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杣人・somabito

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『エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦』

お元気ですか?

当地はすっかり秋めいて、朝夕は寒いほどです。
フィンランドの作家トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズを読み終わりました。子供向けの童話と思っていましたが、物語は様々な障害や困難に満ちていてムーミン達登場人物の行動や心理をみても大人でも難しいことに向き合います。ひらがなの多い文章ですが時々立ちどまりながら読まないといけません。9冊の本は最初に書かれた『小さなトロールと大きな洪水』の1945年から最後の『ムーミン谷の十一月』 の1970年,まで25年をかけて書かれていますから一冊一冊読み込む重さがあるのですが、今回私は駆け足で読んでしまいました。それでも、ムーミンのお話が個の自由と尊厳が生命への慈しみと共に描かれているのを感じます。中学生や高校生がじっくり読んでも良いお話です。

何か良い本を読みたいと思い、梨木香歩さんの『エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦』を選びました。梨木さんは『西の魔女が死んだ』で知り何冊か文庫本で読んだお気に入りの作家です。それぞれの作品を読む中で「境界」「箱庭」などのキーワードを自分なりに見つけながら読んだのですが、今回の『エストニア紀行』では何を見つけることが出来るのかと期待が先にありました。こうゆう期待は慣れた作家を読むときにはどうしても出てしまいますが、実は邪魔になることもあって新鮮さを失う場合もあります。今回はどうでしょうか。

エストニアの旅は編集者、カメラマン、通訳やガイドを伴う大掛かりなものです。それでも梨木さんは「実はコウノトリの渡りに間に合うようにとも目論んで」います。ここで早速私は記憶に遊びます。子供向けの文学全集に納められていたお話にコウノトリの話がありました。どこの国のどんなお話であったかも忘れていますが、家の煙突に巣をつくる大きな白いコウノトリの物語で1頁いっぱいに描かれたコウノトリの絵が記憶にあります。本を読む度に新しいものとの出会いとともに記憶との再会があります。思い出された記憶は私を形成する何かです。

梨木さんはエストニアのタリンという街をスタッフと共に歩きます。大聖堂や城壁の塔、地下通路などを巡り、十字軍による侵攻、スウェーデンやロシア帝国による支配などヨーロッパのあちらこちらで見られる歴史を確認します。
紀行文を読む楽しさはガイドブックとは違います。梨木さんは其の事を通訳兼ガイドの宮野さんとの出会いの場面からこう言います。「私は、あ、面白い人だ、これから先、充実した旅になる、と、その時直感した。(中略)案内人に案内される国の印象は、どうしたってその案内人という個性のフィルターを、多かれ少なかれ、通して入ってくる。ガイドされるとき、私はいつも、そのフィルターの個性がどういうものであるかも、知りたいと思う。それが分かってくる過程で、その国の姿が様々に立体的に立ち上がってくるように思うから。」と。
私達は紀行文を読む時、旅先の風景や歴史や人々の暮らしを知るのですがそれは旅人である作者のフィルターを楽しみたいのです。

梨木さんの旅はエストニアの南東タルトゥへ向かいます。古い街道、田舎風景に車を留め道路脇に咲く草花の臭いに心を満たしたりコウノトリの巣を見つけたりします。電柱に大きいものでは5百キロにもなる巣を作るコウノトリ。停電被害を防ぐためにすぐとなりに電柱と同じようにポールを建て此方に巣を移してもらいたいと思いますが計画はうまくゆかずコウノトリは相変わらず電柱の方を好みます。その人とコウノトリとの関係にエストニアの人の朴訥とした緩やかな心情を知ります。
タルトゥの南、ヴォルという街のホテルは森に囲まれたところで、梨木さんは本領を発揮します。スーツケースから長靴を取り出しウインドパーカーを着て森に入ります。リゾート地のホテルで庭を歩くのとは違います。ミズゴケを踏みしめながら歩き、倒木の丸太に腰をおろして目を閉じ深呼吸をし森の音に耳をすまします。森と出会う旅です。

梨木さんはこう書きます。「ここ数日楽しく充実していたけれど、あまりに多くの人々に会っていたので、自分という生体がこうゆう時間を必要としているのだとしみじみ思う。」「じっとしていると、ときどき自分が人間であることから離れていくような気がする。人が森に在るときは、森もまた人に在る。現実的な相互作用(中略)だけでなく、何か、互いの侵食作用で互いの輪郭が、少し、ぼやけてくるような、そういう個と個の垣根がなくなり、重なるような一瞬がある。生きていくために、そういう一瞬を必要とする人々がいる。人が森を出ても、人の中には森が残る。だんだんそれが減ってくる頃、そういう人々はまた森に帰りたくなるのだろう。自分の中に森を補填するために。」
長い引用になりましたが、梨木香歩という人を知るところです。小説『沼地のある森を抜けて』でぬか床から生命の連鎖を描いたように梨木さんの世界には個が死と生との境界で浸透しあい新しい生命の輝きをもつところがあります。

若いシェフが穀物倉庫を改装して一人で切り盛りするレストランで食事をし、養蜂家やキノコ採り名人の女性、蛭で民間療法をするお爺さんを訪ねます。ところがこの蛭爺さんはとんだ食わせ物で、コーディネートした編集者は困った顔で「忘れてください」と言う始末。しかし梨木さんは「野卑や下品は、世界ぜんたいの豊かさを深める陰影のようなもの。そこだけ取り去ることはできない。未知の世界に足を踏み入れる以上、それはいつだって覚悟しておかなければならない。」と受け入れます。
私達の生活も全てが順風満帆とはいきません。仕事や人間関係、家族の問題や経済的事情、災害や病気・・・突然に、もしくはいつの間にか予期していない事情に囲まれてしまうことがあります。理想とは違う現実。もちろん、私達はなりたい自分になろうとすることが出来ます。しかしそうでない時、私達は現実を受け入れつつ自分を慣らして行くことも必要です。森の境界で浸透しあうように、それを受け入れた時、私達は変容し新しくなるのかも知れません。

旅は続きます。パルヌの街のジャコビアン様式の古いホテルで怪談騒ぎを体験し、編み物や機織りをして暮らす島の女性の生活に接します。コウノトリを探し、バード・タワーに案内してもらったり、バルト海の塩辛くない海水を味見してみたりもします。第二次世界大戦により人間が去った土地に植物や動物が住み着き新しい自然が再生していることを目の当たりにします。
そして旅の終わり、タリンの街を離れる飛行機の窓から、訪れた街、ムフ島やサーレマー島を眼下に見て梨木さんは「ああ、これは、あの、アフリカへ渡ったコウノトリたちの視点ではないか。」「彼らには世界がこういう風に見えていたのだ。永遠に連続する海と大地。」と思います。

そして私は思います。コウノトリは国と国とを結ぶ触媒なのではないか。森が死と生との境界を曖昧にしながら再生してゆくように、民族や歴史の中で境界を作っている人間と寄り添い「人間の生活する近くに住みたがる」と言われ、赤ちゃんを運んでくる子孫繁栄のイメージのあるコウノトリは、渡りをしながら境界を越え再生を運んできているのではないかと。

エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦
(2012/09)
梨木 香歩

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