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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『ピスタチオ』

お元気ですか?

梨木香歩さんの『ピスタチオ』を読みました。先に読んだ2冊は紀行文、随筆でしたが今回は小説です。「ちくま」に書かれたこの小説は2008年から2010年、先の2冊と同時期の作品ですから、作者の関心が向いている方向は同じです。それをどう物語という形で表現するのかに興味が湧きます。

物語は主人公の女性と飼い犬のマースの話から始まります。散歩コースにある池の鳥、野生の顔を見せる猫を織り込みながら野生動物とペットの人間との距離に触れます。「どこで何をまちがえたのか。野生に触れていたくてマースを飼った、それが棚(主人公の名前)自身の行き方にも繋がる「ペットを飼う」ことの大義名分だった。犬猫をまるで子どもの代用のように扱う、そうゆうカテゴリーの人種に、棚は自分を入れたくなかったのだ。」と言います。しかしマースが病気に罹り手術をすることになったことCTを撮りオムツを買ったりすることで棚は自分の位置が揺れ葛藤を覚えます。
物語の導入で語られるマースと棚の関係性を読みながら、私は居心地の悪さを感じていました。実は私は生き物、特にペットという存在が苦手です。それは犬に噛まれたとかゴキブリに襲われたといった理由からではなく、人間の個体とはまるで違う姿がどうにも不気味に感じられ、そう思い始めると異界の生き物のように思えるからなのです。

棚はライターの仕事でアフリカへ向かいます。それは観光目的の土地やホテルなどを紹介する記事のための仕事ですが、同時に亡くなった知人の足跡を訪ねる旅でもあり、何かに手を引かれるようにしてアフリカへ向かうのです。
ここから梨木さんの描く世界は一気に境界を越え彼方での物語になってゆきます。『沼地のある森を抜けて』でファンタジックに描かれたものが、ここではアフリカという土地と呪術医を訪ねるという生命の力強さを伴ったリアリティで読者に示されます。そのリアリティは彼方でのもので、棚はジンナジュという霊によって予定されていたように人と会い、ステップを踏んでいきます。なぜ棚はアフリカに来なければならなかったのか。何をする役割を担っていたのか。物語は次第に大きな世界を語りだします。

呪術医のところにくる患者はダバと呼ばれる病もしくは禍の元のようなものを抱えています。ダバは物語のはじめ、マースが患った「瘤」と重なり、生命として必要のないけれども自然にたまってしまった「瘤」は医者や呪術医によって取り除かれます。地球もまた人間と同じようにダバを溜めてゆきますが洪水によって洗い流されます。そして新しい大地でそれまで育つことのなかった新しい生命ピスタチオを育むのです。
ここで、最近の大雨災害や世界各地で報告されている洪水を想像するのは自然なことのように感じます。人間がこれまで文明として利用した土地は、砂漠化が進み緑が失われてしまいました。洪水によって洗い流され新しい土が運ばれてくるのは自然再生のメカニズムなのかも知れません。
人間は自然との共生を言いながら自分たちに都合のいいことを折り込みます。毒という言葉はそれを端的に表していて、生物が本来持っているものを人間に害するというこちらからの理屈で毒と言ってしまいます。温暖化による気候や海流の変化もこれまでのそれもごく短い人間の時間のなかで都合が悪くなったから言っているだけです。種の保存についても人間はこの世界にある全ての生き物を知っているわけではないのに、絶滅しようとする生物に対してまるで人間がその責任を負っているかのように守ろうとします。大きな流れの中でそれは守りきれるものではないでしょうし、一時的に守ろうとうしたことで生態系の他のところに歪が出てくることもあります。
テロや戦争で人間が死ぬことまでも自然の中のことだと言うつもりはありませんが、人間が地球の温暖化を招き環境破壊を進めその結果気候の変動をもたらし・・・というならそれも自然淘汰の流れのうちなのかもしれません。たとえ全ての人類が洪水の下で亡くなったとしても新しい生命が生まれるならそれを自然と受け入れることも一つの考え方です。

『ピスタチオ』はアフリカを舞台に呪術医や精霊の存在、ダバと呼ばれる「瘤」や洪水による浄化再生が語られますのでスピリチュアルな感じを受けます。しかし、梨木さんはプロテクションという言葉を使いスピリチュアルなものと一定の距離を保っています。呪術医が儀式を執り行い精霊に依頼人をプロテクトしてもらうという言い方も話の中に出てきますが、梨木さんはもう少し膨らませて彼方との距離を保つのにもプロテクションという言葉を考えているようです。棚が不思議なめぐり合わせを感じたときに「冗談にしてしまった方がよくありませんか。このコンテクストに呑み込まれるより」と言ったり、「頭のどこかで、名乗ったらおしまいだ、もう逃げられない」と思ったりします。これはとても大切なことで、私もいつも気をつけている事です。確かに私たちの周りには霊性を感じたり何かの意思・方向を感じることがままあります。しかし自分が誰でどこに立っているのかを弁えておかないと思いもよらないものに取り込まれてしまうこともあるのです。ただしこれを知るのも難しことなのですが。

梨木さんは物語の最後に、「「起こった事態を掬い取れるくくり」とはどういうものなのか。」とストレートな問を出し、すぐ「死者の「物語」こそがそれなのだろう、と思う。」と示します。「物語が真実なのだ。死者の納得できる物語こそが、きっと。」と。死者の納得する物語ということは、語るのは周りにいた人たちです。そしてその物語を残された者たちで語るのと同時に死者に伝えなければなりません。
棚は「死んでから始まる「何か」がある気がする。別の次元の「つきあい」が始まる」と言います。

物語が語られることによって新しい生命が生まれるのでしょう。


ピスタチオピスタチオ
(2010/10)
梨木 香歩

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おまけ)
久しぶりに梨木香歩さんの小説を読みました。テーマの大きさ、物語性、言葉に含まれた意味の深さなど十分に楽しむことが出来ます。先に読んだ2冊から「渡り」の事を頭の隅に置いていましたが、そこにこだわる事はないのかも知れません。しかし、境界を超えて物語が語られることはある意味での「渡り」なのかとも思います。
洪水によって世界が流されたとき、物語を語ってくれるのは誰なのでしょう。その物語はどのようなものなのでしょう。読み終わったあともイメージはいくつも出てきます。何回でも読み返してみたくなる『ピスタチオ』でした。

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