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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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敵対する心

お元気ですか?

私のブログにしては珍しく痛々しいタイトルです。お許しください。
先日からNHKのテレビ番組「100分de名著」で哲学者ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』という本が取り上げられています。ハンナ・アーレントについてはこのブログでも以前に映画『ハンナ・アーレント』を紹介しましたし、『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』という映画ではそのアーレントが傍聴しレポートしたアイヒマン裁判(1961年にイスラエルのエルサレムで開廷)をテレビ放送で伝えようと奔走するプロデューサーのミルトン・フルックマンと監督レオ・フルビッツの姿が描かれていました。このふたつの映画は一方は哲学としてアイヒマン裁判が何を考えさせるのかを私たちに問いますし、一方はジャーナリズムとしてのテレビ放送のあり方を問うています。ご興味のある方はぜひご覧いただきたい映画です。
そして、そのアイヒマン裁判の根っことでも言うべき歴史が二十世紀になって誕生した新しい政治体制「全体主義」の台頭といえるのです。

なぜ今この難解な哲学書が「100分de名著」に取り上げらているのかということも実は問題として考えなければならないのですが、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』は全米で今年の一月にベストセラーを記録したといいます。その原因は排外主義の政策を唱えるトランプ政権の誕生にアメリカの国民が(きっと反トランプ派なのだと思いますが)買い求めたからなのだそうです。
『全体主義の起原』を詳しく紹介することは私の任ではありませんが、大きな要旨だけ言うと、フランス革命を経てヨーロッパには「国民国家」が誕生するが、同一の文化を共有することを基盤にしたこの国家は「共通の敵」を見出すことで自分たちの同質性を高めていく。産業革命がおこり資源を求めて植民地化を進めた国はそこで現地の人たちを「野蛮な未開人」として差別し「人種主義」をはびこらせていく。大航海時代キリスト教による布教を建前として現地人を支配改宗させていった思考と軍事力と経済を武器に植民地化を進めていた国々の姿を私は見比べたいと思う。
ドイツやロシアは自らの民族が他の民族に対して優秀であると唱え「汎民族運動」を展開し中欧・東欧の民族的少数者たちを支配してゆく。これが「民族的ナショナリズム」だ。
第一次世界大戦後、ヨーロッパはその国境が大きく変容し「国民国家」も衰退してゆく。代わって生まれてきたのが「大衆」による「世界観政党」ともいうべきもので戦争を経て疲弊した国民は新たな「世界観」を示してくれるものに集まってゆくようになる。ナチスドイツが「陰謀史観」や「民族の歴史的な使命」を用いながら巧妙に民衆をひきつけていった背景だ。
さて、ナチスドイツ、ヒットラーによる政権は突然よその国から侵略されて出来たのではなく、国民が選挙で選び政権をゆだねていったものだ。結果「人種としての優位性」を唱えるヒットラーの政策に飲み込まれて行き、ジプシーや少数民族などが標的にされてゆくことになる。「ユダヤ人の大量虐殺」はその極端な事件だが、アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アーレントは残虐なホロコーストを行ったアイヒマンの裁判を見て、彼が悪の象徴のような人物ではなく、ごく普通の与えられた命令をこなす小役人に過ぎないことに驚愕し、アイヒマンという存在は特別なものではなく「誰もがアイヒマンになりうる」と考える。では「人間にとって悪とは何か」そして悪を避けるにはどうしたらいいのかと問うてゆく。

現代社会で私たちは国境を失った。希望すれば大抵の国に行き来し住むこともできる。世界の各地で起こった出来事はテレビニュースを通じて毎日伝えられるしインターネットで海外の同僚や友人、家族とまるで隣近所の人とするように会話をすることが出来る。確かに生まれ育った土地、食べ物、言語、歴史、それら環境によって私たちは形成されている部分がある。そうした共通項をもつ人同士が安心した環境であるのは理解できる。しかし方言で通じにくいことや、まったく体験したことのない食べ物を食べている土地の人がいる。ならばそれを世界に当てはめて考えれば地球に住む人間、水を飲み食物から栄養を取り言語を主として意思を疎通しあう人間として考えたらなら私たちは何処に違いがあるのだろうか。

ヨーロッパではアフリカ大陸や東ヨーロッパから逃れてきた難民の問題を契機にして、ナショナリズムが台頭してきた。アメリカはトランプのように分かりやすい人間が大統領になったため国民が分断されるような事態も起こっているが、もともと差別的発言を繰り返している彼の下では混乱は続くばかりだ。私はトランプを大統領に選んだアメリカに深く悲しむ。
そして最近見るアメリカ製のテレビドラマの中に、排他的政策を批判したり人種主義を否定する会話を織り込んだものが見られるように感じている。しかしそうゆう兆候を私が反トランプの表れとして賛成しているのかといえばそれは全く違う。逆に警戒感をもって見ている。

ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』に拠っているわけではないが、歴史を見ていると人間はいつも敵対するものを求めているように感じる。国家であるか個人であるかにかかわらず、身を守るためか自分の優位性を高めるためかは分からない。しかしいつも敵対するものを求める。これは人間の性なのだろうか。

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