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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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身近な歴史

お元気ですか?

当地、3日から5日までの3日間大きなお祭りが行われました。毎年行われるお祭りは地元の人にとっては待ってましたとばかりの大はしゃぎなのですが、正直なところ私は全く感心していません。日中は遠州灘に面した砂丘で繰り広げられる大凧合戦。夕方からは各町内から参加する山車とラッパを吹き鳴らしながらの練りの行進となり、3日間の人出は百数十万人と言われています。
しかしながら、このお祭りはその起源が定かではありません。なぜ凧揚げ合戦が行われるようになったのか不明ですし、山車は立派な彫り物をし飾り付けられ子供たちが乗ってお囃子を奏するのですが、神事があるわけでもありません。首を傾けたくなるのはラッパを吹きながらの練りです。進軍ラッパよろしく吹き鳴らし法被姿の若い人がただ歩くのですが、これが何の意味を持つのでしょう。当地最大規模のお祭りが歴史や伝統文化と縁のないところで動いていることに寂し思いを持ってしまいます。

お祭り騒ぎに興味のない私は道場に出かけ、練習三昧。心と身体に気持ちの良い数時間を過ごします。そして、その帰り道、最近気になっていた所に車を駐めてみました。

DSCN5661_convert_20130506082924.jpg DSCN5662_convert_20130506083010.jpg

当地は東海道の要所でもあり、いまだ松並木が残り一里塚などが建っています。ところが私が気になったのは新しく建てられた石碑。いつもは車の中からなんだろうと思いながら素通りしていたのです。

見ると、江戸行六義人菩提所と彫られている石柱とその横に建立の説明が記されていました。安永2年(1773)米津浜で座礁した紀州の御用船の救助にあたった村民に、紀州藩は船荷が減ったと盗人呼ばわりし村中の男を江戸に罪人として連れてゆくと難題をもちかけます。困った村人は組頭ら6人を差し出したというのです。

以前、吉村昭氏の『花渡る海』という作品を読んでいました。広島の川尻村出身の久蔵という船乗りが新酒を積んで江戸に向かいながら、暴風雨にあいカムチャッカ半島に漂流、ロシア人に救出されロシアで3年を過ごしたのち、天然痘治療の技術と痘苗をもって函館に帰り着くのですが、松前藩に取り上げられたまま広島に帰るという話です。
この『花渡る海』に船が暴風雨に遭う場面が描かれていて、江戸時代の千石船が海難にあった際の幕府の対応が詳しく書かれています。少し抜粋してみましょう。

「もしも、元船を捨て艀で陸にあがった場合には、役人の長期にわたるきびしい吟味をうけ、船の放棄もやむを得ないと判断されると、廻船問屋、船主、荷主に船頭も加わって損害分担金の査定がおこなれれる。積荷は荷主の損害とされ、うしなった船は船主と船頭の分担になる。」
「船が危機に瀕して積荷を海中に刎ね、風雨がしずまった後、陸岸についた場合には、船頭はきびしい吟味をうける。其の地を管轄する浦役人が出むき、残存の積荷を縄張り封印して御見分役人の出張を乞う。船頭をはじめ乗組の者は入牢を命じられ、荷主惣代からの改め人も加わって、船頭に刎荷をした折の事情を詰問し、乗組んでいた水主たちも別個に呼んで船頭の申立てにあやまりがないかををただす。刎荷をしたといつわって船頭が、水主と共謀して積荷をかすめとることもあるので、取調べは厳重をきわめ、いつわりの申立てをした場合は、船頭とその指示にしたがった水主たちはことごとく死罪を申し渡される。」

千石船で様々な物資を運んで経済活動を行なっていた時代ですが、海難事故に遭うと命が助かったとしても非常に厳しい現実が待っていたのですね。

そうゆう事情があってのことでしょうか、紀州藩御用船の関係者は村人に積荷損失の罪をなすりつけようとしたのでしょう。当地は徳川家康ゆかりの地で江戸幕府の直轄地、それにもかかわらず紀州から悶着をつけられたら理不尽と思いながらも対応しなければならなかった事情があったのかもしれません。

石版の裏に回ってみると、この石碑が江戸に送られ刑死した人達の子孫によって平成15年に建てられたものであることがわかります。先祖を思う心の強さを感じます。
この新しく建てられた碑のおかげで、吉村昭氏の『花渡る海』で触れられた事情が歴史として私たちの目の前に現れてくれました。六人の子孫の方に感謝し、機会があれば詳しくお話を伺いたいと思います。安永2年というのは徳川家治が10代将軍で田沼意次が老中になっている頃です。ちょっと調べてみたくなりますね。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

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こんにちは。

さすが教授は、お祭りごとがお好きでない・・・。
学究肌のお方はそうでなくては。

私はお祭り大好きなボンクラです^^。
祭りときけばどこへでも・・・
チンドン屋の後をどこまでも付いてゆくほうです(笑。

一つの石碑をみてもその背景を調べたくなる。
見習わなければなりませんが、無理です(^_^;)。

吉村昭氏といえば「海の史劇」を読んだことがあります。
日本海海戦を実に詳細に描いてていて、しかも壮大なドラマに仕立てている筆力には、感動さえ覚えました。
日本海海戦といえば、昔、新東宝映画で「明治天皇」シリーズが何作か封切りされたことご存じでしょうか。
明治天皇にはアラカンこと嵐寛十郎が配役され、
鞍馬天狗のイメージがすっかり天皇にとって替った感がありました。
このシリーズの中には当然日本海海戦のシーンもあって、東郷平八郎には田崎潤、島村艦隊司令官に丹波哲郎、
そして宇津井建が広瀬中佐の役でした。
なお高島忠夫が乃木将軍の長男でしたっけ?乃木保典役として出ていました。
なんと古い(笑!
その海戦のシーンは子供の私が見ても、プラモデルが浮いているような、
いかにも新東宝らしい愛すべきチープさだったことを、今でも覚えています。

つまらない話をしてしまいました(^_^;)。。。

ご教授有難うございます

南亭様、師の畑の恵みを拝見してため息をついています。
二十日大根のなんと色っぽいことでしょう。

映画のお話は存じ上げませんでした。
太平洋戦争以前の50年は日本が近代国家になるうえで何を選択していったかを考える
とても重要な時代です。そうそうたる役者さんが出演する映画を見てみるのも良いですね。

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