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杣人・somabito

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『サド侯爵夫人』

お元気ですか?

三島由紀夫の『サド侯爵夫人』をTVで観ました。昭和40年11月に紀伊国屋ホールで初演以来幾度と無く上演されている三島由紀夫の代表作の一つです。三島の文学作品の素晴らしさは緻密に重ね合わされた言葉の数々でありその言葉のひだの中に潜む彼の感性の鋭さに触れる緊張感です。彼の作品を読む時私は一語一語確認し、それぞれの言葉の意味と使われている場所、呼応する台詞、それらを見逃さないよう神経を集中させなければなりません。
今回は芝居をTVで観ると同時に本も読みなおしてみました。

私と三島由紀夫との出会いは中学生の頃。当時遠藤周作が狐狸庵先生と呼ばれ北杜夫がドクトルマンボウシリーズで人気を博していた時代。違いが分かる男なんて言われてテレビCMにも出ていましたっけ。世間のあまりの熱狂ぶりに嫌気をさしていた私は、生来のひねくれものの性質を発揮し、それじゃぁとばかり吉行淳之介のエッセイ『不作法のすすめ』を読んだりしていたのですが(正直な話し彼の小説はまだ読めませんでした)、そんな時に本屋さんの棚に三島由紀夫の『不道徳教育講座』を見つけたのです。私の方向性がよくわかるでしょう。今、内容を覺えてはいませんが、真面目な常識を逆転させたように言いながら別の角度から見た時の真実をさっぱりと小気味良く切り取っていて読んだ後にふぅ~んとほくそ笑みながら、心地よかったのを覺えています。三島由紀夫の感性は常識の中にあるお飾りをさり気なく小さな声で“見えちゃっているよ”と言っているようです。
高校に入ると私はフランスの戯曲や小説を読むようになりレイモン・ラディゲに出会います。フランス文学の特徴である心理小説に強く惹かれていくのですが、ここで三島が『ラディゲの死』という作品を書いていることを知り、何か感性の一群とでもいうような嬉しさに包まれて行きます。
そして、同じ時期マルキ・ド・サドの『悪徳の栄』に出会うのです。澁澤龍彦の訳にドキドキしながら読んだのを覺えています。実は少し前から読みなおしてみたいと思い、先日帰省した際に本棚から持ち帰っていました。
中学・高校の頃私は父が中国出張の折にお土産に作ってくれた蔵書印を押し購入日と名前を奥付の余白に書いています。当時は自分の買った本を古本屋に持っていくということなど考えもしませんでしたから、どんどん書いて押して平気だったのです。古本屋さんはこうゆうの嫌いますね。今でしたら和紙を栞大に切って蔵書印と日付を記入して挟んでおくことをお薦めします。
若気の至りではあったかもしれませんが、函館から持ち帰った『悪徳の栄』『美徳の不幸』『恋のかけひき』の角川文庫三冊の奥付を見ると読んだのは高校1年生の春のようです。なんだか懐かしいですね。

さて、マルキ・ド・サドの性癖や唯物論的思考、フランスの時代背景などを此処で論ずるのは私の好むところではありません。三島由紀夫が『サド侯爵夫人』に書いた夫人ルネの心理の変化をすこしばかりなぞって見ることにしましょう。

戯曲は三幕で構成されています。
第一幕は1972年秋。6月にマルセイユ事件を起こした後です。
サドは1940年生まれですから32歳。41年生まれのルネは31歳。結婚して9年目の年です。
第一幕ではルネのサドに対する貞淑と理解の姿それに対してルネの実母であるモントルイユ夫人がサドとルネとを別れさせようとする姿を通して立場を明確にしています。ルネの妹アンヌも登場し後場への伏線もしかれます。

第二幕は1978年挽夏。この間ルネはサドと一緒にフランスやイタリアを逃げまわりますが、モントルイユ夫人の画策でサドは逮捕投獄されます。舞台ではこの事実を踏まえルネが貞淑な理解者から“共犯者”とさらに深い理解に入り込んでいっている事が描かれ、二幕の最後、有名な台詞「アルフォンス(サドのこと)は、私だったのです」とルネが言うに至ります。

第三幕は1790年春。サドは78年にヴァンセンヌで牢獄に収監され11年を経ています。サドの作品はこの間に書かれています。前年1789年7月14日、フランス革命が勃発しています。第三幕では、モントルイユ夫人が時代が変わったのだからサドも陽の目を見るかもしれないと世間の変化に合わせながら自分に都合の良い理解を展開しますが、妹アンヌは夫とともにパリを脱出しようと言います。そして、サド侯爵夫人ルネは修道院に入る決心をしています。
三島由紀夫がこの戯曲を書くきっかけとなった疑問。貞淑で理解者であったルネがなぜサドが釈放される時になって彼と別れ修道院に入る決心をしたのか。第三幕の醍醐味はまさにここにあります。
牢獄で書かれた作品を読んだルネはサドに対する理解を研ぎ澄ましてゆきます。
ルネは言います。「悪の中でももっとも澄みやかな、悪の水晶を創りだしてしまいました。」「あらゆる悪をかき集めてその上によじのぼり、もう少しで永遠に指を届かせようとしているあの人。アルフォンスは天国への裏階段をつけたのです。」と。

ルネはサドが行った行為が快楽の追求の中から生まれた事を知っていました。行為そのものは反社会的であり悪と言われるものだったかもしれませんが、彼の心の内にある快楽が昇華されてゆく中に真実の光を見たのでしょう。社会とか常識といった皮をまとわない自身の中に生まれた真実。これは神の所業といってもいいものです。それを確かめるためにルネは修道院に身を置くことを決断したのです。そして、すでに現実のサドをルネは必要としていなくなっていました。サド以上にサドの真実を理解したからでしょう。だから、ルネは帰宅し面会を求めるサドに女中を通じてこう言います。「お帰ししておくれ。そして、こう申し上げて。「侯爵夫人はもう決してお目にかかることはありますまい」と。」

いかがでしょうか。三島由紀夫の『サド侯爵夫人』。社会の常識、規範に依ること無く自分の目に見える美に焦点をあててゆくと、時として現実の理解を超えたものに出会ってしまうことがあります。時にその真実は目をそむけずにはいられない程の力をもって私たちの前に立ちふさがり、時には本人を破壊すらします。実際のルネ夫人は三島が描いた程の理解者であったかどうかは分かりません。しかし、三島はルネを描くことで真理に触れるものの孤独と危うさを見事に表していると私は思います。

さて、お芝居について。
野村萬斎氏による今回の演出は役者の動きを抑えながら言葉の力を前に出すというものでした。
若い蒼井優をルネに起用しています。ただ、モントルイユ夫人の白石加代子、サン・フォン伯爵夫人の麻美れい二人の圧倒的存在感と台詞の旨さに比べたら他の役者さんが見劣りしてしまうのは可哀想ですが事実。蒼井優の気の強さというか内面の荒っぽさも見えたようで、私はあまり感心しませんでした。

2005年に東京国立博物館で上演された、岸田良二演出による舞台がDVDでありますので、こちらも見て比べて見ることにしましょう。


サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫)サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡 (河出文庫)
(2005/12/03)
三島 由紀夫

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