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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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雪の音

お元気ですか?

金沢、函館と今年の冬は雪国に遊んでいます。
東京では5センチも雪が降れば交通が麻痺するというのに、のんきなものですね。
最近お邪魔している「相子老婆的山南海北的話」の相子様が中国青島と雪の思い出を書かれています。
拝読していてなぜか涙が出そうになってきました。
今の日本では想像もつきません。でも、記憶というのは伝えられ生き続けるものです。

だから今日は雪のお話。
ご迷惑、失礼があってはなりませんので、お断りいたしますが、
相子様の記事、お話の趣旨とは関係していません。あくまで私が刺激を頂いたということです。

思い出その1
仕事について2年目。私の部署に老齢といってもいい男性が一人、
校正の仕事で机を持っていました。
まだ駆け出しの私はその男性に毎日ゲラを「お願いします」って渡します。

いくつかの新年会を消化し、仕事が落ち着きを取り戻しだしたある日。
休憩のお茶をソファーに座って飲んでいると、窓の外を見ながら男性が言います。
「あの日は雪が積もっていてね。家の窓を薄く開けると虎ノ門の道が真っ白なんだ。」
「そこを軍人が行進して行くんだ。じ~っと見ていたよ。」

男性が見たのは、2.26事件当日の朝の風景。

歴史が本や資料だけではなく、こうした市民の記憶で残されていくことに
少なからず心を打たれた出来事でした。


思い出その2
私の父は満州に渡り水産事業に携わっていました。
姉のご主人が教職者として先に渡っていたこと、知人に満鉄調査部で要職について
いた人間がいたことなどが手助けとなっていたと思いますが、
当時の若い日本人が大陸に夢を持っていた、そのムーブメントは現在では想像し難いものが
あります。

しかし、戦局の拡大に伴い、徴兵され結局はシベリア抑留となり4年を経て帰国します。
満州時代を懐かしみながらも多くを語らない父。
当然です。父にとって終戦はつい昨日のようなもの。
何を話せるというのでしょうか。

そうは言っても、子供として父のことを知りたいと思うのは自然なことです。

糸魚川に行くと必ず挨拶に伺う伯父に、少しづつ父の満州時代の話を伺います。
「お父さんが魚をもって遊びに来てくれるんだ。それを二重になった窓の間に
入れておくと、凍って保存できるんだよ」
「冬の寒さは厳しいからお酒を飲むんだけど、朝になると側溝に倒れて亡くなっている
人がいるんだ」


そんな伯父の話から、満州の地で家族を大切に思いながら仕事をしていた父の姿を
想像します。


北国では春は雪の下からやってきます。
陽射しに融けたり寒風で硬くなったりしながらも、確実に地面の温もりを得て融けてきます。
子供の頃、登校途中の道で、その融け始めた雪を踏み割り
ほっこり現れた湯気のたちそうな黒い土を楽しんだものです。

軍靴に踏みしめられた雪。
大陸に降る乾いた雪。

私たちは雪の中からどんな春を見つけることができるのでしょうか。

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テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

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厳しい冬

杣人さま 伯父さまの話は私の記憶と重なります。青島も二重窓の間に物を置きました。
外は自然の冷蔵庫です。肉や魚を置いてますと冷凍状態になります。

朝通学の途上で赤ちゃんの捨て子を見ることもしばしばでした。その場所は決まっていました。中国人の誰かが拾って育てるのでしょう。働き手として育てられるのかも知れません。

石炭ガラ(コークス)の捨て場に子どもがガラを拾いにやって来ます。燃料として使うのです。
大きな缶詰の空き缶に針金で持ち手を付けて、食べ物を拾い歩く子どももおりました。
当時の中国人の子どものことは涙なくしては語られません。

有難うございます。

日本を抜いて世界第二位のGDPとなる中国。
過去のつらい時代を乗り越えての今日でしょう。

私の父は後に技術支援という形で中国とかかわり、
北海道に来た留学生のお世話などをしていました。
NHKの中国語講座を聞きながら
若い頃の大陸へのロマンを果たした喜びに活き活きとしていたのを
ちょっと誇らしく思ったものです。

私たちは、まだまだ多くの話を伺い学ばなければなりませんね。

私の中学の時の先生は、朝鮮からの引き上げ者でした。
命からがら、生き延びて帰国したとのこと。
今の平和は、過去の日本があってこそのこと。

大切に思わないといけないですね。

我が家も外はとても寒いです。
ジャガイモなどは、外に置いて凍らせてしまうともう食べることは出来なくなります。
天然冷蔵庫ならぬ、天然冷凍庫です。
とはいえ、最近は寒さがゆるくなり、地場産業の「凍み豆腐」は作るのが難しくなってきたみたいです。

たっつみい様、いらしゃいませ。

コメント有難うございます。
私の中学の理科の先生は、生徒たちの「どうして先生になったの?」という問いに
「戦争で今から戦車がやってくるっていう時に、塹壕の中で今度生まれ変わったらなにをしよう
と思い、先生になりたいなと思ったからなんだ」とおっしゃっていました。
音楽の先生は、終戦の混乱する中国で「音楽家です」と話した事で
日本人として迫害を受ける事なくすごす事ができたと話してくださいました。

一人一人の経験が重たいですね。

凍み豆腐は素敵な保存食ですが、気候の変化が影響してきているなんて。
寒い日本も大切ですね。

杣人のNuages

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