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杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

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憧れの歌姫・・・

お元気ですか?

昨年、当地で行われた国際ピアノコンクールの入賞者による演奏を聞きに行ったことをきっかけにして当地での音楽活動にも関心を向けるようにしています。正直なところ手持ちのレコードを聴いていれば好きな音楽は充分堪能出来ます。現在活躍している演奏家はテレビで見るくらいで良しとし、興味をもって新たにレコードを買うということも必要ないと思っています。でも、好きな音楽の世界です。楽器の町としても知られる当地でどんな音楽活動がなされているのかちょっと気になりますし、若い人がどうゆう形でクラシック音楽に親しむようになるのか興味があります。

興味をもっていると情報は向こうからやってきます。タウン誌をめくっていたら第4回県民オペラ「夕鶴」特別講座というのが目に入りました。いつもなら、"夕鶴ねっ”てやり過ごすところですが、講師の一人に目がとまります。第2回の講座を担当する伊藤京子さん。日本を代表するソプラノ歌手です。私は子供の頃から伊藤京子さんの歌う歌曲に親しみ美しい日本語の歌を聴いてきました。ご高齢になった伊藤京子さんにお目にかかれるだけでも幸せというものです。

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当日(2月3日)、会場となる大学の講堂に集まった人は100人ぐらい。やはり多い人数とは言えないですね。しかも、年齢はかなり高めの方が多いようです。20代、30代の人は見当たりません。その代わり「夕鶴」に出演する子供たちが数人賑やかに会場の中で手を振りあっています。せっかくですから最前列、先生に近い所でお話をうかがいましょう。

舞台の袖、杖をつき手をひかれる京子先生の姿が見えます。しかし舞台に一歩出る所からは杖を持たず介助もつけづに中央に置かれた椅子のところまで歩いていらっしゃいます。お歳をめし痩せた先生ですが、長年舞台に立たれてきたかたです。演奏公演と講演の違いはありますが、舞台での気構えを感じさせられます。

お話は国立音大の教授で今回の「夕鶴」の演出を担当する中村敬一氏のリードで始まります。

「夕鶴」の初演は1952年、その前年に京子先生は毎日音楽コンクールで賞をとられて、原信子先生から「貴方もつうを歌われるといいわよ」と言われます。当時、京子先生は「日本の歌手として日本のものを歌いたい」と強く思われていて3年後つうを演じることになります。

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会場には大きなスクリーンが用意されていて、作曲家の團伊玖磨氏の写真などを見ながら話が進みます。

オペラの「夕鶴」の前に芝居の「夕鶴」があり、その挿入音楽を団氏が作曲、その後オペラ化に取り組みます。山本安英のつう、宇野重吉のよひょうの芝居の舞台映像が写しだされます。日本の民話を題材にした芝居の上演は日本人を勇気づけ復興に役立ったことでしょう、会場にも当時の山本安英の芝居を見た方がいらっしゃいます。

オペラの「夕鶴」ではつうの歌うアリアが画面で紹介されると京子先生は静かに音を聞きなら口を動かしています。耳から音が脳に届いている様子、呼吸をつけている様子が分かり私は今もなおと感動しました。
すると、「この曲は団先生のオーケストラが厚いので歌うのが大変で」「今でも聞くと、あああそこでどうしてこうゆうふうに歌ったのだろうと思って・・・」とまるで私の気持ちが届いたかのように仰います。京子先生は1927年(昭和2年)生まれで86歳。今回「夕鶴」の芸術監督を務める先生の音楽に向き合う姿勢に感じ入るばかりです。

話は休憩をはさみながら続きます。團伊玖磨氏が作曲家を志し山田耕作のところに行った話、北原白秋に会いたいと手紙を出したら葉書にただ“どうぞ”とだけ書かれて返事が来たことなど・・・。
団氏が京子先生を高く評価して29曲もの歌曲を歌うリサイタルを開いたのがちょうど三億円事件の時だった事なども紹介されます。
その北原白秋の詩「舟歌」「5つの断章」からや「石竹」「三つの小唄」から、などの歌が紹介されます。やはり京子先生は小さく口づさみながら若いご自分の声を聴いています。

山田耕作が1955年の映画「ここに泉あり」に本人役で出演している話や、八丈島に土地を求め団氏にも隣に別荘を建てさせたが山田本人は結局建てつじまいになったこと。八丈島の団氏を京子先生らは訪ね八丈島で21回コンサートをやった話なども紹介されます。

団伊玖磨が27歳で作曲した日本のオペラ「夕鶴」。海外での公演も多く団自身精力的に活動し中国公演では団自ら請願書を書いて公演を実現させた事などが伝えられます。

「日本語はオペラに適さないなどと言われる事もあるが、そんなことは無く音楽家が努力しなければいけない。」という伊藤京子先生の言葉が「夕鶴」を歌い、日本語の美しい歌曲を歌いつづけて来られた姿と重なります。

会場から質問を受けたり、「夕鶴」に出演する子供たちに拍手を送るよう来場者に呼びかけたりする伊藤京子先生の姿。日本語を大切にし音楽の道を歩まれた伊藤京子先生の品格に感銘をうけた講演でした。


第4回県民オペラ「夕鶴」。出演者、スタッフを県内在住の方や出身者に多く参加してもらい開催する企画だそうです。コンサートに出かける事の少なくなった私達ですが、県の文化活動を応援する意味でも聞きに行きたくなりました。子供たちの歌う姿を見るだけでもきっといいでしょう。同じ歳の頃の私を思い出すかもしれません。




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テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

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今晩は お久しぶりです。一回コメントをしましたが、入って行かなかったようです。
杣人さんにとって良き日でしたね。このような環境が身近にあって良いですね。
夕鶴って50年位前でしたが、木下順二先生にお会いする方と一緒に舞台稽古を見に行きました。字を見ただけでも懐かしさを覚えますね。

相子様、お元気なご様子何よりと存じます。
さすがに相子様、幅広く素敵な経験をお持ちですね。
懐かしく思い出していただけただけでも私は幸せです。
コメント有難うございました。

こんにちは。

お話しの中にあります、楽器の町とはもしかして浜松のことでしょうか?私はまだ訪れたことがありませんが、名古屋に暫くおりまして、その時の同僚が浜松出身だったこと覚えております。「楽器の町」にお住まいになって、クラシックにお詳しく弓道を嗜んでおられるということ、とても床しいお方と拝察します。今回はまた私が全く聴いたことのない「夕鶴」のお話し、新鮮な気持ちで読ませていただきました。
「夕鶴」と伊藤京子さんへの思いの深さがよく伝わってきて、
音楽記事というのはこうでなければ、と大いに学ばせてもらいました。ありがとうございました。

お恥ずかしいばかり

南亭様、おはようございます。
縁あって5年前に当地浜松に越してきました。楽器メーカーがいくつもあるお陰で小中学校の吹奏楽は盛んなのですが、当地には音大がありません。せっかく広い空と美味しい空気がある土地ですから若い人がのびのびと音楽を学び楽しむ環境が整えばと願っています。
伊藤京子さんは物心ついた頃から聴いていましたので私を声楽、日本歌曲へ導いてくださった恩人と思っています。その先生の品格あふれるお姿に接し、「あぁ私が好きになった方はこんなに立派な方だったんだ」とあらためて感動した次第です。音楽は色んな形で私達を幸せにしてくれますね。
温かいコメント有難うございます。

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