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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『ぼたん雪が舞うとき』

お元気ですか?

劇団青年座の『ぼたん雪が舞うとき』というお芝居をテレビで見ました。2011年3月の東日本大震災の福島第一原発事故により立ち入り禁止区域に取り残された夫婦を描いたお芝居です。
原発事故や原爆をテーマにしたお芝居というのはこれまでもあります。絵本作家、レイモンド・ブリッグズ原作による『風が吹くとき』はアニメーション映画にもなり日本でも多くの人がご覧になっていると思います。しかし今回の『ぼたん雪が舞うとき』というお芝居は作者の高木達氏がご自身福島の実家に帰省していて体験した事をもとに劇を書かれたのだと言います。津波から逃れた高木氏は翌日12日、テレビのテロップで原発から半径20㎞圏内の住民に避難指示が出たのを見ます。「これは逃げなきゃいけない」と思ったそうです。ここで逃げた人と逃げない人とが出てきます。そして20㎞から30㎞圏内の逃げない人には屋内退避という指示が出されます。
冷静に考えれば分かることですが、避難指示が出ているということは放射能の線量が高いということです。第一原発の状況も分からずこれからどうゆう被害が起こるのかも分からない段階で避難しないという判断はありません。災害でも犯罪でも身を守る基本は危険な現場から速やかに離れる事です。
実際原発はメルトダウンを起こしますし救援物資を運ぶトラックや警察、消防などの立ち入りも出来なくなってゆきました。
そうゆう刻一刻と深刻化してゆく被害のなかで、屋内退避を選択した人たちは情報もないまま孤立化していったのです。中には高齢で体が思うように動かなかったり、家族に障害をもつ人がいて避難所へ行くことを遠慮した人もいたでしょう。本人の望まない形で自宅での屋内退避を選択せざるを得なかった人たち、災害弱者と呼ばれる人たちが生まれていたのです。

私たち人間は悲劇の中に喜劇を見ます。劇の中で初老の夫婦は自宅の奥まった部屋に避難をし、換気口を塞ぎます。配給所でもらったインスタントラーメンをお湯が沸かせずそのままかじったり、粉ミルクを舐めてむせたりします。実際にこうゆう事はある話ですし私たちはそれを無知だとか準備不足だとかと非難する事は出来ません。
夫婦は極限の生活をしながらも、家族のアルバムを開いては親への感謝を言葉にしたり、娘が連れてくる初孫に会う事に期待を膨らませるのです。

今年は私たちの周りで大きな災害が起き、九州・四国・広島など西日本の人たちを思い心を痛くする日が続きました。先月北海道の地震で実家が停電になった時にはLineで従兄に連絡をとり母の様子を見に行ってもらいました。劇の中でもフランスに住む娘が携帯電話に連絡をよこすのですが、電気がないため携帯が切れて通話が途切れてしまうシーンがあります。被害にあっている現地より外の人間の方が状況を把握できるという事があるのです。

先日の台風で私の住む街でも大規模な停電が起こりました。夜中、電気がついたり切れたりしていると思いながら寝て、朝完全に停電になっているのを知ります。テレビもパソコンも使えませんから情報を得るのは私のiPhoneでラジオのニュースを聞くばかりでした。ちょうどその朝はパンを焼き、ご飯を炊く日だったので朝どちらも出来ていなくて朝食をとることが出来ません。水道も出ませんから夜のうちに溜めておいた水で身づくろいをし、パートナーさんは職場へ私は道場へ出かけました。パートナーさんの職場は地域の基幹施設ですし自家発電もあるので機能しているのです。私の場合は電気が通じないと本を読むぐらいしか出来ないので道場に出かけて練習でもしようと・・・。
ところが、道場へ向かう道は信号機が停電で機能していません。ところどころ倒木のせいなのか道路封鎖もあり迂回しなければなりません。警察官も出ているのですが、すべての交差点に配備できるわけもなく、交差点ではお互いに相手の動きを察しながら手だったりアイコンタクトをとりながら注意して進みます。こうゆうところは日本人ってジェントルだと改めて感心します。
道場は雨どいやシャッターが壊れ屋根の鬼瓦が飛んでいました。掃除をし応急処置をして練習をしますが、市の施設ですから直るまでに時間はかかる見込みです。
お昼、コンビニは停電と配送遅延のためお弁当やパンといった食べ物は全く無く、スーパーも同様でした。皆さん少しでも商品がある処に来るのがよくわかります。コンビニでは懐中電灯や電池が売れ、携帯電話の充電池が売り切れていましたが停電なのにちょっと不思議な感じです。道場は幸い電気が通じていたので充電でき、お湯も沸かしてお昼を頂くことができましたが、市役所の行政放送では充電設備のあるところを紹介していました。

私たち人間は自分に都合の悪い解釈からは避けて通る傾向があります。株で買った銘柄が下がりだしてもまだまだ大丈夫と思って損が広がるなんて典型的な例です。だから災害の時の備えというのもいざ災害に合ってから考えてはだめなのです。コンビニに行けば食べるものがあるだろうと思ってもありません。電気はすぐに復旧するだろうと思っても当地では最大四日間も停電が続きました。私も含めて皆自分に都合の良いように思いたがるのです。今回の災害でそのことを私は改めて感じました。

芝居を見ながら、行政の指示に注意するとしても大規模災害になったら最後は身を守るのは自分の判断だという事を感じます。屋内退避の指示を守りながら飢えや寒さに耐え薬も無く死んでゆくなんて悲劇はご免です。自分の命は自分の判断で守る。そのためにも普段から備え、孤立しないためにも地域のコミュニティーを大切にする。情報を集めながらも正しい情報を見極める知見を持つ。希望を支えあえる家族を大切にする。そんなことを考えます。

物語の最後、初老の夫婦は隣近所は逃げ出し孤立した家の窓を開けます。空からぼたん雪が降ってきています。でもこれは本当にぼたん雪なのでしょうか。私には死の灰に見えます。私たち人間が作りながらも最終処理の出来ない原子力の灰に埋もれて私たちは死んでゆくのでしょうか。

ではまた。
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テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

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