜日=休みの日が週はじめに位置しているのはどうにも理解できなかった。でも実は日曜日が安息日というのは私の大きな勘違いで土曜日が安息日なのだそうだ。だからカレンダーでは土曜日が週末に位置している。日曜日は復活を祝う祝日なのだそうだ。

大分県や佐伯市が仏滅や大安といった「六曜」が記載されたカレンダーを作成したが「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」との理由から配布を取りやめたとの報道があった。公的機関がカレンダーを作り配布するとなると確かに問題になるのかもしれないが、現実的な一般生活において気にする人もいるのだから記載のない方が不便を感じるかもしれない。私は普段全く気にしないのだが、父の葬儀や最近では土地の購入の際に担当者の方は当たり前のように確認し、あらためてそうゆうものなのだと感じた。
ちなみに私の手帳や卓上カレンダー(証券会社から送られてくる)は西欧の祝祭日、重要な経済スケジュールが記載されていて日本のスケジュールとは違うものも確認出来るようになっている。例えばクリスマスの今日はアメリカの市場は休みなのでほとんど動かないから私ものんびり参加しないといった具合だ。そして明日クリスマスの翌日は英国はボクシング・デイといってやはり祝日であるからお休み。その代り日本が年末を迎え大納会などを控えていても海外の市場はクリスマス明けから新しい市場が始まり活発な動きをみせる。そう考えると、カレンダーは地域の風習を記載しコミュニティーの中で生活しやすいように作られたものと、自分の仕事や生活スタイルに合わせて重要事項を書き込んだものの二種類が必要なのだろ。

最近は企業から配布されるカレンダーも減ったという。気の利いたカレンダーを配る企業には好感を持つものだが、そうゆう付き合いは薄れてきて個人の使い勝手好みで選ぶ時代になったのだろう。パソコンのカレンダーをカスタマイズして改めてそう思う。

来年の手帳のカレンダー、壁のカレンダーにはどんな予定が書かれるのだろう。

追記)

上記を読み返して視点の弱いことに気が付いた。壁掛けの(卓上でも同じだが)カレンダーと手帳のカレンダーは形は似ているが別なものと考えた方が良いだろう。壁掛けカレンダーはコミュニティーの生活重視で六曜や節句があり、手帳のカレンダーは個人の予定を書き込みしやすいもので経済スケジュールが記載されている、と分けて考えるべきなのだろう。一つにあれもこれもと盛り込んでも使い勝手が良くなるわけではない。頭の中の整理と同じにカレンダーも用途別にあってレイヤーのように重ね使えるようになると便利なのだろう。レイヤーの部分は色分けして書くのが実際だが。

おもちゃ

お元気ですか?

先週は20℃を超える暖かい日があって驚いたのに、昨日から我が家でもストーブを使うくらいに冷えています。西からの空っ風が吹き夜通し家が震えるくらいなのです。

12月は私の大好きな月です。クリスマスも近づいた函館の町に父親が帰って来たからなのですが、子供時代の函館の賑やかさを思い出すと努力して豊かになるんだという期待が満ち溢れ、一年間頑張ってきた成果を喜ぶ人で街が揺れていたように思います。昨日、県の日銀短観では景気回復の兆しはあるものの様子見の状態、今朝早朝のアメリカFOMCでは景気回復を確認し利上げが決定されました。働く人が希望を持てる社会を日本は実現しなければなりませんね。

Amazonで注文した電気製品が届きました。

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シガーソケットを三つに増やします。私の車のカーナビは電源をシガーソケットからとっていますが、ほかに電気製品を使おうと思ってもソケットは一つしかなくてこれまで我慢していました。携帯電話の充電やパソコンを車内で使うときに使っていたシガーソケットからAC100Vに変換するインバーターも使えないでいましたので時々不便を感じ、以前から欲しいと思っていたのです。

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同時に買ったのがウォークマンを車内で聞くときに充電しながら使えるものです。車で音楽を聴くときはウォークマンをAUXに接続して聴いています。通常は家に帰ってきたらウォークマンを充電すればいいのですが、長距離を走るときは不便を感じます。そこで探して見つけたのがシガーソケットから電源をとりながらAUXにつなげる商品。これなかなか見つけることが出来ませんでした。家電量販店で一度見かけた事がありましたが、見たのは一度きり、カー用品店でもiphone用のはあるのですが、ウォークマン用は見かけません。どうしてなんでしょう。何かSONYの仕様公開に問題があるのでしょうか?事情は分かりませんが、Amazonで見つけたので大喜びでお気に入りにいれておきました。
この二つをつなげて車のシガーソケットにつなげばもう充電切れを心配すること無くウォークマンを聴くことが出来るのです。

シガーソケットの増設機にはUSBポートも二つついていますからウオークマンを聴きながらiPhoneの充電も出来るようです。どれだけつなげられるでしょう。冬季、車のバッテリーも消耗しますから注意しなくてはいけませんね。

ではまた。

図書館

お元気ですか?

図書館に雑誌を予約したのだがなかなか届かない。弓道をテーマにした小説が載っていて調べてみると単行本にはなっていない。図書館の検索にかけてみると市内には在庫がないと分かったので、行きつけの図書館カウンターで訊ねてみたら探して取り寄せてくれるという。学生の時は学校の図書館を通じて本を取り寄せていたから当たり前に出来ると思っていたのだが、市の図書館ではこうゆう利用はあまりないのだろうか、取り寄せるという返事を持ってくるまで10分もかかっている。当地の図書館も民間企業への業務委託で成り立っているのだが、ノウハウの蓄積がまだ足りないのかもしれない。

読みたい本が届かないのと、急に始まった家を建てる話で落ち着いて本を読む気持ちになれないでいたが、気が付くと文字を読みたいという欲求がくすぶっている。建築メーカーのカタログでは満たされないらしい。何か気軽に文字を読めるものはないだろうかと思ったら、机に置いた機内誌が目に留まった。函館と行き来する飛行機に置かれたもので10月父の納骨式の時にANAに乗ったときに座席ポケットにささっていたものを持ってきたのだった。
飛行機に乗ると真っ先に機内誌に目を通す。まずは物販のカタログを手に取りじっくりと見る。香水や鞄、ジュエリーや時計、とちょっとしたお土産に如何ですかと綺麗な男女のモデルさんが購買意欲を誘う。幸いなことに私は日常衝動買いという事をしない性質なのでどんなに綺麗なモデルさんに微笑まれてもお財布は固いままなのだが、それに反して想像の翼は何処までも広がり、バイヤーになったつもりで商品選定理由を考えてみたり人気のある商品はどれかなと思いを馳せたりする。東京には機内販売の商品を実際に並べたショップがあったが、地方の町にそうゆうお店はない。きっと機内に置かれたカタログも少し憧れのようなものをもって見られるのだろうと想像するが、最近は通販が成長したからどうなのだろうか。機内誌でしかみないような商品の中にまざり、大手通販雑誌で人気の商品なども見かけると、マーケッティングの妙技を垣間見たようで、思わずふぅ~んと考えてしまう。
通販カタログは飛行機に乗っている短い間に2回ぐらいは手に取り、想像遊びの道具となってゆく。

機内誌本体の方は旅エッセイや土地の話題を拾った文章が主だ。文章は著者のフィルターを楽しみ自分の旅と重ねることでじんわりとしたものを心に醸すが、はてどれほど心に残る文章があるのだろうか。どうしても自分の旅の印象の方が強いのだから雑誌の文章をしっかり心に刻むという事は難しいだろう。機内誌に掲載された著者や写真家の方に少し申し訳ない気がする。今回私が持ち帰った機内誌にしてもベルギービールの記事が出ていたのでゆっくり読んでみようと思い鞄にいれたのだが、家に帰ると机の上で立て掛けられたままだった。

図書館に依頼した雑誌は2008年の小説すばる5月号だ。その中に弓道をテーマにした文章があり、高校の国語の入試問題として採用された。改めて小説全体を読んでみたいと思い、タイトルを検索したが、単行本も短編集にもなっていないようだ。うまい具合に雑誌が分かったので図書館に頼んだのだった。ただし県外から取り寄せになるので図書館からの持ち出しが出来るかどうか不明だ。出来ることなら持ち出してコピーをとりたいと思っている。弓道をテーマにした小説は時代小説も含めて少ないから貴重なのだ。

もしかしたら飛行機の機内誌に掲載された文章にも想像もつかないような貴重なものがあるかもしれない。バックナンバーを見渡す私の姿が頭に浮かんできた。


家を建てる

お元気ですか?

週末からつながらなくなったGoogle Chrome ですが、昨夜突然直りました。同じようなトラブルを検索して解決策を探し、ウィルスを疑ったり、プログラムを見直したりとあれやこれやと試してみたのですがどれもうまくいきません。パートナーさんのPCはちゃんとつながっていますので私のPCに原因があるだろうとすっかり悩ましくなります。IEからマップやカレンダー、Google ドライブにあるファイルにも行けるようになり、とりあえず我慢しながらも新しいPC買っちゃうぞとイライラがつのってきます。そんな私の思いが通じたのでしょうか、PCも頑張ったみたいです。夜なにげにクリックするとなんとなくつながりそうな気配がして、でも同じようにメッセージが出て、あぁやっぱりと思った瞬間メッセージが消えてつながろうと頑張っているのです。私もモニターを見ながら頑張れと応援します。そして無事つながりました。ちゃんと働くことを確認し、一旦終了して立ち上げ直し・・・。
お帰りなさい Google Chrome 。

さて週末突然、我が家に大きな動きがありました。家を建てることにしたのです。もともと当地で暮らそうと心に決めていましたからどの地域がいいかなとイメージは浮かべていましたし不動産のサイトも見ていましたが、現在はパートナーさんの実家に居ますので呑気にしていました。それが週末同居している義母からちょっと話があるんだけどと呼ばれ、近くの土地が売りに出ていることを知らされました。義母はもともと土地を買うことに興味がある人で私たちが越してきた当初から土地購入の話を折に触れしていました。
不動産屋に電話をして広告に載っていた土地の地図を送ってもらい義母とパートナーさんと私で車に乗って見に行きます。近くに新しく建った家もありますが、大きな土地が空いています。幾つか確認することをそれぞれに思い浮かべ不動産屋に購入の意思のあることを伝えます。今回の土地は三軒が建つ予定で、一軒は契約済み、真ん中が数件商談中、私たちが望んだところは私たちで決定と話がいきなり決まりました。
東京ではマンションを購入して暮らしていましたが、この時も新聞チラシを見てお散歩気分で歩いて見に行き、ちょうど希望する一階で庭付きがあったので即決。十数年暮らしリーマンショックの前に良い値段で売却してマンション生活は卒業です。マンション生活では携帯電話のアンテナを建てるための評議員から始まり大規模修繕委員、理事会、理事長と暮らしている間なにかしらの役を仰せつかりそれなりに面白く過ごしましたが、当地では土地も広いのでわざわざマンション暮らしを選ぶ意味がありません。マンションの時も庭が必須だったのはパートナーさんの花作りや私も簡単な食用になるもの、ハーブ類や茗荷や雪ノ下、果樹を植えるのが好きだからです。作った庭は次の住居人さんが引き継いでくださいました。

さて、購入が決まり不動産屋さんと直接会う事にするのですが、同時に家を建てる工務店さんを探さなければなりません。私たちに親しい工務店もありませんし専門の知識も全くないので、リクルートがやっているSUUMOという相談紹介カウンターに行くことにします。ちょうど行きつけのイオンモールの中にあるので、予約してみると、初回は3時間ぐらいお話を聞きますという話です。私たちは予定がつまっていたので事情を言うとそれでも2時間ぐらい話をしました。
SUUMOでは担当の方が相談の流れを説明し、私たちの家に対するイメージを聞き取りながら整理してゆきます。工務店選び、決定と契約までに1か月。その後詳細の打ち合わせで3か月。建築工事に入り5か月で今から始めて来年の9月に完成し入居というスケジュールが一般的なのだそうです。
同時に家に対する希望も聞き取ってゆきます。家の大きさ間取り、機能性重視やデザイン重視、和風建築やモダン住宅など色々なところを確認します。また工務店にどうゆう希望を持っているかも聞き取ります。
私たちは震災などを想定して耐震制震性の高い住宅であること、見た目のデザイン性よりも機能や生活動線が良い事など家に求めることを伝えます。また工務店にも私たちの要望を的確に受け止めさらに提案をしてもらいブラッシュアップしてもらいたいと考えていることを言います。
そんな私たちの要望を聞いてくれたSUUMOの担当者は四社の工務店、ハウスメーカーを選びファイルを持ってきました。その中から三社にしぼり日を改めてそれら工務店の担当者と面談をするのです。もし面談の結果がおもわしくなければ、SUUMOの担当者はさらに別な工務店を紹介してくれるのだそうです。工務店との面談は明日と明後日の二日です。

7日月曜日に不動差屋にも行き担当者と会い土地の話と今後の流れの事を聞いてきました。その話はまた次回ご紹介しましょう。

こうして私たちの家づくりが始まりました。これからどんなことが起きるのか全く分かりません。マンションの購入は経験していますが、土地を買い、工務店を決めて家を建ててそこに住むということはどうゆう事なのでしょうか。興味津々です。これだから人生楽しいですね。明日何が起きるか分からないのですから。
という事で、私のブログにも「家を建てる」というカテゴリーを一つ増やし私たちが経験することを記してゆきます。備忘録的でもありますが御覧いただければ幸いです。

ではまた。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

『プルーフ・オブ・ヘヴン』エベン・アレグザンダー

お元気ですか?

今日はGoogle Chrome が全くつながらずあれやこれやと試してもうまくいきません。どうして突然こうゆう事になるのか・・・。原因を探し解決しなければ私はいつまでももやもやして落ち着きません。ちょっと困った状態です。

『プルーフ・オブ・ヘヴン』という本を読みました。エベン・アレグザンダーという医者が書いた本ですが、副題に「脳神経外科医が見た死後の世界」とついています。実は借りてくるまで気が付かなかったのですが、カバーのそで(折り返して内側になったところ)に著者の写真があり、それを見て“あぁこの人か・・・”と思い至りました。確か立花隆さんの番組に登場した人なのです。
私たち人間は何処から生まれ来て死んだらどうなるのか。命とはなにか。といった問題は誰もが考えるのですが、近年医学の進歩により死の淵をさまよった人が命をとりとめるようになりました。そして臨死の状態を記憶し語るということが数多く報告されるようになったといいます。その報告に共通する事を見ると死後の世界があるのではないかと考えられるようになってきています。しかし一般に科学者は実際に検証でき普遍的に確認できるものでなければ認めることはしません。とりあえず認めてという扱い方はしないのです。ところが、エベン・アレクザンダーは脳神経外科の医者であり、その彼が細菌性髄膜炎にかかり、脳が全く機能しない状態になります。脳の専門家が自分の脳は全く機能していない、つまり死んでいたと云い、その状態で自分が経験したことを著したのが『プルーフ・オブ・ヘヴン』です。専門の医者である科学者が死の世界を経験しそれを伝えた本なのです。宗教家や霊能者と言われる人が死後の世界を語るより私には興味が持てます。でも科学者が書いた本だから信用がおけるのかと言ったらそうではありません。私は脳外科医でも死後の世界を経験してきた者でもありませんが、検証的に読むことはできます。彼が言っていることはどのような事実に基づきどのような類推や仮説を経て導き出された事実なのか、論理の構成に無理はないかと疑うのではなく確認してゆく読み方です。疑うというのはすでにバイアスがかかりますからそれ自体公平であると思いません。死後の世界と同時に生まれてくる前の世界も含め、つまり生命と存在のすべてに興味をもつ一人として少し好意的にこの本を読むことにします。

2008年11月10日の早朝、エベンは自宅で目覚め背中に痛みを感じます。インフルエンザと思いお風呂に入って体を温めますが症状は悪化し激しい痙攣発作を起こし病院に運ばれます。救急搬送された病院では患者が仕事をともにする脳神経外科医エベンであることを知り専門スタッフが集められ、検査の結果大人には1000万人に1人未満の罹患と非常に珍しい大腸菌性髄膜炎であることが判り抗生物質による治療が行われます。しかしエベンは昏睡状態になり治療の効果も上がらないまま7日間眠り続けます。本はその七日間の昏睡状態の中で彼が体験した世界と覚醒後家族や周りの人たちから聞いたことを交互に織り交ぜて時系列的に書いています。
エベンは最初暗がりの中で記憶も自意識もなく肉体の感覚もないただいるだけの存在としてあります。言葉も持っていなかったといいます。周りには木の根か血管のように見えるものが下がり絡み合っていて彼はそれを「ミミズの目の世界」と呼びます。時間の観念が無かったといいますが、そこにいる時間が長くなってくると次第に落ち着きが悪くなってきてグロテスクな動物が顔を突き出し吠え、この地下世界は自分の居場所ではないと感じここを出なければと思うようになったと言います。
この段階ですでに私にはいくつかの疑問が出てきます。脳が機能していない状態で意識はあったといいますがエベンはどうやって記憶したのでしょうか。時間の観念が無かったと言いながら彼が語る世界は時間軸があるように思えます。疑問は答えを急がず一つ一つプールしておきましょう。

次に闇の中から絹糸のような白い光が放射され闇が消えていき生きた音色旋律が聞こえてきます。やがて光の真ん中に何かが現れそれを見極めようとするとエベンはいきなり上昇し開口部をくぐり抜け別世界に行きます。まぶしく輝き活気に満ち田園風景が広がる美しい世界です。彼はその世界を現実(リアル)と表現します。風景の中を飛び続けた彼の傍に蝶の羽に乗った女性がいてエベンに言葉を介さずにメッセジを伝えてきます。それは「あなたは永遠に深くあいされています」「恐れることは何もありません」「あなたのすることはひとつも間違いはありません」という三つのメッセージで彼には真実を伝えられていることが瞬時に分かったと言います。エベンはこの世界をゲートウェイの世界と呼びます。

雲の上、上空のはるかな高みでは何かが飛び交っていてエベンはそれを地上にはないもっと進化した高等な存在と感じます。聖歌のような荘厳な大音響がとどろきエベンはその高等な存在の歓喜の表現だと気付きます。エベンは神聖な存在に言葉を用いずに「ここはどこですか」「私はだれですか」「なぜ私はここにいるのですか」と無言の質問をし、即座に答えが返され思考が直接エベンになだれ込んできてすんなりと腑におちたといいます。
広大な虚空の中エベンはオーブ(玉響)が光を放射しながら傍にいてそのオーブが生きているのを感じます。彼は宇宙全体、または神や創造主、根源といった存在と全く距離がなく自分があってしかしそれは無限に広大であるためオーブが彼と無限な存在とを取り結ぶためにあることを知ります。エベンは覚醒後、この神または無限な存在をオームと表現しますが、オームはオーブを通じてエベンに宇宙はひとつではなく沢山ありその中心には愛が存在する。しかしわずかながら邪悪もあり、その邪悪があるため自由意志を持ち発展することが出来る。世俗世界では邪悪の力が強力であるが、最終的には愛が勝利を収めると伝えてきます。エベンは無数の宇宙の中に多くの生命がありその中には人類よりはるかに進化した知性と高次の次元があり高次の次元はその中に入り直接体験するしか知る方法がないと分かります。低次の次元からは高次の次元を知るすべがないのだといいます。
エベンはこの世界で洞察という形で明瞭な知識を授かったといいますが、覚醒し世俗世界に戻ってきた彼は制約を受けながらも授かった知識を引き出し考察する喜びを得たと言います。

さて、エベン・アレグザンダーは脳神経外科医という専門の知識を持ちながら自ら髄膜炎に罹り死を体験するというある意味では大変恵まれた状況で臨死体験を報告する立場に身を置くことが出来ました。このことにこそ何故彼だったのかという答えがあるように思えます。彼が体験したことは彼の脳が高次機能を有していたことを示していますが覚醒後彼自身が確認した医療データは昏睡状態にあったときには脳の活動は失われていたことを示しています。これはどうゆう事なのでしょうか。脳が機能を失っているにもかかわらず記憶や意識の働きがあるということはどうゆうことなのでしょうか。
脳の働きが失われているときに意識があったとする経験について、エベン・アレグザンダーは「意識のハードプロブレム」という表現で考察の糸口を提示します。私は今この問題に深く入り込めるだけの知識を持っていませんが、物質としての脳の情報処理の集積が意識を作りだすと言う考えがあり、この考えは人工知能が高度に発達したコンピューターは意識を持つという考えに行きつきます。現にそうゆう事を発言する科学者もいます。しかし私には違うように思えます。蓄積された情報が形づくられ意識と似た姿を持つことはあるでしょうが、ここで問題とされる意識は別な形で生まれてきたものなのではないでしょうか。既存の科学で説明の難しいものを科学者は敢えて科学の枠外に置いてしまい研究の対象とすることを拒否してきました。この姿勢は科学者が何百年も続けてきたものです。しかし本来科学というのは観察し考察し発見してゆくなかで分かるものと分からないものを区分けし、分からないものはさらに観察し解明してゆくことです。もし死後の世界や意識といったものが十分に分からないのであるならさらに研究を進める事こそが科学者の取るべき姿勢だと私は考えています。

さて、死後の世界や聖なるものの存在を『プルーフ・オブ・ヘブン』を読んだだけの私が論じるのは少々思い上がったことであり、荷の重いことです。私自身幾つかの不思議な体験を持っていますが、だからと言って確信をもって死後の世界があるとかないとか言えるわけではありません。しかし、エベン・アレグザンダーが脳が機能しない状態のもとで意識をもって何らかの世界を体験し言葉を使わず意思をかわしそれらを記憶してきたということを私はありうることと理解します。なぜなら意識というのは個人を離れて集合体となり力を持つことがあることを知っているからです。記憶も同じような働きをしますが、私は個人の意識や記憶はパーソナルコンピューターのように存在し、次元を変えたところにクラウドコンピューティングのように別の意識や記憶があり時に私たちはそれに触れることが出来るのではないかと思うからです。物事を理解するのに言葉はとても大切な道具です。道元は言葉をとても大切にしましたが、同時に座禅をくむことで言葉を超えて悟ろうとします。何かを分かる感得するときに言葉は必ずしも必要ではないのです。時に言葉は現実の世界を映しているぶんだけわかるという事の妨げにもなります。そう考えるとエベンの脳が機能しないときに意識を持ち何かの世界を見て意思を交わし記憶してきたことはそれほど不思議なことではないと思えます。
私が少し未来を見たり、何かが動きだしていることを察知したりしたのは私自身が特別なのではなく、そうゆう意識や記憶のクラウドにチャンネルが合致したことなのだと考えています。そして実は私はづいぶんと長い時間をかけてそういうクラウドにアクセスするパスワードを探しているのです。

さて今日も私は楽しい一日を過ごしました。ですが、相変わらずGoogle Chrome は直らずつながってくれません。明日は直るでしょうか。Google のクラウドには私の貴重なデーターが置いてあるので本当に困っているのです。

ではまた。

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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

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