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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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食本『三四郎』 東京逍遥

お元気ですか?
食本『三四郎』の二回目です。
東京暮らしを始めた三四郎はどんな食事をするのでしょうか。

まず、最初に食べ物が出てくるのは
「三輪田のお光さんが鮎をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから」と郷里の母親から送られてきた手紙に登場する鮎。
上京する列車の駅弁でも「鮎の煮びたし」を食べた三四郎ですが、漱石は鮎がお好きだったのでしょうか。
もっとも、現代のように肉や魚が豊富に手に入る時代ではありませんから、川魚は手近なタンパク源として馴染みがあったのでしょうね。

三四郎が大学に野々宮氏を訪問するシーンにも食べ物が出てきます。
「三尺ぐらいの花崗岩の台の上に、福神漬けの缶ほどな複雑な器機が乗せてある。」とあります。
福神漬けは江戸の末期、明治の初めごろ酒悦の野田清右衛門が考案したものですから、当時としては流行の漬物だったのかもしれません。

当時、小石川の指ヶ谷に「豊田缶詰製造所」という会社があり、水産、獣肉、果物などの缶詰を作っていましたが、代表的製品に福神漬けの缶詰があったそうです。創業者の豊田吉三郎がイギリスでピクルスを知って作った缶詰です。会社は豊田吉三郎が亡くなったため明治41年に閉鎖されますが、夏目漱石は散歩の折などにこの会社の前を歩いていたのでしょう。

ちょっとそれますが、明治の初めごろから作られた缶詰は、三四郎の時代、日露戦争の際、兵隊の食料として大いに発展します。国も開発に力を入れ、魚、フルーツ、牛肉など様々な缶詰が作られます。
品質面でも欧米から高い評価を得、日本の重要な輸出品に成長するのですが、それだけに値段も高く庶民になかなか手に入るものではありませんでした。
庶民が缶詰を利用できるようになるのは、大正12年の関東大震災によって救援物資として缶詰が配給されたことをきっかけに、社会に広まった事によります。


三四郎はよく歩きます。
当時の東京の乗り物といえば、市電か人力車。学生は歩くのがあたりまえですね。
歩きながら食べ物屋へよく行きます。

「それから真砂町で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまい家だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた。」

「昼食を食いに下宿に帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった」

「帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。」


まとめて紹介させていただいきましたが、わずか数頁の間に出てくるのだからご容赦ください。
これ、まさに東京案内の様を呈しているのですが、まるほど、夏目漱石の読者へのサービスなのかもしれません。
列車に乗って東京へ向かう三四郎に、読者は同乗しながら東京へ着きます。地方にいて朝日新聞を読んでいる読者は、三四郎と一緒に不案内な東京を歩き、舞台のイメージを作ることができるようになります。

東京に出張したお父さんが「青木堂によって葡萄酒をいただいてきたよ」って家族にお土産話をしたかもしれませんね。
かくいう私も、高校生の頃一人上京しては東京に遊び、上野精養軒で漱石や宮沢賢治を思いながら食事をしたことがありました。昔々のお話です。

さて、食べ物屋の最後は日本橋です。
「次に大通りから細い横町に曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿いている」とあります。

東京の八重洲口に「八重洲平野屋 東京本店」という食事もとれる喫茶があります。
サラリーマンや旅行客の利用の多い便利な店ですが、古くからの店でもあり、関係があるのだろうかなど勝手に想像してしまいます。
平野屋さんにはご迷惑かもしれませんが、「三四郎に登場する平の家さん」と思いながら珈琲をいただけば、ちょっとうれしくなりませんか?

日本の各地に作家と縁のある料理屋、旅館、飲み屋さんがあります。
実際にそういうお店を訪ねて、ゆかりの料理などをいただくのはファン心をくすぐります。
たとえお店に行けなくても、三四郎を思い、広田先生を思い、もしくは美禰子さんを思いながら
いただく珈琲は格別な香りがするはずです。
想像する力は人間に与えられた最高の贈り物ですから、存分に楽しみたいですね。

前出の淀見軒青木堂についてふれておきましょう。
淀見軒は本郷4丁目28番地にあった学生向けの食堂で果物、水菓子などを出しライスカレーやビフテキなど洋食を出すといった店。学生で賑わう様子が目にうかびます。
青木堂は本郷5丁目3番地、現在の医学書院のところにあった店で、一階は洋菓子やお酒、煙草などを売り、二階では食事を提供するといった舶来好みが集まる所。今でいえば、明治屋や資生堂パーラーといったところでしょうか。
三四郎はこの青木堂で、上京の際水蜜桃をごちそうになった広田先生と再会するのですが、
「三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。」とあります。

上京してわずかの間に、一人青木堂で葡萄酒を飲むようになった三四郎。青春を感じます。
私も、学生の頃父の頂き物のワインを一人で飲んでいました。
フランス語のお勉強の時はフランスワイン、イタリア語の時はイタリアワインって飲み分け?て遊んでいましたが、
上手になったのはソムリエナイフの使い方ぐらいなものです。

ちなみに、日本のワイン作りは明治時代からはじまっています。
サントリーの赤玉ポートワインの製造が始まったのが1907年(明治40年)で、『三四郎』が発表される前年のことです。

三四郎が青木堂で飲んだワインはフランスかドイツのワインと推測されます。ドイツが有望かな?
洋食を好んだ漱石はお酒を飲みませんが、三四郎君には飲ませてみたかったのでしょうね。


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コメント

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考証が楽しみです

三四郎の食についての考証をとても楽しく拝見しております。
過っての帝大生の御用達だったような、本郷三丁目「藤むら」の羊羹。私は羊羹より「きみしぐれ」が好きですが。いずれ何方かの作品で見ることが出来るのではと、杣人さんの考証をお待ちします。

懐かしいですね

相子様、お楽しみ頂き有難うございます。
今回は「逍遥編」としてお店を取り上げました。
藤村の羊羹、懐かしいですね。
パートナーさんも「きみしぐれ」が好きです。
「三四郎」には出てきませんが「猫」に登場しますね。

食本「三四郎」はもう少し続きます。お楽しみください。

福神漬

福神漬は明治16年の上野で水産博覧会があって、酒悦店主が缶詰に入れたのがこの影響があります。東北大学の図書館に夏目漱石のイギリス留学時の持ち物に福神漬と梅干しがあります。漱石は根岸の子規の所に通っていたのでもう少し前から知ったいたかもしれません。根岸の森田思軒は明治24年頃上野から出た汽車の中で福神漬をつまみとして酒を飲んでいます。

コメント有難うございます

築地っ子様 ご紹介有難うございます。

お伺いしますが、福神漬の入れられた「缶詰」の現物を見ること(写真でも可)は出来ますか?「三四郎」の文面から一斗缶をイメージしたのですが、どうも違う気がしています。

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