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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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書くということ

お元気ですか?

人はこの世に生まれ出て色々なものに包まれて育ちます。光、音、言葉・・・そのどれもが美しいものです。
その中でも言葉は人間が作ったものです。ですから私達は言葉を大切に扱わなければいけません。言葉を不用意に使うと友達を傷つけたり取り返しのつかないような過ちに陥ります。言葉を慈しみ、その言葉の誕生からどのように使われているのかを考え言葉が喜ぶように使ってあげるとその言葉は私達にちゃんとご褒美をくれます。私達はどんな言葉と友だちになっているでしょうか。

我思う故に我あり。とはデカルの『方法序説』とともに自分の存在を証明する命題ですが、この時自分の中で存在を考えるには言葉が必要です。思考、存在、言葉の関係を明確に表現したわけですが、日本では思考に言葉が必要であることを道元が『正法眼蔵』の中で言っています。でも、何も難しい事を考える必要はありません。私達の周りにいる子供たちを見てみましょう。「ねぇねぇ、あのね・・・」と子供は自分の見たもの体験したことを一生懸命に話そうとします。話すことで自分の存在を知ってもらおうとしているのです。存在を周りに認めさせ生命として生きられるような環境に自分を置くこと。これは生命の基本です。子供はそのために言葉を使うことを学んでいくのです。

私は子供の頃からよく手紙を書いていました。仕事の都合で父と離れて暮らしていましたから、母が用事で手紙を書くときに必ず「貴方も書きなさい」と私に便箋を一枚出して何かを書かせたのです。他愛もないことを書くのですが、ちょっと大人になったような気持ちです。同じように父の実家のある新潟の親戚から手紙が来ると、やはり母は私にも返事を書かせました。これは母なりに私に家族とのつながりを教えようとしていたのかも知れません。

そんな風に育った私は自然と言葉が好きになります。新しく知った言葉は使ってみたくて仕方がありません。本を読み、作文をし言葉と仲良くなってゆきます。ですから、小学校の教科書でドーデーの『最後の授業』を読んだ時に、“自分の国の言葉をこれほどまでに大切に思う国はどんなに素晴らしい国なんだろう”と素直に感動しフランス大好き少年になってゆくのです。
でも、小学校の国語の授業は楽しい思い出ばかりではありません。あるとき運動会について作文をするようにという授業がありました。私はその授業の作文で運動会で競争をして優劣を決めるのは良くないという論調の作文を書きました。足の早い子は喝采を浴びて気持ちいいかもしれないが遅い子はどんな気持ちだろう。という作文です。
それまで作文で悪い点を取ったことのない私でしたが、見事3をもらいました。5段階評価の3です。作文を返してもらった瞬間、私は学校の運動会を否定する作文を書いたからだと直感的にわかりました。そしてそれを証明する機会は以外と早くやってきました。
運動会が終わり、国語の授業でまた運動会について書くよう作文が求められたのです。私はたまたまパン食い競争で一等になっていましたので、今度は運動会は楽しいというもう天にも登るような喜びを書いたのです。そして、案の定この作文は5をもらったのでした。運動会を否定した作文も運動会を楽しいと書いた作文も論調の厚みとしては同じくらいです。それなのに、3と5。私は学校の国語の授業にすっかり呆れてしまいました。
これは小学校4年生の出来事です。それまで作文は自分の考えを素直に表現するものでしたが、この経験から作文には読む人の評価が加わるもであること、自分の考えとは少し違うことを作文に書いて評価を受けることが可能であることを知ったのでした。ちょっと生意気な4年生でしたね。

話は少し変わります。
もう随分昔の事になりますが、NHKのある番組をみていました。全国の有名進学校を卒業して東大や京大など難関大学に進んだ学生を集めた番組でした。その番組がどのような意図の番組だったのかは忘れてしまいましたが、2人の学生の発言が記憶に残っています。一人は優秀な成績で過ごして来て東大の理三に進むのが当たり前だと周りから思われていて本人もそのつもりで受験し合格します。しかし、彼は何を自分が学びたかったのかを知らなかったのです。結局理三を辞めることになります。
もう一人は中学校か高校の時に学校の先生から「君は言葉をよく知っているから作家になるといいよ」と云われたと言います。随分大胆な先生だと思いますが、その学生は「言葉を知っているからと言ったって・・・」と思ったそうです。
一人目の学生は学校の成績は優秀だったのかも知れませんが自分が何が好きで何をしたいかということを考える機会が少なかったのかもしれません。二人目の学生の話は本人より先生に驚きます。何故「言葉をよく知っている」とこの学生を評したかは知りませんが、言葉を知っているということと作家になるということは全く別な事です。文章を書くにはまず書きたい何かがなければなりません。もちろん書きたい何かを見つめるのはその人の思考であり言葉です。その点で言葉は重要ですが、伝えたい書きたいという思いや行動を生むのは別なものでしょう。

言葉は相手に何かを伝える道具です。その何かは自分が見、感じ思った事ですから自ずとその言葉には自分が映ります。自分が発した言葉を思い出したり読み返したりすることで、自分を知ることも大事です。そう思うと何気なく書いているブログもちょっと襟を正さなくてはと思いますね。

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テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

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