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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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『僕は、そして僕たちはどう生きるか』

お元気ですか?

当地は梅雨に入りました。住宅の周りに細々と守られている田圃に水が張られています。

梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読みました。図書館のリストに見つけ未読の本を選んで読んでいる梨木香歩さんですがづっと後回しにしていた本です。タイトルを見て分かるように、岩波書店の名著『君たちはどう生きるか』吉野 源三郎著を思い出させる本書にこれまで読んできた梨木香歩さんの作品とは作者の取り組み方向き合い方が違うような気がして少しこちらにも準備が必要だったのです。

物語はコペル君という14歳の少年が体験する一日です。連休初日の朝、コペル君はルーペを持って土に棲む生物を探しに雑木林に出かけ、染色家のノボ伯父さんに会います。お父さんの影響で少し難しい言葉を使うコペル君はノボ伯父さんとの関係や家族の関係にも思いをめぐらしますが、そのところどころに出てくる難しい言葉は子供らしいユーモラスな感じを文章に与えていて面白いですし、コペル君がよく物事を考える目と言葉を持っていることを読者に知らせます。こうして読者はコペル君と一緒に考えることに誘われてゆくのです。
コペル君はヨモギが欲しいという伯父さんの希望で小学校からの友人であったユージンの家を訪ねます。そこは周囲から距離を置くように守られた森に囲まれた古民家で、亡くなったお祖母さんが開発で失われてゆく植物を自分の土地に移植し守って来た家なのですが今はあるきっかけで学校に行かなくなったユージンが一人で住んでいます。

梨木香歩さんの本を読むとき、私はいつかしらか自分でキーワードを持つようになっています。箱庭であったり境界であったりと作品から思い起こされるキーワードを手がかりに作品を読み解こうとしてきました。今回『僕は、そして僕たちはどう生きるか』にあるキーワードは「全体主義」です。ボーイスカウトがヒトラー・ユーゲントの母体になり、ドイツと同盟国であった日本でも少年団は軍の下部組織のようなものに変貌してゆく話。戦時下の日本で兵役を拒否して山の洞窟に隠れ住んでいた人の話。そしてユージンが経験した小学校で担任の先生とクラスメイトによってなされた恐ろしい出来事。
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読み、ふと自分の周りの出来事や経験を思いだすと似たような事に沢山思い当たります。

例えば私が小学生の時に学級会で同級生の女子の左利きが問題になったことがありました。何人かの生徒が女生徒の左利きを止めさせて右利きにするように規正すべきだと言い出したのです。女生徒が左で黒板に何かを書いていたのをきっかけに起こった発言は「それが普通だから」という言い方と「直せばその女生徒のためにもなる」という理屈をもってまるで正しい事のようにクラスに広まりました。その時私は黒板の前に立ち身を硬くする女生徒を見ながら、クラス全体(その場に居た担任の先生も含めて)に嫌悪感を持ったのを今もはっきり覚えています。

大人の世界でも同じ事が見られます。大人の場合は政治・行政・法律といった制度の下一人一人が責任を負い、選んだのはあなた達だよと言われるのですが、では私たちはどれだけの事を理解して判断しているのでしょうか。私自身を例にしても私は何かの専門家でもありませんし、広く正確な知識を持っているわけでもありません。政府がこれが国民にとって良いことで、国民が選んだ代表者が決めたことだから貴方も従ってくださいねと言ったときにどれだけはっきりと嫌だと言えるでしょうか。

物語の中にインジャと呼ばれる少女が出てきます。少女は図書館である本を読んだことをきっかけとして卑劣な大人の性産業の罠にはまってしまうのですが、「結果、自分で判断する能力を失ってしまって、自分自身の「魂を殺す」手伝い」をしてしまいます。その少女の話を知ったコペル君は「大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。自分基準(スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ。他人の「普通」は、そこに関係ない。」と思います。

私たちは今目の前に起こっていることをきちんと見て理解し、自分を基準として善し悪しを判断しているでしょうか。そしてこれは間違っていると思ったとき、これは危険だと思った時にその場から離れたり警告を発する行動を取ることが出来るでしょうか。
梨木香歩さんは優しい人です。怒ること、抗議することの大事を言うと同時に黙っている人にもその人の事情があることを見守ります。そして物語の最後、コペル君はこう言います。

「そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。けれど、そうゆう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、いざ、出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく。 やあ よかったら、ここにおいでよ。 気に入ったら、ここが君の席だよ。」

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『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読み、非常に重たい気持ちになっているのは、私たちの生きるこの世界が理不尽な現実に覆われていて、その現実を前にして私たちが思考停止に陥っていく危険に日々さらされているからなのかも知れません。

吉野源三郎が『君たちはどう生きるか』を発表したのは1937年(昭和12年)のことでした。この年がどうゆう年だったのかをここで紹介する余裕はありませんが、戦後も改訂されて現在に生きている本なのです。
私がこの本を読んだのは中学一年生のことでした。毎日通っていた学校の図書館にあったのを借りて読んだのです。ある日同級生の小林君に「最近読んだ本で何か気に入ったのある?」って訊くとこの本をあげたので、私は少し驚くと同時に小林君に感心したものでした。小林君は勉強では学内でも一二の優秀で、小柄でよく動き回っていましたが何処か落ち着いた感じのある育ちの良さが伺われる子でした。(思い出したので書いておきます。)

梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』はもちろん吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を念頭に書かれた本です。今私たちは昭和12年とは違う時代に生きているのですが、だからといって全く平和に生きているわけでもありません。自衛隊の派遣(もしくは派兵)問題や憲法改正論議、沖縄や北方領土の問題に、北朝鮮との拉致被害者問題など実に困難な問題を抱えています。
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』は2007年から2009年にかけて理論社のウェブマガジンに連載され、2011年に書籍として出版されました。梨木香歩さんが発表してから数年経ったわけですが、本書の主題の重要性は褪せることはありません。
そして読み終えた今、私は梨木香歩さんの強い怒りと涙を想像せずにはいられないでいます。様々な森や林、沼や湿地に出かけカヤックを漕いで生き物を見てきた梨木さんです。渡り鳥が地球の磁場を感じながら渡りをするように、人間の世界に目を移したときに何か心に引っ掛かる違和感、ノイズのようなものを感じたのかもしれません。今言わなければ、書かなければという気持ちにさせる信号をキャッチしたのかも知れません。

私は、自分基準を持ちアンテナの感度を高めることが出来るでしょうか。違和感を感知したとき身を守る行動を取ることが出来るでしょうか。コペル君と一緒によく考え続けて生きてゆくことが出来るでしょうか。
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