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杣人・somabito

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『パーキー・パットの日々』

お元気ですか?

今日は大寒。陽射しは明るいのですが冷たい風がベランダに干した洗濯物を揺らしています。北海道の紋別では砕氷船による観光が始まったとニュースが伝えています。二三日前には40㎞沖に流氷が来ていました。これからどんどん流氷が南下して知床半島を囲むようになり、紋別と網走の二つの砕氷船観光が楽しめるようになります。

フィリップ・K・ディックの『パーキー・パッドの日々』ディック傑作集①ハヤカワ文庫を読みました。ちょっとSFづいていますね。前回のフレデリック・ブラウンでは脳をかき回されるような感じを経験しましたが、フィリップ・K・ディックの作品では社会性や寓話的要素が強く描かれています。作品の世界を楽しむと同時に一歩現実の世界に戻って考えた時に肌寒い思いをする作品もあります。ではその肌寒い感じ、未来社会への皮肉な失望を体験しディックの作品世界が嫌いになるかというと決してそうゆう事はないのです。それは登場人物がとても普通でバランスがとれているからかも知れません。

本書には処女作である『ウーブ身重く横たわる』や映画『ペイチェック 消された記憶』の原作である『報酬(Paycheck)』、ターミネーターの人間対ロボットの戦争を思い出させる『変種第二号』などが納められ、ディックのアイロニー、機械と人間の対峙、時間や空間の歪みといった特色が良く分かる編集になっています。作品それぞれに関する意見はSF小説の愛好家、ディックのファンの方にお任せするとして、表題にもなっている『パーキー・パッドの日々』を読みながら思った事を少しばかり記しておきましょう。

『パーキー・パッドの日々』では火星人との戦争で敗れた人類が地下シェルターに暮らしています。地上は汚染され、人類はケア・シップと呼ばれる火星人の運搬船から投下される物資で命をつないでいます。カルフォルニアに住む住人の楽しみはパーキー・パッドと呼ばれる女の子の人形を使い模型の町でゲームをすること。回転盤やサイコロを使ってモノポリーのようにして模型の中で物語を進めてゆくのです。在る日、別な地区の住民がパーキー・パッドとは違う人形で遊んでいることを知り、一緒にゲームをしようと訪ねてゆくことになります。

読んでいて真っ先に思い浮かぶのは精神療法の一種である箱庭療法でした。もし私達が自由が制限された世界で暮らすとするならば空想の世界で自由を得る必要があります。しかし私達の想像力には段階がありますからいきなり空想の世界を用意し広げることはできません。限定的な空間(箱庭)を用意し投影する人形や建物、移動するための乗り物などを揃えて空想を進めてゆかなくては何処から始まるのかもわからないままいきなり迷子になってしまいます。人形遊びは子供だけのものではありません。大人だってぬいぐるみを抱いたりミニカーを眺めたりしながら物語を作っています。
『パーキー・パッドの日々』でも、模型の町にあるスーパーや車、部屋の中の模様といった細部にこだわりながら住民は必死になってゲームをしています。それは想像し再現することで自分を確認するためなのかも知れません。
ですから、別な町の住人がパーキー・パッドより精巧な人形でゲームをしているらしいと聞くと、それを知りたくてたまらなくなり出かけて行かざるをえない衝動を持つのですが、いざその人形、成人した女性で結婚していて・・・と想定外の状況に出会うと混乱し戸惑ってしまいます。
物語では別な街に出かけゲームをして戻ってきた家族が元いた街で暮らすことが出来なくなり町を離れるところで終わります。これはどうゆうことでしょうか。私は模型遊びや想像のステージが変わったという簡単なことではなく新たな探求のステージに変わったのだと理解します。
カルフォルニアの住人は他の地の住民を訪ねゲームをしました。お互いシェルターに暮らす住民が同じように模型の町を使ってゲームをする、これは同質の事です。重要なのはそのために自分たちの大切にしている模型の町を持って旅をしたという事、ゲームに負ければ相手にパーキー・パッドを奪われるかもしれないという危険を犯してまでゲームを行ったということでしょう。
これは守られた中での箱庭遊びでは無く、明らかに現状を打ち破って新しいものに出会う冒険です。そして一度冒険をした者は元の箱庭遊びを続けることは出来なくなっているのです。

こうして『パーキー・パッドの日々』を読みながら考えてみると、私達は新しい事に出会う事こそが本性であるような気がしてきます。それはなにもエベレストに登ったりヨットで海を渡ったりという冒険でなくてもよく、新しい料理を試したりスポーツクラブで出たことのないプログラムに参加したりといった普通の日常にある出来事を通じても感じる事ができます。
でも、ちょっと考えてみましょう。料理やスポーツといった個人レベルのことはそれでいいでしょう。でも人類全体として見た時、私達はまだ地球という箱庭に留まっているようです。探査衛星がようやく太陽系を飛び出そうとしているのが現実。まだまだ箱庭の中です。人類レベルではその本性である冒険やチャレンジが広がっているのです。

如何です?火星人との戦争に破れシェルター暮らしをする人類の未来を描いた『パーキー・パッドの日々』ですが、読んでいくと人類の冒険心に気付かされるというお話。そこにフィリップ・K・ディックの救いがあるのかもしれません。



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テーマ : SF
ジャンル : 小説・文学

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