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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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『ブラック・ハート』 マイクル・コナリー

お元気ですか?

一雨ごとに秋が深まってゆく・・・そんな季節の記憶は何処へ行ったのか。今朝は激しい雨に目が覚めるほどだったのだが、お昼には青空に刺すような太陽。もちろん気温も三十度近くあって汗ばむくらい。秋の味覚さんまが獲れないのは何処かの国の節操のない漁のせいとテレビのニュースでは伝えているが、素人にはそれだけではないように思える。日本海の冬の味覚、松葉蟹や寒ブリ、このわたやくちこが食べられなくなったら冬の楽しみはどうしたらよいのかしらと今から悲しくなってしまう。

マイクル・コナリーの『ブラック・ハート』を読みました。『ナイトホークス』から順番に読んで三冊目です。

こんなお話。
ハリウッド署殺人課の刑事、ハリー・ボッシュはブロンド女性が11人も惨殺された“ドールメイカー事件”で犯人を撃ち殺していたが、事件から4年後、犯人の妻から訴えられ裁判に臨んでいる。そんな折真犯人と名乗る男からメモが送られ、コンクリート詰めされた女性の死体が発見される。殺害の手口や女性の特徴、メモの内容から“ドールメイカー事件”の犯人の特徴と一致するのだが、はたしてハリーは犯人を間違って殺していたのだろうか。裁判を抱えながらハリーは真実を探る捜査を開始する。

上巻はリーガル・サスペンスの様相の作品で私はこうゆうタイプの作品を本で読むのは初めて。原告側弁護士、被告側ハリーの弁護士、そして判事とのやり取りなど立場の違いや人物の特徴の出し方などが面白い。
一方ハリーは裁判を気にしながらも新たに浮かび上がった新犯人を名乗る男の事件の真相を明らかにすることに集中しようとする。ドールメイカー事件で射殺したノーマン・チャーチが真犯人であることに疑いを持っていないボッシュとロス市警だが、なぜ新たな犯人は細部まで詳しく知っているのか。心理学者のジョン・ロックやハリウッド署風紀課刑事レイ・モーラと作者は怪しい人間を登場させて読者を飽きさせない。

本作で私が関心を持ったのは本筋ばかりではなくボッシュの恋人シルヴィア・ムーアとの関係の描き方だ。前作で魅かれた二人は恋人としての関係を築こうとしているがお互いに辛い過去をもっているため簡単にはいかない。ボッシュの全てを知りたいと思うシルヴィアだが、ボッシュは自分の過去と心情を開くことをしない。それほどに重たくキツイ経験をボッシュは背負っているということなのだが、シルヴィアは知ることが二人には必要だと思っている。しかしそのシルヴィアも刑事であるボッシュの生き方が難しいものであることは理解していて受け止めることが困難だと分かっていて関係を進めることが出来ないでいる。
痛々しい恋愛関係だが、大人の恋愛には当然起こり得ることで、二人がそれにどう対処するのか興味の湧くところだ。

真犯人へ迫るところは少し薄い感じもしたし、別な謎も残るラストだが、堪能できた一冊だった。

ハリー・ボッシュシリーズは第一作の『ナイトホークス』でベトナム戦争を、二作の『ブラック・アイス』では親子関係を事件と絡めながらボッシュ刑事の抱えているものを読者に明らかにしてきた。今回はボッシュがロス市警からハリウッド署に左遷されるきっかけとなった“ドールメイカー事件”がテーマだった訳だが、次回作品『ラストコヨーテ』は何をテーマにしているのか、今から楽しみだ。

ではまた。
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スイスのお土産

お元気ですか?

知り合いが会議に出席するためスイスに出かけていた。私たちと同じくワインの好きな人なのでスイスでどんなワインを飲んでいるのだろうとパートナーさんとたわいもない会話をしていたが、その彼がお土産をくださった。

20170914.jpg

スイスといえば、チョコレート。それも世界的メーカーネスレのチョコレートだ。
彼はアリマンタリウムAlimentariumというネスレ財団が運営するフードミュージアムに行きたかったそうなのだが、日程が合わず2016年6月にオープンしたミュージアム「ネストNest」に行ったという。
ネスレといえば日本ではコーヒーの会社というイメージが強いが、もともとは粉ミルクの製造から始まった食品・医薬品会社だ。
このミュージアムはネスレ創業150年を記念してオープンしたという。スイスではチョコレートの原料であるカカオがとれるわけでもなくもともとは貴重品として貴族やお金持ちさんの使う薬として存在していた。それがスイス人によるミルクチョコレートの開発により知名度が上がったのだそうだ。

海外を旅行すると風景を楽しんだり歴史的建物や美術館を歩いたりと興味を引くところを回るのに忙しい。そんな観光のテーマの一つにネストのような企業が行っている博物館を訪ねるのはどうだろうか。
自動車の博物館であったり食品の博物館であったりと探せば色々と見つかる。商品として知っている物だが人がどんな思いをもって作り出して来たのかと歴史を知ると人の力の素晴らしさに感動するものだ。

ところでいただいたチョコレートはやはりクリーミーな感じで美味しい。我が家ではかなり前からパートナーさんがチョコレートのポリフェノールが健康に良いということで、毎日チョコレートを欠かさない。甘いものも好きだが、毎日食べるチョコレートはカカオの含有量の高いものを選んでいる。
先日テレビを見ていたら、嗜好品外来という新しい医療の形があるのを紹介していた。番組によるとチョコレートを20g~30g毎日食べることで動脈硬化などを防ぎ高血圧の人を正常値に下げる効果があるという。病気を治すというよりは病気にまでならないように臨界値にある人に予防的に行う医療だ。私は少し血圧が高めなのでチョコレートは願ったりの嗜好品というわけだ。
テレビを見た後、パートナーさんに「貴女の言う通りだね」と言うと、そうでしょうという顔をしながら番組で紹介していたココアを飲もうとかいつも焼いているパンにクルミを混ぜてみようとか、チャレンジモードにスイッチが入ったようだ。そんな試したがりのパートナーさんの姿も楽しい。

スイスのミュージアム「ネスト」で本場もののネスレのチョコレートをお土産にくださった彼に感謝しながら。
ではまた。




テーマ : 日記
ジャンル : 日記

敵対する心

お元気ですか?

私のブログにしては珍しく痛々しいタイトルです。お許しください。
先日からNHKのテレビ番組「100分de名著」で哲学者ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』という本が取り上げられています。ハンナ・アーレントについてはこのブログでも以前に映画『ハンナ・アーレント』を紹介しましたし、『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』という映画ではそのアーレントが傍聴しレポートしたアイヒマン裁判(1961年にイスラエルのエルサレムで開廷)をテレビ放送で伝えようと奔走するプロデューサーのミルトン・フルックマンと監督レオ・フルビッツの姿が描かれていました。このふたつの映画は一方は哲学としてアイヒマン裁判が何を考えさせるのかを私たちに問いますし、一方はジャーナリズムとしてのテレビ放送のあり方を問うています。ご興味のある方はぜひご覧いただきたい映画です。
そして、そのアイヒマン裁判の根っことでも言うべき歴史が二十世紀になって誕生した新しい政治体制「全体主義」の台頭といえるのです。

なぜ今この難解な哲学書が「100分de名著」に取り上げらているのかということも実は問題として考えなければならないのですが、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』は全米で今年の一月にベストセラーを記録したといいます。その原因は排外主義の政策を唱えるトランプ政権の誕生にアメリカの国民が(きっと反トランプ派なのだと思いますが)買い求めたからなのだそうです。
『全体主義の起原』を詳しく紹介することは私の任ではありませんが、大きな要旨だけ言うと、フランス革命を経てヨーロッパには「国民国家」が誕生するが、同一の文化を共有することを基盤にしたこの国家は「共通の敵」を見出すことで自分たちの同質性を高めていく。産業革命がおこり資源を求めて植民地化を進めた国はそこで現地の人たちを「野蛮な未開人」として差別し「人種主義」をはびこらせていく。大航海時代キリスト教による布教を建前として現地人を支配改宗させていった思考と軍事力と経済を武器に植民地化を進めていた国々の姿を私は見比べたいと思う。
ドイツやロシアは自らの民族が他の民族に対して優秀であると唱え「汎民族運動」を展開し中欧・東欧の民族的少数者たちを支配してゆく。これが「民族的ナショナリズム」だ。
第一次世界大戦後、ヨーロッパはその国境が大きく変容し「国民国家」も衰退してゆく。代わって生まれてきたのが「大衆」による「世界観政党」ともいうべきもので戦争を経て疲弊した国民は新たな「世界観」を示してくれるものに集まってゆくようになる。ナチスドイツが「陰謀史観」や「民族の歴史的な使命」を用いながら巧妙に民衆をひきつけていった背景だ。
さて、ナチスドイツ、ヒットラーによる政権は突然よその国から侵略されて出来たのではなく、国民が選挙で選び政権をゆだねていったものだ。結果「人種としての優位性」を唱えるヒットラーの政策に飲み込まれて行き、ジプシーや少数民族などが標的にされてゆくことになる。「ユダヤ人の大量虐殺」はその極端な事件だが、アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アーレントは残虐なホロコーストを行ったアイヒマンの裁判を見て、彼が悪の象徴のような人物ではなく、ごく普通の与えられた命令をこなす小役人に過ぎないことに驚愕し、アイヒマンという存在は特別なものではなく「誰もがアイヒマンになりうる」と考える。では「人間にとって悪とは何か」そして悪を避けるにはどうしたらいいのかと問うてゆく。

現代社会で私たちは国境を失った。希望すれば大抵の国に行き来し住むこともできる。世界の各地で起こった出来事はテレビニュースを通じて毎日伝えられるしインターネットで海外の同僚や友人、家族とまるで隣近所の人とするように会話をすることが出来る。確かに生まれ育った土地、食べ物、言語、歴史、それら環境によって私たちは形成されている部分がある。そうした共通項をもつ人同士が安心した環境であるのは理解できる。しかし方言で通じにくいことや、まったく体験したことのない食べ物を食べている土地の人がいる。ならばそれを世界に当てはめて考えれば地球に住む人間、水を飲み食物から栄養を取り言語を主として意思を疎通しあう人間として考えたらなら私たちは何処に違いがあるのだろうか。

ヨーロッパではアフリカ大陸や東ヨーロッパから逃れてきた難民の問題を契機にして、ナショナリズムが台頭してきた。アメリカはトランプのように分かりやすい人間が大統領になったため国民が分断されるような事態も起こっているが、もともと差別的発言を繰り返している彼の下では混乱は続くばかりだ。私はトランプを大統領に選んだアメリカに深く悲しむ。
そして最近見るアメリカ製のテレビドラマの中に、排他的政策を批判したり人種主義を否定する会話を織り込んだものが見られるように感じている。しかしそうゆう兆候を私が反トランプの表れとして賛成しているのかといえばそれは全く違う。逆に警戒感をもって見ている。

ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』に拠っているわけではないが、歴史を見ていると人間はいつも敵対するものを求めているように感じる。国家であるか個人であるかにかかわらず、身を守るためか自分の優位性を高めるためかは分からない。しかしいつも敵対するものを求める。これは人間の性なのだろうか。

杣人のNuages

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