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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』

お元気ですか?

北海道当麻町の特産であるでんすけスイカの初競が行われ一玉35万円の初値がついた。先日は夕張メロンに二玉250万円という初値がついたのだが、こうゆうご祝儀相場は私のような小市民には理解出来ないし、少しばかり不快な気もする。夕張メロンはいただきものでは食べるが自分では買わないし、でんすけスイカは買ったことも食べたこともない。一個1万円もするスイカを誰が食べるのだろう。食べなくてもいいから食べている人を見てみたい。
不快と思うのは物には適正な価格というものがあると思うからだ。ご祝儀相場というのは商品価値とは別の理屈なのだろうからそこに意見をもつものではないが、ただ儚く虚しい物を感じる。
経済は人の思惑で動いてゆく、その日々の変化が面白いのだがそこには高い倫理性が求められる。数学を駆使して生まれる金融派生商品、いわゆるデリバティブ商品も価値を見つけるという意味では評価出来るのであるが、それをこねくり回し過ぎると落とし穴に落ちるのは多くの人が経験してきた事だ。でんすけスイカにしても、夕張メロンにしても生産者と消費者を結ぶ商品価格の中に真面目な倫理性が見られた時に双方に喜ばれる商品となることを忘れてはいけない。

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(写真はお借りしました)


函館に来て学生時代に読んでいた本を出して懐かしんでいるが、その中でも特に読み返したかったのは増谷文雄氏の本で、何冊かを開きながら記憶にある文章を眺めているのだが、高校大学時代に読んだそれらはダンボール箱二箱分もあった。

中学生の後半に夏目漱石の『三四郎』に出会った私は明治の近代化の中で個を彷徨うテーマに傾倒した。私自身が自分の存在意味や方向を考える年齢であり、芯の無い自分を知るにつれ社会(それはまだ漠然としたものであったが)の中に存在することに強い不安を感じ始めていた時期でもあった。
そんな時に私は増谷文雄氏に出会った。それはNHKの教育テレビ「宗教の時間」で放送されていた『釈尊のことば』という番組だった。増谷文雄氏と奈良康明氏の対談という形で進められる番組は高校生の私にも具体的で分かりやすく、増谷文雄氏の語る話に一気に引き込まれ画面から目が離せなくなっていた。
今、手元にその時の放送を本に起こした『釈尊のことば』日本放送協会があるが、あとがきを見ると放送は昭和50年、本の出版は翌年となっている。
それ以来私は増谷文雄氏の本を買い集め漁るように読んだ。もちろん一般読者向けに書いた本と云えども内容は難しく何回も読みなおしたりするのだが、とにかく数読めば門前の小僧よろしく何か分かるところも出てくるだろうという思いもあった。元来気に入った作家は可能な限り読む性格である。
増谷文雄氏は原始仏典の研究者であり、キリスト教と仏教の比較研究の優れた著作のある宗教学者である。増谷文雄氏に出会う前、私は岩波新書で『親鸞』を読んだり仏教関係の本を読んでいたがそれは日本の仏教の話であり、物足りなさを感じていた。法然や親鸞の教えに接しても私の中に“なぜ”が残るのだ。それに比して『阿含経典』を研究する増谷文雄氏が紹介する仏教は釈尊の言葉そのものであり、まるで釈尊と弟子たちのドラマを見るように活き活きと展開される。しかも増谷文雄氏が仏教を「知恵の宗教」というように、その教えは具体的で理屈が整っている。縁起の法、原因と結果の教えである。ならば、一つ一つを理解し実践すれば私でも少しは自分の生きる道を知る手がかりを得ることが出来るのではないか・・・。

熱い思いで増谷文雄氏の本を読んだ時から随分と時間が経った。社会人になった私はやはり芯のない中途半端な生き方しか出来ていない。人生の残りの時間をもう一度増谷文雄氏の本を側に置き学びたい。そうゆう思いで函館の家に置いてある本を取り出している。

そんな時、Amazonで『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』という本を見つけた。著者は荒木稔惠という方である。全く知らない方であるが、求めて読むことにした。
本書は二部構成になっていて前半は「明治維新の宗教をたずねて」と題して、廃仏毀釈、浦上キリシタン、尊王思想など開国に向けて日本の宗教界が内在する様々な問題に向き合わなければならなくなった状況が書かれている。
後半は「西洋からの仏教を耕した人 増谷文雄博士とその業績」と題して、明治に入り学僧をイギリスに派遣することで日本にも近代仏教研究の流れが出来た事、そして増谷文雄氏の『阿含経典』の研究と『仏教とキリスト教の比較研究』とが語られている。

一読しただけだが、前半の日本の開国から明治に至る日本の宗教界の事情については分かりやすくまとめられている。増谷文雄氏に関心が向いている私には最初前半の部分を早く読み終わりたいという思いもあったが、読み進み第二部に進む頃には第一部の意味がとても重要であるのが分かる。
後半の増谷文雄氏の業績については、私も読み知った本が引用されながら、増谷文雄氏が求めた仏教研究が丁寧に整理紹介されている。もちろん増谷文雄氏には『正法眼蔵』の訳注本など他にも広く研究がありそれらには触れられていないのだが、著者の増谷文雄氏に対する深い思いが伝わってくる。
特に『原初経典・阿含経』の中から『茉莉花(マッリカー)の女』の章を引用し、誰しも自分自身を一番愛おしく思う、だからこそ他の人を傷つけてはいけないと説く釈迦の平和思想の教えを紹介し、転じて日本国憲法の基本原理こそ人権を尊び民主主義を必要とし平和主義を掲げたものであり、釈迦の教えに沿うものであると紹介するあたりは、平和の宗教としての仏教を今日の日本の状況の解決に役立てたいという著者の思いがあるように思えた。(本書は2004年初版)
この『茉莉花(マッリカー)の女』の章は私も強く印象に残っている話で、著者がこの章を紹介してくれたことに喜びを感じている。

『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』荒木稔惠著(風濤社)は増谷文雄氏の業績を紹介するにはまだまだ足りない。しかしそれは著者の問題ではなく増谷文雄氏の研究業績が非常に大きいからに他ならない。著者は第二部の最後、釈尊の言葉「われも耕す」を引きながら、「増谷文雄博士も、釈尊につづき、わたしどもの荒蕪を耕されたお一人でした。」と結んでいる。著者の増谷文雄氏に対する深い敬愛を感じる。


学生時代、自分自身の存在の意味や社会への不安を抱えて生きていた時に出会った増谷文雄氏と原始仏典は、私に学ぶことの方向を与えてくれた大きな出来事でした。人生の半分を超える年齢になって今もなおその時の感動や思いは強く、もう一度増谷文雄氏の本を読み直して学んでみたいという時に、『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』荒木稔惠著を知り読んだ事は「我が友を得たり」という喜びです。釈尊は「友は師である」と言います。荒木稔惠氏が増谷文雄氏とその業績に深い敬愛をもち本書を著してくださった事に感謝するとともに、荒木氏のもとで学ばれる方が多くの師となって活躍される事を願います。

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『西洋からの仏教を耕した人 明治維新と宗教、そして増谷文雄博士』荒木稔惠著(風濤社)
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