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杣人・somabito

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『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター

お元気ですか?

思い違いということは良くある。今回読んだハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』を私は子どもの頃からタイトルを見知っていたように思っていた。しかし奥付けをみるとこの本がドイツで出版されたのは1969年のことであり岩波少年文庫として日本で紹介されたのが1977年の事であった。すでに私は児童書を読む年齢ではなかった。

私が子どもの頃、日本は「もはや戦後ではない」と言った経済成長を駆け抜けている最中だったが、一方でベトナム戦争と安保問題を抱えていた。家庭では電気洗濯機やテレビ、自家用車が生活の豊かさを示す一方でそのテレビからは大学生のデモや戦争のニュースが流れていて、子どもといえども社会の矛盾を感じずにはいられない時代だった。中学1年の夏休み、読書感想文を書く課題があり、私はベトナム戦争の写真集を選んだ。戦争は私にとっていつも「何故」を問う事件であり人間とはどうゆう生き物なのかを問うための材料であった。

『あのころはフリードリヒがいた』を読む前から強く恐怖を感じていた。読むのが辛く悲しかった。タイトルから想像される、ヒットラー政権下のドイツ、反ユダヤ主義に変容していく社会の恐怖が本書を読む前から身をすくませているのだろう。はたして本書はその恐ろしい歴史が子どもの目線で書かれている。
1925年に生まれた男の子は一週間違いで生まれた上の階に住む男の子フリードリヒと親しくなる。作者はフリードリッヒのシュナイダーさん家族については名前を表すが、語り手である男の子の家族については名前を表さない。何故かを考えよう。
物語は章ごとに年代がふられ男の子たちの成長年齢とともにドイツ社会がどうゆう状況だったのかを照らすことが可能になっている。それはまさにユダヤ人迫害がどのように人々の中に染み広がっていったのかという歴史だ。
子どもらしい遊びの物語のあと、ユダヤ人であることで個人や社会から特別の目で見られることを描く。読者は気味の悪い肌寒さを感じる。それは次第に形を現し心ある人はユダヤ人を会話の中から隠すようになってゆく。しかし事態は深刻化を増し、ユダヤ人の医者は看板に落書きをされ、商店ではかぎ十字の腕章を巻いた男が「ユダヤ人の店で買わないように」と妨害をする。少年団ではユダヤ人が危険な人で災いのもとであると教え、アパートの大家はユダヤ人であるという理由で立ち退きを要求する。

私は時々本を置いて読むのを止めなければならなかった。現実にあったであろうこれらの事が読んでいる私の肌をざわつき震えさせる。胸の中に気持ち悪さが広がる。これが児童書なのだろうかといった困惑も起こってくる。

「先生(1934年)」という章で、つまりフリードリッヒ九歳の時の話だが、学校の先生が授業を終えたあとユダヤ人の歴史について話をしイスラエルを追われて後世界に散って暮したユダヤ人たちが何故迫害を受けてきたのか、二千年にわたる迫害にたえて生き残ってきたユダヤ人は有能で尊敬に値する民族であると生徒に話す。そして、フリードリッヒがユダヤ人学校に転校しなければならないことを伝える。

「理由(1936年)」の章は興味深い。男の子の父親は不況のため長く職に恵まれなかったが、国家社会主義ドイツ労働党の党員になったことで職を得ている。家族を養うために彼には必要なことだったのだ。だがそれによって反ユダヤの動きがより尖鋭化していることも知り、危険を感じた彼はフリードリッヒの父シュナイダーさんにドイツから逃げなさいと言う。しかしシュナイダーさんは反論する。その骨子は「自分はドイツ人だ。」「よその国が快く受け入れてくれるわけではない」「ユダヤ人に対する偏見は二千年続いている。偏見は変わらない」男の子の父親がユダヤ人を迫害している相手は国家なんだと説いても、「少なくとも荒れ狂った民衆に情け容赦なく殺されるという心配はない」と言い、「われわれが逃げないで辛抱強くがまんしたならさすらいの運命にも終止符を打つことができるのじゃないか」と応える。
これは今まで見てきたユダヤ人迫害を語った物語、映画で何回も繰り返されてきた会話だ。一見あまりにも能天気で社会の変化を感じていないのではと思えるくらいの反応だがそこにこそ問題の奥深さがあるのだろう。民族としての国を持つことの出来なかったユダヤ人がたとえドイツという国籍であろうとも国を得て国民になることを願っていたこと、国というシステムへの期待。そして確固たる信仰への気持ちが社会状況の変化にさいしてもこの地でこの国の国民として生きていこうという気持ちに影を持つことを許さなかったのだと。

それにしてもこの本は恐ろしい。国家が全体主義に突き進む中で個人がどのような変容を強いられるのか。従い受け入れるものはより大きい声強圧な態度を求められ、従わないものは罰せられ居場所を失う。

先に梨木香歩さんの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読んだときに全体主義の危険について書いた。映画『ハンナ・アーレント』を見たときはアイヒマン裁判を通じ、悪の本質が考える事を止めてしまった人間の不幸にあることを彼女が訴えたことを書いた。

私は『あのころはフリードリヒがいた』を読みながら、現在の日本の状況を思い浮かべざるをえない。反ユダヤを掲げ差別する姿はヘイトスピーチを掲げてデモ行進をするのとなんら変わらない。自衛隊の海外派兵を可能にする法案を作りたい政府与党が国を守るため、社会情勢が変わったからと言って推し進める姿はナチスドイツが純粋なアーリア人を掲げてユダヤ人を排除した言い方と大きく違わない。折りしもその与党の勉強会で議員や識者といわれる人から言論弾圧を煽動する発言があったという。国会で総理は野党の追及に外に出すことを前提にしていない内輪の懇話会だと弁明した。識者といわれる男は軽口を言ったまでだと開き直り、自分は作家なのだから言論の自由は尊重しているとうそぶく。開き直るのもうそぶくのも本人の自由だが、私たちはしっかりと見て考えなければならない。言葉の裏にどのような思想が隠れているのかを。

「ポグロム(1938年)」という章がある。ポグロムとは1881年から1917年に起こったロシアでのユダヤ人迫害から出来た言葉で、襲撃、虐殺などあらゆるユダヤ人迫害の集団行為をさす言葉だ。(注釈による)本書では病院や商店が襲われ町が荒廃している様子、男女数人の一団がユダヤ人の住む寮に押しかけて破壊する様子、フリードリッヒの家も襲われる様子が描かれている。集団の中から生まれる狂気は恐ろしい。現代でもヨーロッパの各国では移民問題で反対する人々が人種差別、嫌悪に駆り立てられていて政党まで作って活動している。アメリカでの黒人差別と反差別の衝突。ポグロムはユダヤ人に対する迫害の言葉だが同じ事が現在でも起こっていることを警戒しなければならない。集団になったときに生まれる攻撃的狂気は暴走すると簡単には止められない。

話は1942年で終わっている。巻末の年表が重要だ。13万人のユダヤ人に対して国外への強制移送、財産の供出、交通機関の使用禁止、食料の配給停止、そしてアウシュビッツへ。生きる権利を奪い命を奪う行為の全てが国家によってなされた。


『あのころはフリードリヒがいた』は児童書である。子どもたちにあの時代、あの国で、世界でなにが起こっていたかを伝える大切な本である。私は子どものころにこの本を読むことは出来なかった。しかし、この本は単に歴史を伝える本ではない。今を考えるときにとても大切な本だ。だから子どもだけでなく大人にも大切な本ということだ。この価値は今後も変わることは無い。正しく見て正しく考えることをしなければならない。



おまけ)
本書を読んでいるうちにドイツ語で読みたくなった。Amazonで調べてみるとDamals War Es Friedrich がペーパーバックで国内や海外から安く届けてもらうことが出来ることがわかった。そのうちに注文しよう。この幸せな世界を守るためにも何回も読み返すべき本なのだから。




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テーマ : 児童文学
ジャンル : 本・雑誌

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