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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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『からくりからくさ』 逍遥5

お元気ですか?

今日は当地とても寒く、昨夜からの雪が一日中降り続いているという全く珍しい天気です。
その雪の降る中、当地H支部の新年射会が行われ、ブルブル震えながら家に戻ってきました。
もう、体の中から冷え切っています。
暖かいお風呂と葛根湯で風邪の予防をしなければなりません。
それなのに、明日から私は函館に行きます。無事飛行機が飛べばいいのですが・・・


梨木香歩さんの『からくりからくさ』に触発されて、
私の記憶がいくつか浮かび上がってきました。
決して忘れていたものではありません。いつも心の奥底で静かに揺れていた記憶たち。
ウイスキーの樽の中のように揺れながら育ってきた、友達のような記憶です。

私たちは記憶を積み重ねることで人となって行きます。
時には、とっても重要な刺激を受けたことでも、すっかりご無沙汰してしまっている記憶もあります。
大した事のないものでも、折にふれて思い出し懐かしむ記憶もあります。

本を読んだり、人と出会うことで記憶たちは刺激を受け変容し育ってゆきます。

人形は私にとって、“心の置きどころ”ということと深く関わっています。
忌む心を人形に託し流したり、火に投じたりします。浄化します。
思いを人形に託して神に届けたりもします。祈ります。
人形を使ってままごと遊びをするとき、私たちは事象を俯瞰しますが
その時、私たちは自分の気持ちだけでなく、お母さんやお父さん、姉弟や友達の気持ちも
拾い、人形に移していきます。
人形はこうして私たちの心を写し置く器としてとても大切な役割をになっていきます。

では、この心を移した時に本来の主人の心はどうなってしまうのでしょう。
人形のお話ですから、私が小学生の低学年の頃に見たTVから始めてみましょう。

ある日、学校から帰りTVをつけた私は「オバケのQ太郎」という番組をみました。
藤子不二雄さんの漫画です。
その時のお話は、オバQが透明人間になって正太くんの友達の家を訪ねるというものでした。
女の子の家ややんちゃ仲間の所を廻るオバQですが、誰もオバQに気がついてくれません。
最初のうちは誰にも気付かれずにいることが面白かったオバQにですが、
次第につまんなくなって正太くんの家に帰ってきます。

私は衝撃を受けました。学校から帰ってふっとつけたTVの漫画に打ちのめされてしまったのです。

オバQは存在している。でも、誰からも認められない存在は存在と言えるのだろうか。
小学生の私は、はっきりと自分に自問しました。
そして、“でも自分を自分として感じている自分がいるのだから存在はしている”
と思い至ったのです。まるで、実存主義のようです。

でも、「社会的に存在するのかどうかというとこれは存在しないとも言える。
私たちは誰かに認められて始めて存在していると言えるのかもしれない。」
そうとも同時に考えました。

まぁ、子供らしいあっちこっちですね。

これと殆ど同じ時期にもう一つ印象的なTVドラマを見ました。
「ウルトラQ」だったか、「怪奇大作戦」だったか忘れましたがそのてのドラマです。

その話はこんなのでした。
旅回りをしている奇術師の親子。お父さんは密閉した箱に入れた娘を箱の外に出すという奇術を披露し
喝采を浴びています。
でも実はそれは奇術ではなく、娘から幽体離脱した姿がまるで実態をもつかのようにはっきりと人の目に見えているのです。そしてその人格は次第に強さを増してきて、本体であったはずの娘を殺そうとするのです。

このドラマを見た時も、私は非常に考え込まざるを得ませんでした。
なぜなら、先にミニカーの遊びの時にお話ししたように、
別の自分を仮想的に作って自分1と自分2で遊ぶということをごく自然にやっていたからです。

たとへば、チェスや囲碁をするときに一人で相手も用意して対局する。
たとへば、野球やサッカーなどスポーツをする時に憧れの選手になった気でプレーする。
たとへば、数学や語学など好きな勉強をする時にその道の権威の学者になったような気持ちで
机に向かう。

これらは、自らのモチベーションを上げるとても有効な方法です。
そして、私たちは子供の頃から人形やミニカーで遊びながら、別の人格を仮想しそれを育てる
ということを経験しています。
でも、その育てた人格が主を乗っ取るということがあるとすると・・・
存在の二つの有り様。

だからなのでしょうか、人形遊びをし第二の人格を育てながらさらに第一の人格を強く育ててゆく。
自分の中に人格の多様性を確認し、他者の複雑を納得してゆく。

私たちが自分を育ててゆく時に、心をどこかに置くこと、
いくつもの姿を持つ心を整理し、人形でもミニカーでも頭の中に作った箪笥の引き出しでも、
どこかに区分けして置いてみることがとても有効だということを知るのです。

やはり同じ時期に見た「ひょっこりひょうたん島」でこんな話がありました。
島にやってきた魔女を退治するのに、誰かが気が付きます。
「魔女は自分を他のものに移しているんだ」「それはスペードの女王だ!(エースだったかな?)」と。
そして、そのスペードのトランプを破り捨てるかすることで、魔女を退治するのです。

私たちは自分の心を色々なものに移し、本来の自分とは違う何かに変容させながら成長し、
それをさらに自分に戻し取り込むことで自分を成長させます。
だから、魔女ではないのですが、心を託した人形が傷つくのはとても痛みを伴うのです。

出来るならば、人形は丁寧に扱い育て、どうしても別れる時が来たならば、
丁重にお別れをして納得させなければなりません。
そうしなければ、預けた心はさまようことになってしまいます。
これは、人形にも人間にも残酷なことですね。

さて、明日の朝、私は函館の家に行きます。
何回かの引越しのために子供の頃のおもちゃ箱はすでにありません。
でも、あのイギリス製のミニカーは今も居間の食器棚に置かれています。

久しぶりにその古いミニカーに会って、お礼を言ってくることとしましょう。
なんと言っても、私の混沌としてとりとめのない心を受け止めてくれたミニカーです。


追記)

お人形遊びは私たちの心を育てるとても素敵な遊びです。
そしてそれは、子供だけのものではありません。
どんなお人形を用意するかはそれぞれの世界に任せるとして、大人だって自信をもって遊んでいいと思います。
リカちゃんハウスのように、家族やお友達が増えるとその世界はますます広がりと深みを増してゆきます。

箱庭療法という心理療法の分野がありますが、日本人は知ってか知らずかこの分野のエキスパートです。
京都をはじめ各地にある日本庭園はその最たるものでしょう。
個人で楽しむなら盆栽という世界もあります。小さな鉢の中に宇宙が広がります。

そして、私の大好きな書もその一つといえましょう。
文字一つ一つに物語を持ちながら、紙という世界に活き活きとしています。
文字と文字が出逢えば新しい言葉としてまた新たな世界を広げてゆきます。
高名な書家のものだけがそうなのではなく、子どもの書初めの力強く美しいこと。
そして、書は紙という舞台をいつしか超えて自由に語り羽ばたいていきます。

人形のお話から逸れたでしょうか?いいえそうではありません。

私たちは人形という器を得、これに語りかけることによって心を写し込んでいきます。
人形(ひとがた)という役割をもって生まれたものたち。
私たちは自分の中に自由に人形をもつことが出来ます。

そして、いつも自分の人形に語りかけ対話をすることで、自分を知ることが出来るのです。
書や庭に語りかけるように。
それは新たな世界の発見。無限に広がる冒険の始まりです。

貴方の人形はどうゆう姿をしていますか?
久しぶりに私もちょっと自分に問いかけてみることといたしましょう。




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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

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