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杣人・somabito

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『強父論』阿川佐和子

お元気ですか?

先日テレビのチャンネルを回していたら(この言い方昭和世代ですね)『徹子の部屋』に阿川佐和子氏が出演していた。おやと思いチャンネルを止め見始めると、案の定お父上阿川弘之氏の話題をしだした。阿川氏は志賀直哉の弟子で海軍提督を主題とした三部作や鉄道を中心とした旅行記、そして若いころの青春文学など幅広い活動をした作家だった。
私は父に初めてそして唯一連れられて見た映画『山本五十六』が記憶に強く残り、その原作者が阿川氏だったことから阿川氏の作品を読み始めるのだが、青春文学などはすでに絶版になっていてづいぶん時間をかけて古本屋で集めたものだった。

お嬢さんである阿川佐和子氏がテレビの仕事で知られるようになると、阿川弘之氏のエッセイなどから漏れ見えてくる姿と重ねて親しみをもったもので、当然彼女がエッセイを書きだすと何冊かは買って読んだ。しかし彼女の出ているテレビを見ていたわけでもないし本も最初の頃のことで、『聞く力』という本が評判がよいと聞いても読もうとも思わなかった。

しかし、『徹子の部屋』で阿川佐和子氏はお父上の禁を破って父親の事を書いたという。『強父論』がその本だ。私は久しぶりに書店で買って読みたいと思った。晩年阿川弘之氏は筆をおいたからしばらく新しいものが読めなかった。これは仕方がない。だが『山本五十六』から始まって全ての文庫本、晩年の新刊本を読んできた私としては阿川佐和子氏の本というよりも阿川弘之氏への敬意と追悼の思いで最後の本として買わなければいけない、古本屋に並ぶのを待つようなことはしてはいけないと思った。

阿川弘之氏が亡くなったのは昨年の八月三日、テレビのニュースで知ったのは四日の事だった。ちょうど私は七月三十日に亡くなった父の葬儀を終えパートナーさんと一緒に様々な事務処理にとりかかろうとしているところだった。
阿川氏の亡くなったニュースを聞き、まず心に浮かんだのは同じ年しかもこんなに近い日に亡くなったということへの勝手な縁を思う気持ちとお礼だった。先に書いたように私が阿川弘之氏を読むきっかけは父にある。その父と阿川氏が近い日に亡くなっていることで私はこれからも二人の事、父に連れられて映画『山本五十六』を見た日の事を必ず思いだす。そうゆう縁を思った。

『強父論』を読みながら悲しく思ったり辛く感じる内容ではあるが、阿川弘之氏が老人病棟のベッドにほぼ寝たきりでありながら食べることには意欲を持っていたことやリハビリには素直に懸命な努力をしていた事は私の父と重なる。私も父の病床に何かしらの食材、黒豆の煮たのや柔らかく作った卵焼きなどを持っていった。母が骨折して入院した時は医者である伯父のアドバイスもありしばらく事実を伏せて父を見舞った。父は一時帰宅するときは美味しいものを食べるのを心底希望し私が「そんなに食べられないよ」と言うと本気で怒りだす始末だった。そして何日も前から帰宅するときに着る背広を選ぶのだった。
頭の働きのしっかりした老人は自分の本性に素直なのだろう。阿川弘之氏と父を比べる訳でもないが、同じように老人病棟で暮らしリハビリをし、妻や子供の世話になりながら自分の我儘を貫く。二人とも幸せな人生だったと思う。


『強父論』を読んでいる間に私は耳かきを買った。竹の耳かきやクジラの骨の耳かきは持っているが、今回買ったのはらせん状になった耳かき。阿川佐和子氏がまだ中学生の時に父弘之氏へのプレゼントに買った耳かき、それと同じ品ではないが同様のらせん状の耳かきだ。耳かきは机の上に置かれたペン立てにあり、父の写真と並んでいる。
そして私は阿川弘之氏が訳したポール・セローの『鉄道大バザール』を今日から読み出した。
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