プロフィール

杣人・somabito

Author:杣人・somabito
Nuages・・・雲のようにふんわりとしています

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最近の記事
最近のコメント
カテゴリー
リンク
ブログランキング

FC2ブログランキング

人気のあれこれ!
月別アーカイブ
最近のトラックバック

目に写ること

お元気ですか?

急な用事ができ、東京へ出かけました。高速道路を走るのですが今日はいつもと違う時間帯なので周りにどんな車が走っているのか気にかかるところです。道路は時間帯によって走る車が違います。トラックが連なる時間帯や仕事の帰りを急ぐ社用車、家族レジャーを楽しむ車・・・時間帯によって様々です。

追い越し車線を走っていた私の後ろの車がすっと除け入れ替わるように物凄いスピードで近づく車がルームミラーにアップで写ります。ナンバープレートが見えない程に接近しますが、左側の走行車線にはトラックが走っていて避けると私がトラックに急接近する形になります。一瞬危ないなぁと怒りを感じますがトラックの速度を確認し左に除け後からの車をやり過ごしてすぐ元の車線に復帰。追い越した車のナンバープレートを確認。春日部57・・と車種を目に記憶します。車は前の車にパッシングやどけどけウインカーを出しながら離れていきます。

順調に走って来ましたがもうすぐ東京料金所という大和トンネル手前で事故渋滞に巻き込まれました。
そのニュース映像がこちらです。「トラック追突し・・・」
滅多に渋滞に巻き込まれない私ですが、今回は1時間以上全く動きません。しかも場所が悪いらしく交通情報も入りません。試してみるとAMラジオは全滅です。FMもノイズがかなり入ります。暫くしてハイウェイテレホンで少し状況が分かりましたが、ラジオが入らない事には驚きです。私達の場所は厚木基地がすぐの処ですからその影響なのかも知れません。


さて、長い渋滞を抜け東京での予定を駆け足で済ませるとはちや珈琲さんに寄って一息つかせていただきます。
「あれ、この時間にいらっしゃるのは初めてじゃないですか?」なんて驚くご主人から珈琲をいただきしばし笑談。でもすでにご自宅に戻られた奥さんにはお会できません。好奇心旺盛で愉快な奥さんからは、塩麹を教えていただいたり羊羹をごちそうになったりしています。今回は天然酵母のパンづくりの話を伺いたかったのに・・・。
その奥さんは、珈琲と一緒に簡単なお手紙を添えてくださいます。



毎回ふふって笑ってしまう日常の一コマ。サザエさんの四コマ漫画のようなお手紙です。

今回このお手紙を読みながら思い出したのは鈴木三重吉のことでした。鈴木三重吉は明治から亡くなる昭和11年まで活躍した作家・児童文学者で夏目漱石門下として森田草平・寺田寅彦・小宮豊隆らと親交のあった人です。私には新美南吉や小川未明に繋がる児童文学者、雑誌『赤い鳥』を舞台にした“綴り方”“写生文”による作文教育を通じて見ることの大切さを訴えた教育者としての印象が強くあります。

ある時期、児童文学を読み比べていた事があります。宗教的啓蒙書としての児童書、戦争の影響を受ける児童書、キングスレーの「水の子」やディケンズの作品には社会福祉を読むことが出来ます。そんな児童文学の世界で鈴木三重吉の“写生文”見たままを書く事の大切さを訴える姿は特異な存在であり、非常に大切なものを子供ばかりではなく大人にも伝えようとしているように思えます。

私達は見たものを見たままに理解し表現するということの難しさにしばしば出会います。以前にも書いた事がありますが、私がそれに気づいたのは学生の頃デッサンをしていた時でした。りんごを描く時、三角すいを描く時丸いというイメージや三角というイメージに囚われたりして実際に目に映るものをそのままに描くことが以外と難しいものであることに気が付きました。影や光の捉え方も同じです。雲を気安く空に描くと、「この季節にその雲は違うんじゃない?」なんて指摘をうけます。雲の形ばかりでなく光の差す角度など実際の姿は私達が頭の中に描いているものより精密なものです。こうして何回も何回もデッサンをしながら自分の目のいい加減さを知り曖昧さを取り除く事を経験してゆきます。

こうゆうことを心に置いて生活の中を見直してみます。

一番わかり易いのはテレビや新聞、ネットに流れているニュースでしょう。放送局や新聞社によってニュースの扱いが違う、事件への見方が誓うというのはよくあることです。しかし私達はそのニュースの全てをまたは様々な角度で理解することは困難です。どんな情報に遭おうとも“他の情報は?別の見方は?”という視点を忘れては思わぬ落とし穴にはまってしまうことになります。
原子力発電は長く二酸化炭素を発生する化石燃料に替わる優れたエネルギーと思われてきました。国をあげてそう宣伝していたのですから専門家でもなければなかなかこれに反対することも出来なかったかもしれません。では原子力発電の不幸を知った今、再生可能エネルギー、風力や太陽光、潮力などの自然の力を利用したエネルギーに飛びつくのがいいのでしょうか?生産量やコストの問題など簡単に飛びつけない問題が立ち塞がっています。私達はどうゆう視点を持つべきなのでしょうか。

この世界の面白いところは多様性です。ちょっとブログを見ても一人ひとり色々な興味を持っているのが分かります。一人の人でも様々なテーマが展開されています。ですから、私は私と趣味や興味の違う人のブログも楽しむことが出来ます。意見の違う人のブログも“そうなの?”って思いながらリピーターになっていきます。ペット溺愛ブログはごめんなさいなんですけどね。

そして、いつも思うのです。私のものの見方はこれでいいのか?って。

鈴木三重吉が熱く訴えた写生文の奨め、見たままを書く綴り方の意味はどこにあるのでしょう。自分の目に写るものを自分の言葉で表現出来るということは、見ている自分を見て対象との距離を知る事につながります。そこには他者との距離も生まれてきます。鈴木三重吉は綴り方教室において子供の直視する視点をそのまま素直に成長させることで大人になっても大切な何かを育てたかったのではないのでしょうか。

はちや珈琲の奥様の手紙を読みながら、私の目は何を見て何を書いているのか?そんな事を考えています。




スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 日記

コメント

Secret

No title

杣人さん、こんにちは。

お元気でお過ごしでいらっしゃいますか?
御記事に、今度東京に行く機会があったら、山の上ホテルに行ってみましょうと思ったりしております。

ところで、このごろでは、ご存じの方も少なくなってきた感のある(?)鈴木三重吉の仕事を、このようにご評価下さっていて、とても嬉しくなりました。(それで、たまらずコメント申し上げました。)
ありがとうございました。(私が御礼申し上げるのも可笑しいですね)

昨今では、派手に教育を語る方々の多くは、子どもたちでなく、政治に目が向いている様に思います。その時、子どもたちは(学校も)、言うことを聞かせやすい者たちとして捉えられています。
または、経済的な理由で小学校が簡単に統合されたり、車がなければ行きにくい山の上に建てられたりといったように、社会の負担として捉えられたりしています。
給食も、デリバリーと言われるお粗末なものになっているところが多いです。
『赤い鳥』当時、鈴木三重吉を初めとする芸術家の方々が情熱をかけられたように、子どもたちの世界に、目と愛情を注いでくれる社会になりますようにと、切に切に願っています。
ついおしゃべりが過ぎてしまいました。申し訳ありません。
ありがとうございました。

失礼をお許し下さい

ここ様、コメントを頂き大変嬉しゅうございます。
教育については思う処もありますが、私なんかが申し上げるのは笑止。

鈴木三重吉先生に関しては、いつも私自身の小学校の頃の作文を思い出しながら懐かしんでいます。

先ほど貴ブログのお嬢様との楽しいやり取りを拝見し思わずコメントしたのですが、なんだか私なんかがコメントするのが恥ずかしくなって削除させていただきました。お許しください。

杣人のNuages

ブログ内検索
 RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ホテル探しに!
クリックをお願いします!
Google