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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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父の死 その5

お元気ですか?

父が亡くなって4日目、葬儀の日となりました。昨夜従兄弟たちとそれぞれの身の回りのことを話ながら遅くまで飲んでいたのですが、私はいつも通り4時には目が覚めてしまいます。二日酔いにはなっていませんがさすがに疲れがたまっているのを感じます。昨日葬儀場の係りの方から今日の進行について説明をもらい、出棺の時とお斎(おとき)の時に私から挨拶をするようにと言われ、例文のコピーを渡されています。その通りに暗記して話すわけではないので、必要なお礼の言葉だけを確認しておきます。特にお斎の時の挨拶は自分が話したい事を話すことにしました。

皆さんが起きる前にシャワーをあびて二階のロビーで涼んでいると一人二人と起きてきます。8時ごろ昨夜泊まった親戚が食事のため一階に下りる頃、父の部下だった人がご夫婦でいらっしゃいました。車で8時間かけて来たと言うのです。母に挨拶をし、私にも同じ歳だからと懐かしい様子です。思い出しました。父が仲人をした方で、新婚旅行で函館に来て私の家に泊まっていった方です。今も当時の仲間と連絡を取りあっていて父が亡くなったのを知り代表して来たのだそうです。

食事を済ませ控えの部屋で準備をしていると、司会の女性が来て今日の段取りを説明します。集合写真を撮り葬儀をし出棺、火葬場で約一時間半の間に軽い昼食をとり、お骨を拾い葬儀場へ戻ります。その後取越し法要を行い、お斎をし自然散会となるのだそうです。

9時半、会場に降り集合写真を撮り椅子を並べ直して着席し葬儀が始まります。お坊さんによる読経、葬儀委員長Sさんの挨拶が終わるとお棺の中に家族から始め皆さんで花が添えられます。叔母が持って来てくれた笹餅も入れられました。そして私が出棺の挨拶をし棺と一緒にバスに乗り火葬場へ向います。
火葬場は函館山のふもと、観光客も来る外人墓地の傍にあります。映画のロケにも良く使われていて「居酒屋兆治」では火葬場の横の野原で仲間たちが集まりお斎をするシーンが描かれています。火葬場に着くとすぐ読経をし火葬となります。火葬はあらかじめ時間が決められているそうですが、他の葬儀の方もあるので準備が整うと早め早めと進むようです。炉に運ばれ控えの部屋に向うところで葬儀社の人に促されお坊さんにお車代を渡します。焼いている間、軽い食事をとりますが予定していたより早く1時間ほどで終わりました。
焼きあがったお骨は真っ白で背骨も大腿骨も太くしっかりしています。頭蓋骨も崩れることなく綺麗です。シベリヤ抑留を経験するなど若い時に食べ物の不自由があったとは思えない力強い遺骨に係りの人も年齢にしては立派だと言いますし、親戚のみなさんも感心しています。その遺骨を一人一人が箸を持ち、骨壷ではなく木の骨箱に拾い入れます。二人で一つのお骨を拾うということはしません。頭蓋骨だけは数名で箸を下に入れすくいあげるようにして骨箱の中、先に入れた骨の上にのせると係りの人が砕き蓋が出来るようにしました。のど仏は別に小さな骨箱に入れます。のど仏は顔の前で手を合わせているように見えるので珍重するようですが、男性でものど仏のお骨が残る人とそうでない人がいるようです。残らない人はどうするのでしょうね。

葬儀場へ戻るとすぐ取越し法要が行われますが、その前にお坊さんの控え室に母と私とパートナーさんの三人で伺い今回のお布施などをお渡しします。お布施15万円、法名3万、永代経10万、御膳代1万です。火葬場で渡したお車代は5千円でした。この後、自宅に仮の祭壇が設けられると初七日までお坊さんが毎日午前中にお経をあげにきてくださるのですが、その代金もこのお布施に含まれています。その後は一週間に一回四十九日まで来てくださるのだそうで、それはそのつどお布施と志とを包んでくださいとの事です。お布施2千円、志千円。そんなお金のやり取りをしますが、お坊さんに渡したお金は領収書は頂きませんでした。そんなものなのでしょうか?

取越し法要では読経、ご焼香、パートナーさんの上司から届いた弔電が紹介されます。そして私が挨拶をします。朝から長時間の葬儀、法要です。ご香料、お供物などへのお礼を申し上げますが、加えて父の最近の様子をご紹介することにしました。私がこれまで出席した葬儀で故人がどうゆう様子だったのかが分かり難く、死因も知らされない事を不満に思っていたからです。看病時の様子や最後の様子を知ればそれぞれの人の中で納得がいくのではないかと思っていました。
葬儀委員長のSさんは父の業績にスポットをあてて弔辞をお話くださいました。そこで私は入退院を繰り返すようになったのが6年前であり、3年前の10月には医者に生命力が20%である事を言われ覚悟したこと、その時父は朦朧としながら自分が故郷にいるような感じで私たちに話しかけ、私はあぁもう向こうに行っているんだと思ったことなどを思い出しながら話します。父の心の中にはいつも故郷がありました。その後父は医者も驚くような回復を見せ、生きようとする力を私たちに示し感動させました。そうして今年の5月28日に退院しショートステイを組あわせた自宅療養に入るのです。しかし老いた父にもう体力はありませんでした。
母から電話をもらい7月29日に函館に着いた私は父と会話をし体をさすりながら、「もう眠ってください。眠れば痛みも忘れられるから」と話しかけます。この時私は心の中で父が永眠することを思っていました。父は延命措置はしなくていいと言っていました。人生を充分に生きた父ですから父も家族も納得しているのです。離れて暮す私のために延命措置をすることは父に対して失礼なことのように思います。ところが今回、父は容態が悪くなりながらも私の来るのを待っていてくれたのです。私に悔いが残らないよう最後まで父は自分の意志できちんと始末をしたのです。葬儀の最中お坊さんの読経を聞きながら私の中には「有難う」という言葉だけが浮かび繰り返しているのでした。

葬儀場での全ての儀式が終わり、私たちはお客様を見送り葬儀社の車で家に戻りました。30分ほどすると葬儀社の方がいらして仮の祭壇をつくり遺影や遺骨を飾り、お供物を供え蝋燭やお線香をつけます。お焼香盆やおりんもありますので当面はこれで間に合うようです。祭壇の整えが済むと明日また請求書を持って来ると言い帰っていかれました。

父の葬儀は終わりました。でもこれでお仕舞いではありません。このお話しはもう少し続きます。



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