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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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父の死 その6 葬儀が終わって

お元気ですか?

私が函館に来た翌日に父が亡くなり、緊張の5日間が過ぎました。お越しいただいた方に参加してよかったと思っていただけるよう葬儀を行うことがなにより大切で、その意味では良い葬儀が出来たと喜んでいます。

さて、家族にとっては葬儀で終わりではありません。様々な手続きや家の整理、挨拶まわりなど母がこれから生活してゆくのに必要な処置を行う必要があります。しかも私たちがいるうちにですから時間はありません。
備忘録的に記してみましょう。

葬儀が終えた翌日3日月曜日。
お坊さんが家にお経をあげに来てくださいます。供物や仏具の意味を教えていただき、仏壇の用意についても尋ねます。函館駅に近いところに檀家でもある仏具屋さんがあることを教わります。
お坊さんが帰られると私は粗大ゴミの連絡をしてベッドやテレビを処分する段取りをします。パートナーさんは父の口座から引き落とされていた公共料金などを母の口座からに変更するため関係先に電話をかけます。この一日がとても大切です。
葬儀社の方が請求書を持って来ましたので、内容をチェックし私たちがいるうちにお支払いすることを伝えます。振込みではなく現金での支払いなのだそうです。

4日火曜日
お坊さんが来てお経をあげてくださいます。また私とパートナーさんで色々な事を訊きますが、正直なところお坊さんへの質問が楽しくなっています。知らない事、未知の世界を知る楽しみです。
お坊さんが帰られると市役所に出かけます。保険証の返納、葬儀をした家庭への給付金受け取りの手続き、そして母が遺族年金を受け取れるようにするための戸籍謄本や住民票など請求手続き。これらの事を市役所の窓口に行って行うのです。窓口の係りの女性は非常に手際がよくどうゆう手続きが必要かを説明しながら書類を出してきますので、パートナーさんと私二人で話を聞き書類に住所を書いたり判を押したりします。年金では委任状が必要でしたので、来る前にネットで委任状の書式を見て準備もしてきています。実はこの作業の間、父の死亡届けは葬儀社から31日金曜日に出されていたのですが、市の処理がまだ済んでおらず、父は死亡したことになっていませんでした。係りの方は連絡をとってすぐに処理をしてくれるよう担当部署に話してくれました。
市役所での作業に約1時間半ほどかかりましたが、パートナーさんと私と二人で行ったことは正解でした。話を聞き書類に記入しと同時に進みますので、ダブルチェックをして理解にもれの無いようにします。確かに係りの方の言う様にすればいいのですが、沢山の書類を処理するとき自分が何をしているか一つ一つ理解しながら進めることが大切でしょう。
こうして市役所で必要な書類を揃えると、今度は年金事務所に行くことになります。年金事務所は別なところですので電車に乗って行きます。此処でも順番待ちで1時間半ほど待たされましたが担当者は書類を確認しながらキーボードをたたき、私も必要書類に記入します。15分ほどで手続きは完了しました。
事前に必要な書類が分かっていましたし、委任状をネットで書式を見て作成していましたので窓口の方の説明も理解しやすかったのですが、それでも市役所と年金事務所での手続きで午後の大半が過ぎてしまいます。余裕をもって出かけることが大事ですね。
デパートに寄って生の鰊を買い、焼き魚で夕ご飯です。

5日水曜日。
この日もお坊さんが来てお経をあげます。初七日の最終日なのです。お坊さんが帰られると伯父の家に挨拶に行きます。私が函館に来ると必ず伺い、仏壇の前で祖父母に手を合わせます。伯父のところは曹洞宗で般若心経が置いてあるのでパートナーさんはこれなら短いから読めるねと声に出してお経をあげて楽しんでます。葬儀でのお礼を伝えいつものように昔話をしていると伯母が父と母が結婚したときの写真や母二十歳の時の着物姿の写真を持ってきて私たちにくれます。母は着物のいわれを教えてくれますし、伯母は当時の親類の生活の様子を話してくれます。こうゆう昔の話をすることが私には亡き人への供養のように思えますし、懐かしさもあって伯父の家に行き仏壇にお参りするのが好きなのです。
家に戻り昼食を済ませると、私たちは父が入院していた函館山の麓の病院に向かいます。父はこの病院が好きでしたし、看護師やリハビリで長くお世話になりました。母が入院したときには私も3ヶ月間通いましたからきちんと挨拶をしておきたかったのです。
入院していた5階に行き婦長さんに会い、退院してから亡くなるまでの様子を伝えます。入院中は几帳面でテーブルの上のスプーンやコップの柄の向きまで整えさせたり、一時帰宅の時には背広を着て嬉しそうにしていた父を婦長さんは印象深い人だったと言ってくださいます。毎日の忙しい仕事の中で記憶に留めていただいていることに感謝します。2階に降り、言語リハビリを担当していた女性にも会います。父が若い頃仕事をした土地の出身のこの女性を父はとても可愛く思っていたのです。お世話になったことのお礼を言い病院を出ました。

この日は函館の港祭りの最終日です。駅前に寄り電車通りを歩行者天国にして開催されているイベントを見てみます。アマチュアバンドのショーのようなのや、出店があるので眺めていると港祭りの踊りや最近函館で誕生したいか踊りの時間になりました。youtubeでもいか踊りを見ることが出来ます。ご興味のあるかたはどうぞご覧ください。実は私たちも実際に見るのは初めてなので面白がって見たのですが、どうも踊りが遠慮がちです。私もビデオ録画をしてみましたが、個人の顔がはっきり映ってしまうのでアップするのは止めることにし削除してしまいました。まぁそんなものです。

6日木曜日。
今日は朝から部屋の片付けをします。病院で使っていたものなどは捨てなければなりませんが、未使用の下着や買ったばかりのオムツなどもあります。パートナーさんが市役所の福祉課に連絡してNPOなど紹介してもらおうと思い電話すると父を担当していたケアマネージャーさんに相談してくださいと言いますので、そうすると家に来てくれると言います。何方かでも利用していただけると嬉しいのです。
午後、葬儀委員長を務めてくださったSさんの家にお礼に伺います。ここでも父の思い出話を1時間ほど。商品開発や試験的事業など私たちの知らない事を一緒に経験してきたSさんの話は楽しく、いつまでも話はつきません。
帰宅し宅配便を呼び荷物を出した後、母と三人で寿司屋に行きます。父が好きだった寿司屋で元気な頃は私たちが来ると必ずのようにこの寿司屋でご馳走になったものでした。父の葬儀とその後の事を無事やり終えた慰労会をするには相応しい場所です。
母も喜び、私たちも日本酒を飲み、夏の名物北海縞えびを頼んだりして北海道のお寿司を堪能します。お酒の力もかりてぐっすり眠った私は翌朝別人のように元気になっていました。

7日金曜日。
この日もお掃除を続けますが途中市場に出かけ私たち用のお魚を買います。いつものお店でほっけや鰈の干したもの、鮭のハラスを買うと、お店の人からくじ引き券を貰いました。今日は市場のお祭り日で100円でくじをひくと魚やメロンが当たり空くじなしだといいます。めったにないことなので二人で並んで順番を待ちます。箱の中に手を入れピンポン玉をとると番号が書いています。パートナーさんは紅鮭の半身、私は螺貝を30個ぐらい入った袋が当たりました。
そしてこの日の重要課題。法務局に寄ります。父の遺産処理なのですが、メインは家土地の相続・名義変更でそのために必要な手順を教わります。

8日土曜日。
今日はお昼の列車で函館を離れます。午前中荷造りをし、父の本棚から読みたい本や腕時計など小さなものを貰います。私の傍に置いておきたいものです。
そして改めて葬儀に関連した会計報告をし、お返しの準備や四十九日を過ぎ納骨の時にまた私たちが来る話、母は仮の仏壇が気になるようなのですが、この間私たちは仏具やさんにも行って相談をしています。慌てずに納得出来るように揃えるよう母に話ます。
そして今後の生活の事。85才になる母がこれからは一人で暮すことになります。父の看病という気の張り詰めたことも無くなるのですが、やはり健康には注意してもらいたい。週に二回のヘルパーさんも続けますが、いずれは一緒にも暮らしたいと私たちの考えを伝えます。ただ母の兄弟が函館に居ますので函館を離れて暮すことにやはり不安はあります。兄弟に不幸があったとき戻ってくることが出来るのか、気温の高い土地に移って体は大丈夫なのか・・・。そこで冬の間だけ試験的に来てもらうという案も提示してみると、それは良いねと乗り気です。
そんな会話をしながら時々父の遺影を見ます。父は今後の私たちを見守ってくれるでしょうか。それとも俺は充分に生きたのだから後はお前たちで好きにしろと笑っているでしょうか。思い残すことの無かった父ですから後の方かもしれません。


こうして函館での11日間が過ぎました。父は自分自身精一杯生き充実した人生を歩みました。私たち家族も同じようにやりたいことをさせてくれて私も親と離れて暮しています。それでも父は私が来るのを待って会話をし、私のお礼の言葉を聞くと翌日亡くなりました。そう考えると去年母が怪我をし私が両親の身の回りの事をするために函館で生活したのも、どうも父が私に世話をさせることで私が悔いを残さず納得出来るように仕組んだように思えてきます。母の怪我も手術とリハビリで全く元通りになり、好きな針仕事も問題なくやっています。
どうやら私たちは父の計画のもとで生きていたようです。ちょっと笑いたくなりますが、父に言う言葉は「有難うございました」とこれ以外には浮かんできません。私は父のおかげで素晴らしい人生を見させてもらい、私自身も自分の人生を楽しんでいます。

有難うございました。


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