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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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考えるということ

お元気ですか?

花散らしの雨と言うイメージとは程遠い強い雨が連日降り、川沿いに咲いた桜は愛でる間もないうちに散ってしまいました。
そんな雨の降る昨日、近くの中学校では入学式が行われていました。午後4時。傘をさし少し着飾った親と一緒に帰る中学生の姿があります。入学式からの下校がどうして午後4時なのか・・・。それは来賓挨拶に来る議員の日程に合わせているからのだそうです。色々な学校を回って挨拶をしたい、名を売りたいという市議会議員、県議会議員、国会議員・・・そうゆう先生方の要望にあわせ入学式や始業式が時間調整されているのだそうです。私は子供がいませんので直接的な経験はありませんが、お子さんのいらっしゃる人の話を伺うとそうゆうことなのだそうです。
だとするとなんと悲しく恥ずかしいことではないでしょうか。入学式や始業式は学校が主体になり生徒とその父兄のために行われるものです。来賓の挨拶をしにくる先生のためにあるものではないはずですが、そこに配慮する学校といのは何を考えているのでしょう。物事の本質を考える事の出来ない学校で教育を受ける生徒を思うと心苦しくなります。

先日、「ハンナ・アーレント」という映画を見たことを少し書きました。アイヒマンの裁判を傍聴し、ナチスの下多くのユダヤ人をガス室に送ったアイヒマンの裁判が悪の象徴としてアイヒマンをシンボル化してゆく中で哲学者であるアーレントはアイヒマンを単なる小役人であり善悪の意識のない実行者であると見ます。その見方は悪の象徴、罰すべき対象としてシンボル化しようとう人々には受け入れられず、特にユダヤ人社会から猛烈な反発を受けます。アーレントはアイヒマンの裁判を通じて、悪がどのように生まれたのか、悪とは何かを知ろうとします。これがアイヒマンを罰すべき対象と見る人からすれば事実の矮小化のように写るのですが、アーレントが意図していたのはより根源的なものへのアプローチだったのです。
映画「ハンナ・アーレント」は岩波ホールで上映され静かに評判を広げていったと聞きます。私は日本人がこうゆう映画を評価する良識に少し安心するのです。

wowowで「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦」というドキュメンタリーを放送していたので見ました。文芸誌「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」は書評を中心に文化の切り口を提示してきた雑誌だが、私は直接読んでいないので雑誌に意見を言うことは出来ない。しかし、マーティン・スコセッシ監督によってドキュメンタリーとして作られた今回の映像は私も雑誌と同時代を生きて来たことで少なくとも私の脳を刺激するに充分な内容だった。
ベトナム戦争であったり、ウーマンリヴであったり、サラエボ事件であったりと若い頃にまさに何が起きているのかを考えさせられた事件が映像の中で語られる。スーザン・ソンタグやノーム・チョムスキー、ノーマン・メイラーといった有名な名前も出てくれば、私がよく読んだアイザイア・バーリンも登場したのには感動もした。
残念なことに「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」を評するほどの知識は持ち合わせていないが、それでもこのドキュメンタリー映像を見て思うのは、事実を見る目だ。他人の言葉を聞く前に現実に何が起きているのかを自分の目で見ることの大切なこと。時には社会状況や人々の思惑の中で事実は大きく歪んで映し出される。2013年のエジプトカイロ事件での市民のデモや警察との混乱、黒人少年らによる白人女性レイプ事件とされたNYセントラルパーク事件(1989年)は実刑判決決定の後、冤罪である事が分かる。そしてそれらは今現在私たちが毎日テレビでニュースとして見ていることが事実なのだろうかと立ち止まる事の重要性を訴えるのに充分な力を持っている。
ニュースの画一的な取り上げられかた、逆にまるっきり違う事が伝えられていたりするのを目の当たりにしたとき、私たちは自分の目で見ることの非常に難しいことに気がつく。
もう一つはその事実が歴史の中でどのような位置づけにあるのかということを同時代の中で理解することの難しいことだ。たとえば中国や韓国と外交を行うときどのような事実認識と歴史的理解を持ちその上で関係を築いてゆくことが出来るのか。沖縄での米軍基地問題はアジア情勢の変化を受けて検討し続けなければいけない問題と思うが、歴史認識と未来の安全保障を思うときどうあるべきか。核兵器使用も言葉にするロシアはプーチンの独裁の下何処に行こうとしているのか。全て時間軸を見据えながら事実が何を意味しどうゆう方向を示しているのかを考えなければならない。しかし私たちは現在の利益に心を動かされながら事実を見るとき、歴史を忘れがちになり、事実を見誤る。

私たちは何処にいて何を見ているのか。
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