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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
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食本『三四郎』 喩編

お元気ですか?

朝、昨夜の雨と雷の後のすがすがしい青空が広がっています。
お隣の半島でも同じ空なはずなのに、悲しいですね。

食本『三四郎』を続けましょう。

私の世代はTVゲームやパソコンでのゲームの誕生と重なっています。
でも私はゲームというものをしません。
私のパソコンにも付属のゲームソフトが入っていますが、全く開くこともない。
興味がないんですね。

その代わり、本を読んで知らない事を調べたりして一人悦に入っている。
「酒悦の福神漬」「駒込追分の西洋料理」などを知ると、
ほくそ笑みながら、しばし幸福な時間に浸ることが出来るというわけです。

今回の『三四郎』の読み解き、
実は手元には Book Off で買った100円の文庫本一冊しかありません。
調べ物は全てインターネットです。
「酒悦の福神漬」もインターネットで見ることができましたし、
明治の本郷を三四郎と一緒に歩く事もできます。

では便利になった分、調べることが楽になったかというとそうでもありません。
確かに、図書館に出かけてどの本に書いてあるだろうと目星をつけて借りたり、
現地現物を見に出かけたりという作業は軽減されています。

でも、一番大事なこと。 
これは本当だろうか? という考証に関しては現地現物調査や図書館での調べも
インターネットも全く同じ。
むしろ、インターネットの方が情報を簡単に記載出来る分危険だといえますね。

例えば、先程の「福神漬の缶」
『三四郎』には次のように書かれています。
「三尺ぐらいの花崗岩の台の上に、福神漬の缶ほどな複雑な器械が乗せられてある
三四郎はこの缶の横っ腹にあいている二つの穴に目をつけた。」


いかがです。三尺(90㎝ほど)の台に乗った缶で、目をあててのぞき見の出来るほど
の大きさだと思いませんか?私はこの文章から、一斗缶を想像しました。

しかし、インターネットで見ることのできる酒悦の福神漬の缶詰は
缶型4号(固形量340g)か6号(同170g)のもの、ちょうど鯖の缶詰のような大きさです。

これではもう全然イメージが違いますね。
お断りしますが、『三四郎』に登場するのが酒悦の福神漬の缶詰とは特定されていません。

なぜ私が一斗缶をイメージしたかというと、漱石の文章のせいだけではなく、
昔は家庭にも一斗缶で物が届けられていたからなのです。

私の母の実家は家族が多かったのに加え祖父の仕事柄訪問客の多い家で
それを一手に仕切る祖母はよく気のまわる所謂明治の女性といった芯の強い人でした。
家には出入りの業者があって、日々の食材、雑貨などを届けています。
祖母はそれを大福帳に書き留め、月末に支払いをするのです。
今のクレジットカード決済と一緒ですね。

そうゆう業者が持ってくる食材は一斗缶が多かった。
醤油、油、お煎餅なんかの駄菓子。
私の頭の中には一斗缶が焼きついています。

そんなイメージが『三四郎』の福神漬にも影響を及ぼしている。

ですから、この『三四郎』に登場する「福神漬の缶」は、私の中ではペンディング事項。
明治当時の缶を調べてみる必要を感じています。
いずれ酒悦さんに直接問い合わせて見ることにしましょう。

ちょっと話が長くなりました。

今日は『三四郎』の比喩についてです。

食本『三四郎』を読んでいて、へぇ~って気になることがあります。
夏目漱石が食べ物を喩によく使っている事です。

浜松の駅で列車の中から西洋人の女性を見て、
「女では宣教師を一人知っている。ずいぶんとんがった顔で、鱚または魳に類していた。」と思い出し

大学の池で見かけた女性の顔色を思っては
「その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。」と餅に喩えています。

野々宮氏の妹を病院に見舞うところでは
「かわいそうにまだ色光沢が悪い。-辣薑性の美人」と。

いかがです、漱石先生は女性の顔を食べ物に喩えるのがお好きなようです。


よく言われる喩の笑い話でサヨリがありますね。
細くてスマート、色白できらきらと綺麗な魚のサヨリ。
でも、「サヨリのような女性」と言ったら、いっぺんに嫌われます。
そう、サヨリはお腹の幕が黒いので、腹黒いものの喩。
鮨家の笑いネタですが、世の男性諸氏の冷や汗のもと。
決して握りになった綺麗なサヨリを見て、迂闊な事を言ってはいけません。

それに比べたら、漱石先生の喩は、ちょっと無骨ですが悪気は無いようです。
でも、私は「君らっきょうのようだね」とは言わないでしょうね。
絶対言えませんね。


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テーマ : 本に関すること
ジャンル : 本・雑誌

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表現が面白い

食にまつわる表現は何と言ってもその物を知らなければ出来ませんね。それも畑にある時、海で泳いでいる時、人間に飼われている時、出来ている料理、食べる人の姿。あらゆる場面を知ると言うことでないと出来ませんね。そこで杣人さんの持論が生きて来ますね。
何だか食総合文化と言った感じですね。
一斗缶は今はガロン缶と言うのですね。
福神漬の一斗缶は軍隊で使っていたかも知れませんね。

食を知る

相子様、いつもコメント有難うございます。
「食」って身近にありすぎてともすると当たり前に分かった気持ちになっていることがあります。何気なく読んでいたことも、調べてみると思った以上に楽しく成果があったようです。

漱石先生、『三四郎』の中で女性は食べ物に喩えていますが、男性にはしていません。
心理学的興味の沸くところですが、今回は手を伸ばさないでおきます。

食本『三四郎』はあと一回の予定ですが、是非お付き合いください。

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