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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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老いの傍で・・・その2

お元気ですか?

台風が通り過ぎ、当地には少し雨が残りむした日が続いています。函館にも雨雲がかかった天気図でしたので電話をするとあまり雨は降らなかったようです。

今回母の骨折を知らせてくれたのは叔母でした。函館には母の兄弟が住んでいて交流があります。離れて暮らす子供として、このことは安心出来る事の一つです。入院の手続きや身の回りの支度などもしてくれていましたから私が翌々日に病室に行った時には基本的なことは不自由ない状態でした。では親戚など母が身の回りの事を頼めるような親しい人がいない場合にはどうなるのでしょうか。今回は母の意識が確りしていたから良かったものの、意識がなかったら離れた家族にどう連絡がとられるのでしょう。
叔母からの連絡を受けて私から病院に電話を入れた時、子供であることを伝えても病院は私に母が入院していることを教えてはくれませんでした。個人情報の保護なのでしょうが私と病院との間には壁がありました。ところが、函館について病室に行く前ナースステーションに寄ると、名前を言っただけで私の本人確認もしないのに、同意書などにサインを求めてきます。離れて暮らす家族に必要な連絡は拒否され、病院に入れば本人で無くても(もちろん私は本人でしたが)書類にサインが出来てしまうという重大な手続きの不備があるのです。
私は病院を責めるためにこの事実を問題と言っているのではありません。誰が入院しているか、その留守宅はどうなっているかなど犯罪につながる情報がそこには有るからこその対応なのでしょうが、視点を変えれば問題があるという事を言いたいのです。

母は幸い、怪我した体を引きずって救急車に電話をしベランダの鍵を開けてそこから入ってもらうように伝えました。救急隊の人はベランダから入り玄関を開けましたが、母を搬送すると火の確認や施錠の確認をし、母が伝えた兄弟の家に電話をして病院に向かいました。緊急連絡先は離れている子供より近い所に住む身内や個人的な事情も分かる親しい人が必要だということです。ではそうゆう人がいない一人暮らしの老人はどうしたらいいのでしょうか。

私はパートナーさんと二人暮らしです。子供はいませんし、私達が老齢になる頃には親しい親戚の付き合いも無くなることでしょう。となると私達は緊急時には全て公的または有料のシステムに頼らなければならないということになります。同じような状況に置かれる人は全国に多くいらっしゃるでしょう。隣近所が親戚で暮らしているような村社会、家族が世代をつないで暮らしているような家なら違うでしょうが、少子化と都市部への人口集中といった社会の流れの中では益々一人暮らし老人は増えて行きます。その時その老人の命を守るのは社会のシステムなのです。ところが地方行政は少子化と人口減少のせいで財政難に陥り残された老人を守る事が困難になっています。

今回私は病院に通いましたし家の留守居をして必要な事をしてきました。銀行の通帳を預かり必要な支払いをしたり日々届いていたヤクルトや牛乳を止めたりもしましたが、それは子供として裁量権を移譲されたから出来た事です。家族がいなかったり、信頼出来る親戚や友人がいない場合金銭に絡む事やプライバシーに深く関わる作業を誰に頼めばいいのかという問題があります。弁護士と契約出来る人は少ないでしょう。後見人制度を使いやすくする必要があるでしょうが、プライバシーの管理や地域社会の理解など基盤作りが必要と考えます。

私の場合、父が新潟の実家を離れて暮らし北海道で家族を持ちましたが故郷の事両親の思い出などを良く話してくれましたし、母の実家は函館にあり行き来していました。そうゆう環境は私に家と自分の出自を強く意識させました。両親はそれぞれ自分の世界を持っていましたから私も自分の好きなことをしていましたが、離れて暮らしていても家族という気持ちは存在の根底に強く持てるように成長しました。私はこれをセパレートなファミリーと言っています。
これは私の生活の作り方にも関係し、若い頃は勤め仕事をしていましたが時間が自由になる自営に替え生涯現役を目指しています。勤め仕事をしていたらとても3か月も会社を休む事は出来ませんからこの選択は正しかったと思っています。しかし、これは誰にでも出来る事ではありません。
家族を思う気持ちは大事ですが親も子供もそれぞれの生活があります。家族は身近で安心できる存在かもしれませんが、組織としては一番小さく非力なものです。その非力なものに頼らないで済むシステムを考えなければならないと思うのです。

老いは誰にでも訪れますがその形は様々です。家族が傍にいる人、離れて暮らす人、仕事で時間が自由にならない人、経済的問題・・・。
人は社会の財産です。人は個人として成長し生活を営みますが、仕事をしたり様々な社会参加をすることで社会に貢献していきます。その人が老いを迎え死に至る時、社会がサポートを出来ないようでは情けない話ではないでしょうか。人の死を見守るのは家族と同時に社会の責務であると強く思います。

函館に3か月暮らし、目に映る風景を記憶にある産業と人々の賑にあふれていた函館と対比しながら急加速で函館が崩壊しようとしているのを感じてきました。その函館に取り残されているのは老人たちです。老人を診るため病院はありますが、そこで働く人達が生活を楽しめる場所はありません。そうした歪はいずれ医療の現場にも悪い形で現れてきます。
私達は安心して老いを迎え死に至ることが出来るように、社会のモデルを考えなければならないと思うのです。
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